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狼の生贄 -伊豆高原殺人事件-  作者: 青木 地平
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砲身転換

翌日、伊豆東署捜査本部

「只今、戻りました」と児玉は捜査本部のある講堂に入るとそう言葉を発した。

「おう、土産話はたっぷり仕入れてきたか」とすかさず松平課長が陽気な声で尋ねてくる。

「まあ…、期待通りでない所もかなりありますが、それなりにって感じですかね。とにかく捜査の首は小林玄太郎に向くことになりそうです」と児玉は少し冴えない表情で言った。

「そうか、とにかくこの後の捜査会議で話してもらう。30分後に始めるからそれまで休憩するのと資料をまとめるならまとめておいてくれ。あ、それからおまえらが署長に渡した『水嶋麗子』の名刺の指紋な、あれは女のガイシャの指紋と一致したぞ。あと、当然のことだが一条幸恵の部屋から採取した指紋ともな」

「そうですか!、分かりました。ありがとうございます」


捜査会議

 捜査会議には5、60人の捜査員が集った。捜査本部長である大木伊豆東署長と中島県警捜査一課長、松平伊豆東署刑事課長が壇上に姿を見せた。松平が口を開く。

「捜査会議を始める。えー、まずはこの事件のこれまでの概念が変わる、事件関係者の新証言が得られたことを報告する。その辺りの話を事件の振り出しもしくはそれ以前に遡って、所轄の児玉・丸山両刑事に話してもらう。みんな落ち着いてよく聞くように」と神妙な面持ちで言った。場内がしんと静まりかえる。

「よし、児玉と丸山頼む」

「はい」

 二人は前に出て簡単な挨拶をし、その後児玉が口を開いた。

「私ども二人は先日、東京地検特捜部に逮捕された村田前経産大臣に本件の証人として来て頂き事情聴取を行なってまいりました。事件の背景には政界の暗い闇が潜んでいます。まだ村田前大臣の証言も完全には信用できない所もありますが、彼の証言も交えた私たちが想像する真実と信じるところをお話しいたします」

 周囲が俄かにざわつく。

 「静かに聞け!」と課長の松平が一括する。すると室内のざわめきはピタッとおさまり、また元の静寂が戻ってくる。児玉はその静寂の中を泳ぐようにゆっくりと話し始める。

「事件は、とある女が中国から我が国に密航した時から始まります。その女の名は陳麗華、この者は中国国内では共産党の地方幹部の愛人でした。その地方幹部が汚職に手を染め、それで得た富を彼女にも分け与えていました。女はその分け前を元手に株式投資に走り、ネットトレーダーとしてその汚職地方幹部とグルになってインサイダー取引や仕手戦等で株価操縦を行なうなど不正を重ねて巨万の富を築いていきます。しかし、そんな彼らの時代は長くは続きません。やがて中国政府による汚職追放キャンペーンが始まり、ほどなくその地方幹部は検挙され、陳麗華も中国の株式市場を混乱させた容疑で指名手配されます。それでも麗華は当局の摘発をすんでのところで逃れ、上海の密航ブローカーを経て日本の暴力団の手を借りて我が国への密入国を果たします。彼女は日本へ来てからも潜伏生活を続けるのですが、その間、ネットトレーダーとして株式投資を行ない、密入国の際に世話になった暴力団の資金稼ぎに手を貸していました。その暴力団のフロント企業である建設会社が村田前経産大臣の実弟が経営する建設会社と密接な関係にあり、その関係から陳麗華が村田前大臣にも紹介されます。村田に紹介された後も彼女はネットトレーダーとして活動し、今度は村田の政治資金の増殖に手を貸していきました。

 やがて…、その村田が所属する民友党の総裁選が近づき村田はその総裁選での立候補を決意します。通常、与党である民友党の総裁選は実質総理を選ぶ選挙になることから、無投票再選などの数少ない例を除けば毎回激しい選挙戦が行なわれます。またこの民友党総裁選は金権選挙が激しく行なわれることでも有名です。一説には一回の総裁選で数十億円のカネが動くとも言われています。とにかく多額の資金が必要であることは確かです。そこで村田は自派の結束を図ることはもとより、他派閥を切り崩す多数派工作を行なう為にもより多くの資金が必要だと考えました。その資金獲得活動の一つ目が陳麗華の獲得であり、また二つ目が今回の村田の逮捕容疑にもなっている国が進める通常、『道東プロジェクト』と言われる『東北海道総合開発計画』における談合を主導したことです。そして最後の三つ目が優良企業であるお茶の老舗で今や総合飲料メーカーに成長している小林園の社長に村田の大学時代の友人である水谷一郎氏を据えることでした。

 ご存知のようにこの水谷一郎氏は本件、殺人事件の被害者であります。水谷氏は、以前はアパレル会社を経営していて、その会社の創業時に村田前大臣が支援したこともあり、水谷氏の経営が軌道に乗ってからは逆に熱心に村田を支援しています。特に村田が代議士となってからの政治献金は表も裏も合わせれば相当な額に上ったと言われています。しかしそのアパレル会社、『ダイヤスタイル』もバブル崩壊とその後の長期不況のあおりを受け激しく迷走し、その挙句に2003年ついに倒産してしまいます。全てを失った水谷氏はその後、妻の実家が経営する優良企業の小林園に東京支店の経理部長として迎えられました。彼はしばらくの間は傷心の身でおとなしく仕事をしていたようですが、やがて起業家精神が再び芽生えたのでしょう、保守的な現経営陣に不満を持つようになっていきます。ところで、小林園の創業は京都が発祥で本社も京都市内にあります。そして京都と東京とでは実質的にあまり意思疎通が図られていなかったようで保守的な京都と革新的で拡大志向のある東京とでは社員の経営に対するものの考え方が違っていました。かねてより売上げは上げているのに権限があまりないと感じていた東京の社員達は常に京都の経営陣に対し不満を抱いている状態です。そこへ新たなかぜとも言える一応は小林一族の元経営者が現れたのですから、東京支店では新たなプリンスの到来とばかりに水谷氏に対し将来の社長候補としての期待が高まっていきました。そういった動きの中で水谷は徐々に東京支店での地歩を固め、やがて東京支店長にも昇格します。その頃から水谷は小林園の海外展開を考えていたようです。彼は、日本は少子高齢化で人口の伸びが期待できず、国内市場の縮小は不可避だと考えて海外展開に活路を見いだそうとしました。それを聞いた東京支店を中心とした小林園の多くの社員達は強力にこの彼の構想を支持したのでした。

 そういった小林園社内の動きを敏感に察知した村田孝一は水谷に触手を伸ばします。そして水谷に社長就任を目指すよう働きかけ、村田も支援に動くと言ったのです。ただ、公人である村田本人が表立って支援するわけにもいかず、それで水谷のサポート役に海千山千のやり手でカネも殖やせておまけに容姿も端麗な陳麗華を差し向けたというわけです。

 小林園社内、特にその東京支店内で地歩を築きつつあった水谷が今度は村田という強力な支援者も得て、この頃いよいよ社長就任が現実味を帯びてきます。

陳麗華は小林園の役員達の買収資金の獲得とその端麗な容姿を武器に接待を重ね、説得工作と情報収集の役に当たりました。恐らく彼女は小林玄太郎とも接触したものと思われます。そういった状況の中でこの事件は生起したのです。

 小林玄太郎は、密かに水谷一郎と陳麗華に連絡をとり、『次期社長について話し合いたい。次期社長の座を条件付きで譲り渡す用意がある』と言って伊豆高原のかつて水谷が経営していた会社が持っていた元保養所に二人を誘い込みます。そこで小林玄太郎はこの二人をナイフのような刃物で殺害し、彼らの野望を潰えさせました…。と、以上が、私が信じるこの事件の真相であります」と言い児玉が長い話を終えた。すると会場からは溜息とも感嘆ともとれる声が漏れる。そして、その場にいた捜査員達から質問が相次いだ。

「本件、被害女性の遺体は水谷氏の元愛人の一条幸恵氏ということが鑑定の結果、断定されています。このことはどのように考えますか?」

「今となってはその殺害された遺体の身元は捜査本部発表のものとは違うものであると考えて頂いていいと思います。今回、遺体を一条幸恵氏とした根拠は一条氏の部屋にあった髪の毛のDNA型とテレビのリモコンの指紋が被害者のそれと一致したからですが、それは被害者が一条幸恵宅で短時間でも生活というか滞在していれば成り立つことです。それから…、今まで公表されてきませんでしたが私達が取ってきた一条幸恵の歯形と被害女性の歯形とは一致しませんでした。このことから被害者が一条幸恵でないことは明白です。あと、先程分かったことですが陳麗華が日本で使っていた『水嶋麗子』名義の名刺から被害女性の指紋が検出されました。あと、一条の部屋から採取した指紋とも一致しました。このことから一条の部屋にあったモノは巧妙に本件被害女性のモノとすり替えられたトリックであったと考えられます。陳麗華と一条幸恵が直接知り合いだったかはまだ分かりませんが、そうでなくても小林玄太郎が間に入ったことは十分に考えられます。いや、このトリックには小林玄太郎が絡んでいることは間違いないことだと私は思っています」

「小林玄太郎が絡んでいるという根拠は?」

「動機です。彼には一条幸恵と陳麗華をすり替えさせたい動機があります。つまり被害女性を一条幸恵に見せかけることによって自分を捜査線上から消すことができると彼自身考えたと思えるからです」

「うん…、で、その点について何か物的証拠は掴んでいるのですか?」

「今のところはまだ…、ただ、決定的な証拠ではありませんが1月11日に年配の男が一条宅を訪れていて、その訪ねてきた男の後姿を見た者によりますと、玄太郎の写真を見て雰囲気は似ていると証言しています。あと、静岡日報の記事でご存知かと思いますが、水谷と玄太郎は伊豆高原で事件当夜会うことを約束しています。その線からも小林玄太郎犯人説が濃くなるかと思います。ここは一条幸恵の一刻も早い身柄の確保、そして保護が求められると思います。今後、関係機関との協議のうえ対応を図っていくべきだと考えます」

「では、これからの捜査は基本的に小林玄太郎犯人説、それ一本でいくということですか?」

「私は基本的にはそれくらいでいいのではと思っています。村田孝一の証言、それと種々の状況証拠からも私は、犯人は小林玄太郎、もしくはそれに連なる人物だと見ています」

「うん。俺もそう思う!」と突然松平が割って入った。一斉に全員の耳目が松平へ向く。

「まあ、今だから言うが、捜査本部がダイヤスタイルの関係者を調べていたのは、捜査が京都の小林園の方に向かわせないためのカモフラージュだった。事情は高度に政治的な判断が働いたとだけ言っておく。あとは君らの想像に任せる。まぁ、うちも捜査能力に余裕があるとは言い難い。うん…、とにかく今は小林玄太郎に集中して捜査を進める。いいな!」と松平は有無を言わさぬ高圧的な態度で言い切った。

 各捜査員は納得しきれないものを抱えながらもこれが組織の論理というものだろうと半ば無理やりに納得して、ただ一言「はい!」と捜査員全員が野太い声を上げ、その言に応じた。


 その後の捜査会議では小林玄太郎に対し具体的にどのような捜査方針でいくかが検討された。いきなりガサ入れするのは空振りする危険性があると判断した捜査本部はまずは状況証拠の収集に力を入れ、その後小林玄太郎に事情聴取するという捜査方針を決定する。

とりあえず玄太郎の事件前日の行動を洗い、街中の防犯カメラ等で確認していく地道な捜査を行なっていくことになった。一番のキーポイントは犯人と目される小林玄太郎の京都から伊豆高原への移動ルートである。犯行には現地で調達した盗難車が使われている。また遺体を燃やすのに灯油も使われたことからどのように犯人がそれらを調達したのかを突き止めなければならない。

やがて…、 準備を整え捜査が開始された。そしてタイミングを見計らい通常捜査の一環のふりをしてではあるが、ついに小林玄太郎に対し事情聴取する、その時を迎えつつあった。


 児玉と丸山は小林園社長の小林玄太郎に面会を求めるべく京都に向かった。二人は覆面パトカーである捜査車両に乗り込み東名・名神高速をひたすら西へ進んでいく。

「犯人が玄太郎として、盗難車を奪ったのは一体誰なんでしょうか?」と丸山が助手席に座る児玉に尋ねる。

「う~ん、まだ分からんが、とにかく玄太郎の共鳴者だろうな」

「保守的という点でですか?」

「うん…、だろうな。それと小林園は同族企業だ。玄太郎が社長の座から落ちれば次期社長候補の玄太郎の長男である祐太郎ゆうたろうの地位も危うくなる」

「では共犯者は親族だと?」

「うん。その可能性は高いと思う」

「ただ、事件発生当初から京都で捜査に当たっている田辺さんからの情報によれば祐太郎は、事件前日と当日は商談で九州に行っていたとのことです」

「ちっ、息子はアリバイありか…」と児玉は言って舌打ちした。


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