12
日曜日――、本日も空は飽きもせず雨のもよう。
夜が明けたとはいえ朝日は雲にさえぎられ薄暗く、気温もいくらか低い。
四角く切り取られた窓の外。顔をのぞかせるハナミズキは柔らかな桃色の花が咲いている。
朝から、私は落ち着かないでいた。
今更ながら、どうして約束なんかしてしまったんだろう。
「やっぱり、断ればよかった……」
ひとり呟いた声は静かな部屋に吸い込まれてゆく。
弱い雨音。鳥のさえずる声もなく、休日の街はまだ目覚めるには早いようだった。
手櫛で寝グセを整えてみる。
のばし始めてからというもの、髪の毛の手入れは大変だった。
梅雨時期に入ってからはモジャモジャと撥ねてしょうがないし、お風呂上りだって乾くのに時間がかかる。面倒だが仕方がない。
何度か髪を撫でた後、ぼんやりと窓を見る。
空っぽになった頭に浮かぶのは、これまでの出来事。
たちの悪い嫌がらせの口紅。
思わぬ形で知ることになった彼の悩み。
気の乗らない約束。
やはり、同情なのだろうか。
それとも憐れみ?
お互い秘密を知って、傷を分け合ったものと勘違いしていた。
食事に誘われて、胸が高鳴ったのも事実。休日に友人と遊びに出かけるなんて今まであり得なかった。普通の高校生のように振舞えることに、期待した。
でも、それはあり得ない。
現に悪意の種はすぐ傍にあって。夜中に自販機で飛び回る蛾のよう。明るい方へと目を逸らしているに過ぎない。
……たどり着けないのだから。
透明の壁に阻まれて、決して光源へは。
むしろ醜い姿を晒すだけ――。
私は浮かれていたんだ。
窓ガラスに映りこんだ素顔。頬の三日月形の傷痕が、否応なく現実を突きつける。
どうして、口裂け女を演じていたのか?
思い出せ。
痛みを切り離すためではなかったか。
心を。わずかに残った自尊心を守るためではなかったか……?
華やかな高校生活などいらない。ただ静かに過ごせれば。
静まり返った室内。今頃になって鈍い倦怠感とともに眠気が体を包む。
不規則な雨音を遠くに聞きながら。
窓のなかの濁った瞳は、何かを訴えかけるように私をじっと見つめていた。
まどろみの中で声が聞こえる。
「月子ちゃん、寝てる? もう、お昼よ」
そうか、もうお昼か。でも今日は休日だから……。
慌てて飛び起きる。時計の針は正午を指していた。約束の時間は十一時半。すでに三十分を過ぎている。昨日から、ハンガーに掛けておいた白いワンピース。唯一のよそ行き用のもので、おさがり品だけどお気に入り。
袖を通し急いで身支度を整え、玄関へ向かう。
「ちょっと、出かけてきます。お昼はいらないです!」
傘を手に取り、通りに出たところで考えた。
……自転車。
施設へ戻り、中学生の男の子の部屋へ。
頼み込んで、男の子からカギを受け取り再び外へ飛び出す。ハンドルを握り、ペダルを踏み込む足に思い切り力を込めた。
さほど雨脚は強くはなかったが、顔に打ちつける雨が痛い。
やはり、徒歩で来ればよかったと少しだけ後悔する。
雛坂を迂回して、緩やかな坂の北側へ。
遠回りにはなるが、あの急坂を上るよりは幾らかマシだろう。
白いセダンが追い抜いてゆく。
ご丁寧に、泥水をたっぷり私に浴びせかけて。
腹が立つ余裕はない。
銀杏並木を横目に、必死にペダルをこぐ。
雲は依然として上空を覆っているが、雨はやみ始めていた。
遠くの空では雲間から太陽の日差しが漏れて、地上へ降り注ぐ光の筋を作っている。
しばらく進むと、前方に彼のアルバイト先の大型スーパーとファミリーレストランの看板が見えた。
駐車場内に入り彼の姿を探す。時計を見ると一時を過ぎ。一時間半以上の大遅刻。
駐輪場に投げ出すように自転車を停めて、一周廻って見る。傘はもう必要なかった。
ファミリーレストランの裏手、従業員入口のそばに彼は居た。もう雨は降っていないのに傘を差したたまま、ベンチに座って。
息を整え、歩みを進める。
傘が少し持ち上がって、彼は私に気付いたようだった。
「ごめんなさい!」
雨の中、長い間待たせてしまった申し訳なさと、二度寝してしまった自分への不甲斐なさと。
とにかく頭を下げる。
返事はない。
いくら待っても、彼からの返答は返って来なかった。




