第4話 王都にて、静かに動くもの
アルヴェイン王国、王都。
その中心にそびえる王城の一室で、ひとりの男が静かに目を閉じていた。
アルヴェイン国王、レオニード三世。
その顔には、深い思索の影が落ちている。
「……報告を」
短く告げる。
控えていた近衛が一歩前に出た。
「は。北方国境付近にて、大規模な地形変動が確認されました」
「規模は」
「山脈一帯が消失。断面は極めて滑らかで、自然現象とは考えられません」
レオニードは目を開いた。
その瞳に、わずかな諦観が浮かぶ。
「……そうか」
短い返答。
だが、その意味を理解できる者は限られている。
「加えて、禁域にて結界の破壊が確認されております」
「時期は」
「ほぼ同時刻かと」
沈黙が落ちた。
重く、深い沈黙。
「……続けろ」
「内部の観測は困難ですが、管理機構の反応が一部消失しております」
その言葉に、空気がわずかに変わった。
レオニードの指が、机を軽く叩く。
「消失、か」
「は」
再び沈黙。
やがて、王は小さく息を吐いた。
「……始まったな」
その呟きは、誰に向けたものでもない。
ただの確認だった。
「父上」
扉が静かに開き、少年が入ってくる。
金の髪に、整った顔立ち。
セレスティアの弟、ルクス・アルヴェイン。
「入れ」
レオニードは視線だけで許可する。
ルクスは一礼し、静かに歩み寄った。
「報告は、すでに?」
「ああ」
「では、確認させていただきます」
ルクスの声は落ち着いていた。
年齢に似合わぬほどに。
「北方の異変――姉上ですね」
断言だった。
迷いは一切ない。
「……そう考えるのが妥当だろう」
レオニードは否定しなかった。
否定する理由がない。
「禁域の結界破壊、管理機構の消失」
ルクスは淡々と続ける。
「通常であれば国家緊急事態ですが」
一拍置く。
「姉上であれば、“少し力を入れただけ”でしょう」
その言葉に、近衛がわずかに顔を強張らせた。
だが、レオニードは静かに頷く。
「その通りだ」
異常を、異常として扱わない。
それが、この家族における“正常”だった。
「対応は」
ルクスが問う。
王としてではなく、国家の運営者として。
「現状維持だ」
即答だった。
「情報は統制する。余計な憶測を広めるな」
「了解しました」
ルクスは迷いなく頷く。
「禁域については?」
「立入禁止を強化しろ。だが――」
レオニードはわずかに言葉を選ぶ。
「追跡はするな」
その意味は明確だった。
“関わるな”。
「……承知しました」
ルクスは静かに頭を下げる。
その目は、わずかに細められていた。
理解している。
父が何を恐れているのか。
そして――
(それでも、止めることはできない)
ルクスの内心に、揺らぎはない。
むしろ。
(当然だ)
確信している。
姉の行動は、常に正しいと。
「ルクス」
レオニードが名を呼ぶ。
「は」
「お前はどう思う」
それは、王としてではなく、父としての問いだった。
一瞬の沈黙。
だが、ルクスの答えは決まっている。
「姉上は」
ゆっくりと口を開く。
「常に最適な選択をなさいます」
迷いのない言葉。
「今回も同様かと」
レオニードは、目を細めた。
「……そうか」
短く返す。
それ以上は問わない。
問う必要がないからだ。
「では、私はこれで」
ルクスは一礼し、踵を返す。
その背中を見送りながら、レオニードは小さく呟いた。
「……やはり似ているな」
誰に、とは言わない。
言うまでもないからだ。
――廊下。
ルクスは足を止めた。
窓の外、北の方角を見る。
何も見えない。
だが、そこに居る。
確信している。
(姉上)
その存在は、世界のどこにあっても揺るがない。
むしろ。
(世界の方が、姉上に合わせて歪む)
それが正しい形だと、ルクスは信じている。
いや、理解している。
「準備を」
静かに命じる。
影のように控えていた者たちが、無言で動き出す。
「情報は最優先で集めろ」
「は」
「北方禁域――すべてだ」
その声には、わずかな熱が宿っていた。
抑えきれない感情。
だが、それは狂気ではない。
純粋な、確信だった。
「姉上の障害となるものは」
一瞬だけ、言葉を区切る。
「排除する」
静かな宣言。
それは国家の意思ではない。
一人の少年の、個人的な決意。
だが――
それを実現する力を、彼は持っている。
王位継承者として。
そして。
セレスティア・アルヴェインの、弟として。
王都では、静かに何かが動き始めていた。
それはまだ小さく、誰にも気づかれない。
だが確実に。
世界の均衡を、崩し始めていた。




