6. 這い寄る闇
獣人族は皆、毛深い容姿をしている。大きな耳をもつ者、鼻の長い者、鋭い爪をもつ者、蹄をもつ者、ガーツのように角の生えた者。
特徴は見た目だけではなく、能力も様々だ。
大きな耳をもつ者は色んな音を拾うのが得意だし、鋭い爪をもつ者は己の肉体で戦うのが得意だ。
同種族でこれほどの多様性がある種族は他にない。
個性豊かな彼らだが、ある共通の性質があった。
例外なく戦闘狂なのだ。ただの戦闘狂ではない。誇りをもった戦闘狂だ。
老若男女問わず、獣人族はみんな槍と弓が大好きだ。
彼らは赤ん坊が生まれると、名と槍を与える。赤ん坊は、自らの槍でつかまり立ちを覚える。食事の時も就寝時も、片時も槍を離さず、兄弟のごとく共に過ごす。鍛錬は何歳から、という決まりはない。親がそろそろだと思った頃合いがはじまりだ。そしてそれは大抵、子が拙い言葉を発しはじめるのと同時期である。
身体能力が高く、さらに武器の扱いを極めた彼らに狩ることのできない獣はない。
それが獣人族の誇りであり、生き方だった。
草の影に隠れ、武器も持っていない人間を不意打ちで倒すような者たちではないはずだ。
さすがのコトリも、これには怒りを覚えた。
「ガーツ、なんでこんなひどいことするの!? 不意打ちなんて、ひきょうだよ!」
獣人族たちは彼女の存在には気付いていなかったようで、怒りの声に思わず足を止めた。その隙に、うずくまるゴノムの傍に駆け寄る。
「ゴノム、しっかりして、今痛みを取ってあげるからね」
暴れる気力も失せたのか、ゴノムは歯を食いしばって苦痛に耐えている。涙と血が入り混じり、頬をドロドロに汚していた。
あまりの痛ましさに、涙が込み上げてくる。泣きたい気持ちをぐっと堪えて、震える大きな手にそっと自分の手を重ねた。
「大丈夫だよ。大丈夫……」
こくりと緊張の唾を飲む。
指先の震えを悟られないよう、もう一方の手も重ねた。
頭を割るような激しい痛みがコトリを襲った。魔力のコントロールを間違えた結果、ゴノムの痛みがコトリに逆流したのだ。
けれどそれは、彼の体から痛みが抜けたということ。その証に、ゴノムの体から強張りがなくなっていった。
「次は矢を抜いて、傷を治すよ。大丈夫、すぐ終わるからね」
ゴノムには見えないことを承知で、コトリは安心させるように微笑んだ。それが伝わったのか、彼は小さく頭を動かす。
――絶対に失敗できない。
アルグレンにも言われてしまったように、コトリは女神の眷属でありながら魔力の扱いが下手だった。なぜなら、これまでほとんど力を使わずに過ごしてきたからだ。小鳥に変化したり、空を飛ぶ時に風を操ったりするくらい。
簡単に言ってしまえば、不器用なのだ。しかも長らく練習をサボっていた。そのツケをこんな形で払うことになろうとは、思ってもみなかった。
同胞の動きを思い出しながら、慎重に魔力の糸を撚る。それをゆっくりとゴノムの目の傷に沿わせていくと、突き刺さった矢が勝手に動き、やがてカツンと地面に落ちた。
大きく息を吐く。顔には安堵と達成感の笑みが、手のひらには滴るほどの汗が滲んでいた。
「……もうだいじょうぶ。ゴノム、目を開いてみて」
恐る恐るといった感じで、大きな瞼が持ち上がる。鳶色の優しい目が何度かパチパチと瞬くと、ほっと胸を撫で下ろすコトリの姿を映し出した。
射抜かれたのは左目だ。どこを怪我したのか分からないまでに、傷は癒えている。視力も問題ないはずだ。
ゴノムは目を瞬いて体を起こすと、彼女に深く頭を垂れた。ぽとぽとと零れた涙が草を濡らす。
「ありがとう、コトリ。本当にありがとう」
「お礼なんて、いいよ」
「それでも、ありがとう」
「うん……」
コトリは小さく頷くと、照れくさそうに微笑んだ。
苦痛にもがくゴノムを見たくなかった。言ってしまえば、それだけだ。
ゴノムが辛いとコトリも辛い。笑っているゴノムが好きだから、苦しむ姿は見たくない。ただそれだけ。
助けられれば、お礼なんていらない。
力があってよかった。友達を助けることができて、よかった。
心の底から、そう思った。
しかし、そうは思わない者もいた。
「コトリ、悪いことは言わない。巨人族と親しくするのはやめるんだ」
「ガーツ……」
低い声に振り返ると、森のような目をした獣人族の青年が二人を睨んでいた。
首から上は牡鹿そのもので、立派な角が生えている。年を経るにつれて黒くなっていく体毛は、まだ年若いことを示す白に近い灰色。手には槍を持ち、穂先を油断なくゴノムに向けている。
ガーツの両脇には、弓矢を構えた若い獣人族が侍っていた。ゴノムを射たのは二人の内どちらかだろう。もっとも、誰であるかは問題じゃない。三人が三人とも、今にでもゴノムを殺しそうな目をしていたからだ。
剣呑な六つの眼にコトリは怯みそうになったが、勇気を振り絞って一歩前に立った。
「どうして、ゴノムを傷つけたの?」
「理由なら、そいつがよく知っているだろうさ。コトリ、そいつをオレたちに引き渡すんだ。そうすればオレたちは一旦里に帰る」
譲歩しているようで、全く退く気のない要求である。
一旦帰るということは、またやってくるということだ。おそらく武器を携えて。今度は大勢かもしれない。嫌な予感に体が大きく震える。
「どういうこと? ゴノムじゃなくて、巨人族が狙いなの?」
「狙い、か。それはこっちが聞きたい話だ。いいからそいつから離れるんだ、コトリ」
「やだ!」
コトリは激しく横に頭を振った。
ドシンと足音を立てて、彼女を庇うようにゴノムが進み出る。
思わず驚いて、自分の何倍もある背中を見上げた。ガーツたちの狙いは彼なのに、コトリのことを思って自ら矢面に立とうというのだ。口を開いて何か言いかけるコトリだったが、自分でも何を言いたいのか分からなかった。
「オイラは行かない」
「なんだと! お前にそんな権利があると思っているのか!」
「図体ばかりでかい木偶の坊のくせに!」
断固とした拒絶にいきり立ったのは、ガーツの両脇の獣人たちだ。彼らは一斉に弓を引き絞ったが、鏃を向けられたゴノムは微塵も動じない。
「オイラが君たちの里に行く理由も、義務もない」
「この……!」
「待て、お前たち」
止めるガーツを、獣人二人が振り返る。
「なぜ止める!?」
「無駄だからだ。たとえ腕を落とそうとも、コトリが奴を助けてしまうからな」
ガーツに鋭い目で射竦められ、コトリはゴノムの足の影で小さく縮こまった。
そんな少女を見て、ガーツはちょっと肩を落とす。
「……コトリを怖がらせるつもりはなかった。オレたちは犯人を捕まえに来ただけなんだ」
「犯人?」
「そう。オレたちの仲間を殺した犯人だ。どうか協力してくれないか、コトリ」
「…………!」
獣人族が殺された。
突然知らされた事実に、コトリとゴノムは同時に息を呑んだ。
もしそれが本当なら、大事件だ。
彼ら獣人族は、同族内での結束が堅い。強さを競い合うことはあっても、仲間の命を奪うなどあり得ない。あるとしたら、回復の見込みがない致命傷を負った時くらいだ。
だから仲間が殺された場合、他の種族である可能性が高い。その考えはよく分かる。
「で、でも、ゴノムは渡さない」
しかし、協力することがゴノムを引き渡すという意味なら、簡単に頷くわけには行かない。
ゴノムの足にしがみつく彼女を静かな瞳で見据え、ガーツはゆっくりと頷く。
「とりあえず話を聞いてもらえればいい。オレたちには、巨人族が犯人だという確信があるからな。オレたちの話を聞けば、コトリも納得するはずだ」
「そんなわけ、ないもん」
「ふん、強情な奴め」
こっちだって、証拠はないが自信はある。巨人族は人間を殺したりなんかしない。
なぜなら、彼らはみんな気が小さいからだ。わざわざ獣人族の里に行ってまで、獣人殺しなんかするはずがない。そんなことをしたら戦争だ。絶対に巨人族は犯人ではない。
だが、コトリが考えるようなことはガーツもとうに検討しているだろう。獣人族は気が短くて短絡的な性格の者が多いけれど、彼は頭で物を考える方だ。
だから余計わけが分からなかった。
一体、彼らの里で何が起きたというのか……。
「オレたちは、南部平野にいくつかの集落を作って暮らしている。狩場を分けて、大勢の仲間を養うためだ。まあ知っているだろうが。ところが最近、ある問題が頻発していてな。狩りに出て行った仲間が戻ってこないんだ。それも一人も。当然探しに行く。すると、森の入口や崖下で、無残な死体となっているのが見つかるんだ」
コトリはびくんと震えた。
そう言えば、ラーナも言っていた。最近の獣人族は殺気立っていると。仲間を殺され、しかも犯人が分からないのなら無理もない。
もしかして、巨人族の縄張りにたびたび侵入したのは、犯人を探していたからなのだろうか。だとすると、境界に柵を建てたのは、却って獣人たちを刺激する行為だったかもしれない。
「オレたちはそこら中駆け回って犯人を探した。だが、奴はまるでオレたちを嘲笑うかのように、昨夜行動を起こしたんだ」
「な、なにがあったの?」
ガーツは据わった目でコトリを睨んだ。そして視線をゴノムに映し、激情を押し殺した声音で吐き捨てる。
「皆殺しだ……! 鳴谷の近くにある里が、一晩で壊滅したんだ!」
「…………!」
コトリとゴノムは再び言葉を失った。
――鳴谷。
真ん中山の南西に深く刻まれた峡谷の名だ。獣人族と妖精族の縄張りの境目でもあり、谷の向こうは豊かな森が広がっている。谷を通り抜ける風がピューッっと笛のような音を奏でるので、鳴谷と呼ばれる。
「一晩で三十人以上の仲間が殺された。生き残ったのは……いや、その時生き残ったのは、たったの一人。ラゲンは胸に重傷を負いながらも、命からがら逃げ延びたんだ。そして、オレたちに危機を知らせた。『夜闇に乗じて、巨人族が襲ってきた』ってな。それだけ伝えると、ラゲンは息を引き取った……。いいか、聞き間違いじゃないぞ。巨人族が村を襲ったんだ。ゴノムらがオレたちの仲間を殺したんだよ、コトリ!」
「そうだ! 絶対に許せない!」
「報復してやる!」
他の二人も、ガーツの叫びに触発され、再び激情を剥き出しにした。目は怒りで充血し、全身の毛がぶわりと逆立つ。
口々に放たれるのは、巨人族への怨嗟の声。
殺意の満ちた怒号が肌に突き刺さり、コトリの顔から血の気が引いていく。しかし、より間近で浴びせられているのはゴノムだ。彼はコトリ同様真っ青な顔だったが、強い意志をもってその場に立ち続けている。そんな彼を見て、コトリも自分の気持ちを叱咤した。
巨人族は犯人じゃない。
獣人族の敵は別にいる。
どうやったら信じてもらえるのか――。
「話はまだ終わりじゃないぞ。ラゲンの遺言を聞いたオレたちは、同族の中でも特に腕利きを集めて、今朝、鳴谷の集落に向かった。だがオレは嫌な予感がしてならなかった。だからまず、川の傍にある別の集落に行ったんだ。そしたら――」
ガーツはそこで言葉を切り、肩を震わせた。
普段は絶対に見せることのない透明な涙が、緑の瞳を歪ませる。手に握る槍が、今にも折れそうな軋みを立てる。
「戦えなくなった老人も、まだ幼い子供も、生まれたばかりの赤子も……! 原型を留めていなかった……! 踏み潰されていたんだ。お前たち巨人族の、馬鹿みたいに大きな足にな! 跡が残っていたんだよ。足跡が! これぞ動かぬ証拠だ。そうだろう、ゴノム!?」
ガーツが気迫を放つたび、空気が震えるかのようだった。
潰れた果実の場違いに芳しい香りが、鼻腔をくすぐる。
止んでいた風がいつの間にか吹きはじめ、コトリの乾いた頬を薙ぐ。
自分の白い髪がバサバサと靡くのを見ながら、コトリは遠い昔のことを思い出そうとしていた。
――あの頃の空は暗かった。氷炎の時代と云われるが、実際には一週間も続かなかった。その間に全て変わり、終わってしまったからだ。
たった数日で。
数え切れないほどの命がいなくなった。
「…………っ!」
悲鳴も断末魔もなかった。全ての命が等しく一瞬で消え去った。瞬きをすれば見逃してしまう上、コトリは途中からずっと目を閉じていた。怖くて堪らなくて、目を閉じたまま震えて……。クリフやキトラの指示通りに、必死で結界だけは張り続けた。
周りが静かになってようやく目を開くことができたけれど、世界を守ったという感慨など欠片もなかった。
ただ、終わった――と、ひたすら呆然と空を見ていた。
「――コトリ」
ガーツの呼びかけに意識が引き戻される。その時初めて、自分が頭を抱えてうずくまっていたことに気付く。傍らには心配したゴノムが膝をつき、数歩先にはガーツが冷たい目で見下ろしていた。
「これでもまだ信じるのか。巨人族を」
仲間の言葉。巨大な足跡。前者の真意はもはや確かめられず、後者は実際に見てみなければ何とも言えない。
ガーツたちには、仲間を殺された怒りもある。感情の昂ぶりから冷静さを欠かし、犯人は巨人族であると早計に決めつけている可能性もないことはない。
しかし一方で、彼らは嘘を言っていないのも確信が持てる。もともと騙しや腹芸が苦手な種族だ。巨人族、妖精族も同じである。
だから今まで、北大陸は平和だった。
では、他の大陸から別の種族がこっそり渡ってきたと考えられないだろうか。
だめだ、それこそ憶測でしかない。根拠を示せと言われるだけだろう。
「コトリ!」
回答を迫る声が空気を切り裂く。
コトリはゆっくりと立ち上がり――強い水色の瞳でガーツを見据えた。
うっと、ガーツたちがたじろぐ。隣にいるゴノムですら、彼女が放つ雰囲気に息を呑んだ。
巨人族を信じるか、否か。
その答えは最初から一つしかない。
「信じるよ。……それしか、わたしにはできないの」
しんと沁み渡るように澄んだ声には、どこか凍てついた風を思わせる響きがあった。




