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口裂け女が、恋しちゃダメですか?  作者: 閃光HANABI
プロローグ&第一章
8/15

7

 不安は影のように私につきまとう。光が増せば増すほど、濃くはっきりと輪郭を成して。

 考えが甘かったんだ。

 現実から、目を逸らしていた。

 世の中は、悪意に満ちているのに。


 (もや)がかった思考は迷子のように堂々巡りし、鮮烈な赤が脳裏に焼き付いて離れてはくれない。

 気付けば、正午を知らせるチャイムがなっていた。

 食欲はなかったが、機械のように非常階段へ向かう。楽しげに会話しながら昼食をとるクラスメイトたち。そのなかに、ひとりで居座る勇気はなかった。

 薄暗い廊下の突き当たり。昼休みの喧騒を背中に残しゆっくりと。

 扉は少しだけ開いていた。

 ドアノブを掴み押し開くと、いつもと同じように座り込む彼の姿。

 ――無性に腹が立った。

「あなた。誰かに言ったの?」

 自分でも驚くほど抑揚のない声。

「約束、破ったんでしょう?」

 振り返った顔に表情はない。昏い目がそこにあるだけ。

「破ってない。俺は誰にも言ってない」

「だったら、あなたがやったのね」

 ティッシュに包んだ口紅を差し出す。

 触れることも躊躇(ためら)われる、醜悪な塊。

「口紅……?」

 呟くように。しかし、それはすぐに風に流され掻き消えた。

「それが、どうしたの?」

「私の靴箱に置いてあった。あなたなんでしょう?」

 彼は一瞬、驚いたように目を見開いたが顔を横に振る。

「知らない。俺じゃない」

「じゃあ、誰なの! あなた以外に……」

 続く言葉が出なかった。

 自分でも分かっている。証拠などなにもない。仮に彼が犯人だとしても認めるはずはないし、違っていたとしても誰がやったかなど答えられる訳がない。

 信じたかっただけだ。

「ちょっとした悪ふざけだった」と「もうしない」そう言って欲しかった。でないと見えざる悪意は他に居て、今も私に向けられていることになる。それはとても恐ろしいものだ。

「――たとえば」

 沈黙を破ったのは、彼の方だった。

「渡良瀬さんと同じ中学出身の生徒は何人居る?」

 私が考えの外に追いやったもの。

「傷痕のことを知っている者は?」

 まるで、見透かしたように彼は言葉を連ねる。逃がしてはくれなかった。

「先生には?」

 首を振る。

「大袈裟にしたくないんだね」

 私が口を開く前に彼が代弁した。

 返す言葉が見当たらない。

 終わったのではなくて、過去から地続きで現在へと繋がっている。

 向き合いたくはなかった事実。

 彼を完全に信じることは出来ない。

 けれども、彼の言うことも否定できない。

 雁字搦めに囚われて、何を信じればいいのか。

「戦うしかないよ……」

 うっかりすれば、聞き逃してしまいそうな細い声で。

 こういった手合いの奴らは、目敏く弱者の心理をついてくるから。

 そう、聞こえた。

 それきり、彼は黙りこくってしまう。


 音のない非常階段で……。

 五月の風はどこまでも爽やかに、私たちの間を駆け抜ける。

 痛いほど虚しく。

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