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第四話 シャルディンの高弟 / 第二幕 大公の家門

 正式な会談を受け入れるとの返答は、まだ交わされていなかった。


 両軍は互いの射程を測りながら、動かない。


 クラウディア城門前では、ミシェルの遊撃軍が三人一組の槍列を作っている。


 足並みは揃わない。


 旗の高さも、槍の角度もばらばらだった。


 それでも、誰一人として列から抜けてはいない。


 対するサーハル軍は、行軍隊形のまま停止していた。


 人間槍兵。


 狼人騎兵。


 雪男の術者。


 雪原諸族。


 サイクロプス魔砲兵。


 兵科ごとに分かれているにもかかわらず、銀狼旗の周囲だけは、最初から一つの陣のように見えた。


 その中心に、オーウェンがいる。


 フェンリルの上で、城壁を見上げたまま動かない。


 周囲を囲む当直十二騎も、同じだった。


 彼らは主君の顔を見ない。


 命令を待っているようにも見えない。


 ただ、オーウェンへ向けられるかもしれない矢と魔法のすべてを、先に見つけようとしていた。


 ヴォルフガングの左耳が、僅かに動く。


 後方から、雪を踏む音。


 バルガス老が杖を手に歩いてきた。


「公」


「何だ、爺」


「会談をなさるのであれば、まずは場所を定めねばなりませぬ」


「今、話している」


「城壁と街道を挟んで声を張り上げることを、会談とは申しませぬ」


「よく響いている」


「わしの魔法のおかげでございます」


「ならば問題ない」


「ございます」


 バルガスは即答した。


 オーウェンは振り返らない。


 聞く気がないのではない。


 聞いたうえで、従わない顔だった。


「王子殿下の御無事は確認できた」


「老侍従の証言だけでございます」


「十分だ」


「アリア侯が王子殿下を囲い込んでいる可能性もございます」


「だから本人に会う」


「会わさぬと申しております」


「会わせる条件を聞く」


「そのために会談の席を設けよと申し上げております」


 バルガス老の髭が、苛立たしげに揺れる。


 オーウェンは小さく息を吐いた。


「爺は、話を長くするために席が必要なのか」


「公が短く済ませようとして、毎度余計に話を長くなさるからです」


 当直十二騎は動かない。


 だが、もっとも近い位置にいる狼人の口元が、ごく僅かに緩んだ。


 ヴォルフガングが横目を向ける。


 笑みは消えた。


「バルガス様」


 後方から、さらに低い声がした。


 ボルガー・アイゼン・サーハルが歩いてくる。


 一つ目の巨体。


 肩に担いでいた砲槌を、地面へ下ろした。


 鉄塊が土へ触れ、街道が低く震える。


「魔砲の位置を、あと二十歩下げる」


「なぜです」


 バルガスが尋ねた。


「今の位置では、城壁から見えすぎる」


「威圧にはなる」


 オーウェンが言う。


「威圧が過ぎれば、向こうが撃つ」


 ボルガーは城壁を見た。


「向こうの弓は届かん。だが、あの女近衛の雷は分からん」


 城壁の上。


 リーフェルはアリアの前に立ち、サーハル軍を見下ろしている。


 ソード・ディアンジェカーは背中へ戻されている。


 それでも、先ほどタナトスと交えた剣舞を見た者には、彼女一人が魔砲一門に等しい脅威だと分かっていた。


「下げよ」


 オーウェンが命じた。


 ボルガーは頷く。


 命令を復唱しない。


 振り返って、片手を上げる。


 最後方のサイクロプス魔砲兵が、一斉に砲身を担ぎ直した。


 巨体の列が、二十歩だけ後退する。


 その動きに合わせ、人間槍兵の一部が前へ出て空いた場所を埋めた。


 命令は一つ。


 動いた兵は二つ。


 別種族の別兵科が、互いの動きを当然のように補っている。


 城壁上で、ミシェルが遠眼鏡を覗いた。


「今、魔砲を下げた」


 アリアが問う。


「こちらを恐れたのですか」


「違う」


 ミシェルは遠眼鏡を外さない。


「こっちを怖がらせ過ぎないためだ」


「会談を続ける意思表示?」


「たぶんね」


 ボルガーが、自らの姓にサーハルを持つことは、半島北部ではよく知られていた。


 サイクロプスである彼は、サーハル家の血族ではない。


 父のアイゼンは、先代公の北征で崩落した氷峡を一人で支え、退却する公家の兵を逃がした。


 最後まで氷壁の下に残り、右腕と片脚を失った。


 先代公はその功に報いるため、金でも土地でもなく、サーハルの姓を与えた。


 血を分けた一族ではない。


 同じ家を背負う一族となった。


 以来、彼を単にボルガー・アイゼンと呼ぶ者は、サーハル軍にはいない。


 若い人間槍兵が、後退する魔砲兵へ声を掛けた。


「アイゼン将軍、足元を」


 街道に大きな窪みがある。


 ボルガーは一つ目を下へ向けた。


「見えている」


「左側の方が浅いです」


「分かった」


 サイクロプスの将軍は、人間の一兵卒の言葉に素直に進路を変えた。


 礼も、威圧もない。


 兵も、自分が将軍へ口を出したとは思っていない。


 同じ列を乱さないために、必要なことを言っただけだった。


 エドガー・ルーセルが馬を寄せる。


「魔砲兵の後退、完了しました」


 人間騎士団長。


 オーウェンとは幼少期から同じ城で育った。


 主従ではある。


 だが、オーウェンが公位を継ぐ前から、その失敗も癖も知っている。


「城壁側に動きは?」


 オーウェンが尋ねる。


「ありません」


「予備隊は」


「三人一組へ再編中です」


「妙な陣だな」


「一度の衝突で崩れないことだけを考えたのでしょう」


 オーウェンは城門前を見る。


 槍を持つ農夫。


 その腰を支える流民と冒険者。


 兵としては未熟。


 陣としても粗い。


 だが、彼らを並べた者は、勝てないことを理解したうえで、逃げないための形を作っている。


「指揮官は?」


「先ほど城壁にいた、着崩れた男です」


「タナトスの弟か」


「御存じで?」


「昔、先生から聞いた」


 オーウェンの視線が、城壁のミシェルへ向く。


「酒で試験を潰したと」


 エドガーが僅かに黙る。


「随分と具体的に聞いておられますな」


「先生は、面白い失敗だけはよく覚えている」


 その時。


 城壁の上で、タナトスが風輪双刀の柄へ手を置いた。


 何の前触れもなかった。


 ただ、オーウェンと視線が合った。


 それだけである。


 ヴォルフガングが動いた。


 命令はない。


 当直十二騎が、一斉にフェンリルを進める。


 四騎がオーウェンの前。


 四騎が左右。


 四騎が背後。


 雪原狼の身体が重なり、人間の公爵を囲む鉄の壁となる。


 待機していた第二隊十二騎も立ち上がった。


 槍を取り、兜を被る。


 さらに後方。


 休息中だった第三隊も、地面へ置いていた装具へ手を伸ばした。


 昼夜を分けた三隊。


 今は当直十二騎だけが前へ出るべき時刻である。


 だが、誰もその定めを守る気はなかった。


 ヴォルフガングは、タナトスから目を離さない。


「退け」


 オーウェンが言った。


 ヴォルフガングは動かない。


「私はまだ、槍を抜いていない」


「抜かれる前に立つのが、我らです」


「兄弟子と話しているだけだ」


「刃を持つ者の会話です」


「私の前を塞ぐな」


 ヴォルフガングが、初めてオーウェンを見た。


 忠告する目ではない。


 許可を求める目でもない。


「公が、あの男と槍を交えるなら」


 声音は低い。


 ただの報告のようだった。


「……我ら当直十二騎は、ここに死す」


 後方の十二騎が槍を立てる。


 さらに後ろの十二騎も、装具を整え終えた。


 当直が死ねば、待機が出る。


 待機が死ねば、休息中の者が前へ出る。


 三十六人全員が、同じことを考えていた。


 オーウェン一人を守るためではない。


 一族の長を、一人で死なせないためだった。


「私より先に死ぬな」


 オーウェンが言う。


「承れません」


 答えは早かった。


 オーウェンの眉間に皺が寄る。


「ヴォルフガング」


「公が生きておられる間、我らの死は任務です」


「私が死ねば?」


「任務は終わります」


 そこに悲しみはない。


 愛情を語る響きもない。


 狼人の大祭司が認めた一族の長。


 その長を守る。


 守れないなら、共に死ぬ。


 彼にとっては、それだけだった。


「公としてのお立場を、お忘れか」


 バルガス老が横から言った。


「忘れてはいない」


「ならば、思い出していただきたい」


「思い出している」


「思い出された方が、兄弟子と目を合わせただけで三十六鉄騎を起こしますかな」


「起こしたのは、こいつらだ」


「公が余計な顔をなさるからです」


 エドガーがオーウェンのフェンリルを横から押さえる。


 主君の騎獣へ、家臣が勝手に手を掛けた。


 通常ならば不敬である。


 サーハル軍では、誰もそう思わない。


「会談が先です」


 エドガーが言う。


「一騎打ちは、その後にしてください」


「認めるのか」


「止めても、いずれ勝手になさるでしょう」


「よく分かっている」


「何年も見ていますので」


 反対側では、ボルガーが砲槌を地面へ置いた。


 巨体が、オーウェンの進路を塞ぐ。


「どけ、ボルガー」


「できないね」


「命令だ」


「魔砲将は、公の私闘に従う役ではないね」


「お前までか」


「サーハルの姓をくれたのは、先代だね」


 ボルガーの一つ目が細くなる。


「だから、先代の子を無駄に死なせるわけには、いかないね」


 血族ではない。


 だが、息子と呼ぶ。


 ボルガー自身が、そう呼ばれる権利を与えられたとは考えていない。


 ただ、守る理由としては十分だった。


 ミール・スノウベルは、少し離れた位置で杖を立てている。


 何も言わない。


 すでに薄い防壁が、オーウェンと城壁の間へ展開されていた。


 師であるバルガスの命令も、オーウェンの許可も受けていない。


 攻撃を遮るには薄い。


 だが、一本目の矢を逸らすには足りる。


 五将軍も三十六鉄騎も、それぞれ勝手に動いている。


 主君の命令に従ってはいない。


 それでも、軍列に乱れはなかった。


 守るものだけが、同じだった。


 城壁上で、ミシェルは遠眼鏡を下ろした。


「あれは軍じゃないな」


 アリアが横を向く。


「では、何です?」


 ミシェルは銀狼旗の下を見た。


 人間の公爵。


 雪男の家老。


 狼人の近衛。


 サイクロプスの功臣。


 人間の騎士。


 種族も血も違う。


 命令にさえ逆らう。


 だが、オーウェンが死地へ進もうとすれば、全員が同じ方向へ身体を入れる。


「家だ」


 ミシェルは言った。


 アリアは、再びサーハル軍へ目を向けた。


 しばらく何も言わない。


 城門前には、今日集めたばかりの遊撃軍がいる。


 農夫。


 流民。


 逃亡兵。


 冒険者。


 酒場の荒くれ者。


 三人一組になっただけの、名前すら互いに知らない者も多い。


 銀狼旗の下にあるものとは、あまりにも違う。


「ミシェル」


「何?」


「私たちが、そこまで行くのに」


 アリアの赤い目が、三十六鉄騎を映している。


「何年かかります?」


 ミシェルは、すぐに答えなかった。


挿絵(By みてみん)


 今日の戦をどう避けるか。


 明日の兵をどう集めるか。


 自分が考えていたのは、その程度だった。


 アリアが見ているのは違う。


 目の前の敵を退ける方法ではない。


 今は寄せ集めにすぎない者たちを、いつか同じ旗の下で死ねるほどの家へ変える時間だった。


「……作る気なんだ」


 ミシェルが言った。


「何をです?」


「あれを」


 アリアは答えない。


 否定もしなかった。


 ミシェルは初めて、隣に立つ少女の横顔を見た。


 王子を拾った領主。


 中央へ返り咲こうとする選帝侯。


 それだけではない。


 何代もかけて作られたものを、自分の代から作り始めるつもりでいる。


「何年かかるかは、分からない」


 ミシェルは言った。


「でも、今日から数える気なんだろ」


 アリアは、ほんの少しだけ笑った。


 その笑みに、答えはなかった。


          ◇


 オーウェンは、家臣たちに進路を塞がれたまま、城壁を見上げていた。


 タナトスも、まだ刀を抜いていない。


 二人の間には、互いの軍がいる。


 いや。


 タナトスの背後にいるのは、まだ軍ではなかった。


 今日集められた者たち。


 アリアの命令で並んだ者たち。


 オーウェンは、その中央に立つ少女へ視線を移した。


 先ほどまで、王子の身柄をめぐって言葉を交わしていた相手。


 今は、サーハル軍を別の目で見ている。


「兄弟子」


 オーウェンが呼ぶ。


「何だ」


「今のあなたは、何を守る剣だ」


 タナトスの紫色の目が細くなる。


「槍で聞くか」


「それが、先生の教えだ」


 ヴォルフガングの牙が、僅かに覗いた。


 当直十二騎が、さらに半歩前へ出る。


 タナトスの手が、風輪双刀の柄を握った。


 城壁上で、リーフェルが大剣へ手を伸ばす。


 アリアはまだ、止めなかった。


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