16 『博愛とは利己的であり、生存戦略の一種である』
やはり私は、人が持つべき何かが欠けているのだと思う。
門衛に二人分の通行料である五角形の銅貨を一枚払って、名前もまだ知らない街に戻ってアスファルトの往来に迎合した時。
入り口よりも少し奥で、小さな子供が泣いていた。多分というかほぼ確実に迷子だろうと思われる子供。
私は無視しようとした。
うるさいし、時間が割かれるし、子供に限らず人間が嫌いだから。
だというのに。
フィアはその子に手を差し伸べた。
寄り添って、話を聞いて、『大丈夫ですからね』と言って抱き締めさえして、荷物の重量もあるだろうに子供の親が見つかるまで手を繋いで、なんとか安心させようと。
結果的に今、フィアは子供の母親と思わしき人物に感謝されている。
彼女は優しいのだな、と思った。
それと同時に、私には出来ないだろうとも。
彼女と、子供と、母親。私の視線の先に映るのはその三人で、つまり輪からは逸脱している。
何せ、『視線の先』に映っているのだから。首を動かす事なく、三人全員を視界に収められているのだから。
「――――」
社会一般から逸脱する事に、私はなんら辛苦を覚えていない。そう思える程の感受性はとうに腐り落ち、まるで新興宗教の教祖であるかのような心持ちで、ずっとずっと、息を繋いできた
『一回目』では常に、最大公約数が私の身体を縛っていた。
それは今こうしてここにいるという事実が、規範が私を磔にし、剰え脳を握り潰し、最終的に私を殺したという証明の一つになるだろう。
それでも。いや、だからこそ。
――目の前の光景を、壊してしまいたい。
そう思う事に、矛盾はあるだろうか?
破壊が芸術であるのなら、暴力とはそれ即ち芸術そのものだ。芸術とは自己を表現する術の一つであり、呼吸に似つかわしいその行為を止める事など何物にも許されないし、許されてはいけない。
憲法二十一条である『表現の自由』とやらが、私の背中を押している。
ああいや、でも。
ここは、日本ではなく――、
瞳が蕩けている、そう感じる。
そう感じる事に意味は無かった。
頭蓋骨が溶解していく感覚も、頚椎に埃を詰められたような感覚も、然らば鼓膜の裏の裏の裏から引っ掻いてくる耳鳴りも。何もかもが、全てに意味が無かった。
それはどうしようもなく、吐き気がするけれど。
やはり、しかして、けれども。
――それは、吐いても収まらない物だった。
▼△▼△▼△▼
「……安くない?」
「まあ、私達はまだ、正式な冒険者ではないですし……」
必死に草むしりして得た賃金は、四角形の銀貨一枚分。
私達が泊まっている宿、二部屋分の価値。
んー……カプセルホテルが一泊で大体四千〜二千円程度だったから、朝食付きという事も加味すれば、四角形の銀貨一枚で一万円ぐらい? いや、安易な日本円換算は物価の違いで躓いたりしそうなんだけど。
それでも、そうした方が理解に落とし込みやすい。
という事は、単純に人数の二で割れば日給は五千円……?
毎日やれば月に十五万稼げるが、戦闘と同等とまでは行かないけど正直それなりに重労働。三日に一日ぐらい休みが欲しくなる程度の。草むしりを毎日するぐらいならスラム街で野垂れ死んだ方がマシかも。
本当に、今後の生活に対してまるで見通しが立ってないなあ。
「帰ろっか」
「……そ、そうですね」
仮に食いつなげたとしても。
『今はまだ本登録ではないので、Gランクの中でも比較的達成報酬の低い、採取や雑用の依頼しか受けられない』と、彼女は言った。
つまり、ギルド内の掲示板に書かれていた依頼の中で、私達が受けられないのは『討伐依頼』だけ。
戦闘するのなら、金が必要になる。
装備品は勿論、死骸を解体する為の道具や知識、そもそもその対象を倒せるようになるまでの訓練等も。
それらを獲得するのには、何に於いても金が不可欠。
私には《情動戎器》があるから|武器や防具《一番ウェイトの掛かる所》は解決されているとはいえ、彼女は、私がそれを使わないという判断を取ったらどうするつもりなのだろう。
習得している【魔法】でどうにかしようとしていたのか。
残念ながら、それを聞き出すだけの積極性も、関係値も無い。
だから私は、全ての疑問を頭の内だけで回し、それを一切発露せぬように気を払わなければ――、
「じゃあ、リーナさん。また明日」
「……ああ、うん」
気の無い返事を返して、借りている自室のドアを開けた。
▼△▼△――と、思ったけど。
すぐに身体を洗ってない事に気づいて、宿屋の店主から桶を借りて近くの井戸に水を汲みに行った。
何故だか父親は、水道代や電気代とは違ってガス代を払ってなかったから一年中冷水シャワーしか浴びれなかったけれど、ちゃんと身体は毎日綺麗にしていた。
例え、気温が氷点を下回ろうともね。
いや、正直馬鹿だったかなとは思う。
でも、習慣として根付いてしまった物をやめる事も出来なかったし、頭がすっきりするから嫌いではなかった。
寒いし冷たいし身体は勝手に震えるし死ぬんじゃないかとも思ったけど。
滑車に掛かった紐を引っ張ってバケツの中身を桶に入れる。井戸の中にバケツを下ろし、また引っ張り上げる。そんな事を繰り返して、七割ぐらいは水の溜まった桶の中を見下ろしてみると。
水面から見返してくるのは、火花のような赫だった。
「まあ、違和感は色々あったけどさあ」
〝ここ〟に着てから既に一日とちょっとが経過している。私もそろそろ異常とか変化には慣れてきた。
「カラコン……とか、そういう訳ではないよね」
前世から視力だけは多少良かったから、コンタクトとは無縁の人生だったけれど、だからこそあれはイカれた物だと思う。だって目に異物入れるとか怖いじゃん。きっと私があれを付ける日は来ないだろうね。
と、考えながら数回瞬きしても、特に異常は無い。
んー、なんだろこれ。目だけメラニン色素がすっぽり抜けたのだろうか。だから毛細血管の色が瞳の色になっている……というのは大体が動物に起こるケースで、人間がこうなる事態は少ないんだっけ?
大抵の悪さにしてるスキルの中じゃ、《視覚強化・II》ぐらいしかこの変化の原因として挙げられないし……。
「謎。考えても仕方ない」
切り捨ててから片手で自室のドアを開き、桶をベッドの傍に置く。
Tシャツとズボンの形をした服を適当に脱ぎ捨てて、下着もぺいっと外す。靴は入室時に脱いでるからいいとして、今靴下も脱いだから――。
「……」
ベッドサイドに置いてあるタオルを掴み取って、桶の中にぶち込む。水浸しになったそれを引き上げて、床に溢れぬよう絞ってまず一番を顔にべちょっとぶつけて、ごしごしと顔を拭う。
冷たい。心地が良い。
「あー、働きたくない……」
戦闘は短い。大体は呆気なく終わり、どちらかと言えば前準備や後片付けが長い場合の方が多い……のだと思う。いやまあ、前準備は《情動戎器》が、後片付けは【暴食系統】で解決してる私は例外だけれど。
疲れはするが短時間で終わる。
草むしりはそうではない。何時間も犬みたいな体勢でずっと、ぶちぶちと草を抜いたり葉を千切ったりする。本登録を受けられるまで、今日の分を入れても後九回も同じ事をしないといけないのだとか。
もう面倒くさいから適当に冒険者闇討ちして、スキルを得て戦闘力高めて最後には本拠地にでも襲撃して……それでお金を得るのはどうだろう。
「無いね。無い」
銀髪の彼女を敵に回す事になるだろうし、というかそれ以外も敵に回して最終的に対応出来ないような方法で殺されるだろう。【魔法】とかの手段で土砂崩れでも起こされたら、それで私の人生は終いだ。
魔法でそんな事が出来るのかどうかは知らないが、最悪の事態を想定するのなら〝出来る〟と仮定しておくべきだろう。
「一ヶ月は一緒にいないと、あの子を見極めようにも見極められないしなあ……」
『お金が無い』というのは理解しているが、やはり。
「働きたくない」
舌に残るのは、その言葉だった。
▼△▼△▼△▼
タオルも使った桶も一緒に返却した後、服をどうにかしたいと思い始めた。
質素というか、化学繊維でなければ落ち着かない、というか。
ポリエステル・ナイロン・アクリル、何れかが恋しい。
「制服が残ってれば良かったんだけど」
制服は嫌いではないというか、寧ろ外に出られるような服がそれしか無いから、着る機会が必然と高かった記憶がある。ブレザーを羽織ってないと心細い。
でも〝ここ〟で高校生の恰好をするのは少し弊害がある。
だって明らかに、〝私以外〟がいるんだもん。
幸い私は何故だか赤目になっているし、制服だなんて目立つ上に出自を露わにするような服装をしなければ、まあ転生した者だとは一目でバレないはず。町を歩いている時に色々と観察した限りでは、黒髪は別に珍しくないっぽいし。
だから、服を新しく作るのなら制服以外にしないといけないんだけど――、
「……知識が無い」
何故ならファッション出来るだけの、様々な余裕なんて無かったからね。
完成図が無ければ如何に《情動戎器》だろうと生成出来ないだろうから、適当に記憶を参考にするとかしないといけない。
で、その参考にすべき記憶も無い。
覚えてる訳なくない? 覚えてる訳ないよね。
という訳で、直近で且つ素材が化学繊維でも違和感ないような服を着ていた人――つまり受付嬢の服装を参考にしようかなと。ワイシャツをポーラータイで締めて上から黒のスーツベストを羽織って、みたいな。
「生成」
と、ベッドの上に手を翳しながら呟けば、まるで『元からここにあった』という面をした真っ白な、薄い服が現れる。近い内に行うであろう戦闘を加味して、スーツベストはアラミド繊維とかでも使っておく。
いやだって、このシャツも含めて全部ベストとアラミド繊維にしたら、ごわごわしそうだし通気性終わってそうだし、何より動きにくそうだし。
「まあ、あれだよね」
ぶっちゃけ、頭部と胴体を守れればそれでいい。手足、特に太ももとかには浅大腿動脈とかがあるから傷付けられたら不味いけれど、《脚力強化・IV》がある以上足回りの行動に支障が出る方が不味い。
身軽に動けて且つ、相応の防御力を有しているような何かがあればいいんだけど。生憎と私の脳に該当するものは無い。
とりあえず、寝台と同化したような色のワイシャツを手に取って羽織り、直に触れる一日ぶりの肌触りを感じながら透明なボタンをぷちぷちと、上まで全て留めていく。
それでも少し首元が寂しくて、銀髪の彼女みたいにスカーフでも巻こうかと考えた。
というか、ポーラータイなんて付け方知らないんだけど。
そもそも生成出来るかも分からない。別にワイシャツやスーツベストのように〝防具〟の役目を果たしてくれる訳ではないし。
「……ネクタイなら作れるかな」
それで首を絞められた事もあるし。
とりあえず念じながら、毎度の事ながら感覚の掴みきれないもう一つの体――【体躯】と言うべき、なんというか思想上の肉体の比率を左手側に傾ける。
想起するは締め上げられる首、食い込んだ小剣、竦んでいく脳――、
一般的には〝武器〟でない物なのにこうして作れるのなら、単純に定義だけでなく私の経験も関係してるのかな。それともやはり〝防具〟という詭弁が利いているのだろうか。
まあ、何はともあれ出来た。
落ち着いた深みのある赤色のネクタイが。
いやだって、せめて色合いは纏めておきたいし。
瞳とね、同じ色にしたよ。
自分に対して言い訳を重ねながら、毎朝繰り返していた動作を行う。前までのは違ってゴムの伸び切っていない真っ黒な下着を見下ろして、下半身の服装も作ろうとするが――、
残念ながら、受付員の下半身を見た記憶が無い。
「まあ、タイツとスカートで」
それぐらいしか考えつかない。だって制服着てる時もそうだったし。初めから纏った状態でその二つを生成する。タイツのデニール数は申し分ないし、スカートの長さは……もう少し短くてもいいかな。
膝丈よりも下だとちょっと動きづらそうなんだけど、このスキルで作った物に、後から修正って加えられるのかな。
「……おー、出来るんだ。というかどこまで」
修正という体で短剣を直剣に、直剣を短剣に変えられるのか気になるけど……まあ、それはいつかの実戦で確認するとしよう。
とりあえず色々と手を加えられるのだから、結構深めのスリットを右側に入れておいて。
ついでに、足捌きとか少しでも誤魔化せたらいいなあと期待しながら同色の透け感のある素材の布で、スカートの渓流に則って、膝上よりも多少逸脱する程度に伸ばす。
で、それにもスリットを入れておく。
膝上丈の普通の生地を使ったスカートに、膝下丈の透ける生地を巻き付けた、みたいな。どっちにも深い切れ込みが入っているのは……まあ、この後に付ける物からすれば必要な事だから。
「おー、いいんじゃない? ファッションって感じがする」
で、『戦闘に必要な装備品だから』と自分に言い聞かせて作った短剣用の鞘を、右側の太ももにベルトでぐるーっと巻く。
そうした所で漸く部屋の中を移動して、備え付けられていた姿見の前に立ってみる。
備えあって憂いなし。あと、私がどこから剣を取り出したのか、という疑問を生じさせない為の装飾品代わりでもある。
脳内でそう巻き付けた鞘の使い道について考えてから、鏡の中の自分と見詰め合う。
「やっぱり私、顔だけは良いよねえ」
自画自賛ではあるが、決して自己陶酔ではない。ホントだよ? 今までの経験で割り出した平均値と、ルッキズム的な世間一般の基準を、自らの顔面に当て嵌めただけだ。
タイツに覆われ、締め付けられている足を一歩前に進めれば、間近に近付く己の顔。
ほんと、顔だけは整ってる。私の努力の結果ではなく、単純に母の遺伝でしかないのだが。必要に駆られれば武器にでもするけど、これを誇ろうとは思えないし――こんな〝面影〟なんて、可能ならば引き裂いてやりたい。
「……嫌になるよ、全く」
母似の容姿なんて形見は、要らなかったのに。
私はただ、母親に――、
「……」
それ以上の思考は、続けようとは思わなかった。




