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とある魔物討伐クランの活動記録  作者: 良田めま
第二話 小さな海の討伐記録
20/69

8. ざわめきの海

 ――まずい、まずい、まずいマズイ……奴はマズい!

 相手にしては駄目だ。戦いを仕掛けては駄目だ。目を合わせても駄目だ。


 あれは次元が違う。


 奴の存在を感じた瞬間、イビル・メロウが取った行動は、プライドをかなぐり捨てて逃げ出すことだった。

 普段の彼女なら人間に背を向けることなど絶対にない。厳密に言えば、今回だって背を向けたのは人間にではない。

 にだ。


 彼女はかつて海龍と渡り合ったことがある。

 海底山脈に長大なその身を横たえる、姿も実力もそこらの魔物とは桁外れの存在だ。

 龍族は女神の側についており、魔物とは敵対関係にある。争うのは当然と言えた。


 だが奴は、いや、奴らは違う。

 直接相対したことはない。

 もし敵として戦うことがあれば、終わるからだ。

 世界が。


 一息で海を凍らせ、一踏みで大地を割り、一瞥で空を燃え上がらせる。

 雷鳴も吹雪も思いのまま、果ては時間や空間までをも操るという。

 力そのもの。

 それが奴らだ。

 海龍などとは比べ物にならない。

 格が違う。

 絶対に手を出してはならない、そう本能に刻まれている。

 だから遠くへ。なるべく早く、速く。


 ――いや、待てよ?

 ふと、イビル・メロウは泳ぐのを止めて考えた。その体は潮流に沿って、次第にサルージュ島の方角へと流されていく。


 あれは確かに危険だが、余程のことがない限り力を振るうことはない。その理由は先ほど述べたとおり。

 強すぎるからだ。下手に大地を傷つけては、女神に目をつけられる。それは奴らも望まないはず。


 ならば。

 ニヤリ、と魔物はほくそ笑む。


 少し憂さを晴らす程度、何も問題はないだろう。

 さっきから後ろにいる人間が鬱陶しいと思っていたところだ。先ほどの戦いでは、虚仮にされて少々腹が立っていたところでもある。

 ちょうどいい。

 あいつを魔力の糧とし、また人里を襲うとしよう。


 こうしてイビル・メロウは再び進路を北へと変えた。

 それが寿命を縮める選択だとも知らずに。



 +++



 戦いが始まった海岸から南の沖合。ぽつんと浮かぶ離れ小島に乗り上げ、クロムはゼェハァと荒い息を繰り返していた。

 島といっても大きな岩が突き出したような地形で、足場はほとんどない。辺り一帯は岩礁だ。黒い岩が点々と頭を出している他は、夜の海がとぷんとぷんと音を立てるのみ。


「き、きっちぃ……」


 ついさっきまで、敵が作り出した渦でちょっとした海中遊戯を愉しんでいたところだ。

 クロムを海底に引きずり込んで溺死させたかったようだが、なんとか耐えて一撃食らわせてやった。耐えるのは得意なのである。

 あちらさんは今頃、失った下半身の痛みに悶え苦しんでいることだろう。できれば致命傷をくれてやりたかったが、激しく回転しながらでは狙えなくても無理はない。グズグズしていたら本当に死んでいたし、他に方法はなかった。


「でも嵐の中船から投げ出されて、三日三晩泳ぎ続けた時ほどじゃないな!」


 がばっと跳ね起き、自らを鼓舞するように言い放つ。

 ある意味、龍に遭遇した時よりも命の危険を感じた出来事である。陸が見えた瞬間は、頑丈な戦士でよかったと心の底から思ったものだ。

 そんな体験があったから、今回も迷うことなく海に飛び込むことができたのだろう。まあ、里に戻って敵を待った方がよかったんじゃないかとすぐに後悔したのだが。

 だが結果的に敵を見逃さずに済んだ。どうやら奴は本当に逃亡するつもりだったみたいだからだ。


「それにしても、あの慌てっぷりは奇妙だったな。まるで……」


 まるで、絶対に勝てない強敵から逃げようとするかのような。


「…………。ま、いっか。今は生きるか死ぬかだ。死にたくないから、頑張ろう」


 考えても分からないからと、すぐに考えるのをやめたクロムは、気合を入れるべく両頬を張る。

 その時だ。

 バシャーン、と激しい水柱がすぐ近くで上がったのは。


「ぬおお!?」


 慌てて飛び退ろうとして、そこが狭い足場だったことを思い出す。

 逃げ場のないクロムを、さらにバシャーン、バシャーンと追加の水柱が襲う。

 水柱の合間の空に、淡い水色の光が打ち上げられているのが見えた。

 魔法の砲弾だ。

 陸での戦闘時よりも短い間隔で、どんどん放ってくる。

 何発かは大きく外したが、ほとんどが彼のいる岩すれすれに落ちてきた。


「やばい」


 留まっていたらいつかは当たると感じたクロムは、思い切って一番近くの足場に飛び移った。そこはさらに小さな岩の上で、片足程度の踏み場しかない。そんな調子で、ひょいひょいと場所を移動していく。簡単なようだが、足場と足場の間は結構な間隔が開いている。戦士だからこそ、ドーピング済みだからこそ超えられる距離だ。少しでも目測を見誤れば、暗い海に真っ逆さまである。


 魔法はほぼ的確にクロムを追ってきた。

 暗がりに目を凝らせば、星あかりを遮る黒い影が海の上に漂っている。どうやらそこに敵がいるらしいが、近づくには海に入らなければならない。


「また同じ手を使って――は、くれないよなぁ」


 今度海に潜ったら、溺れ死ぬまで魔法の渦に流されるだろう。

 一撃で仕留められなかったことをつくづく後悔しながら、クロムは溜息をつくのだった。




 一方その頃。

 かつて槍使いだったいくつかの物体を見下ろし、シャムスはようやく緊張を解いた。

 全一なる瓦楽多(ザ・ドールズ)を出してからの戦闘は一方的だった。アレはシャムスの切り札だから、梃子摺ってなどいられない。万が一負けようものなら、〈千年氷柱〉からの除籍を考えなければならない事態だ。皆は気にしないだろうが、シャムスは気にする。


 一方的と言えど槍使いの動きは格別で、蹂躙できたのはひとえに彼が銀槍を手放していたからに他ならない。逆に言えば、あの槍こそが彼の強さを引き上げていたと言えるだろう。

 それが分かっていたから、シャムスは彼に槍を取り返されないよう必死になった。魔力を断たれるというのは、それだけ戦士にとって死活に関わるのだ。戦士から魔力を抜いたら、ただの常人なのだから。


 戦いが終わり静寂を取り戻した浜辺には、数十の屍体が転がっている。

 凄まじくも虚しい光景だ。

 迷宮でさえ、こんなにも大量のリビングデッドを一度に相手にすることはないだろう。そう考えると、貴重な体験をしたものだと思う。そして、彼らを御していた自称魔神教の少女には畏怖に似た念を覚える。


「あの方に報告せねばなりませんね」


 疲れた様子で独り言つ。

 少女は戦いの最中に消えていた。実力を見せろと要求した割りには適当だ。茶々を入れてくるかと警戒していたのだが、何の反応もなく肩透かしを食らった形である。地味に腹が立つ。

 それに、ナマズ馬の姿もない。魔物という感じではなかったし、海へ帰ったのかもしれない。

 でもそれより今は、


「センセイを……」


 ふらふらした足取りで、波打ち際へ向かおうとする。だが膝に力が入らず、その場に座り込んでしまった。

 切り札を出したシャムスはもう限界に近い。人形を同時に六体操るよりも、ドラゴン形態は神経を削る。魔力の放出量が大きいせいだ。そのため使用した後は疲労が濃く、今にも思考を手放して眠りにつきたいくらい、シャムスの頭の中はふわふわしている。


 その時、バシャーン、というかすかな水音を耳が捉えた。

 うっそりと顔を上げたシャムスの目に、流れ星よりも大きな淡い光が見える。その光が海へ落ちたかと思うと、さっきと同じ水音が続けざまに聞こえてきた。


 あそこだ。

 あそこにクロムとイビル・メロウがいる。


「援護しなければ……」


 彼が負けるなどとは思っていないが、海が舞台では分が悪いのも事実。

 藁にも縋る思いで辺りを見回していたシャムスは、崖下に転がる銀色の槍にふと目を留めた。

 小龍玉の槍使いが使っていた、おそらくは神器ルーナザーガ。

 これならば。

 シャムスは残る力を振り絞って、ベルトに吊り下げた木彫りの小物を握った。


「ティゴニア」


 ずぅん、と重い振動を伴って、砂浜に鎧の騎士が跪いた格好で現れる。体のあちこちに槍使いに空けられた穴がまだ残っており、満足に動けないことが一目瞭然だ。

 シャムスは腕を伸ばして何かを握る動作をした。ティゴニアが同じように動き、柄を掴む。

 肘を伸ばし、投擲の体勢を取る。上半身だけでどこまで飛ばせるか分からないが、そこはティゴニアの力を信じるしかない。

 目印は青い光。距離と方角は大まかにしか分からない。

 ただ幸運を信じて。


「届けえええ!!」


 ぶわ、と風がシャムスの髪を揺らす。ティゴニアの豪腕が振るわれた証だ。

 銀槍は月光を浴びて一度だけきらりと煌めき、夜闇に紛れ見えなくなった。

 これ以上できることは何もない。

 シャムスは立つ気力のないまま、目を閉じて相棒の勝利を祈った。




 その数秒後。

 天に向ってそびえる牙のような形の岩を背に、追い詰められたクロムは冷や汗を掻いていた。

 前方には、ヘソから上を海面に出した巨大な美女の姿。手にした串のような何かをしげしげと見ている。

 いや。串のように見えるのは、人の何倍も大きな手に抓まれているからだ。実際は槍サイズ……というか、槍だ。銀色の高そうな槍。

 ものすごい勢いでなんか飛んできたと思ったら、魔物がひょいっと掴んだのだ。それがその槍だった。

 わけが分からない。


「なにあれ。武器召喚?」


 何やらよくない兆候を感じ取るクロムの視線の先で、美女はぶんぶんと槍を振り回している。

 気に入ったのだろうか。

 振り回すのを止め、クロムを見るとニヤリと黒い笑みを浮かべた。

 大きく槍を振りかぶる。


「え、ちょ、待って、まさか」


 敵の頼みなどもちろん聞くはずもなく――美女は、槍を勢いよく振り下ろした。

 刃の形をした水魔法がクロムに向かって放たれる。


「ぬおお!?」


 咄嗟に真横に跳んだ彼の背後で、魔法を受けた岩がぱっくりと割れた。


「嘘だろ……」


 愕然としている暇はなかった。

 第二の刃が放たれたからだ。

 水球だった頃より、威力も速度もかなり上がっている。道具を手にしたことで、イメージを形にしやすくなったのか。

 ともあれ、クロムは一層苦境に立たされたのだった。




 遠くで水柱が次々と上がる。いや、あれはもはや水「柱」などではない。水の幕だ。

 おかしいな。強い武器を手に入れたからと言ってはしゃぐ相棒ではないはずだが……。

 予想外の展開に、シャムスはきょとんと首を傾げた。


「……はて?」



 +++



 イビル・メロウは笑い出したい気持ちでいっぱいだった。

 なぜなら、最強の武器の一つを手に入れたからだ。

 魔物を殺すために女神が勇者に授けた神器の一つ、ルーナザーガ。龍人族が管理していたはずのそれが今、彼女の手中にある。

 理由なんてどうでもいい。

 これがあれば、もっとたくさんの人間を殺せるのだから。


 まずは、ちょこまかと煩い目の前の蝿を叩き落とす。

 激しい水飛沫で視界は無いも同然だが、彼女にとっては関係ない。男が腕にまとわせた魔力、それが敵の居場所を教えてくれる。


 忌々しいあの腕――今でも何をされたのか分からない。気づいたら、尾の大部分がボロ布のように千切られていた。

 痛みも苦しみも、屈辱に比べれば大したことはない。

 たかが人間に、それも数だけが取り柄の人族ごときに、龍人族に恐れられた程の自分が傷つけられた。いや、運が悪ければ死んでいた。殺されていたのだ。

 だが、もうじき屈辱は塗り替えられる。あの男を殺して、勝利の快感に酔いしれるのだ。

 想像すると自然と笑みが浮かんだ。

 死体はどうしてくれようか。雑魚どもに食わせてやるのも勿体ない。元が人間だと分からないほどに細切れにして、女の戦士に見せつけてやろうか。そのあと女も同じ目に遭わせてやれば幸せだろう。


 ――男の魔力が潰えた。最期は逃げる気力も失せたようで、一歩も動かなかった。最初から大人しく餌になっていればいいものを。

 まったく、人間はこれだから度し難い。いつの時代も愚かで、よわ



 +++



 己の腕が魔物の肉体を滅ぼす様を、クロムはほっとした気分で眺めていた。

 皮膚も筋肉も心臓も骨も、触れたという感覚すらなく崩れ落ちていく。海に魔物の血が流れ出て、クロムの足元を赤く汚す。

 なんだかんだで彼は無傷だ。

 もういいだろうと判断した彼は、岩場に飛び移って額に張り付いた前髪を掻き上げた。


「あーあ。カンテラ壊しちまった。怒られるなぁ」


 敵が魔力を当てに魔法を撃っているのだと気づいた時、ぴんと閃いた。

 腐蝕の腕を一旦消し、カンテラの出力を最大にして自分の魔力と誤認するよう仕向けたのだ。そして敵がカンテラを攻撃している間に背後から近づき、心臓を貫いた。

 策とも呼べない、ただの思いつきである。うまく行けば儲けもの、くらいの気持ちだったが、敵は想像以上に視野が狭かった。ヤバイ薬でも打ったのだろうかと思うくらいハイになっていた。


「楽しそうだったなぁ。あの槍が原因かな。なんなんだろうな、あれ」


 ちらっと見ただけだが、とても高価そうな代物だ。島の方角から飛んできたようだが、いったい誰があんな危険なものを投げたのだろうか。銛名人か。


「いわくありげだし、回収しとくか。ああ、早く帰りたい。都合よく船でも通らないかな」


 ばしゃばしゃと水を飛ばして槍に近づきつつ、夜の遊泳を面倒臭がるクロムだった。

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