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「……言うなよ、誰にも」
翌日、非常階段で彼の第一声。
やはり、意地悪が過ぎたようだ。
「言わないから、安心して」
言える訳がない。
そもそも、秘密を漏らす友人など居ない。
「そうだ、お花。ありがとう」
「口止め料だから」
菊の花二本が口止め料。だとしたら、随分と安く見積もられたものだと思う。
軽くはない。彼も私も。抱えた秘密は、決して軽くはないはずだ。
校則を破ったペナルティーも、私の恐怖も。高校生活を揺るがすもの。
「聞いてもいい?」
彼が、それほどまでしてアルバイトをする理由。なにか、どうしても欲しいものがあるのか。
「アルバイト、禁止されてるの知ってるでしょう?」
軽い興味だった。取り立てて、物欲も趣味もない私からすれば、リスクを負ってまで手に入れたいものなんて無い。
「なにか、欲しいものでも?」
「いや……、貯金」
明快な回答。予想はしていたけど。
「早く家を出たいんだ」
高校生の男子なんて、そんなものだろう。
ただ、その声があまりにも切実な響きをともなっていて。
「高校卒業したら、直ぐに」
どうして? とは言えなかった。立ち入るべきではない。まして、軽い興味からなんて。
「俺さ――」
しかし、彼は止めなかった。
どんな心境なのかは、分からない。
分かるのは、誰にでもあるものだということ。解決なんてしない。アドバイスを求めても居ない。抱えきれないものを、誰かに聞いてもらいたい時が人にはある。
私には、痛いほど分かる。彼にとってそれが今ならば私がその役目を担ってもいい。
たかを括っていた。
不幸自慢ではないけれど、彼の抱えているものがどれ程のものかと。
「両親にとって、いらない子みたいでさ」
ぼそりと、胸の裡にわだかまった毒を吐き出すように。
「俺の親、離婚の話し合いしててさ。毎回エスカレートしてケンカになるんだよ」
彼は少し笑う。
見てられない、痛々しい笑いだった。
「俺をどちらが引き取るのかで、揉めて」
――愛されてるんだ、母親に。
あの時の彼の言葉。
「目の前で、押し付けあって……。ああ、二人にとって、俺は邪魔なんだって」
泣くことも、怒ることもなく。淡々と。
「羨ましいよ、渡良瀬さんが。毎日あんな立派な弁当作ってくれる母親で」
両親の居ない私と、居るけども愛してくれない彼。どちらが不幸なのか。
あの昏い目の正体は自分を愛していないのではなくて。もっと、根深い。彼は自分の存在を憎んでいるのかもしれない。
「私に、両親は居ない」
先日、言いかけて躊躇った事実。自然と口にしていた。
「幼い頃にね。交通事故で二人とも……。今は、児童施設にお世話になってる」
「じゃあ、昨日の菊はもしかして」
「命日だったから」
イヤだ。イヤだ。傷のなめ合いなんて。
お互いに同情しあって、可哀想に振る舞って。そんなことで、何も変わりはしないのに。
「ちなみに、誕生日だったの。何かプレゼント頂戴。貯めこんでるんでしょ?」
空気を変えたかっただけだ。本気じゃなかった。
「いいよ、高価なものじゃなければ」
「冗談よ。欲しいものなんて無い」
少なくとも、お金で買えるものは。
「じゃあ、ご馳走でもするよ」
「本当に、冗談だから。将来のための大事なお金でしょう?」
ちょっとした冗談のつもりが、思わぬ方向に話が進んで行く。
「少しくらいなら平気。嫌なら無理にとは言わない」
「嫌では――」無いけど。
「じゃあ、今度の日曜日の昼に」
「……うん」
約束を。してしまった。
気持ちは嬉しいけれど正直、面倒なことになってしまったと思う。
ばたばたと彼は立ち上がり、慌てたように去って行く。
閉じられた鉄扉。
私の中で何かが変わろうとしていた。




