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第三話 護国将軍

 北街道の先に、槍の穂が連なっていた。


 銀狼旗はまだ遠い。


 だが、その下を進む軍勢が、クラウディアの寄せ集めとはまるで違うことは、城壁の上からでも分かった。


 先陣は人間の槍兵だった。


 穂先を斜め上へ揃え、長い隊列を崩さず盆地へ下ってくる。


 先頭が窪地へ入れば、後続が速度を落とす。


 狭い石橋へ差しかかれば、号令もなく間隔が縮まる。


 何百もの足が、まるで一つの身体であるかのように動いていた。


 槍兵の後方には、狼人騎兵。


 彼らは鞍も鐙も用いず、大型の雪原狼へ跨がっている。隊列の左右へ広く散り、街道沿いの林や岩陰へ絶えず視線を走らせていた。


 さらに後ろには、白い長毛を持つ雪男の魔法使いたち。


 長杖を背負い、異なる色の魔石を首から下げている。


 山岳に住むケンタウロス。


 小柄なドワーフ。


 雪原の谷間を渡るミノタウロスなどの少数部族も入り混じる。


 そして最後方には、一つ目の巨人たちが進んでいた。


 サイクロプス魔砲兵。


 人間の胴ほどもある砲身を肩へ担ぎ、歩くたびに街道の土を沈ませる。


 砲口は空を向いたまま。


 砲身に刻まれた魔法文字も、まだ眠っている。


「先頭は、人間なのか」


 城壁の若い兵が呟いた。


 サーハル軍と聞けば、誰もが狼人騎兵を思い浮かべる。


 当代のサーハル公オーウェンは、人間でありながら狼騎兵の大将として知られている。


 隣に立つ古参兵が、遠眼鏡を若者へ渡した。


「今は行軍中だ」


「戦う時は違うのですか」


「野へ出れば、兵科を解く。

 人間槍兵、五人。

 狼人騎兵、三人。

 雪男の魔法使い、二人。

 その他の雪原少数部族、二人。

 十二人を一つの戦闘単位とし、雪男の魔法伝令によって視界と警戒を共有する。


 槍兵が正面を止める。

 狼人が側面と背後を奪う。

 雪男の術者が、一人の見た敵を全員へ伝える。

 少数部族は、それぞれの感覚と技術で陣の穴を塞ぐ。

 一人が敵を見れば、十二人が見る。

 一人が殺気を感じれば、十二人が知る。

 五つの異なる民が、一つの身体として戦う。」


 古参兵は、一息した。


「《五身一体》の陣だ。あれでネーヤ800年の北門はまもられてる」


 数を意味する名ではない。


 雪原に生きる五つの民が、互いの欠けたところを補い、一つになる陣だった。


「大将を討てば、崩れませんか」


 若い兵が尋ねた。


「崩れんね」


 古参兵は即答した。


「大将の指図を待たず、一隊ごとに見て、考え、殺す」


 銀狼旗が、盆地の風を受ける。


「将の首一つで終わる軍じゃない」


          ◇


 クラウディア城の大軍議室には、十数人が集められていた。


 長卓の中央へ、クラウディア領と北街道を描いた地図が広げられている。


 上座には、クラウディア侯アリア。


 その斜め後ろに、近衛と宮宰を務めるリーフェル。

 彼女の武器、ソード・ディアンジェカーは一振りの大剣へ戻り、背中へ斜めに担がれていた。


 先ほどの切り合いなどなかったような顔をしている。


 だが、視線だけは軍議の参加者ではなく、壁際の男へ向けられていた。


 剣客・タナトスに席はない。


 そもそも、呼ばれてもいない。


 弟の中隊長・ミハイルが招集されたため、ついてきただけだった。


「帰れ」


 入室時、リーフェルは一度だけ言った。


「断る」


 それで話は終わった。


 アリアも追い出さなかった。


 ミシェル(ミハイル)は末席に座っていた。


 クラウディア軍中隊長。


 外套は相変わらず片肩から落ちかけ、軍服の襟元も大きく開いている。酒場前で転んだ際についた白い埃が、片膝へ残っていた。


 その隣ではない。


 卓の上座に近い位置。


 外交顧問レイジス・バスジェナーレが真っ白い顎髭を撫でていた。

 脇に、若い医師が座らされていた。


 セト・バスジェナーレ。


 つい先ほどまで、蒸気式の医療鞄を開き、ラインの近衛や城門前へ運び込まれた負傷者を施療していた若い医師である。


 黒革と金属で組まれた鞄は、椅子の脇へ置かれている。


 袖口には、まだ乾ききらない血の跡。


 そして本人は、軍議へ呼ばれたことを心底うんざりしている顔をしていた。


「なぜ、医師まで列席しているのです」


 リーフェルが尋ねた。


「負傷者の状況を確認するためです」


 レイジスが答えた。


「それなら、報告書で足ります」


 セト本人が言った。


 アリアは地図から顔を上げない。


「人の顔色を見るのが得意でしょう」


「症状を見ることと、腹の内を読むことは別です」


「似たようなものです」


「似ていません」


 セトは短く答えた。


 挿絵(By みてみん)


 それ以上の抵抗は無意味と判断したらしい。


 椅子へ浅く座り直し、こめかみを指で押さえた。


「予備兵の現況を」


 グレゴール・ハインツ将軍が言った。


 アリアの父の代からクラウディア軍を率いる古参である。


 大柄な身体。


 左頬に古い矢傷。


 臆病な男ではない。


 戦場を知っているからこそ、勝てない戦いを嫌う男だった。


 ミシェルは木札を卓へ置いた。


「正規兵は登録上、三千五百八十七」


「城内へ集まったのが五百二十一」


「槍を持って立てるのは、三百前後です」


「戦列を保てる者は」


「半分」


 何人かの重臣が顔を曇らせる。


「それも、一度目の突撃まで」


 ミシェルは続けた。


「魔砲を受ければ農民は逃げる。冒険者は勝手に獲物を探す。流民は家族のところへ戻ろうとする」


「まとめられないのか」


 グレゴールが問う。


「だから正規の兵じゃないんですよ。いくらなんでも急すぎる」


 ミシェルの答えに、将軍の眉が動いた。


 レイジスが銀狼の駒へ指を置いた。


「こちらから使者を送りましょう」


 老外交官の声は静かだった。


「サーハル公は、ネーヤ護国将軍です。帝国北辺の秩序を守る立場にある」


「今は反乱軍に与しているといううわさもある」


 リーフェルが言う。


「それでも、護国将軍の称号を失ったわけではありません」


 レイジスは動じない。


「第四王子殿下を迎えた直後に交戦すれば、クラウディア家が殿下を利用し、内乱を拡大させたと受け取られます」


「殿下を差し出せと?」


「共同保護です」


 言葉は滑らかだった。


「殿下の身柄をサーハル公の保護下へ移す。同時に、クラウディアも兵糧と滞在費を負担する」


「反乱軍へ引き渡すのではありません」


「名を変えただけです」


「外交とは、名を変えることで戦争を避ける仕事でもあります」


 リーフェルの目が冷える。


 しかしアリアは止めなかった。


 レイジスにも、リーフェルにも、言わせている。


 次にグレゴールが口を開いた。


「私は、さらに一歩踏み込むべきだと考えます」


 銀狼の駒を、城の手前まで進める。


「王子殿下をサーハル公へお預けする」


「予備兵は解散」


「正規兵も城内へ戻す」


「必要であれば、城門を開き、敵意がないことを示すべきでしょう」


リーフェルが、グレゴールに向いた。


「武装解除ですか」


 アリアが問う。


「戦わない意思を示すためです」


「城門を開くのも?」


「領民を守るためならば」


 グレゴールは退かなかった。


 レイジスが続ける。


「サーハル軍は野戦の雄。城外で一戦となれば《五身一体》を組みます」


「人間槍兵だけを崩しても、狼人が側面を補う。狼人を射れば、雪男の術者が射手の位置を全員へ伝える」


 グレゴールが頷く。


「かりに奇襲でオーウェン公本人を討ったところで、陣は止まりません」


 壁際で、タナトスの目が僅かに動いた。


 だが、まだ何も言わない。


「交戦は避けるべきです」


 レイジスは結論づけた。


「殿下の身柄について譲歩し、クラウディアに敵意がないことを示す」


「それが、領民を守る最も確実な道です」


「……それ」


 末席から声がした。


 ミシェルが、地図を見ていた。


「全部、降伏ですよね」


 軍議室の視線が集まる。


 グレゴールが低く答えた。


「兵力差を見ろ小僧」


「見ています」


「ならば理解できるはずだ」


「理解したから腹が立つんですよ」


 ミシェルは立ち上がった。


 襟元は開いたまま。


 外套も直さない。


 だが、二日酔いの顔ではなかった。


「魔砲兵は最後尾です」


 北街道へ木札を置く。


「狼騎兵も、城の左右へ回っていない」


「東と南の道も完全には塞いでない」


「我々へ退路を残し、降伏を促しているとも考えられます」


 レイジスが指摘する。


「ええ。そうも読める。でも、本当に攻めるなら、もう止まってます」


「何が言いたい」


「サーハル軍は、まだ行軍隊形です」


 ミシェルは、槍兵を示す駒を指で動かす。


「《五身一体》へ組み替えるなら、狼人と雪男を前へ出して、槍兵を十二人単位に割らなきゃならない」


「今は、その動きがない」


「攻城資材も前へ出ていない。魔砲の砲口も城壁へ向いていない」


「威圧しているのだ」


 グレゴールが言う。


「そうです」


 ミシェルは即答した。


「あれは、攻める軍じゃない」


 窓の外を見る。


「攻められると、こっちへ分からせる軍です」


 レイジスの指が止まった。


「目的は交渉だと?」


「クラウディアが第四王子をどうするのか、見に来たんでしょう」


「ならば、なおさら共同保護を申し出るべきでは」


「軍が見えた途端に、門へ入れた客を渡すんですか」


「争いを避けるためです」


「それを一度やったら」


 ミシェルの声から、軽さが消えた。


「この城は、強い軍が来るたびに同じことをさせられる」


「誰もクラウディアとの約束を信用しなくなる」


 グレゴールが卓を叩いた。


「では、戦うのか!」


「戦うとは言ってません」


「ならば何をする」


「戦えるように見せます」


 何人かの重臣が顔をしかめた。


 ミシェルは構わず続ける。


「予備兵を城門前へ出す」


「三人一組。一人が槍を持つ。後ろの二人が腰帯を掴んで支える」


「それで陣になるのか」


「勝てる陣にはなりません。一度で崩れない陣にはなる」


 地図へ線を引く。


「同じ部隊旗を三本ずつ立てる。弓兵は城壁の上を移動させ続ける。空の荷車へ布を掛けて、何か分からないものに見せる」


「小細工だ」


「ええ」


「あのサーハル軍に通じると思うか」


「近くで見られれば、ばれます」


「ならば」


「近づく前に交渉を始める」


 ミシェルは銀狼の駒を、城外で止めた。


「勝てると思わせる必要はない。攻めた時、どれだけ損が出るか。あっちに計算し直させればいい」


「概ね、同意します」


 それまで黙っていたセトが言った。


 軍議室の視線が、レイジスの隣へ集まる。


 セトは面倒そうに顔を上げた。


「何を根拠に」


 グレゴールが問う。


「負傷者が出る配置ではありません」


「医師らしい答えだな」


「医師ですので」


 セトは窓の外へ目を向けた。


「本気で城を落とすなら、サイクロプスの魔砲を前へ出すはずです」


「狼騎兵も、退路だけでなく、城内の施療所へ通じる道を先に塞ぐでしょう」


「雪男の術者も、攻撃術を準備していない」


「北の魔法が分かるのか」


「術式は分かりません」


 セトは淡々と答えた。


「ただ、人を殺すための配置と、殺せることを見せる配置は違います」


 妙な言い方だった。


 だが、彼が見ているのは軍略ではない。


 砲撃が始まれば、どの門から負傷者が運び込まれるか。


 騎兵が回り込めば、どの道が塞がるか。


 城壁が崩れれば、何人を収容できるか。


 医師として、戦場を死傷者の側から見ていた。


「サーハル公は、戦う準備を見せています」


 セトは続けた。


「ですが、まだ人を殺す配置にはしていない」


 タナトスの紫色の目が、僅かに動いた。


 グレゴールは腕を組んだ。


「小細工で、護国将軍を欺けると思うか」


 レイジスが静かに口を開く。


「ネーヤ護国将軍、サーハル公オーウェン。人間でありながら人狼族の大祭司に認められ、狼騎兵の大将となり、雪原諸部族を一つの軍へ束ねた武将です。それに、


 槍は剣聖ロック・シャルディン直伝。その名を知らぬ者は、半島にも大陸にもおりますまい」


「知っている」


 タナトスが口を挟んだ。


 グレゴールの顔が険しくなる。


「発言を許していない」


「許しを求めてもいない」


「兄貴」


 ミシェルが止めた。


 タナトスは、窓の外へ目を向けたまま続ける。


「オーウェンは一流の騎士だ」


 誰も口を挟まない。


「槍も速い。頭も切れる。軍の動かし方も知っている」


 僅かに鼻で笑う。


「だが、あいつは地位に縛られている」


「護国将軍。大公。狼の大将。雪原の盟主」


「守るものが多すぎて、何を斬るにも後ろの顔を見る」


 紫色の目が細くなる。


「だから、あいつは誰も殺していない」


 軍議室がざわめいた。


「護国将軍が?」


 若い騎兵長が聞き返す。


「戦場で兵が死ぬことと、あいつ自身が殺すことは違う。

 腕を折る。槍を落とす。降伏させる。

 騎士としては一流だ」


 タナトスの口元へ、侮るような笑みが浮かんだ。


「だが、それではいつまで経っても初心者のままだ」


 ネーヤ護国将軍を、初心者と呼ぶ。


 無名の剣士なら、ただの大言壮語だった。


 だが口にしたのは、ロック・シャルディン直伝の四高弟。


 首斬りタナトスである。


 セトが一度だけ、彼を見る。


「殺さずに済ませられるなら、その方がよいでしょう」


「医者の考えだな」


「剣士よりは、人を生かすことに詳しいので」


 タナトスは答えなかった。


 グレゴールが壁際へ視線を向ける。


「では」


 低い声だった。


「同じシャルディンの四高弟のお前なら勝てるのか」


 タナトスは答えない。


 窓の外。


 北街道を進む槍兵。


 その後方に翻る銀狼旗。


 中央を進む、一騎の影。


 沈黙が長くなる。


 ミシェルさえ、兄へ声を掛けなかった。


 やがて、タナトスが口を開いた。


「……簡単ではない」


 それだけだった。


 首斬りタナトスが、即答できなかった。


 その事実だけで十分だった。


 その男が、いまクラウディア領へ迫っていた。


          ◇


「それでも」


 ミシェルが言った。


「まだ、戦うと決まったわけじゃない」


 グレゴールが苛立たしげに返す。


「ならば、お前がやれ」


 ミシェルが瞬きをした。


「俺が?」


「予備兵を並べ、サーハル軍を欺くのだろう」


「俺、中隊長ですよ」


「自分で出した策だ」


「一中隊の権限じゃ、流民も冒険者も動かせない」


「ならば口を出すな」


 ミシェルの顔から笑みが消えた。


 それでも退かなかった。


 アリアが静かに立ち上がる。


「では、本日付で」


 全員の視線が集まった。


「ミシェル・ハルフォート中隊長を、私直属の遊撃将軍とします」


 軍議室が静まり返る。


 グレゴールが顔を上げた。


「侯爵さま」


「正規軍の指揮系統には入れません」


 アリアは続ける。


「私直属の遊撃軍として、予備兵を編成させます」


 ミシェルは自分を指差した。


「俺?」


「ほかにいますか」


「ずいぶん急だな」


「流民、冒険者ギルド、酒場のお仲間も組織し、予備隊を拡充するがよい」


「最後のは兵士じゃないけど」


「あなたも、つい先ほどまで酒場にいたでしょう」


「それとこれとは、、、」


 やり取りは短かった。


 アリアは、もうミシェルを見ていない。


 口だけの若者へ責任を押しつけようとした将軍の言葉を、その場で正式な権限へ変えた。


 正規軍から切り離すことで、グレゴールの指揮権は侵さない。


 同時に、既存の軍が扱いにくい者を全てミシェルへ預けた。


 任命なのか。


 重荷なのか。


 どちらとも決められない。


「負傷者の選別と搬送係も、先に編成してください」


 セトが言った。


 ミシェルが振り返る。


「縁起でもないな」


「負傷者が出てから決める方が、よほど縁起が悪い」


「医者は現実的だねえ」


「あなた方が現実を見るのが遅いのです」


「条件があります」


 ミシェルは地図へ向き直った。


「何でしょう」


「王子殿下は出さない」


 レイジスが眉を寄せる。


「サーハル公が要求すれば?」


「城壁へ姿だけ見せる」


「生きている。自分の足で立てる。それで十分です」


「それは殿下を軍事的に利用することでは」


「おひめ、、、侯爵閣下は、最初から利用すると本人へ言ったんでしょう」


 アリアは否定しない。


「なら、隠す必要もない」


 ミシェルは地図を畳んだ。


「予備兵は俺が預かります」


「どの程度、時間が必要ですか」


「一刻」


「半刻で」


「人使いが荒いな」


「遊撃将軍ですから」


「今作った役職でしょう」


「ですから、職務内容も今決めます」


 ミシェルは頭を掻き、立ち上がった。


 タナトスも壁から背を離す。


「俺はオーウェンと斬る」


「兄貴は城壁に立ってて」


「なぜだ」


「兄貴がいると分かれば、オーウェンは魔砲より先に出てくる」


「どうして」


「シャルディン『さまさま』のことを聞きたいはずだ」


 タナトスの目から、僅かに軽さが消えた。


 ミシェルは、それ以上言わない。


 少しの間を置いて、タナトスが答えた。


「……分かった」


 アリアは二人を見る。


 一瞬だけ。


 それから軍議の列席者へ向き直った。


「グレゴール将軍は、正規兵を急ぎ城内へ」


「レイジス顧問は、会談の条件を整えてください」


「セトは施療所へ戻り、負傷者の受け入れを」


「ようやく本職ですね」


「必要なら、また呼びます」


 セトの顔に、露骨なうんざりさが戻る。


「リーフは、私と城門上へ」


「姫さままでお出でになることは、、、」


「各員、配置へ」


 軍議が終わった。


          ◇


 東広場には、予備兵が集められていた。


 農夫。


 牧童。


 鉱夫。


 店の用心棒。


 所属する軍を失った逃亡兵。


 仕事を求めて滞在していた冒険者。


 酒場でミシェルと何度も杯を交わした荒くれ者も混じっている。


「聞け!」


 ミシェルの声に、酒気はなかった。


「今から三人一組を作る!」


「槍を使える奴は前!」


「使えない奴は後ろから腰帯を掴め!」


 誰かが叫ぶ。


「俺たちは戦うのか?」


「命令があるまでは戦わない」


「敵が来たら?」


「逃げるな」


「死ねってことかよ!」


「違う」


 ミシェルは即答した。


「後ろの二人が、前の一人を逃がさない」


「前の一人が、後ろの二人を倒れさせない」


「三人で立て」


「勝てとは言わない」


「立っていればいい」


 冒険者たちが顔を見合わせる。


 酒場の店主が、腕を組んだ。


「本当に将軍になったのか」


「今日かららしい」


「昨日まで、うちの床で寝てたぞ」


「将軍が床で寝ちゃいけない決まりはない」


「改めないのか」


「そこは今後考える」


 兵たちの間に、僅かな笑いが広がった。


 ミシェルは止めない。


「同じ旗を三本ずつ用意しろ!」


「弓兵は城壁を歩き続けろ。止まったら数がばれる!」


「空の荷車へ布を掛けろ!」


「何に見せるんだ?」


「知らん!」


「分からないものが、一番怖い!」


 声に従い、雑多な者たちが動き始める。


「負傷者搬送班!」


 ミシェルが続けた。


「荷車を二台空けろ!」


「施療所までの道には物を置くな!」


「赤い布を巻いた者は戦列へ出るな。倒れた奴を運べ!」


「将軍、赤い布なんかないぞ!」


「酒場の卓布を切れ!」


 店主が顔を上げた。


「俺の店のか!」


「戦が終わったら払う!」


「誰が!」


「侯爵閣下が!」


 城門上からアリアの声が飛んだ。


「遊撃将軍とののお給金から差し引きます」


 ミシェルは上を見た。


「聞こえてたのかよ!」


 返事はない。


 アリアは既に北へ視線を戻していた。


 整った軍ではない。


 足並みも揃わない。


 それでも、先ほどまでばらばらだった者たちの間に、一つの意図が生まれ始めていた。


          ◇


 サーハル軍は、クラウディア城から魔砲の射程を僅かに外した場所で停止した。


 先陣の人間槍兵が、長槍の石突きを一斉に地面へ下ろす。


 後方の軍列も、遅れて止まった。


 狼人騎兵は左右へ控えたまま、城を包囲しない。


 雪男の魔法使いたちも、兵科ごとの隊列を保っている。


 サイクロプス魔砲兵は最後方。


 砲口は空へ向いたままだった。


 陣形を組み替える気配はない。


「読みどおりですね」


 アリアが言った。


 城門上で、ミシェルは遠眼鏡を覗いている。


「今のところはね」


 その隣には、タナトス。


 アリアの前には、当然のようにリーフェルが立っている。


 銀狼旗の前から、五つの影が進み出た。


 中央は、白い長毛を銀の飾り紐で束ねた老雪男。


 バルガス・ハーミット。


 サーハル家へ先々代から仕える家老であり、北方魔法軍の古参だった。


 その右には、灰色の毛並みを持つ狼人。


 右目を横切る古傷。


 狼人騎兵隊長、ヴォルフガング。


 左には、一つ目の巨人。


 サイクロプス魔砲兵長、ボルガ・アイゼン。


 バルガスの斜め後ろには、比較的若い雪男が控える。


 雪男魔法隊長、ミール・スノウベル。


 最後の一騎は、人間。


 飾りを抑えた実戦用の甲冑に、長槍を携えている。


 人間騎士団長、エドガー・ルーセル。


 雪男。


 狼人。


 サイクロプス。


 そして人間。


 種族も体格も、使う武器も違う。


 それでも五将軍が横へ並ぶと、後方の軍勢全てが、一つの生き物へ変わったように見えた。


 バルガス老が杖を地面へ突こうとした時だった。


 後方の狼騎兵が、僅かに身を寄せ合う。


「バルガス老、今日はどこから始まる?」


 若い狼人が囁いた。


 隣の人類の槍兵が、正面を向いたまま答える。


「四代前の建国大戦だろう」


「先代公の北征からじゃないのか」


「それなら、まだ短い」


 別の狼人が口を挟む。


「今日はヒマラヤ連峰の賛辞はなくてよかった」


「そうそう。あれを聞いていたら日が暮れちまうよ」


 小さな笑いが漏れた。


 その瞬間。


 ヴォルフガングが、ゆっくりと首だけを180度、後ろへ向けた。


 古傷の下で、残った眼が見ひらく。


 一睨み。


 狼人たちの耳が、一斉に伏せた。


 人間槍兵は口を閉じる。


 近くにいた雪男の術者まで、杖を握り直し、背筋を伸ばした。


 ボルガは一つ目を横へ向け、声もなく肩を揺らしている。


 ミールは師の背後で、何も聞こえなかった顔をしていた。


 エドガーだけが、小さく息を吐く。


「始まるぞ」


 バルガスは、杖を地面へ突き立てた。


 氷晶が青白く輝く。


「一同、控えよ――!」


 魔法で増幅された声が、盆地全体を渡った。


 ざわめいていたサーハル軍が、一瞬で静まり返る。


 人間槍兵が槍を立てる。


 狼人騎兵が頭を垂れる。


 雪男の術者が杖を胸元へ寄せる。


 サイクロプスたちも、片膝をつく。


 銀狼旗の下に控える巨大なフェンリルさえ、前脚を折って身を伏せた。


「蒼光神の防人が一人!」


「神聖ネーヤ帝国、北の門戸を守護せし御方!」


「四代前の建国大戦において、先鋒を務められたるアクティム・サーハル公の血を継ぎ――!」


 後方の若い狼人が、口だけを動かした。


 ――やっぱり建国大戦からだ。


 隣の槍兵が肘で脇腹を突く。


 ヴォルフガングの耳が、ぴくりと動いた。


 全員が正面へ向き直る。


「神代よりサーハルの雪原を約束されし大公爵!」


「険峻なるヒマラヤの連峰に抱かれ!」


 若い狼人が目を閉じた。


 ―入った。


 今度は声にしなかった。


「白銀の雪原に生きる諸部族の盟主!」


「人の身にありながら、誇り高き狼人騎兵の大将!」


「雪男の魔法と、サイクロプスの魔砲と、人の槍を一陣へ束ねし御方!」


 城門上で、ミシェルが呟く。


「長げえな」


「今日は序の口だ、傭兵戦争のときはもっと張り切ってた」


 タナトスが答える。


「流れ矢とか、放つなよ」


「へ?兄貴知り合いなのか?」


「途中で止めたら、最初からやり直すぞ」


 タナトスは僅かに眉を寄せた。


 リーフェルが二人を睨む。


「黙って聞け」


「お前も長いと思っている顔だな」


「思っていない」


 アリアは何も言わない。


 ただ、口元にごく僅かな笑みを残している。


 バルガスの口上は続いた。


「帝国の北辺を預かるネーヤ護国将軍!」


「皇帝選定の責を負う、四大選帝侯サーハル家現当主!」


「五大部族と雪原諸族が命を預け奉る――!」


 五将軍が、それぞれの武器を掲げた。


 バルガスの杖。


 ヴォルフガングの湾曲刀。


 ボルガの砲槌。


 ミールの魔法杖。


 エドガーの長槍。


 五つの兵科。


 五つの力。


 異なるものが、銀狼旗の下へ集まる。


「オーウェン・クラフト・サーハル公の御前である!」


 バルガスが杖を高く掲げた。


 軍勢が一斉に槍と武器を打ち鳴らす。


 一度。


 盆地の空気が震える。


 二度。


 城壁の埃が落ちる。


 三度。


 音が途絶えた。


 完全な静寂の中。


 五将軍の後方から、一騎が進み出る。


 白銀の重装甲。


 肩には、七眼の魔王をかたどった古い紋章。


 白に近い金髪。


 人間の青年だった。


 その騎乗する竜族のフェンリルは、通常の雪原狼を遥かに上回る巨体を持つ。


 左右の腰には、短い二本の槍。


 ネーヤ護国将軍。


 サーハル公オーウェン。


 挿絵(By みてみん)


 オーウェンは、まずアリアを見た。


 次に、城壁の背後へ姿を見せた第四王子の老従者。


 そして最後に。


 タナトスへ視線を移した。


 その瞬間だけ、五将軍の間にも、別の緊張が走った。


 ヴォルフガングの眼が見ひらく。


 エドガーが僅かに槍を握り直す。


 ミールは、防壁術を展開できるよう杖を傾けた。


 ボルガは動かない。魔砲の魔法文字が輝き始めた。


 バルガスだけが、どこか懐かしそうに二人を見比べている。


 タナトスの手が、風輪双刀の柄へ下りた。


 オーウェンもまた、右の短槍へ手を置く。


 どちらも抜かない。


 遠く隔てたまま、同門の二人が互いを測る。


 銀狼旗と大烏の旗が、同じ風を受けて翻った。


 戦いは、まだ始まっていない。


 雪原の軍勢が、クラウディアの目前へ立っていた。

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