11 『ディスティネーションの欠如』
「……その、ごめんなさい」
彼女は、困ったように笑った。
「私達、まだお互いの事を知らないですし」
うん、『ド』が付く程に正論だ。
つまりド正論だ。
「もっとこう、踏むべき段階があるのかな……って」
ナレーフィア・サリメルカはとても正しい事を言っている。
「だから、申し訳ないですけど……ちょっと」
……あーあ、フられちゃった。
「そっか」
まあ、そう断られる事は理解していた。流石の私でもそこまで人間関係初心者ではない。
受け入れてくれるとは思ってなかった。
というか寧ろ、彼女を私の奴隷にするだけならその無防備極まりない〝紋〟に血を刷り込むだけで契約は結ばれるらしいから、わざわざ了解や了承を取る必要性なんてどこにも存在しない。
単純な話、寝込みでも襲ってしまえばいいだけ。
何故そうしなかったのかと言えば、偏に奴隷とした後の生活を考慮したからだが――よく考えてみれば、そもそも私に〝後の生活〟があるなんて全く持って定かではないし、確約もされていない。
……あれ、やっぱり無理矢理にでもするべきだった?
《節制》延いては《聖女》とかいう、明らかに私といつか対立し得るようなスキルを持った彼女の危険性を加味して、奴隷にしようと思ったが……別に私としては殺したっていい。
この身に巣食う善悪は、とっくに像を結ばないのだから。
ただまあ、現状で言えば彼女を生かしておいた方がいいと思う。私の奇行というか凶行を見ても心配してくれる受容心の持ち主だから、後ろをついて回った所で受け入れてくれそうな気配や雰囲気がある。
私はまだ、この世界に投げられたばかりだ。
赤子のように無知であり、だけれど全く無垢ではない穢れた存在。今以上に浮いてしまわぬように知性という重りを必要としていて、忌み嫌っている筈の常識という毒素でこそ呼吸を行う必要がある。
その点で、彼女はとても便利。
きっと私が無知を晒してもその性格と、『他人同士』という関係性が余計な詮索に踏み込ませない。加えて、彼女も悪そうな輩に狙われている……少なくともハイドの言う〝頭〟とやらが存在するのなら。
それは、私が握れる範囲の弱み。
だから私は、彼女を――、
《思考加速》を打ち切る。
胃が持ち上がるような多少の吐き気と、相応の【魔力】とやらが代償として支払われた。
「申し出を受け入れてくれなかったのは、別にどうでもいいんだけどさ」
「……どうでもよかったんですか?」
「駄目で元々だったから」
イカれた〝申し出〟に断りを入れている時でも彼女はちゃんと治療してくれていて、滞る事も淀む事もなく灯る灰色の光が、引き続き傷を癒す光景を数分眺めていると、突然彼女の動きが止まる。
強張った視線を辿れば、私の首元に行き着く。
いや、首に変なの抱えてるのは君だと思うんだけど。
まだ自分では見てないというか見れないけど、私はほら、傷跡があるかもしれないだけだし。
「……これ、どうしたんですか?」
「ちょっと切っちゃって」
嘘は言っていないのだけど、彼女は尋ねながら慎重な手付きのまま疑うようにぺたぺた・ひたひたと触れて、そこに《神聖魔法》とかだと思われる灰色の暖かい光を送り込む仕草を見せる。
そんなに酷いのかなあ。
「切った、って……いつの話、ですか?」
「分かんない」
「分からない、とは?」
「本当に分かんないんだよねえ。少し前かもしれないし、数万年前かもしれない」
それは私にも分からない。ラトボニルの死後に放浪したあの『黒い空間』は本当によく分からない物だったから。時空間は確かな働きをしていない……というか、寧ろアレこそが確かな働きであるような。
そんな感じでよく分からない。一瞬を積み重ねた先に数千年があるのではなく、〝今〟という過ぎ去る時間が一瞬であると同時に数千年である感覚を言い表す術を、少なくとも私は持っていない。
あの世界に於ける時空間、その法則が私の精神にも適応されていたから正気を保っているだけ。
「……え、もしかしてそんな酷い?」
自分でもべたべたと触れてみる。
「酷くは無いんですけど……」
「けど?」
「ちょっと、耐性が無くて」
「……傷に?」
「傷に」
聖女なのに? という問いは飲み込んだ。
いつまで経っても慣れない人だっているし、『傷に慣れない事』と彼女の持つ大量のスキル群が『過酷な環境で生き残る事』に特化し過ぎている事が密接に繋がっていた場合、地雷を踏むだろうから。
まあ私の傷などはどうでもいい。それよりも大事なのは今後だ。
折角三つの死体、つまり計十五個のスキルがあるのに、彼女が傍にいてはおちおち食べられやしない。いやだってほら、私の〝食事風景〟はちょーっとばかし人の不安や恐怖を煽る物だと思うから。
という訳で、彼女をそれとなく誘導しなきゃいけないんだけど、どうにも誘導先が見つからない。
私にこの周囲の事なんて分からないから、私よりも知っているであろう彼女に聞くしかない。
「ねえ。一つ聞きたいんだけど、近くに川とか無い?」
「川、ですか?」
「そう、川」
「それでしたら、あの道の奥にありますよ」
指差す先は十五メートルの円内、に少し抵触している均された道。
「じゃあ一回、あそこで水浴びしてきたら?」
「……貴女が先に入るべきでは?」
そう言われれば確かに。
見下ろせば血塗れどころか、もはや血染めされた制服。
これはもう、捨てるしかないかな。
「着替えはどうしよう」
「あの人達の荷物がすぐ近くに置いてあるので、その中にあると思います」
「あの人達って?」
「この人達です」
言い放って、彼女は直ぐ側を指差した。
丁度ハイドの死体がある位置を。
悪人とは言えど人命を奪うのは――みたいに説かれるかもしれないと身構えていたけれど、その必要は無かったみたい。まあ襲われかけた前科があるみたいだし、彼らに対して彼女の心証は芳しくなかったのだろう。
思ってたより、心優しいとかそういう訳ではないらしい。
私としてはそっちの方が、付き合いやすい気がした。
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夕方一歩手前の自己主張の激しい、承認欲求に塗れた陽光ばかりを反射する川。
左から右へと水が流れ、河口へと繋がって、海に行き着いて、その一部が蒸発して、上で冷やされ雲となり、山川に雨を降らし、そして。
「永劫回帰、だっけ」
私には合わない思想だ。現として二度目の人生を歩んでいる私だが、一度目とまるで同じという訳ではないのだから。少なくとも、母に捨てられ父に殴られていない今は、『一度目』とは違う。
広がり切り、拡大し切った可能性。それ以上の発展性が皆無故の自害であり、あれは熱的死にも似ている。エネルギーは高い方から低い方へと流れる、科学的知識が無くとも経験のみで理解出来る法則。
それに乗っ取るのならば、心理に適応するのなら、私という存在の可能性には暗雲が立ち込めており、マクスウェルの悪魔でさえも救えないのだろうか。
であるのなら、私は死んだ宇宙にも似ていた。
拡大しきった可能性とは、死に至る病である。
その一文は私の本質を表している。宇宙論と個人心象を結びつけて考えてしまう妄想癖、相対的な目でしか物事を判断できない極端な価値観、矮小な存在であるにも関わらず微視を捨て巨視を抱く不遜。
絶望とは軽々な物だ。
可能性を選択し続ける人生に吐き気を催し、全てを宇宙スケールで相対化し、可能性の全てを理解した気になり、諦めてしまえばいい。そうしてしまえば酷く容易く、既存の価値観は崩壊していく。
病める時も健やかなる時も、軽薄に絶望を得られる。
「それこそが『人類の特権』、ってね」
制服のボタンを上から順に外し、適当にネクタイを緩めた。
「ああ、ほんと」
――私は何故、生きているのだろうか。
死ぬだけなら簡単だ。実に簡単だ。
〝コインの表裏〟に固執する必要などどこにあるのだろう。であれば、私が息を続けている理由とは一体。埋没費用が動作を留めているのか、死恐怖症が思慮を凍えさせているのか。
仮に生きるのならば、私は何を寄す処とすれば……何に縋ればいいのだろう? もちろん宗教以外で。
唯一神も死に絶え、自称神も死に絶えた世界観の中で、信仰を標に出来る訳が無いのだから。
「……」
溜息を吐いて、強制的に《思考加速》を打ち切る。……使うのが癖になっている気がした。
というかあれだ、夕日なんかの下で一人でいると良くない事を考え始めてしまう。とりあえず水浴びして体の〝しつこい汚れ〟を落としながら、建設的で意味のある思考を回すべきだ。
布を掻き分けてチャックを摘んでじじっと下ろすと、川沿いの雑草をクッションとするように紺色のスカートが落ちた。
そのままブレザーを袖から引き抜いて、ウールのベストを脱いでからネクタイも外し、ブラウスを脱ぎ捨てる。
下着も上を外して、あとここまで頑張ってくれたタイツをショーツと共に脱ぎ捨てて、身体に張り付いていたままのガーゼとか包帯とかを適当に剥がした後に、川の中に降りていった。
「……んー」
冷たいは冷たい。が、冬場に冷水シャワーを使っていた私には効かない。
流水が所々赤い靄を伴っていくのを見ながら、服を脱いだ場所の傍にある縦長の布を掴んで、適当に体をがしがしと拭く。特に顔は念入りに。人相なんて整えてなんぼだし、頬とか血塗れなの普通に不愉快だし。
何について考えようか。銀髪の彼女のステータスについてか、それともハイドと残りの二人からどういうスキルを取得するのかの二つ。それ以外にもあるけど多分さっきみたいに病みそうだからやめておく。
まずは彼女のステータスについて。自分のステータスでやったように、『鑑定結果の鑑定』……特に《節制》関係と思われるスキルを調べようとしたんだけど、結果としては出来なかった。
今でも開きっぱなしにしている彼女のステータス、《節制》周り以外ならば鑑定が行えている。
「例えば……」
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・《聖女》 [常時稼働技能][職業スキル]
女性の美徳保有者に対してランダムに贈られるスキル。
神聖魔法が授与され、魔法関連の行動に対し威力補正と成長率増大。
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・《聖眼》 [任意稼働技能]【眼球系統】
視覚を神聖属性の魔力で満たし、見定めるスキル。
下級の不死者ならば見るだけで殺害可能。
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・《冥眼》 [任意稼働技能]【眼球系統】
視覚の一部を補い、実体の無い物を視界に捉えるスキル。
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とまあこんな感じで、他人の鑑定結果であっても、それを対象として《行使鑑定》を使える。例外であったのは《節制》《拒否》《塞がれた耳》《無欲の天秤》の計四つ。
「んー……」
考えても仕方ない。次。
私の殺した三人――主にハイドから、どのようなスキルを取得するか。欲を言えば全て欲しいけれど、残念ながら《消化習得》で得られるスキルは五つだけ。
選ばれなかったスキルは熟練度として分解されて、既存のスキル群に振られるらしい。そういう事らしい。
ハイドとの戦闘中、ちょっと制御効かないぐらいに頭を回した時にも聞いたけど、基本的に《スキル》は〝熟練度〟の蓄積に依って得られると考えてもいいのかなぁ。
……いや、厳密には違う気がする。
あの時ナビは、なんて言ってたっけ?
『該当箇所までログを遡りますか?』
「出来るもんなら」
『〝熟練度の閾値超過を検出。《思考加速》を習得しました〟』
と、言っていたらしい。
ちょっと引っかかる部分がある……とも言える。熟練度の蓄積が《スキル》の獲得条件ならば『条件を達成しました』とか『熟練度が一定に達しました』とか、そう伝えるべきな気がするんだけど。
「揚げ足を取ってるだけかな」
反応を起こすのに必要な最小のライン、それが閾値という言葉の定義。その境界線を超過する事が《スキル》の獲得に繋がるのなら、逆説的に考えて熟練度とやらが何かに作用していると考えるべき、なんだけど。
「今考えても分かる気がしない」
ので、一旦置いておく。
ハイドから取得するスキルについても、その時に考える。
だってこれ以上体を擦っても私の皮膚が剥けるだけだし。
川から上がって、タオルでそれらしく体と髪の水気を拭って、それから困る。だって下着が無いんだもん。脱ぎ捨てたのは血で汚れてるし、だけど無ければ無いで落ち着かないし。
「……作るか。魔力――は足りる、ね」
元々付けていたやつとまるっきり同じ下着を、〝防具〟という体で《情動戎器》で生成して、判定の緩さを感じつつ靴を履いて下着を纏う。ハイド達の持ち物から漁った服に着替えて、ここに至るまでに着ていた制服は〝口〟に食べさせた。
〝口〟というか、それを発現可能に肉体を変質させた《欲望の口腔》があれば完全犯罪とか起こせそうだと考えたけれど……出来れば前世で、それも父親を殺した際に持っておきたかった。いや、仮にそうだとしても。
「まあ、私は死んでたよね」
確実に。それも自害して。
吐き慣れた溜息を吐きながら、自分の体を見下ろす。
男物の服だけれど、まあ仮の物としては上々か。靴と下着は新品だし。少なくとも血塗れの制服よりは余っ程マシ。
じゃ、彼女と交代しよう。
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『《改竄》を取得しました』
『《平衡感覚強化・V》を取得しました』
『《脚力強化・IV》を取得しました』
『《魔力回復強化・IV》を取得しました』
『《軽業術・破》を取得しました』
『《初級剣術・I》を取得しました』
『《筋力強化・I》を取得しました』
『《体力回復強化・I》を取得しました』
『《意地》を取得しました』
『《窃盗術・序》を取得しました』
『《握力強化・I》を取得しました』
『《追撃》を取得しました』
『《連携》を取得しました』
『《投擲術・序》を取得しました』
『《片手術・序》を取得しました』
『各種スキルに対し、熟練度の振り分けを行いました』
『《視覚強化・I》が《視覚強化・II》に変化しました』
『《腕力強化・I》が《腕力強化・II》に変化しました』
『《初級剣術・I》が《初級剣術・III》に変化しました』
『《反射神経強化・I》が《反射神経強化・V》に変化しました』
「――ん、ごちそうさまでした」




