第4話:初めての会話と、舌打ちの帰り道
第4話:初めての会話と、舌打ちの帰り道
授業間の休み時間。教室には和やかな空気が流れるはずですが、僕の席の周りだけはマイナス40度のシベリア寒気団が停滞していました。
「ちょっと、あなたねえ!」
サオリさんが、顔を真っ赤にして僕を指差しています。その剣幕は、さっきの鬼軍曹よりよっぽど迫力がありました。
「さっきから見てれば、デレデレしちゃって。言ったでしょ? エミには彼氏がいるんだから、あんまり近寄らないで!」
(くっ、この女……! 僕は一言「消しゴム貸して」って言おうとしただけだぞ。エミさんの保護者か何かのつもりか!?)
僕は「純朴な僕」を演じながら、内心では中指を立てていました。
「まあまあ、サオリもそんなに怒らないの。せっかくお友達ができたんだから」
エミさんが、ふんわりとした笑顔で仲裁に入ってくれました。
「まだ初日よ!? お友達なんて早すぎるわ!」
ぎゃいぎゃいと吠え続けるサオリさんの声をBGMに、僕の脳内では「お友達」という言葉がエコーしていました。
(……お友達認定、キター!! 入学初日にしては、かなりの進歩じゃないか!?)
さらに次の休み時間。サオリさんのガードの隙を突き、僕はついに勝負に出ました。
「あの、エミさん……休みの日は、いつも何してるの?」
(よし、自然だ! 完璧に爽やかなクラスメイトを装えているはずだ! でも、「彼氏とデート」なんて返されたら、その場で僕の心肺は停止する……!)
「そうね……映画を観てるかな?」
「映画! いいよね、僕も好きだよ」
(嘘です。最後に観たのは、地元のダチと無理やり行かされた実録ヤクザ映画です)
インドア派。よし、純朴キャラの僕にぴったりのイメージです。
「タカシくんは、最近どんな映画を観たの?」
「ぐ……!?」
エミさんからのカウンター質問に、僕は言葉を失いました。映画。何がある? 僕の脳内ライブラリーにあるのは、夜中にこっそり観る「健全な男子なら誰でも通るジャンル」のビデオばかり。そんなもの、太陽のような彼女の前で口が裂けても言えません。
「私はね、『ショーシャンクの空に』が一番好きかな」
「聞いたことある! (ないけど!) 観てみるよ、絶対!」
「ふふ、タカシくんは?」
エミさんの期待に満ちた瞳。僕は必死で、どこかで聞いたことのあるタイトルを絞り出しました。
「……『戦場のピアニスト』……とか?」
「えっ、意外。渋いところを突くんだね!」
エミさんがふふふと楽しそうに笑います。その笑顔だけで、慣れない嘘をついた良心の呵責が、すべて浄化されていく気がしました。
一方で、それを横で見ているサオリさんのイライラは最高潮。
「……チッ」
ついには、はっきりと舌打ちの音が聞こえてきました。
こうして、僕の波瀾万丈な初日が幕を閉じようとしていました。
帰るのが、これほど寂しくなるとは。これから帰るのは、都会の片隅にある、生活感のないワンルームマンション。
「じゃあね、また明日。タカシくん!」
エミさんの優しい別れの言葉。
「……ふんっ」
そしてサオリさんの冷たい一瞥。
一人暮らしの部屋へ向かう道すがら、僕は拳を握り締めました。
(まずは、自炊だ。エミさんのためにも、僕は立派な看護学生に……いや、立派な人間に……!)
恋が、僕を大きく変えようとしていました。
エミさん……僕はもう、あんな泥臭いヤンキーには二度と戻りません。多分。




