10 『救済論理のロンリーガール』
「えっと……大丈夫ですか?」
訊いているのは傷の具合だろうか、それとも頭の狂気れ具合だろうか。
ハイドを殺す前。彼女の存在に思いを馳せた筈なのに、思考の外に追いやってひゃっはーしてしまった。暴れ散らかしたというか、何度も直剣で死体に切り付けていたから――ちょっと返り血がすごい。
そんな私に対して、恐る恐るといった感じで女の子が気に掛けてくれていた。ちなみにその隣にはハイドだった物がある。
私と彼女で両目を担い、横倒れした死体がにっこりスマイルの口となる事で、まるで一つの顔のようになっていた。
刺激の強い教育番組みたいだ。いや、流石に強過ぎるか。
刺激が。
詳しい経緯は分からないけれど、私の乱れた姿の一部始終見届けた上で心配してくれるこの娘の目的は、なんなのだろうか? ただ単に天然、というにはちゃんと現状を認識しているらしいし……不思議。
偏見がどうこうではないけれど、なんか首にエグめの入れ墨入ってるし。入れる時とかすっごい痛そう。私はやろうと思わないね、永遠に。
後はなんか変なペンダントしてる。ポセイドンの持っている三叉槍というか、ギリシャ文字で言う所のΨみたいな。
一方的な初対面の時に遠目から見た通り、今こうして近くで見ても彼女は〝美少女〟と分類されるべき容姿だという事は私にも分かる。
十人の美少女を並べられても差とか付けられないし、髪色とか背格好とかでしか判別出来ないだけで。
私はちょっと……ちょっと人への興味が薄いだけだ。
「あの、本当に大丈夫ですか?」
……やっぱり頭の心配か?
そうだとしたら喧嘩を売るのが上手い。商売上手だね。
もしそうだったら殺してやろう。
「……聞こえてます?」
「うん」
首をぐりんと回し、びたっと目を合わせる。
すると彼女はびくっと仰け反り、足だけで後退るようにして少し距離を取った。
どうやら、私を警戒していない訳ではないらしい。
まあ、それはそうか。高笑いしながら刃物で人体を執拗に損壊する人を警戒しない訳がないのだから。唯一分からないのは、そんな猟奇的殺人鬼みたいな私の直ぐ側にいて、心配を掛けている事。
あれか、逃げ出してもどうせ捕まると思って、『見逃してください』とか『お許しください』だとかいう慈悲を乞いに来たとか。
それか彼女も、どこか普通ではないのかも。
にしても、彼女の涼やかな声音で紡がれる言語はまるで知らない物。なのに含まれている意味や意図だけが、道理と過程を無視して直接脳に塗りたくられているのだから、少し気持ちが悪い。
というかこれ、受信はともかく発信は――日本語は通用するのだろうか。
「きゃんゆー すぴーく いんぐりっしゅ?」
「……?」
駄目みたい。
「……私が言っている事、分かる?」
「???」
傾ぐ首と共に、掛けている銀のネックレスが揺れる。
まあ私が〝こっち〟に合わせればいいだけだから、面倒なだけで大した支障は無い。気合と反芻と《言語完全知識》があれば行ける。これが無ければそもそもステータスすら読めないまま終わってただろうし。
効力は確か。だから彼女の話した言葉をオウム返しというかそれらしく組み替えれば自然と会話は成立する。
「『あー、大丈夫大丈夫』」
「そうですか」
「『そう』」
うん。会話が発展しない。じゃあさせなくていいや。
「では、その……腕を借りてもいいですか?」
否定できない。何故ならそれを拒む言葉を聞いていないから。身振り手振りが前世と同一である可能性に掛けるか? 大体なんで文字も言葉も理解出来るのに発話だけは出来ないのか、不思議でしょうがない。
ナビは日本語話してた癖に、全く私に話しかけてくれないしさあ。
私の脳内には役立たずしかいないのか、私含めて。
『……目的設定者に配慮した結果、説明の頻度を最低限に設定していました』
「うわ出た」
「……?」
怪訝な顔しないでよ。ついつい日本語が出ちゃっただけじゃん。
私に非は無い、あるのはナビだ。驚かせやがって。
『現在目的設定者が抱えている問題に対する解決策としては、《言語完全知識》を用いるのが最善です』
いや、それは分かってるけどさあ……ちまちまと言葉やら単語やらを集めていくのが面倒というか、今の状況に於いては即効性という物がまるで足りないんだよね。聞き取れた言葉をバラして、当て嵌めていくのが面倒くさい。
『《言語完全知識》の効能により、目的設定者の言語に纏わる知識不足は解消されます』
……マジ?
『嘘を吐く理由は私に存在しません。また、理由を抱く事もあり得ません』
方法は?
『意思を以て念じれば。確かに先刻の指摘通りアバウトで具体性に欠ける説明ではありますが、この方法には目的設定者自身の前例も存在しており、主に〔ハイド〕との戦闘時に幾つか事例が確認されています』
そう言われれば、確かに母親がどーたらこーたらで会話を交わしたような。というかなんであの時に喋れてたのに今は喋れてないって、一体どういう――、
『意思の有無です。少なくとも戦闘時の目的設定者には思考リソースの総量が少なく、比較的【意思】が露出しやすい状況下故に会話が成立したのだと推測します』
「なーるほどね」
じゃあつまり私は、ニュートラルの状態では人と話したくないと思っている訳か。
『概ねは』
「悲しい話だね」
私が独り言を呟き始めた段階でずりずりと再び距離を取っていく彼女の目をしっかりと見て、なんかそれらしく念じながら口を開く。
「……あー、今日は、いい天気だね?」
うわ。文字と発音が脳に刷り込まれてる。気持ちわる。
「……そう、ですね?」
……。
「……」
ちゃんと喋れるのに、会話が発展しない……!
▼△▼△▼△▼
「……その、手を借りたいんですけど、いいですか?」
「それはこう、物理的な意味で? 猫の手的な意味で?」
「猫の手かどうかは分かりませんけど、少なくとも物理的に」
「理由は?」
会話が発展している。すごい。
私にも会話が出来るとは驚きだ。
人と人とは言葉を交わす事によって繋ぎ合い、理解し合い、愛し合い、尊重し合う生き物。時には対立し、また時には喧嘩もして、でも最後にはまた言葉を交わし、再び手を繋ぎ合って――、
そして最終的には全員が骨のみになるまで燃やし尽くされて、磨り潰されて、墓の下に遺棄されて、忘れ去られて、最後には人の営み含めて全てが滅びる。
言葉とは素晴らしい、人々の浅ましい心の隙間さえ誤魔化せるのだから。
「その……傷だらけ、じゃないですか」
「そだね。痣と切り傷だらけ」
「それを治したいなと、思って」
治すって、心の傷を? それとも物理的な傷?
どちらにせよ、治せる手段を持っていないと出てこない筈の発言だ。
漸く興味が湧いた。早速鑑定してみよ。
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[名前]:〔ナレーフィア・サリメルカ〕
[種族]:[閲覧拒否]
[年齢]:16
[状態]:疲労、隷従
[任意稼働技能]
《塞がれた耳》《無欲の天秤》
《水魔法》《神聖魔法》
《魔力操作》《魔力聴》
《脱兎》《水泳》《集中》《嚥下》《木登り》《壁登り》《視野狭窄》《泥上歩行》《突進》《前転》
《冥眼》《聖眼》
[常時稼働技能]
《節制》《拒否》
《初級杖術・I》《初級体術・I》
《無属性適性》
《神聖属性理解》
《聴覚強化・V》《敏捷強化・II》《巧緻性強化・I》《魔力回復強化・III》《体力回復強化・II》《自然再生強化・I》
《気配感知》《魔力感知》《視線感知》《危機感知》《敵意感知》《悪意感知》《振動感知》
《生命遮断》
《身体制御》《身体把握》《反響定位》
《魔法耐性》《魔力耐性》《物理耐性》《苦痛耐性》《睡眠耐性》《騒音耐性》《気絶耐性》《空腹耐性》《混乱耐性》
《音感知識》《薬草知識》
《料理術・序》《家事術・序》《登攀術・序》《跳躍術・序》《匍匐術・序》《回避術・序》《受身術・序》《踏破術・序》《採取術・序》《呼吸術・序》《睡眠術・序》《軽業術・序》《歌唱術・序》《儀礼術・序》《演技術・序》
《聖女》
[称号]
〈審判者〉〈救済者〉〈悪食〉〈聖女〉〈美徳を宿する者〉
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「……?」
なんかスキル数が多過ぎるし、レベルが高いのがチラホラあるし《聖女》だし、種族に至っては[閲覧不可]だし。
なんだ、こいつ。
「……えと、触られるのは嫌、でしたか?」
いやそういう訳ではなく。
「いやそういう訳ではなく」
冷静になって見てみれば、どこか後方支援的というか家庭的というか。あと耳が良いらしい。その他には《節制》とかいう私の保持している【暴食系統】というか《暴食》と対になりそうな物に、それに加えて《聖女》?
とんでもない厄ネタじゃん。
え、大丈夫なのこれ。私がこの娘に治してもらったら浄化というか、祓われたりしない? というかどうやって治すの? 物理的手段で? それとも魔力的手段を用いて?
色々と浮足立った思考をがらがらと回した末に、いっそ厄ネタでしかないスキルを全て、彼女を殺害して強奪するべきかと思い付いて真面目に考慮しだした辺りで、くいっと制服の袖が引かれた。
「袖、捲ってもいいですか? ……その、見えない部分を治せる自信は無いので」
こちらを伺う彼女の碧眼は、雪の結晶のようなまつ毛に縁取られている物で……瞳である浅葱が酷く目立つ。
多分、それはきっと。
宝石の如く輝かしいだとか、宛ら日によって光を照り返す海岸線を封じ込めたかのようにだとか、そういう種々様々な、美貌に釣り合った相応の賛辞が似つかわしいのだろう。
ほぼ確実に、そうなのだろうが――、
「……」
――私には、濁った水溜りにしか思えない。
或いは、深海よりも尚深く、暗く、淀んだ、救いようのない場所。深海魚すらも水圧に耐え切れなくて圧し潰れるような、深い深い海の底。最も身近な宇宙であり、最も底知れない宇宙と呼ぶに相応しい冥海。
恐怖と不安と後悔に満ちた、海水という虚ろに満たされた誇大な洞穴。
「ん」
袖を捲りつつ、ぼーっと考える。
きっと、私の認知が歪んでいるだけで、この歪んだ心象を、彼女に投影しているだけで、私の『そうであってほしい』という一方的な願望を押し付けているだけで、私に〝真っ当な〟現実が見えていないだけ。
ただ、それだけ。
そういう話なのだろう。
「うわ」
と、彼女が声を出す。傷を見ての言葉なので、それだけ状態が悪いか、ただ単に見慣れていないか、悍ましい程に傷があるのかもしれない。まあ別に、新しいのが増えようとさしたる違いは無いと思うけど。
妙に熱い指から発せられる光が、容易く傷を防ぐ光景をどこか遠くに感じながら、彼女の首元に目を這わせる。
薄汚れた服でさえ白色をしていて、膝上まである長い靴下でさえも白なのに、首のタトゥーは黒色。
いや、タトゥーというよりは紋様と呼べるぐらいに複雑で、同時に禍々しい。
「んん」
『[状態]:疲労、隷従』。彼女のステータスにはそう書かれていた。疲労はともかく、隷従とは。誰かに奴隷にでもされているのだろうか、というか〝ここ〟では奴隷制度が残っているのだろうか。
首に刻まれているそれが、関係しているのだとしたら。
「傷、どんな感じ?」
そう問い掛けて、横目に対象を収める。
そして鑑定。
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・【拘隷の刺呪】
契約対象の意思、活動、生命、人生、それらを強固に縛る呪詛魔法。
契約は刻み込んだ〝紋〟に、血を刷り込む事で成約となる。
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わお。こういうのも鑑定出来るんだ。意外と適用範囲が広いようで何より。
で、鑑定結果としては……まあ、字面からしてそういうことだよね。これにより【魔法】の存在、その信憑性が上がった。ラトボニルの言葉なんかは信用に値しないので。
本題の、誰かと契約を結ばされたらしい彼女は真剣な手付きで私の左腕を治療している。
私としては。この世界に於ける常識の欠如、人脈の欠如、信頼の欠如、規律の欠如、文化の欠如。それら全てを一気に解決する方法が存在するのなら、それを取るべきだと思う。
それを取る上で障害となる倫理は、とうに終わっている。
空いている右手を彼女の肩に置いて、感触に気を引かれてこちらを見上げる目と目を合わせ、肩を握り込んだ。
「どうか、しましたか?」
尋ねを無視し、息を吸って。
「――君、私の奴隷にならない?」
気軽に提案した。




