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口裂け女が、恋しちゃダメですか?  作者: 閃光HANABI
プロローグ&第一章
9/16

8

 ながい夜を過ごし、明け方近くになって眠りについたものの、ごく浅いものだった。

 朝方の騒がしい時間帯。

 鏡の中の私は、いつにもましてひどい顔で。

 虫の這いずったような傷痕は、これでもかと存在を主張する。

 ――見たくはないのに。

 消えてはいないか?

 せめて目立たぬようになってはいないか。

 そんな淡い期待はむしろ、目覚めた後の悪夢として毎朝私を苦しめた。

「いってっらっしゃい」

 施設の方に見送られて玄関を出ると、頭上には憎らしいほどの朝日。通い慣れてしまった道で、良くないことばかりが浮かんでは消えて行く。

「渡良瀬さんの出身中学は?」

 あの後、彼はそう訊ねてきた。不安が募る。考えていることが読めなかった。

 戦うしかない……、か。

 彼の言葉。その通りだと思う、だけど。

 出来るのか――?

 私に。

 負け犬根性が染み着いた私に?

 たった三年じゃないか。

 その間、私が耐えればいいだけ。

 大事にさえせずにいれば、根掘り葉掘り聞かれることもない。傷痕に触れず、好奇の目に晒されることもない。

 簡単なことのはずだ。

 ふふっ。

 マスクの下で笑いが漏れる。

 強がりか、自嘲か。

 どれも違う。強いてこの笑いに名前をつけるとするならば。

 それは、そう。きっと――、諦め。


 雛坂の向こうに広がるのは、さらさら揺れる木々と早朝の薄い青。雲は少し厚くなって、夏のそれに近い。

 なだらかな弧を描いた坂の上から校舎が顔を出し、歩みを進めるごとに姿を現してゆく。

 正門を潜り、その巨大な体内へと。

 胸ポケットに忍ばせてあるのは、小さな頃から肌身離さず持っているお守り。

 お守りとは名ばかりで、木綿生地であつらえた粗末な手作りの小袋。

「大丈夫」

 ――平気だ。

 竦むほどじゃない。

 自分にそう言い聞かせ、靴箱の前へ歩みを進める。

 ……何もない。

 拍子抜けするほど、何もなかった。

 これで終わりとは思えないけれど、先のことを考える余裕なんてない。今日、明日を乗り切るだけで……。

 教室で腰を落ち着かせると、猛烈な眠気に襲われる。

 それは、夢だったのか。

 意識の片隅に眠っていた記憶の断片。

 私はトイレの扉を空けていた。

 目の前には、クラスメイトがひとり。

 中学生当時の制服を着ていた。

「ごめんね」

 そのまま、背を向け足早に立ち去ってゆく。

 何のことだろう?

 彼女は積極的でなかった。

 私が蔑まれている時には、眉を八の字にして、遠巻きに眺めていた。

 同意を求められ、仕方なしに軽く笑う程度。

 ……罪悪感だ。

 彼女は罪悪感に耐えられなくなって、私に赦しを乞うたんだ。

 彼女は悪くない。

 寄り添ってくれようとしたのだろう。

 真実、それは優しさだったと思う。

 私は勇気を出して彼女に声をかけた。

 向けられたのは困ったような顔。

 クラス中の見えない視線が集まる。

 見物客のような。

 対象は私ではなく、彼女の方だった。

「ごめん。トイレに行ってくる!」

 耐えきれなくなった彼女は飛び出して行く。

 ああ、そうだ。そんなこともあった。

 あの時、私は悟ったんだ。

 差し出された手に、縋ってはいけない。

 握り返す私の手は、奈落へと引き摺り込むのだと。


 夢うつつの中で、チクリと胸が痛む。

 許容出来ないほどではないが、過去のことと割りきれるほど、寛容にもなれない。

 その日は、昼前からかげり始めていた。

 気温も高く、蒸し暑い。

 予期していたのか、お弁当を開くと小さな保冷剤が添えてあった。

 蓋を開くと、桜でんぶで彩られたご飯。

 可愛らしい、鯉のぼりを模していた。

 ……もう、五月の終わりに差し掛かっているというのに。ついでに私は女子高校生なのに。

 調理担当の方のおっちょこちょいは、今に始まったことじゃない。

 許してあげよう。

 心遣いは、素直にうれしい。

 マスクを外し、有り難くいただく。おかずは、冷凍品ばかり。

 遊び心に時間を掛けすぎたのだろう。

 小さな心遣いを崩さないように、気を付けながら食べ進める。

 ミートボールと鯉のぼりを残し、大半を食べ終わった時、金属の重い音が響いて、扉が開かれる。

 彼は扉を後ろ手に閉め、そのまま歩いて――、いかない。

 足を止め私を見上げた。

「ちょっと、いい?」

 端的にしか発しない彼の言葉は、時に迷うことがある。

「食べながらでいいから」

 私の隣を指差す。

 昨日の今日で気まずさから、私は断ることが出来なかった。

 二階へと続く階段を登り、私の一段下に腰を下ろす。

 居心地が悪い。

 昨日の件も勿論だが、マスクを外し素顔を見られてしまうことも。

 さりげなく、右側に寄って死角に入る。

 もう見られてるし今更ではあるけども、体の反応はコントロール出来ない。

 彼は、黙々とお弁当を広げる。

「一組のリスト」

 口の中に目いっぱい、白米を詰め込んで四つ折りに畳まれた一枚の紙を手渡してきた。

 開くと男女三人の名前。

 見覚えはない。

「君と同じ中学出身の生徒」

「調べたの?」

 咀嚼(そしゃく)しながら彼は頷く。

「一組の友達に頼んだ」

 雛坂台高校の一年は三クラスあって、私たちは一年二組。正直顔も名前もうろ覚えで自信はないが、二組にも同じ中学出身者が一人居たはず。

 ――ひどいもんだな。

 そんなに私は覚えていないのか。あの頃のこと。

「居たんだ……。友達」

 口にした後で、しまったと思う。

 過去の記憶にとらわれて、ずいぶん失礼な本音が出てしまった。

「――知人だった」

 勢いよく振り返って、暫しの沈黙のあと彼は訂正した。

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