31 『妄想的想像上の空想の実在について』
「ちゃんとキャッチするから、ほら」
夜。
だって昼間にノコノコ外出したら普通に組織の人に見咎められて、そして数の暴力でボコされるだろうし。だから、前に《火魔法》を試した時みたいに街から脱走しようとしてるんだけど。
「信じても、大丈夫なんですね? 私重いですよ? いいんですね?」
フィアが窓から飛び降りてくれない。
というか、重いというのは物理的な話なのか、精神的な話なのか……契約以前の彼女ならともかく、今の彼女ではまるで判別の付かない言葉だね。
「私の力は知ってるでしょう? 戦闘力とかじゃなく、単純な腕力として」
「それはそうですけど……!」
飛び降りるよりも、窓の縁に貼り付いてる今の状態の方が危険だと思うんだけど。
「ほら。さーん、にーい、いーち――」
「ぜろ」と告げると、目を瞑った彼女が決心したのか飛び降りてくる。
広げられた腕によって無防備になっている両脇に手を差し込んで、自由落下で得た運動量を流す為に自分の膝を軽く曲げながら、軌跡を斜めに誤魔化した。
巡り巡って銀髪が私の腕に収まった所で、フィアが息を吐く音が聞こえる。
「ほら、大丈夫。私は別に、出来ない事を『やれ』って強要したりはしないからさあ」
背中をとんとんと叩きながら今も尚、彼女の怒鳴るような鼓動を宥めて、耳元に私の思考を刻むように囁きかけた。
「……本当、ですか?」
「うん」
「じゃあ、リーナさんを信じれば……私は、安全ですか?」
「うん。安全だよ」
埋めていた肩から顔を上げて、少し必死なぐらいに耳元で問い掛けてくる言葉に何度も頷いて、彼女を抱き上げている手を滑らせて髪を撫でた。
一瞬でも空白があれば、それは不信の種になるだろうから。
「じゃあ、ちょーっと激しく動くけど……まあ、叫ばなければそれでいいよ」
そう言って、密かに撓めていた膝を伸ばし上げた。
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なんというか、適応力が高いんだなぁと思う。
二階から飛び降りるだけであんなに躊躇していたのに、屋根から屋根に飛び移ったり、城壁に飛び乗っては十メートルのそこから飛び降りたりしたんだけど、特に悲鳴が上がったりはしなかった。
とりあえず、しがみついていた彼女を下ろす。
「大丈夫?」
「ん、大丈夫です」
ならいいや。
「で、なんでわざわざ抜け出してまでここに来たんですか?」
「んー?」
小石に小枝があるだけでなくそもそもの地面が凸凹だし、その上で背の高い雑草まで生えているけれど、多分《踏破術・破》のお陰でなんとかなっている。あとタイツが地味に脚を守ってくれててありがたい。
「ちょっとキマイラの様子を見に行こうかなあ、って」
「……なるほど」
『討伐』と『観察』という目的の差があるからだろうか、盤金貨五枚と設定されている討伐報酬の記された依頼書を見た時とは、まるで反応が違う。前は『馬鹿なんですか』小声で怒鳴られたのに。
「怒んないの?」
「考えがあるんでしょう?」
「うん」
「なら、いいです」
物分かりが良い。
そういう子は嫌いじゃないよ。
好きでもないけど。
横目で見た彼女の[ステータス]は、契約の前後で異なっている。[任意稼働技能]では《身勝手》《混濁》、[常時稼働技能]では《節度の消失》《順応》の計四つが増えていた。
しかも、【節制系統】自体が鑑定可能になっている。
そもそも【節制系統】と断言している事自体がその証左ではあるのだけど。
「ねえ、フィア」
「なんです?」
「【契約】って、なんなの?」
沈黙。
「え、知らないで結んだんですか」
「うん」
「……正気ですか?」
「相対的だよね、そういうのって」
左右で言えば左側を歩いている私の右手、それが彼女に握られて、ゆらゆらと揺すられる。
じゃれつきなのか甘えなのか抗議なのかは判別が付かないし、特に付けようとも思わない。
「いいじゃん、教えてよ」
「まあ、いいですけど……」
こちらからも繋いだ手を揺すり返して説明を強請ると、少し呆れられながらも鈴の音が紡がれ出す。
「ではまず、大前提の定義として――【契約】というのは、お互いを縛る物です」
「へー」
「そして、その成約には【呪詛属性】が必ずしも必要とされますが、判子やペン、録音機等の『何かに記録する物』としての機能と形状を持った、特定の〈魔導具〉があれば問題ありません。私達の場合は〝紋〟ですね」
わあ情報量。
えーなに、《呪詛属性》に、録音機に、〈魔導具〉? 現時点までで確認出来ていた【魔法】は《火魔法》に《風魔法》、後はフィアの《水魔法》と《神聖魔法》、だったっけ。
で、それに加えて【呪詛属性】。
なんか《神聖魔法》と似た雰囲気というか、火や風や水とは違う感じがする。
「内容、形式にもよりますが――『お互いを縛る物』、その本質は【契約】である限りどのような形であれ変わりません。そして、私は貴女に忠誠を誓い、この呪印を介して【契約】を結んだので、俗に言う『奴隷契約』という形になりますね」
口ぶりからすれば、それほど一方的な物ではないらしい。
彼女が【契約】によって〝奴隷〟という役割に縛り付けられたように、私も契約によって〝主人〟という役割に縛り付けられているのだろうか。
「『奴隷契約』は基本的にどちらかを上、どちらかを下とし、存在核レベルで関係に於けるお互いの地位を定めます。貴女は私に対し【命令権】を持ち、私はその行使に逆らえない……というのが一番分かりやすい例ですかね」
……じゃあ、仮に『【命令】に従わないで』と【命令】を下したら、一体どうなるのだろうか。
まあ、『【命令】に従うな』という【命令】に『【命令】に従うな』という【命令】は効力を及ぼせないという処理を行えば――、
とにかく、私は彼女に対してなんでも【命令】してもいいらしい。
それが『奴隷契約』に依って齎される〝権限〟ならば、まあ誘拐に使わない手は無いし、事実として初対面時から彼女の首元には呪印が刻まれていた訳って事か。
「この【契約】は何をどうやっても奴隷から解く事は出来ず、【解約】には必ず主人だけの任意が必要です。どちらかが死ねば流石に解除されますが、そもそもこの【契約】を結ばされている時点で自害が禁じられている場合が多いので、あんまり意味は無いですね」
結構本格的に、私はこの子のご主人様になったらしい。世話を焼くのは面倒だろうけど、フィアは私に心から従属しているだろうし、一緒にいて苦になるような人物ではないし。
まあ、いいか。
そもそも本来の理由は、彼女の持つスキルを警戒しての事だったから、今こうして手中にいるのならそれでいい。
「ちなみに、この【契約】自体が人格に影響を及ぼす事はありませんが、【命令】は人格に影響を及ぼします。貴女がそうであれと定めて下したのなら、私はそうなる以外に道はありません」
へー。暇が出来たら猫の鳴き真似とかさせようかな。
勿論【命令】抜きで。
そっちの方が面白そうだし。
「……だから、リーナさん。私は貴女が望むのなら、母親にだって、娘にだって、妹にだって、姉にだって、恋人にだって、娼婦にだって、家畜にだって、道具にだって……勿論、奴隷にだってなれます。なります」
「うん」
「ですからどうか、私の事を――」
振り向いて、銀髪が躍った。
「死に至るまで、使い潰してくださいね」
そう締め括って、照れたように。
奥ゆかしく笑って、目を伏せた。
振る舞いと言葉に差があるなと、私はどこかで冷静に考えていた。
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どうやら、キマイラというのは卵生らしい。
頭部と前足は獅子の物で、それ以外は山羊の物。
遠目に見える尻尾は蛇、だと思う。少し筋肉質で太め。
獅子と山羊部分の中間、その辺りは毛の色が混ざっていた。
で、すやすやと眠っている。
眠れる獅子(三分の一)。
尻尾含めて横の全長は八メートル、縦は二メートルぐらいありそうな巨躯であり、目を閉じながら身体を猫のように丸めて、そうやって筋肉で作られた渦の中心には象牙色の卵が収まっている。
後、フィアも私の腕の中に収まっている。
彼女も私も《木登り》は持っているから登る事自体は問題ない。ただあまりにもスペースが無くて、こうして抱き合わなければ対象の全てを視認出来なかったが故に、フィアは私の腕の中に収まっていた。
「おっきいですね」
「そだね」
こうして身体自体が密着しているからか、潜めた声でもちゃんとやり取り出来るのはいいのかもしれない。
《隠匿》《隠密》《凝視》《照準》、それが今使っているスキル。
で、その上で敵情視察を掛ける――、
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[名前]:〔――――〕
[種族]:魔物
[年齢]:55
[状態]:負傷
[任意稼働技能]
《地魔法》《火魔法》《風魔法》《闇魔法》
《魔力制御》《魔力抵抗》《魔力操作》《魔力触》
《変色》《威圧》《硬化》《迷彩》《狂乱》《毒呑》《崖登り》《威嚇》《巣作り》《視野拡大》《視野狭窄》《泥上歩行》《突進》《発狂》《共存寄生》《突貫》《蜷局》《蛇行》《意地》《念動》《想像妊娠》《指揮》《地纏い》《闇纏い》《風断ち》
《石化眼》《威圧眼》
[常時稼働技能]
《中級爪術・II》《初級牙術・X》《中級尾術・I》
《幻影属性適性》
《地属性理解》《闇属性理解》
《触覚強化・VII》《嗅覚強化・II》《筋力強化・VI》《腕力強化・V》《脚力強化・VIII》《持久力強化・IV》《咬合力強化・III》《食道強化・II》《爪強化・X》《牙強化・IX》《鱗強化・VI》《尾強化・III》《消化力強化・I》《体力回復強化・VIII》《自然再生強化・IX》《骨密度強化・III》《筋密度強化・IV》
《気配感知》《危機感――、
目が、合った。
「っ」
彼女を抱えたまま降りて、整わぬ姿勢で足裏に何かしらを生成して。
瞬間、ず――と体内が広がった。
それを無視して、流れる景色を脚で巻き取っていく。
「――――」
やばい。本当にやばい。
心臓が不規則で、耳鳴りが酷い。
確かに強いだろうとは思っていたけれど、〝これ〟は聞いていない、〝あれ〟は想定外に過ぎる。獣貌に収まった純金の目と相対した瞬間に、頭蓋が押し潰れたような気さえした。
怖いとか、恐ろしいとかでなく、気味の悪さを感じ――、
圏内。
薙ぎ払われ掛けてる爪、その異様な鋭さ。
攻撃の発起人である腕、その体毛の一本一本。
筋肉、血管、骨格、速度、重量。
揺れる空間、破られる遠くの感覚。見えていない筈の軌跡が把握の内にあり、だから。
身を、屈めた。
そして、爪が。
空気と背中を、抉った。
「っ゛、ぁ」
密度だけを高めて靴裏に剣を生成しては削除して、反発力のみで逃げ出す。
腕の中の物を抱き込んで、全ての雑音を無視して駆け出した。
残影の金瞳が――私を、嘲笑っていた。
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泣きそうな声で色々と問われた後に、治されている。
無理も無いというか、患部を見てないから分からないけど多分酷い事になっているのだろう。だって痛みを通り越して最早熱さを感じるだけで、自分でさえ自分の状態が分からないぐらいには酷かったから。
「傷の痛みは、どうですか?」
「痛くないよ。なんかすっごい熱いけど」
問いに対してそう伝えると、何故かフィアは安堵したように息を吐いた。
え、なんか逆に怖いんだけど。
「浄化もしましたし、傷も塞がったので、痛みが無いのなら完治……だと、思います」
「すっごい熱いのはなんなの?」
「ただの『治癒熱』なので、大丈夫です」
また知らない概念。
今はあんまり思考のリソースが残ってないから、それについて考えるのは後回しで。
うつ伏せから身を起こして全体的に服を再生成しながら、彼女の手で上げられていたワイシャツの裾を下ろし、地面の上に足を崩して座り込む。
「ねえ。あれって、ランクとしてはどのくらいなの?」
首を傾げて問い掛けると、フィアはぎゅっと眉を寄せる。
悩んで考えて整理し終わったのか、少し俯いていた顔を上げて、おずおずと口を開いた。
「……C、ランクです。かなり下の方では、ありますが」
あぁ、あれか。都市一つを壊滅させられるだけの戦闘力って指標。
なるほどね。あの存在がそうであるのは、まぁ納得出来る。
だって私じゃ勝てる気しないし。
などと考えていると、その青い目を伏せながらもこちらに視線を向けて、補足してくる。
「一つのランクに限っても、その力は上から下までかなりの差がありますが……」
「うん」
「前に言った『Dランクなら街一つ、Cランクなら都市一つ、Bランクに至っては国一つ』という指標は、そのランクの中で最上位に位置する魔物が実際に起こした被害の規模。それそのもの、なんです」
どうしよう、すっごいこの都市から逃げたい。
だって最低でもCランク以上の力があるって事じゃん。こわ。
でもここから逃げたら、フィアを狙っていた組織が盗賊ギルドとか上の方に報告して不味い事になるだろうし、そもそもフィアは誰か・何かから依頼を介してまで狙われているからその存在を明るみにしてはならない。
だから、どうにかこうにかキマイラとかいう爆弾を常に抱えながら、あの組織が話をばら撒く前に、内々で解決しようとしている間に、この都市内から出ないで片付けなきゃいけないんだけど。
「うーん……」
まあ、やりようはあるか。
「次の質問。キマイラは、どっかに傷とか負ってなかった?」
[ステータス]に表示されていた『[状態]:負傷』という項目。
だから鵜呑みにして単純に考えれば、どこかしらに手傷を負っている筈なんだけど。
あればいいな、という思いを籠めて、薄暗い碧眼を見詰める。
「……そういえば」
「うん」
「右の前足、あそこに歪な白い線が走っていたような――」
首に、手を当てる。
「そう、そっか」
古傷の痛みは、知っている。
自害時の物もそうだし、それ以外の物も。
それを刻む事が出来るというのなら。
頬が引き攣れた。
「ああ、なんだ」
思ったより、やりようはあるらしい。




