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とある魔物討伐クランの活動記録  作者: 良田めま
追憶編 鳥よ、鳥よ、いずこへ墜ちる
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8. 禍の渦に呑まれて

 大陸西部に広がる妖精の森は、とにかく広い。面積で言えば、真ん中山一帯と同じくらいだ。

 女神の眷属と言えど、小さな妖精族の姿を遠くから捉えるのは至難の業。魔力を感知しようにも、人間たちの魔力はとても弱く、大地を流れる魔力と混じり合ってしまって分からない。


 だが、方法がないわけではない。

 魔法持ちを探すのだ。妖精族は天人族ほどではないとはいえ、魔法持ちの多い種族だ。彼らの気配を捕捉できれば、きっと近くにいる他の妖精族も見つけることができる。


 コトリたち眷属は、それぞれ絶大な量の魔力を持っている。しかしその全てを身に宿しているわけではなく、大部分は異界と呼ばれる別の空間に置いてある。必要な時に必要な分だけ、異界から魔力を呼び寄せるのである。異界と世界アル・エトとを繋ぐ道を、"界道"と呼ぶ。

 だが、気をつけなければならない。取り出す魔力量が多いと道も大きくなり、世界に歪みを生じさせてしまう。氷炎の時代に天候や大地が荒れ狂った原因の一端がそれだった。


 異界は女神の棲み家、そして眷属たちの生まれ故郷だ。だから彼らは、異界とアル・エトとを自由に行き来できる。反面、アル・エトのものはアル・エトから出ることができない。

 しかし、そこに例外があった。

 それが魔法持ちだ。魔法持ちは界道を開くことができる。引き出せる魔力は微量だが、生まれ持った素の魔力と比べれば五、六倍は多い。

 つまり彼らが魔法を使う瞬間、周囲の魔力は一段と濃くなる。コトリが考えたのは、その瞬間を狙って居所を突き止めるというものだ。

 問題は、魔法を使うような場面は、妖精族の危機だということだった。


「兄様なら、プーケたちがどこにいるかすぐ分かるのに……」


 鳴谷なきだにの木に降り立って森を睨みながら、恨みがましげに呟く。

 フォルスの過去視は、「ほぼ現在」を追跡できる。その力を使えば、捜し物なんてないも同然だ。

 だけど、今は彼を頼ることができない。ふて寝を決め込んでいるからだ。仮に起きていたとしても、彼のもとに辿り着くまでの時間が惜しくて行動できなかっただろうけれど。


 コトリは人魚の入り江に向かうことにした。大陸中央から見て真西にある、小さな入り江だ。人魚たちはそこで日光浴をすることが多い。襲われたのもそこだろう。もしかしたら、逃げた妖精族たちの手がかりが残っているかもしれない。


 しかし――入り江でコトリが目にしたのは、無残に転がる人魚たちの遺体と、血で真っ赤に染まった浜辺だった。



「…………」


 生臭い風の吹く光景を前にして、自分が自分ではないような、別の世界の入り口を見ているかのような、どこか気持ちが遠くなっていく感じがした。


 遺体はひとつとして綺麗なものがない。

 どの人魚も鋭い爪か牙で食い千切られたような痕や、ぱっくりと開いた傷から臓物が引きずり出された痕が残っている。いずれも即死するような傷ではなく、人魚たちは死ぬまでに酷く苦しんだに違いなかった。

 点々と散らばる赤黒い臓器の残骸。

 彼女らの嘆きの声が、押し寄せる波と腐臭に乗って聞こえてくる。


 ――どうして私たちがこんな目に合わなければならないの?


 苛むような声が、全身にこびりついて離れなかった。耳を塞いでも、すでに頭の奥に棲みついている。声が。臭いが。絶望に染まった彼女らの顔が。

 死してなお見開かれた瞳が、浜辺に立ち尽くすコトリをじっと見つめている。

 その眦に溜まった人魚の涙を、海からの風が波のように浚っていった。



 フラフラと歩き出したコトリだが、すぐに砂の上にへたり込んでしまう。

 疲れてなどいないはずなのに、足に力が入らない。

 こんな酷い光景、想像もしていなかった。いや、想像しないようにしていたのかもしれない。人魚が食われたと聞いた時、潰れた果実を想起した。滴り落ちる果汁に、ふわっと広がる芳しい香り。それと目の前の光景とは似ても似つかない。

 想像を超えた現実に直面して、コトリの感情は破裂しそうだった。アルグレンに挑発された時とは違い、魔力を伴わないため暴走はしないけれど、それ以上に胸を締めつける。


 誰がこんな終わりを予想しただろう。誰がこんな惨劇を望んだだろう……。


 スピカは人魚族が食われるさまを目の当たりにし、さらには同胞までもが襲われる合間を必死に掻い潜って逃げてきたのだ。

 そのことに思い至った時、コトリは不意に立ち上がる気力が湧いた。


「妖精たち……!」


 そうだ。彼らを助けるために、ここへ来たのだ。悲嘆に暮れるためではない。

 コトリは砂を蹴って立ち上がると、小鳥の幻術を纏うべく魔力を高めた。

 体が一瞬だけ白い光を放ち、魔法を発動させようとする。だがその直前、違和感が彼女の動きをピタリと止めた。


「……あれ?」


 首を回して、浜辺の惨状をぐるりと見渡す。相変わらず目を背けたくなるような有り様だ。人魚の遺体を直接見ないようにしながら端から端まで視線を通して、やっぱりおかしいと首を捻る。


「人魚の魔力が消えてる……」


 微量だから見落としたということではない。さすがにこんなに近くにいれば、大地の魔力と人間の魔力を混同することはない。

 けれどいくら気をつけてみても、人魚の遺体からは一滴の魔力も感知できないのだった。


 肉体は魔力の器だ。器が壊れれば魔力もこぼれる。そして、やがて大地へと還っていく。それがこの世の理。しかしそれには長い時間が必要で、たった数時間で跡形もなく消え失せるようなものではない。水が蒸発するのとはわけが違うのだ。

 人魚たちが襲われたのは今日。スピカの移動時間を考えると、三、四時間くらい前だ。そんな短時間で、どうやったら綺麗さっぱりになくなるのか、コトリにはわけが分からなかった。


「どうして……誰がいったいこんなこと……。……誰が? 誰がって、言った?」


 無意識に口から出た独り言に、自ら反応する。

 魔力が消えた仕組みは分からなくても、原因は推測できる。

 人魚たちを食ったモノ――黒くて怖い何か、だ。そいつが人魚を食ったことで、魔力が消えた。もしもそいつの目的が肉ではなく、人魚の魔力だとしたら――。


「魔力を奪うために食べた……ということ」


 女神は人間に魔力の器を与えた。そのおかげで人間は魔法や魔術を扱える。器がなければ、魔力を溜め込むことはできない。たとえ獣が人間の肉を喰らったとしても、意味がない。

 では、人間が人間を食えば魔力を奪うことができるのか?

 ……それはコトリには分からなかった。しかし、そんな簡単に魔力を得られないことは確かだ。器には許容量があり、生まれ持った量以上に増やすことはできないからだ。


「本当にそんなことができたとして……それって、母様の魔力が奪われているということ?」


 この世の全ての魔力は、元を辿れば女神に行き着く。だからコトリたちに言わせれば、龍種だろうが人間種だろうが、彼らが使う魔力は全部女神のものだ。つまり、それらが抜き取られることは、女神の魔力が横取りされているということなのだ。


 ぶるりと背筋が震える。

 人魚族の遺体を見た時とは別種の恐ろしさが、死臭いに混じって周囲に漂っている。そこに黒い靄のようなものを幻視して、思わずぎゅっと目を瞑って頭を振った。


 人魚族や妖精族を襲った、黒くて怖いもの。

 それは獣なのか。それとも人間なのか。

 考えても分からない。


 コトリはモヤモヤした思いを振り払うと、小鳥になって飛び立った。人魚族の遺体をそのままにしていくのは忍びないが、妖精族を探すのが先だ。後でお墓を作るからと、小さくなる彼女たちに心の中で謝った。



 強い魔力を感知したのは、入り江を発ってから数分もしない頃だった。何度か、続けざまに魔法が放たれている。


(あれは庭の方……!)


 妖精族が"大樹の庭"と呼ぶ、ずんぐりした大きな樹が生えているところだ。その周りには他の木がなく、拓けた庭のようになっている。

 考えてみれば、妖精族が逃げこむ場所と言ったらいくつもない。大樹の庭はその筆頭だ。


 コトリは急旋回すると、まるで止まれば死ぬとでも言わんばかりのスピードで、風を打ち空を疾駆しはじめた。

 あっという間に大樹の幹が見えてくる。

 茨のようにうねる何かの影。不自然な形をしたオブジェ――あんなところにあっただろうか?

 大樹の前に、一際奇妙な塊があった。何か挟まっている。あれは――。

 木立を躱し、茂みを突き抜け、地面に衝突する寸前、変化を解いてコトリは叫んだ。


「プーケ!」



 ――返事はなかった。ただ、光の消えかけた虚ろな瞳がコトリを捉え、ほんの少し微笑んだ……ような気がした。


 次の瞬間。

 プーケの頭がころりと落ちた。

 固いものが砕かれる、不快な音と共に。


 コトリの目には、その光景がスローモーションのようにゆっくりと映った。

 首が落ち、赤い水溜りがぴちゃんと撥ねる。その飛び散った一滴一滴まで、はっきりと脳裏に焼き付いた。


「プー、ケ……」


 血溜まりに沈んだ彼女は、微笑んだままコトリを見つめている。

 ――やっと来てくれた。

 そんな声が聞こえた気がして、コトリは、しゃっくりするように喉を引き攣らせた。


 無垢で人を疑うことを知らず、たんぽぽの綿毛のようにふわふわとした子――それがアルムプーケリアだった。

 妖精族で最初に仲良くなったのが彼女だ。人見知りが多い妖精族の中で、プーケだけは最初から積極的に話しかけてきた。一際好奇心が旺盛だったのだ。そんなプーケだから、ひとと仲良くなるのが上手いコトリとよく気が合った。ゴノムに果物を届けに行ったのもプーケだ。

 全てが上手くいくはずだった。なのに。


「なんで、そんなとこに、いるの。なんで、そんなふうに、なってるの」


 引き裂かれるような痛みに見舞われ、両手の指で胸を掻き毟る。


「ああ……!」


 間に合わなかった。

 あと一歩遅かった。

 プーケだけじゃない。ソレの体から伸びた無数の触手に貫かれて、他の妖精族たちまでもが手足をぶら下げて死んでいる。まるで生贄に捧げられたかのように。

 間に合わなかったのだ。


 ソレの見た目は、一言で言えば足の生えた鮫だった。酷く歪で醜い。頭は鋭角で、大きな口には小さな歯がびっしりと生えていて、腐っているみたいな悪臭がした。

 口の端からはみ出ているのは、プーケの足だ。子供のように細い二本の足はボロボロで、あちこち擦り傷がついている。鮫から逃げ回る途中でついたのだろう。

 他の妖精族も似たりよったりの有り様だった。

 ひどい、という言葉では言い表せない。平穏を破壊され、追われる恐怖の中で、それでも生きようと足掻いた彼らの心情を思うと、悲しさと悔しさで全身が震えた。


「……ゆるさない」


 怒りだ。氷のように冷え冷えとした怒りが、腹の底から滲んでくる。そして憎しみ。その二つが、ない交ぜになって渦を巻いている。こんな感覚は初めてだ。なのに、ずっと前から懇意にしていた友のように、しっくりと体に馴染む。


 力が溢れてくる。傲慢で壮烈で暴力的な力。これが眷属じぶんの力か。このような苛烈さだったか。

 だけど、これなら。


「逃がさない」


 パキパキンッと、そこかしこで草木が弾けた。

 コトリの足元から、氷霧が渦を巻きながら立ち昇る。霧はミシミシと音を立てながら細長い氷の蔦へと凝固し、さながら魔法陣のように円を描きながら、四方八方へと伸びてゆく。

 ぶわり、と膨らんだ風が中心から押し出され、真っ白な霧が一気に広がる。


 パキ、パキパキパキッ。


 白髪のような氷柱つららが、木の枝や蔦伝いにカーテンのように垂れ下がる。

 静かに息を殺していた虫たちが、葉の裏にくっついたまま草木ごと氷塊の一部となる。

 大樹もプーケたちの遺体も薄青の氷に閉じ込められ、そのまま時を止める。

 大樹の庭は、あっという間に凍てつく異界へと変貌を遂げたのだった。


 動いているものはコトリと襲撃者だけ。

 コトリは底冷えのする冷たい眼差しで、周囲を警戒している襲撃者をじっと見据えた。


 あれは人間ではない。敵だ。情けは無用。だが、ひと思いに殺してしまうのも惜しい……。

 人魚や妖精たちが苦しんだように、奴にも絶望を味わってもらわなければ気が済まない。


 しかし、襲撃者の行動はコトリの思惑から外れた。

 鮫は微塵も恐怖することなく、彼女に襲いかかってきたのだ。しかも襲いかかる前、見定められているような視線を感じた。


(いい度胸。殺してやる)


 この世界において彼女を傷つけられるものなど、数えるほどしか存在しない。そのタイミングで息の根を止めてやろうかと、コトリはじっくりと考える。


 鮫は大きな口を縦に開いて、泳ぐように突進してくる。鈍重そうな見た目にそぐわぬ、素早い動き。地上でこれなら、海中ではもっと速いのかもしれない。人魚は小魚のように逃げ惑っただろう。妖精たちだって。


「……くっ」


 聞きたいことは山程あった。

 なぜ人魚や妖精を襲ったのか。

 どうやって遺体から魔力を抜き取ったのか。

 何者なのか。生き物なのか。

 もしも言葉が通じる相手なら、いくつかは質問しただろう。けれど、そうでない相手だということは見れば分かる。

 だからコトリは、無言で氷の凶器を翳した。

 鮫の口が間近に迫る。

 しかしその背後には、氷の蔦が迫っていた。

 絡め取れば一瞬で決着がつく。


 ――その寸前、大きな影が横から飛び出してきて、鮫の体を殴り飛ばした。

 鮫の体はバァンと風船のように破裂し、勢いよく滑りながら、血や内臓と思しき黒い塊を氷の上に撒き散らす。鮫が滑ったところには何本もの赤い線が引かれ、最後には鮫自身の血が花のようにぶち撒けられた。


「コトリ、大丈夫!?」


 乱入したのは、スピカを連れて巨人族の里に戻ったはずのゴノムだった。

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