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「なんだよ、笑うなよ」
彼の不貞腐れたような態度。
「え……」
笑ってた――?
私が?
気がつかなかった。
「人を馬鹿にして、鼻で笑っただろ」
「ごめんなさい」
素直に謝る。
馬鹿にした訳じゃない。
友達と言い、知人と訂正した。そんな不確かなものを律儀にも言い直す彼の言葉が可笑しかった。
「……鯉のぼり、いいな」
膝元の手付かずにいたお弁当。
つられて視線を落とすと、一匹取り残された緋鯉は、隙間だらけのお弁当箱の中を悠々と泳いでいた。
「ありがとう」
私が作った訳でも無いのに、何故か嬉しくなる。
「愛されてるんだ、母親に」
ぽつりと、彼は呟く。
まただ……。
その表情に影がさした。
気にはなるものの、その理由は聞けなかった。人にはむやみに、立ち入ってはいけない領分がある。
ただの興味だろうが、同調だろうが、はたまた善意だろうと。
正確に真意を言葉にして伝えることは、案外出来ないものだ。
「これは、お母さんじゃなくて――」
そう言おうとして、言葉に詰まる。
施設育ちを恥じている訳じゃない。
自身でもよく分からなかったが、何故か躊躇われた。
ぽつぽつと地面を叩く雨音が聞こえる。
彼は次を待っていたが、視線を空に移し「……降り始めたね」とだけ口にした。
季節は梅雨を迎えて連日、雨模様。
細い雨は止みそうでいて、なかなか止むことなく降り続ける。
高校に進学し、マスクを着け始めた私に施設の人たちは何も言わない。少しだけ目を伏せ、悲しい気な顔を見せたこともあったが、それ以上踏み込んで来ないのは、有り難かった。信頼していない訳ではないけど、私の方から一線を引いている。
傷つけられることの無い生活。それだけで充分だ。
それから雨だって嫌いじゃない。傘にマスクに化粧。
玉ねぎの皮のように重ねられた、私の上っ面は脆いものではあったが、様々なものが混じりあった視線を受けないのは、やはり安心出来る。
もっとも、玉ねぎのように剥けば艶やかな、あの白い肌とは程遠いけど。
傷の入った廃棄処分品に近いのかも……。
いけない。こんなことでは戦うことはおろか、三年間を耐え抜くことすら出来ない。
謙虚は美徳だけど、行き過ぎれば自己肯定感が低くなってしまうのよ、私!
何かの本で見た受け売りの文句で、自分を叱咤する。
結局、三組には二名の同じ中学出身者がいた。合計六名。
疑わしいのは彼を入れて……、七名。
口紅以降、動きはない。
彼とは毎日ではなかったが、たびたび顔を突き合わせて昼食をとることが多くなった。
経過報告と他愛のない雑談。
「手に負えないと思ったら、先生に相談すること」彼は口癖のように繰り返す。
結果はどうあれ、相談した事実が大事なんだそうだ。
六月も半ば、正確には六月の十七日。時刻は、六時を過ぎた頃。
授業を終えて、私はいつもの雛坂へとは逆方向へ向かっていた。
パタパタと傘を打つ軽い雨音を頭上に聞きながら、いつもならば運動部の掛け声が響くグラウンドを横切る。多少の雨なら構わず練習をしている野球部も、連日続く雨で水溜まりだらけでは、流石に諦めたようだ。
施設には少し遅くなることを今朝方告げている。事情を知っているからか「気をつけてね」とだけ言われ、送り出してくれた。
見慣れぬ住宅地の中を進む。
途中までは、雛坂台高校の生徒も多く見かけたが、ここまで来るとその姿もまばらに見る程度だった。
交通量の多い大通りへ出ると、正面に大型スーパーが姿を見せた。併設されるように隣には、ファミリーレストラン。
幼い頃――。
十一年前の今日。
私の五歳の誕生日に、両親と共に楽しい時間を過ごした最後の場所……。
当時の記憶は無いので、殊更に感傷に浸ることはないが、それでもやはり思うところはあって傘を差したまま足を止める。
六月の小雨のなか。
窓際のテーブル席で。
明るい店内に小さな女の子とその両親。
――親子三人、幸せそうに笑う幻を見た。




