29 『印象 × 実情 × 相乗』
フィア視点です。これからもちょくちょく挟まると思う。
――赫よりも赫く、黎よりも黎かった。
長くはなく、短くもなく、だけれど中途半端と称するにはあまりにも淑やかで、艶やかな髪でありました。
美白というより色白で、色白というには不健康で、血管の青が妙に浮き上がっていると思える程の、冷ややかな肌でした。
眉に目の形、睫毛に鼻筋にそれらが収まる輪郭、その全てはどれもこれも、とても鋭利でありました。
纏う空気は柔らかいようで尖っており、言葉は軽々しそうで重々しく。
軽佻浮薄なようで、深謀遠慮が巡っているのでした。
手、足、指、舌、身体の末端という末端はとても長く、胴体や腿に首などの部分は不安になるほどに、繊細でありました。
用いる武器の殆どは、前述の印象に従った物であり、艶やかで、冷ややかで、鋭利で、相反するほどに不安定で、細い物なのでした。
それは、赫よりも赫く、黎よりも黎かったのです。
――武器などではなく、彼女自身が。
飛び散り張り付いた血液は頬紅としての役割を粛々と果たし、風と動作に揺れる頭髪は黒滔々たる仄かな輝きを纏い、降り注ぐ陽光ですら断ち切る不穏な勢いで、動かぬ屍に何度も短剣を振り下ろしていました。
その瞬間に。
浅く色付いていた頬が、虹彩に彩られた瞳孔の深奥が。
赫よりも赫く、黎よりも黎かったのでした。
何よりも強く、それに焦がれていたのでありました。
▼△▼△▼△▼
二人部屋。
『想定の内から最悪を引けば死ぬかも』と言われて、元々泊まっていた部屋に荷物を取りに行く事もなく新たな宿に泊まる際に、選んだ部屋がそれだった。
別に、文句は無いのだけれど、ちょっと落ち着かない。
まだ、少し疼いている気がして。
酔狂な言葉と共に私の顎を嫋やかな指先にて、緩やかに持ち上げられ、その後に無防備にも晒された首元へと、あの〝紋〟へと、血の滲む親指を擦り付けられた狂熱の瞬間が。
血の契約が交わされた、その瞬間が。
どうにも焼け付いて、忘れられない。
だというのに――、
「……幾ら何でも、無防備に過ぎるのでは?」
少しの空白を挟んで二つ並ぶベッドの片方。
ネクタイを適当に緩めてはベッドに転がり込んで、惜しげもなく脚線美を晒し、二つが折り重なったようなスカートが少し捲れているのに直す気配も無く、彼女はだらけている。
ちらりと覗く鎖骨が、どこか淫靡ですらある。
「言い訳するとねえ、今日は疲れた。大体君の所為でね」
それを言われると反論出来ない。
殆ど無抵抗に連れ去られた私を助けに来たのはリーナさんだし、迷宮ぐらいの紆余曲折した口論を経て私は今の立場に収まっている訳ですし、反論のしようがない。
それでも、自らの主人に多少の品格を求めるのは私の越権なのでしょうか。
……いや、今日は本当に疲れているだろう、というより直々に疲れさせてしまったから、存分に休んでほしくはあるのだけど。
「あの、ご主人様は――」
「ねえ。『ご主人様』って呼ぶの、やめてくれない?」
さっきまでごろごろしていたのに、急に身体を起こしてこちらを見据えてくる。
「なんでですか?」
「私達の関係が露見したら不味いから」
別に、二人きりの時ぐらいは。
そういう思いで頬を膨らませて、躊躇いなく遺憾の意を示す。
「そんな顔しても駄目だよ。なんかむず痒いってだけの感覚に、それらしい理由付けただけだからね」
あっけらかんとそう言い放たれ、思わず頬が萎んでいく。
つまり、あれですか。感覚的に嫌なだけだけど、それに、それらしい理由を付けて拒否しているですか。
ある程度説得力のある理由が後付けである事が憎い。
「じゃあ、交換条件です」
「……何?」
ぴんと指を立ててそう言えば、隠す事なく『面倒だなあ』という感情がありありと書かれた表情を浮かべていて。
なんというか、契約以前と契約以後で、感情表現に遠慮が無くなっている気がする。
いや、それは私もそうなのだろうけど。
少しだけだけど、嬉しかったり。
「んんっ」
思考の帰結を咳払いで定めて、それまで上げていた指を下ろす。
「『銀髪ちゃん』って呼ぶの、やめてくれませんか?」
「えー、いいじゃん。気に入らない?」
気に入らない。
折角偽名とはいえ名前で呼んでもらえたのに、その機会が減ってしまうのは嫌です。『ちゃん』も『くん』も『さん』も何も付けないで、ただ『フィア』とだけ呼び捨てにしてほしい。
その低く掠れた、吐息にも近しい声音で。
「まあ、別にいいけどさあ」
リーナさんは溜息混じりにそう言っては、身体から抜いてベッドに倒れ込んで、毛布を乱雑に被り出す。
「じゃ、寝るから。おやすみ」
「……おやすみ、なさい?」
言い慣れない言葉を返して、ベッドサイドの照明を消してあげてからじーっと向こう側を観察していると、いつの間にか深呼吸は単なる寝息に成り代わっていた。
どうやら本当に、今日は疲れていたらしい。
それでも、やはり。
「……幾ら何でも、無防備に過ぎるのでは?」
どこかあどけない寝顔を見て、そう思った。
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息が荒い。
体が熱い。
まるで背骨が中から炙られているような焦燥感と、内部からそうやって熱されている事への根源的な安堵が巣食っている。
だというのに、吸い込む息が触れる肺と、胃だけが冷たいのだから訳が分からない。
「りぃ、なさん、りーなさん……。りーな、さん……っ」
呟いていなければ落ち着かなくて。
身体を丸めていないと何かが抑え込めないような気がして。
目を閉じていないと涙が溢れてしまいそうで。
指を握り締めていなければ発散先が無くなりそうで。
ああ、おかしくなりそう。
昂っている。昂っているから昂っており、昂っていなければ昂ってはいないのに昂っているからこそ昂っていたのであり、私は昂っている。
だって、あの人は私を救ってくれた。
どうしようもなく灰汚れた、私の世界から。
「……ふ、ふ」
どくどくと、心臓が脈を打っては止まない。
ぐるぐると、魔力が渦を巻いては止まない。
死に絶えた信仰心は、あの時を持って息を吹き返した。
空席であった視座には、確かにあの人が腰掛けている。
ああ。今すぐにでも、この首輪を外して、呪印に直接触れてしまいたい。
でも、それは出来ない。『許可なく外さないでね』と言われたし、そもそも外し方がよく分からない、でもリーナさんからの貰い物だから壊す訳には行かないですし。
「う、ぅ」
私が、あの人の奴隷であると実感出来るだけでいいのに、それだけが許されていない。
意見するなとも、逆らうなとも。
言い付けてはくれないし、気になったり思い付いた事があれば積極的に上申しろとまで言う。
そうじゃない、そうじゃなくて。
尊重してくれるのは嬉しいけれど、尊重よりも命令が欲しい。
規則と指令で厳重な程に縛り上げられて、身動きの取れない意思をあの人の、黒い革手袋越しの繊手で、どこまでも強く握り潰してほしいのに。
「生殺し、じゃないですか」
貴女は神です。
私の中で。
他がどうあれ。
貴女だけが神様です。
古臭い因習に富んだ宗教など、主神など、滅びてしまえばいい。
宗教が心の支えになった瞬間など一瞬たりとも存在せず、手を尽くさず見守るだけで何もしない主神など、木偶の坊と何が異なるというのか。
ここに神はいない、そこに神はいない。神はどこにもいない。
いるとすれば、それはリーナさんだけ。
印象として私を救い、実情として私を救い、相乗にて私を救った、ただ一人の少女のみが。
黒い髪に白い肌、赤い瞳に収まった、何よりも仄暗く輝いている黒の瞳孔。不安になるぐらいか細い体躯に、不釣り合いな程に長く伸びた体の末端。
その態度は軽忽である以上の事はまるで無い。
それらは繊麗であり、艶麗であり、端麗なのでした。
低く掠れた声も、少し骨ばった手も、殆ど常として纏っている軽薄な態度も。全てが魅力的であり、私にとっては不吉な程に神聖であり、どこまでも暗く底知れぬ故に、輝かしい物だったのです。
そんなあの人が、私の敬愛する神様なのです。
私に真紅の福音を齎した、崇高なる黒翼なのです。
その存在が何よりも、不吉だったのです。
▼△▼△▼△▼
「リーナさん、起きてください」
「ん、ん……」
嫌がるように首を振っては、毛布を被って閉じ籠もってしまう。
身体に密着していない余白の部分を掴んでなんとか引っ剥がすと、外気に晒された身体は丸まって、殻に籠もってしまった。
その服装はいつもの儀礼的な物ではなく、いつ着替えたのか略式的な物に変わっていた。
ワインレッドのぶかぶかなパーカーを着て、そのぶかぶか具合の所為で足腰に身に着けている物はタイツ以外に分からない。
「ちょっと、リーナさん?」
生地の所為で感触の曖昧な肩を揺すると、頬に掛かっていた前髪が目元に落ち、そうやって簾に隠れても尚見える眉間は難しそうに寄っている。
やや吊り目がちの目をぎゅっと閉じ、不機嫌そうな表情。
それでも美人なのだから、美しさとはそう簡単に損なわれる物ではないのだな、と思う。
「『朝になったら起こして』って、リーナさんが言いましたよね」
「言った……言った、けどさあ」
彼女は声にならない声で唸って、白いシーツの上でその痩せぎすの身体を胎児のように丸めていく。
甘やかす、べきなのだろうか。
『起こして』と頼まれたから起こしているだけで、別にこのまま好きなように寝かせた方が良い気もする。私としては、昨夜みたいに寝顔も観察できる事ですし……。
その判断に迷っていると、突如むくりと痩身が起き上がる。
「んー……!」
と、寝台の端に腰掛けたまま伸びをしたかと思えば、自分の胸辺りに手を当てて。
服が、切り替わる。
ワイシャツにスーツベスト、それを赤いネクタイで締めた『いつもの服装』に瞬時に変わったリーナさんは、こちらに赤い目を向けて。
「……おはよ、フィア」
私を見て、首を傾げてきた。
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きっとリーナさんは、いい所の生まれなのだと思う。
態度や口調はともかく、その端麗な容姿や洗練された仕草から思うに。
一番〝らしい〟と思うのは、食事の所作。
こなれた箸の持ち方、料理の取り分け方、お椀の持ち方に至るまで。そのどれもに一本の線が通ったような道筋があり、ただ粛々とその道を辿っているような、清廉な雰囲気すら漂っている。
食べる速度は何故だか、異様に速いのだけれど。
「食べながらでいいから、聞いてほしいんだけどさあ」
焼けたウインナーの断片を刺しながら、視線を向ける。
食事の時だけは手袋の外されている手で、どうにも雅やかな左の手で彼女はコップの冷水を飲んでから。
「これからの事、話そっか」
少し嗄れた声音で、そう言われました。




