7. グリモスピピカ
「そうか――」
短く呟くと、ガーツはしばし瞼を閉じた。
そして、覚悟を決めた目をコトリに向ける。
「だがゴノムは連れて行く。これは里の決定事項だ。別にコイツじゃなくてもいいんだがな」
「どうするつもり?」
「コイツをダシにして、他の巨人族を揺さぶる。取り返そうと出てくれば、待ち受けて返り討ちにする。無視するなら別に構わない。仲間も助けない臆病者の里など、オレたちが滅ぼしてやる」
「そんなことしても、意味ないよ。ガーツたちだって怪我する」
「百も承知だ」
戦闘能力の高い獣人族にとっても、巨人族は侮れる相手ではない。本気で戦う意思さえあれば、火蛇族や羅骨族などの戦闘狂集団とも互角で渡り合えるのだ。
攻撃力は言わずもがな。先程は眼球に被弾したため一撃で戦闘不能に陥ったが、皮膚は頑丈で簡単に矢を通さない。
獣人族が勝っているのは得物の扱いと人数、そして味方との連携だろう。あとは巨人族の縄張りから引きずり出せれば、勝機はある。
彼らは本気だ。なんとか止めることはできないかと、必死に頭を働かせる。出てきたのは情に訴えるという、勝率の悪い賭けのような案しかなかった。
「構えろ!」
ガーツの号令で、二人の弓手が同時に弓を絞る。狙いはもちろん、ゴノム。この至近距離なら外れることはない。
「待って、ガーツ! おねがい、話をしよう! もっとゆっくり、考えようよ!」
「時間を与えれば準備を整えるだろう! こっちだって必死なんだ! ――構わん、射て!」
合図に従い、矢が放たれる――その寸前。
「たすけて、コトリーっ!」
「この声――スピカ?」
真ん中山の方角から、甲高く助けを呼ぶ声がこだました。その姿を視界に入れたのは、コトリだけだったようだ。ガーツも彼の手下も、声の主を探して気を緩める。狙いがゴノムから外れた隙を突いて、コトリは彼らの間をすり抜けた。
「コトリー!」
「スピカっ」
獣人族たちの向こう、茂みの奥からボールのように転がり込んできたのは、コトリの膝くらいまでしかない小さな人影だった。ばいんばいんと何度も地面を跳ね返って、コトリの腕にすっぽりと収まる。
「スピカ、どうしたの? こんなにボロボロになって」
「コトリー! こわかったよぉ、うわーんっ」
コトリの胸にしがみついて泣きじゃくるのは、妖精族のグリモススピカ――通称スピカだった。
いつもは綺麗に巻いている榛色の髪には、小枝や葉っぱが絡まっている。顔や手足は擦り切れ、肌が出ている箇所は至るところに赤い線が走っていた。
どうやら妖精族の森から一直線にここへやってきたらしい。スピカは土魔法の使い手なので、魔力が尽きるまで地中を進んだ後は、山の中を脇目も振らずに突っ切ってきたのだろう。酷い有様だ。幸いなことに、見た目はボロボロだが深い怪我を負った様子はない。
「なにがあったの? 一人?」
「コワイのきたの! 人魚、黒いのつれてきた!」
「怖いの? 黒いの? って、なに?」
「おおきい口……。スピカ、とってもこわかった……」
要領を得ない喋り方に、さすがのコトリも困り果てた。いつも会話する時は雰囲気で流しているため気にしないが、妖精族から聞きたいことを聞き出すのは骨が折れる。
ただ、尋常でないことが起きているのは伝わってきた。
コトリはスピカを抱きかかえたまま、ちらりと上目遣いにガーツを見やった。
予想外の闖入者を前に、明らかに戸惑っている。ゴノムを捉えるタイミングを逸し、ペースもスピカに奪われてしまった。身の置きどころがないとはまさにこのことだろう。
小さくて非力な妖精族がコトリに助けを求めに来た。それを邪魔するような男ではない。
ガーツはやるかたない様子で溜め息をつき、穂先を下ろした。他の二人もそれに従う。
コトリはほっとして、「ありがとう」と囁く。
腕の中のスピカは一頻り大騒ぎした後、しくしくと泣いていた。髪に絡まった小枝を取ってやりながら、優しく声を掛ける。
「ねえスピカ、他のみんなは?」
「わかんない……。たぶん森。スピカ、ごろごろ逃げた」
「怖いのから逃げたのね?」
「うん」
「怖いのは何をしに来たの?」
「人魚たち、たべにきた。人魚走れない。みんなたべられた」
「そう……。……え? 今なんて……?」
もう少しで聞き逃してしまうところだった。スピカの舌足らずな物言いに紛れた、あまりにも信じがたい言葉を。
「食べ……られた?」
「うん。がぶっ! じゅるじゅる……って」
「…………」
コトリは愕然とし、青ざめた。地面から落ちて潰れてしまった果実が目に入り、さらに吐き気を覚えた。
――食べられたら、人間はどうなる?
あの果実みたいになる?
「おい、それは本当か! 海から来たものが人魚を食べただと? それは巨人族ではないのか!」
「オイラたちはそんなことしない!! 同じ人間を食べるなんて……。殺人犯呼ばわりよりひどいよ!」
スピカに詰め寄るガーツと、抗議するゴノムが大きな声を出す。びっくりしたスピカは頭をコトリの腕の中に突っ込んでしまい、小さなお尻だけになった。
「あっ……ごめんよ、スピカ。大きな声を出して。何もしないから、顔を上げて?」
しゃがみ込んで、できる限り目線を低くするゴノム。それでもなおコトリより高い位置にあったが、優しい声音に引き寄せられて、スピカはおずおずと頭を出した。
ガーツは不満気だ。鹿の顔なので分かりにくいが、口の端がへの字に下がっている。スピカを怯えさせたことが不本意だったのだろう。それなのにゴノムが先に謝罪したため、取りなすこともできないのだ。
ともあれ、スピカの語った衝撃が、幸か不幸か獣人と巨人の諍いを一時中断させたのだった。
「まとめると、人魚族が黒くて怖い何かを連れてきた。そいつに人魚族が食われて全滅し、妖精族も危ないということか」
「人魚たちはなんで陸に逃げてきたんだろう? 海の方が逃げる場所も隠れる場所もたくさんあるだろうに……」
「コトリを頼ってきたんだろう。そこの妖精と同じように。海龍がいるのはもっと南の海だという話だからな。賭けたんだろう。それだけ切羽詰まっていたというわけだ。しかし、気になるのは……」
「――わたし、妖精たちを探してくる」
ゴノムとガーツの会話を断ち切って、コトリは決然と言い放った。
二人の驚いた顔が、同時にコトリを見やる。思ってもみないことを聞いたかのように、揃って言葉を失っていた。
抱いていたスピカをゴノムの手のひらに押し付けると、彼は慌てて両手をお椀のようにして受け止める。スピカはわけが分からない様子できょとんとしていた。
コトリは三人から離れ、真ん中山の方角に足を向けた。
その背中を戸惑いの声が追いかける。
「さ、探してくるって? 危ないよ、コトリ。やめた方がいい」
「なぜだ? コトリなら危険はないだろう。それとも、見つかってはまずいものでもあるのか?」
「そのいちいち攻撃的な言い方はやめてくれないかな。オイラはコトリに言ってるんだ」
休戦かと思いきや、今度は小競り合いだ。けれど、今はそんなことをしている場合ではない。
コトリは小さく溜め息を零すと、振り返って微笑んだ。
「だいじょうぶ。ガーツの言うとおり、わたしは平気。ゴノムはスピカを巨人族の里につれていってあげて。ガーツ、スピカのためにも、自分の里に帰って。おねがいだから」
「……いいだろう。オレも気になることが増えた。人魚族に起きたこと、海からやってきた者のこと――。村に持ち帰り、皆と相談する。お前たちもいいな?」
二人の獣人が渋々頷くのを見て、コトリはほっとした。
しかし、なぜかゴノムの表情は晴れない。一時的かもしれないとは言え、危機を逃れたというのに。不安そうな目で、じっとコトリを見つめている。
コトリはもう一度、安心させるように笑った。
「プーケたちが見つかったら、すぐにみんなをつれて巨人族の里に行くよね。それまで待ってて」
「うん……気をつけて」
「ありがとう。じゃあ、いってくるね」
スピカが短い腕をぶんぶんと振り回す。
「コトリ、いってらっしゃい! スピカ、まってるね!」
「うん。良い子にしてるんだよ」
「わかった! いい子にして、おねんねしてまってる!」
その素直さが微笑ましく、つい口元が綻ぶ。
最後にゴノムと目が合ったが、もう言葉を交わすことはなかった。できればもっと信じてほしかったが、彼には彼で思うところがあるのだろう。仕方ないと割り切るしかない。
コトリは小鳥へと姿を変じ、西の空へ飛び立った。
風がいつもより強い。まるで彼女の前進を阻むかのように、真っ向からどんどん吹きつける。しかも、体に絡みつくような厭な風だ。
小さな翼に力を込め、勢いよく風を打つ。するとふわりと背中を押す力が生まれ、コトリは前へ前へと泳ぐように進んだ。
プーケを、妖精族を助ける。
絶対に死なせない。




