9. 帰還の前
戦いが終わって、二日目の昼。
島民に見送られながら、クロムとシャムスは本土に向かう小船に乗った。ゆったりと波に揺られ、二十分もすれば岸に辿り着く。その後は役人と一緒に領都に移動して、依頼主である領主に報告し報酬をもらう。それからようやく王都へ帰還だ。
「結局、丸一日のんびりしてしまいましたね」
「ついつい言葉に甘えてしまったな。本当に宴の準備してたの驚き」
「わたくしたちを信じてくれていたということでございますよ。嬉しいではありませんか」
クロムが泳いで海岸に渡り着き、動けないでいるシャムスを見つけたのが夜更けの一時か二時といったところ。里に戻るのすら億劫で、敵も掃討したしということで崖上で一休みし、気づいたら空が白みはじめていた。
村に戻ると、村人たちが起きて彼らを待っていた。夜通し火を焚いて、料理をしたり宴会会場に使う広場を修復したりしていたのだという。さすがに子供は寝かしつけたようだが、クロムたちが帰る頃にはほとんどの顔ぶれが揃っていたというのだから、彼らの戦士に対する期待感が見て取れた。それと、魔物への恐怖も。
魔物に生活を脅かされた人は大体そうだが、自分では解決できないがゆえに苦しむ。中には戦士を奴隷か道具と勘違いして横柄に命令してくる者もいるが、サルージュの人たちは、危険も村の存亡も他者に背負わせることの責任を感じてくれていた。それが純粋に嬉しい。
「醍醐味でございます」
「ははっ。やっぱシャムスでも感謝されるのは嬉しいんだ」
「もちろん。なぜそのようなことを仰るのです?」
「え、だってさ、普段嬉々として戦ってるだろ。人形が壊されてもそれはそれで喜ぶし、傍から見てると結構危ないひ……と……」
シャムスの冷たい眼差しに気づき、クロムの笑顔が引き攣った。爆弾を投げてしまったことに気づいたのだ。たらたらと冷や汗を流し、目を泳がせる。頭の中では懸命にフォローの言葉を探そうとするが、クロムの小さな心臓はぎゅっと縮こまってそれどころではなかった。
シャムスの反撃がはじまった。
「センセイだって人のこと言えないのではないですか? 嫌だ無理だと言いつつ、なんだかんだこの仕事を続けているではありませんか。前から少し疑問だったのですが、他の真っ当な職に就こうとは思わないのですか? 家庭もあることですし」
「真っ当な職、ねぇ」
クロムは苦笑しつつ項を掻く。
もっともな疑問だ。彼自身、引退を考えたことがないとは言えない。
戦士は実入りが大きい代わりに危険も多い。「行ってきます」を言う時、これが今生の別れかもしれないと思うことがしょっちゅうある。家族といる時間より家を開けている時間の方が長いし、独り身の戦士が圧倒的に多いのも納得だ。
しかし、クロムは戦士を辞めるつもりはない。
「結局好きなんだよなぁ、俺も。この仕事が。今のクランも好きだし、前の仲間も好きだ。だから限界まで戦士でいたい。変だよな。死ぬのは嫌だし怖いのに、一息ついたらまた仕事したいって思うんだ。性に合ってるって言うのかな、こういうの」
「変態ですね」
「へん……いや、その言い方はどうかと思うなぁ!?」
食いつくとシャムスはくすくす笑う。どうやら機嫌は直ったようだ。
クロムは胸を撫で下ろして持論を述べる。
「思うに、好きで戦士やってる奴なんて、みんなどこかイかれてるんだよ。好きで死地に飛び込もうってんだからな。そういうイかれた連中が必要なこの世界も、やっぱイかれてるんだろうなぁ」
「五聖教会の前で言わないでくださいね、それ」
「言わない言わない」
魔神教ほどではないが、五聖教会にも過激派はいる。彼らの前で女神が創った世界をイかれてるなんて評そうものなら、口から泡を飛ばして絡んでくるに違いない。
「イかれてると言えば、魔神教徒に会ったんだって?」
「自称、ですが」
「なんでシャムスを試そうとしたんだろうなぁ」
「わたくしをというより、〈千年氷柱〉の実力を見たかったようです。最後にそのようなことを言っていましたから」
「ふうん。俺たちの、ねぇ」
〈千年氷柱〉と魔神教徒の関わりと言えば、奴らが起こした事件のせいで「死の都」と呼ばれるようになった町へ調査に赴いたことくらいだ。しかし、あれには〈千年氷柱〉以外の討伐クランも複数参加していた。実力が知りたいなら、彼らのことも調べるはずだろう。すでに向かった後なのかもしれないが。
「ま、それについてはマスターに報告するしかできることはないな」
「ですね。もう一つ、あのことも……」
「あー。うん。あれね……」
二人揃って、白い布に包まれた長い荷物にちらり目を向ける。まともに見ないようにしているのは、あんまり関わりたくないからなのか何なのか。
「俺たちが一瞬でも持っていていいようなものじゃないと思うんだけど……」
「地方領主に渡していいものでもありませんよ。あれが本当に神器であれば伝説級の代物、いえ伝説そのものですから。王国内でみつかった以上、国王陛下に献上すべきと存じます。つきましては、まずはフォルス様にお預けせねば」
「して、その心は?」
「面倒だから押し付けましょう!」
「大賛成!」
二人はぱちんと掌を合わせた。
問題は収束したという扱いなのか、とてもいい笑顔である。少なくともクロムはそのつもりだった。なので、シャムスの続く言葉には首を傾げた。
「これで問題は残り一つでございますね」
「え? まだなんかあったっけ?」
「お忘れですか? 新入りの歓迎パーティのために、赤月オーロックス三頭、狩るお仕事を」
「あ」
クロムの顔が一転して嫌そうになる。
すっかり忘れていた。
凶暴で大型の牛、赤月オーロックス。家に帰るには、その屍を越えねばならないことを。
「うわぁ、まじかー。そうだよ、そうだった。ある意味魔物より強敵じゃないか」
肉が目的だから、腐蝕の腕は使えない。となるとドーピングで対処するしかないわけだが、副作用が恐ろしい。一昨日の戦闘の影響がそろそろ出てくる頃なのに。
彼にとっては最悪なことにシャムスから、さらなる爆弾発言が飛び出す。
「それに関してひとつ、センセイに謝らなければならないことが」
「なに?」
「わたくしの可愛いお人形さんたちですが、王都に戻らなければ修復できませんので。申し訳ないのですが、わたくしは戦力外ということで」
「ぬわにぃ!?」
クロムが勢いよく身を乗り出したせいで、船ががくんと大きく揺れた。慌てた船頭が注意してくるのにぺこぺこと頭を下げてから、弱りきった顔をシャムスに向ける。
「じゃ、俺一人で三頭狩るの? 無理でしょ。というか今気づいたんだけど、どうやって持って帰んの? 一頭だけでも俺の体重の何倍もあるんですけど」
「それもそうですね……。あ、いいこと思いつきましたよ」
ぽんと手を叩くシャムスに、なんだか嫌な予感が頭をよぎる。
「持って帰れないなら、乗って帰ればよいのですよ」
「赤月オーロックスに?」
「はい。わたくしとセンセイで二頭、一頭余りますから、適当にティゴニアでも乗せましょう」
この子何言ってんの、という顔でクロムはシャムスを見た。
冗談を言っている様子ではない。
まさか、本気なのか。かつて王国軍が威信をかけて挑み、失敗した赤月オーロックス兵牛化計画を、自分たちの手で蘇らせようというのか。
なんという勇気。なんという根性。
だというのに、シャムスは気負った風もなく微笑んでいる。
その時、クロムの胸を何か熱いものが満たした。
感動だ。
幼い頃見た夢やロマン――そのいくつかを思い出す。
無理難題に挑戦する、それはまさに冒険ではないか。
思わず、がっしとシャムスの両肩を掴んだ。
「よし! やろう! 俺たち二人で、偉業に挑むぞ!」
「? え、ええ。頑張ります……?」
クロムには、彼女の困惑する様は気にならないようだ。「この子まさかあの計画を知らないのか?」と思いはしたものの、無視することにした。
突然一人で盛り上がりはじめた彼にまばたきを数回繰り返した後、シャムスはふと気がついた。
「あ、これ薬の副作用出てますね」
帰りの道はまだ長い――。
+++
王都グラムウェル。その南西部に位置する閑静な住宅街の一画に、〈千年氷柱〉の拠点はある。
薄茶のレンガ塀に、蔦の巻き付いたシックな門構え。
門を通った客をまず出迎えるのは、小さな青い花が咲いたロータリー。
本棟は二階建ての古い屋敷だ。建てられてから三百年は経つらしいが、いつからあるのかは誰も知らない。
その二階の一番奥に、クランマスターであるフォルス・ユイベールの私室はあった。
ほぼ真四角の部屋に、机、本棚、ベッド、書見台などがバランスよく配置されている。
机の真正面には大きなガラス窓があり、庭に植えられたカバの木が部屋に向かって枝葉を伸ばしている。今は窓は大きく開いて、涼やかな風と光とを運んでいた。
重厚な机の上には、ほとんど物が置かれていない。ただ一つ、水の入った小さめの水瓶以外は。水面にはアネモネに似た水晶の花が浮かんでおり、中心に近づくほど深い蒼に色づいている。反対に、外側は透明だ。
フォルスは椅子に座り、じっとその花を見つめていた。
黒い髪、黒い目。幼く、中性的な顔立ち。しかし見た目通りの年齢でないことは、〈千年氷柱〉の人間、いや、彼を知る人間にとっては周知の事実であった。敢えて口にしないだけで。
「なかなか溜まらんのう。グラムウェルが凍るくらいの魔力を毎日注いどるのだが。少ないかなぁ。しかし、今以上となると眠くなってかなわんしな。うむむ。悩みどころじゃ。せめてもうちっと封印が緩まれば……」
ぶつぶつと独り言を呟いている彼の背後で、音もなく扉が開いた。そして、頭の先から爪先まで真っ黒なマントに身を包んだ小柄な人物が忍び入る。フォルスは振り返りもせず、侵入者に声をかけた。
「おかえり、コトリ。二人はどうだった?」
「……うん」
「そうかそうか。ご苦労だったな。疲れたか?」
「……少し」
「しばらくは頼み事もない。ゆっくり体を休めるがよい」
マントの人物はこくりと頷き、フォルスの方へ進み出る。床には絨毯も何も敷かれていないにもかかわらず、足音ひとつ立たない。まるで影が歩いているようだ。
歩みながら、コトリの姿がぐにゃりと歪んだ。小柄な体がさらに小さくなり、歪みの中から一匹の小さな黒猫が現れる。子猫は机の隣に置いてある書見台にぴょんと飛び乗ると、一回転して丸くなった。すっとアンバーの目を閉じれば、もう動かない。かすかに上下する背が、生きていることを示すのみ。
窓から差し込む光が黒い毛並みを輝かせる。書見台は部屋で一番日当たりの良い場所にある。猫のために配置したわけではなく、勝手にその場所を寝床に選んだのだ。
そんな自由な姿を、フォルスはどこか遠い瞳でみつめた。
「のう、コトリや。お前、いつまでその姿でいるつもりじゃ? 元に戻りたければ、戻れるのだぞ?」
コトリはぱたんと尻尾を振る。
取り付く島もない仕草に、フォルスは小さく溜息をついた。
「だから、その時はいつかと聞いておるのだ。……ん? なに? わしか? わしのことはよい。今はお前の話を――あ、寝おった。こやつめ……」
意図的に意識を遮断したコトリに、フォルスは悔しげな眼を向ける。しかし問い詰めても無駄だと悟ると、諦めて艷やかな毛並みを一撫でした。
その顔つきはひどく優しい。他に見せたことのある者と言えば、赤ん坊の頃から知るアイーダくらいなものだ。それももう昔の話だが。
フォルスは安らかな寝息を立てるコトリをみつめながら、静かに語りかけた。
「まあよい。その時が来れば、わしが母上殿にかけあってやる。存分に頼るがよいぞ。わしはお前の兄だからな」
瞼をぴったりとくっつけたコトリからは、やはりなんの反応も返ってこない。しかしフォルスが目をそらした瞬間、長いヒゲがぴくりとそよいだのだった。
第二話 小さな海の討伐記録 (終)




