第2話 常識という名の不便なもの
村は、静まり返っていた。
つい先ほどまで自分たちを脅かしていた巨大な魔物が、一瞬で消え去ったのだから無理もない。
その中心に立つのは、銀の髪の少女。
あまりにも美しく、あまりにも場違いな存在。
セレスティア・アルヴェインは、周囲の様子を見て小さく首をかしげた。
「やはり、驚かせてしまいましたね」
「……ええ、まあ」
エルドが乾いた声で応じる。
(驚き、という表現で済ませていい現象ではないのですが)
内心でそう付け加えながら。
「申し訳ありません。もう少し加減するべきでした」
「その“加減”の基準を共有していただけると助かるのですが」
「基準、ですか?」
セレスティアは少し考え込むように視線を宙に彷徨わせた。
「そうですね……半分くらいに抑えたつもりだったのですが」
「何を半分に?」
「力を、ですが?」
エルドは黙った。
それ以上追及しても意味がないと、経験で理解しているからだ。
「お嬢様」
リゼットが一歩前に出る。
「周囲の安全は確保済みです。残存する脅威も確認されません」
「そうですか、ありがとうございます」
セレスティアは柔らかく微笑む。
その微笑みに、村人の何人かが思わず見惚れた。
――直後に、思い出したように身を強張らせる。
目の前の存在が、何をしたのかを。
「では、先ほどの件ですが」
セレスティアは改めて村人へと向き直った。
「“神様”について、何かご存知ありませんか?」
ざわり、と空気が揺れる。
先ほどの戦闘以上に、理解できない問いだった。
「神様……?」
「ええ。できれば、直接お会いしたいのですが」
あまりにも自然な口調だった。
まるで近所の人間の所在を尋ねるかのように。
「い、いえ……そんな……」
村人の一人が、言葉を詰まらせる。
「神様なんて、伝承の中の話で……」
「なるほど」
セレスティアは素直に頷いた。
「では、このあたりにはいらっしゃらないのですね」
あっさりと納得する。
その軽さに、エルドは頭を抱えたくなった。
(“神”をその程度の情報で切り捨てるのも問題ですが……)
「セレスティア様」
エルドは一歩前に出る。
「そもそも、なぜ神をお探しに?」
改めて確認する。
分かってはいるが、あえて聞く。
常識というものに、一縷の望みをかけて。
「はい」
セレスティアは迷いなく答えた。
「少し、気になることがありまして」
「その“気になること”というのは」
「神様って」
一拍。
「斬れるのかと思いまして」
沈黙。
風の音だけが、やけに大きく聞こえた。
エルドは静かに目を閉じた。
(やはりそう来ましたか)
分かっていた。
分かっていたが、受け入れたくはなかった。
「……セレスティア様」
「はい?」
「一般的に、“神”という存在は斬る対象ではありません」
「そうなのですか?」
心底不思議そうな顔だった。
「ええ。むしろ、信仰の対象であって」
「なるほど」
セレスティアは素直に頷く。
「ですが、斬れるかどうかは別問題ですよね?」
エルドは言葉を失った。
論理としては、間違っていない。
間違っていないが、前提が崩壊している。
「お嬢様」
リゼットが静かに口を開く。
「仮に神が存在した場合、戦闘行為に発展する可能性が高いと推測されます」
「そうですね」
「その場合、周囲への被害が甚大になる恐れがあります」
「……確かに」
セレスティアは少しだけ考え込んだ。
「では、人のいない場所でお会いする必要がありますね」
「前提がおかしい」
思わずエルドが口にした。
「はい?」
「いえ、何でもありません」
もはや訂正する気力もない。
リゼットは小さく頷いた。
「それが最善かと」
「ありがとうございます、リゼット」
セレスティアは満足げに微笑む。
その笑顔は、やはり完璧だった。
だからこそ。
(この方は、本気で神と戦う気なのだ)
エルドは改めて理解する。
冗談ではない。
比喩でもない。
ただの確認作業として。
神を斬るかどうかを、確かめに行こうとしている。
「……セレスティア様」
「はい?」
「もし、仮にですが」
エルドは言葉を選ぶ。
「神が斬れなかった場合は、どうなさるおつもりで?」
セレスティアは一瞬だけきょとんとした後、
すぐに微笑んだ。
「その時は」
あまりにも自然に。
「もう少し強く斬るだけです」
エルドは、何も言えなかった。
リゼットは、静かに頷いた。
「了解いたしました」
村人たちは、完全に沈黙していた。
理解が追いつかない。
いや、理解してはいけないと本能が拒否している。
その中で。
一人の老人が、震える声で口を開いた。
「……神、なら」
三人の視線が向く。
「北の……禁域に……祀られていると……聞いたことがある……」
空気が、変わった。
「禁域、ですか」
セレスティアの瞳が、わずかに輝く。
「はい……誰も近づかぬ場所で……古くから……」
「ありがとうございます」
セレスティアは深く礼をした。
その所作は、やはり美しく、洗練されている。
「とても助かりました」
そして顔を上げる。
その表情には、はっきりとした“期待”があった。
「では、次の目的地は決まりですね」
エルドは、遠い目をした。
(禁域……よりにもよって……)
リゼットは静かに頷く。
「問題ありません。進路を確保いたします」
三人は歩き出す。
北へ。
誰も近づかぬ禁忌の地へ。
その背中を、村人たちはただ見送ることしかできなかった。
美しく、優雅で。
そして――
あまりにも、危険な存在を。




