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狼の生贄 -伊豆高原殺人事件-  作者: 青木 地平
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京都

小林園京都本店(本社)

 小林園京都本店は京都市東山区にあり、清水寺に程近い閑静な通りに面している。自動車の往来の激しい通りを一本脇に入ると、そこはたちまち静寂を基調とする古都の風情を醸し出す。そこには懐かしい町屋の風景があり、その風景に溶け込んで小林園京都本店はあった。

そこは厳しい現実世界から一歩抜け出し一瞬の癒しの世界がある…。そんな趣を感じさせてくれる所だった。


本店社長室

「村田さんが捕まったな」と小林玄太郎は呟くように言った。

「はい」と妻で副社長の佳子よしこが答える。

「いよいよ本格捜査がこちらに来るか?」

「その覚悟は必要かと」

「うん…。でもなワシは負けんぞ。負けてはならんのだ。この老舗の暖簾は約300年、我が小林一族が守ってきた。ワシの代で絶やすわけにはいかん!。ましてや、あんな茶の何たるかも分からん水谷なんかに渡すわけにはいかなかった!。これからも…、ここの暖簾はワシが守るしかないのだ‼︎」

「ええ、あなたのおっしゃる通りです」


小林園京都本店・小林玄太郎事情聴取

 児玉と丸山は小林玄太郎の事情聴取のため小林園京都本店に乗り込んだ。

「今回、何の事情聴取ですかな?」と玄太郎は言い俄かに納得がいかない表情を見せる。

「事件の前日について、あなたの行動を確認させて頂きたいと思いまして…」と児玉が答えた。

「うん?。私の行動とあの事件に何の関係があるのですかな?」と玄太郎は言って今度は露骨に不機嫌な顔を見せる。

「現在、捜査は暗礁に乗り上げておりまして…、今はこうして関係者お一人お一人の行動を確認して回っているところなのです」と児玉が必死に言い繕う。

「それは、それはご苦労なことです。まあ、私を疑っているのかもしれませんが…、でも決して私は犯人ではありませんよ」

「いえいえ、決してあなたを疑っているわけではありません。あくまで関係者お一人ずつの確認です」と児玉はことさら『確認』を強調してみせる。

「そうですか…。ただ噂になっているようだから言っておきますが、つい最近まで社内の水谷期待論など知らなかったし、そんなものを忖度することもない。私はただひたすら我が道を行くだけです」

「う~ん。しかし、そういうあなたの経営姿勢というか態度が社内から疎んじられているということはありませんでしたか?」と児玉が尋ねた。

「それは分かりません。まあ、私は社長です。そうそう社員からは好かれないんじゃないかとは思いますよ。そのことは覚悟の上です。それが嫌だと言っていたんじゃ社長・経営者は勤まりませんからな」

「そうですか…。では早速ですが聴取に入らせていただきます。事件前日の2月5日はどちらのほうに行かれてましたか?」と児玉は尋ねた。

「事件前日の2月5日…?。あーどうだったかな。中原なかはらさん調べてみてくれんか」と玄太郎は、側に控える女性秘書に向かって言う。

「はい、この日社長は…、京都の茶舗の会合で京都文化会館で会議に出席されています」とその女性秘書は答えた。

「その会議は何時までだったんですか?」と児玉が尋ねる。

「ここには午後3時までとあります」

「その後は?」

「こちらで執務をなさっています。それは午後6時までで6時半にはご自宅にお帰りになっています」

「うん…、まあ、そういうことだ。無駄足だったみたいですな」

「帰宅されてからは?」

「うん?」

「どこかへ出かけられませんでしたか?」

「まあ、いちいち覚えていませんがね。出かけたにしても散歩かちょっとした買い物ぐらいでしょう」

「そうですか…分かりました。とりあえず今日の聴取はこれで終わりにします。また何かありましたらお伺いさせて頂きます。失礼いたしました」

「いえいえ。まあ捜査には喜んで協力しますがね、ただ私を疑っているのだとしたらお門違いだ。それだけは言っておきますよ」

「ええ…、いろいろご迷惑をおかけしますが、とにかく今後ともご協力のほどよろしくお願いいたします」

「はい、はい、分かっておりますとも」


「想定内ですね?」本店から出ると、すかさず丸山が耳打ちしてくる。

「ああ」と児玉は苦笑いして答えた。

 捜査車両まで戻ってきた児玉は無線機をつかみ取り、

「課長、やはり玄太郎は想定内の答えしか返ってきません。一応、京都本店にはエス(協力者・内通者)を忍び込ませています。そいつとは明日の夜に会う予定になっています。その時にはいろいろ情報が取れるかと思います」と報告した。

「そうか、今はそれを期待するしかないってところか…」

「ええ…」


 エスとは東京支店で警察の協力者だった榊原のことで、つい先日京都本店の営業課長として栄転していた。ただ…、この栄転の裏には経営サイドのある思惑が絡んでいた。


「あと、伊豆高原でのボートの件が気になります」と児玉が言った。

「ああ、あの手鏡があったっていうわやつか?」

「ええ、そうです」

「うん…、まあ、いいだろう。手繰れる糸は少しでも引き寄せておきたい。丸山と一緒に調べてみてくれ」

「分かりました」


 そして、児玉は捜査開始以来ずっと京都小林園を中心に捜査を続けている伊豆東署のベテラン刑事、田辺に連絡する。田辺は所轄署の刑事だったが、中島捜査一課長とは旧知の間柄でまた捜査一課の捜査員たちとも知り合いが多くいたことから所轄署刑事としては例外的に一課との引き継ぎ要員という理由で京都の捜査から外れずにいた。田辺は捜査本部が上からの圧力によって機能不全に陥っていた時期も単独で密かに情報収集に努めていたのだった。


児玉らはその田辺と清水寺近くの喫茶店で落ち合う…。

「田辺さん、小林玄太郎の日頃の行動というか習慣を教えていただきたいのですが」と児玉が切り出す。

「うん、玄太郎はな、普段は京都の本店で執務を行なっていて茶舗の会合などで京都文化会館に行くことが多い。あとプライベートでは…、あ、そうそう週に一回ほど茶道教室に通っているな。もう長いこと続けているらしい」

「茶道教室…。それはどこにあるのですか?」

「八坂神社近くにある山本光雲やまもとこううんとかいう者が主宰している教室だ。ここからだと歩いて行ける距離だな」

「分かりました。ではちょっと行って話を聞いてきたいと思います。すみませんがその間車を見ていてもらっていいですか?」

「ああ、構わんよ。しばらくここにいて情報を整理しているから」


 田辺に車を預けた児玉と丸山は歴史と品格を感じさせる東山の界隈を歩いてその茶道教室に向かった。その辺りは大きな屋敷が多く、たいていの家には立派な庭園と茶室がある。そんな中をしばらく歩くと、やがて、八坂神社の近く、円山まるやま公園に隣接した山本の茶道教室にたどり着く。ただ、教室と言ってもそれらしいものはなく閑静な庭の中にひっそりと茶室が佇んでいる。それは高級料亭の茶室となんら変わるところがなかった。

 児玉らは教室の受付に入る。と、そこには『ただいま茶室におりますので御用の方はお手数ですが直接茶室までおいでください』と書かれた木の立札が置かれていた。児玉らはその立札の指示されるままに庭に佇む茶室に向かう。茶室の入口に当たる小さな障子を開けて入ると、コトコトと僅かな音を立てて茶釜が湯気を立てていた。その傍で一人の老人が和服姿で静かに茶を点てている。山本光雲であった。


「失礼いたします」児玉は丁重に言って中に入り一礼をする。それに続いて丸山も入り、やはり一礼した。少々呆気にとられた感じの山本を尻目に

「静岡県警伊豆東署で刑事をしております児玉といいます」とまず児玉が声を上げ、続いて丸山が「同じく刑事の丸山です」と言葉を発した。

「これはこれは…!。こんなところに警察の方が何の御用ですかな?」と突然の刑事の来訪に山本は戸惑った様子を隠すことなく尋ねた。

 児玉はそれには答えず逆に「山本光雲さんですね?」と前に座る老人に尋ねる。

「ええ、いかにも私が山本光雲ですが…」と戸惑った表情をしながらも山本は答え、「まあ、とりあえず、狭いところですがどうかお座りください」と立ったままでいる児玉たちに着座を勧めた。

「では、失礼いたします」と児玉と丸山はそう言ってその場に座る。

「この辺りで何かあったのですか?」と山本は改めて尋ねた。

「いえ、そういうわけでは…。実は、伊豆高原で殺された水谷一郎さんの義理の兄、小林玄太郎さんについて少しお話をお伺いしたいと思いまして」

「小林玄太郎…、私のお弟子さんのですか?」

「そうです」

「それなら直接小林さんにお話をお聞きしたほうが早いのではありませんか?」

「いや、なかなかご本人には訊きづらいところもありまして…」

「はあ…」と山本は言い、釈然としない。

「小林玄太郎さんは山本先生の長年のお弟子さんだとお聞きしました」

「ええ、いかにも…」

「我々は伊豆高原で起きた殺人事件について捜査をしております。被害者のお一人が玄太郎さんの義弟にあたる方で、ぜひ玄太郎さんをよく知る先生のお話しをお伺いしたいと思い、立ち寄らせていただきました。長年のお弟子さんということで何かと答えにくいところもあるかもしれませんが、今日のところはなるべく第三者の立場に立っていただいて事件解決のため、捜査に協力していただきたいのです」と児玉は真剣な眼差しで訴えた。

 山本は一瞬の戸惑いと逡巡の後

「そうですか、分かりました。私でお役に立てるのでしたら知っていることは全てお話しいたしましょう」と意を決して言った。

「ありがとうございます」

「まあ、なんにしても我が茶室に来ていただいたからには、おもてなしをさせていただかないと茶人としての私の心が許しません。まずはどうか一服」と言って光雲は二人に茶を献じた。

「では、遠慮なく」

 児玉らは、しばし詫び茶のひと時を味わう。そして、

「先生と小林玄太郎さんとのお付き合いの始まりはどういう…?」と児玉が話を切り出した。

「実は、私と玄太郎さんは同じ大学の先輩後輩でして、といっても私が卒業してしばらくたってから彼が入学してきたので、学生時代には直接的なつながりはなかったのですが、同窓会活動を通じて意気投合いたしまして」

「そうですか。あの…、失礼ですが、どちらの大学を?」

「私どもは宗教系の大学、京都宗教大学(京宗大)を出ております」

「宗教ですか?」

「ええ、私も玄太郎さんもお茶という共通点がありました。お茶というか茶道には仏教の禅との結びつきが強く、実際、禅宗には『茶礼されい』という言葉もございます。それで家業の手前、禅について知っておくのも悪くないということで二人ともその手の大学に入ったというわけです。まあ、玄太郎さんの場合、本当はもう少し高尚な動機があったのかもしれませんが、とりあえず私にはそのように話していました」

「では、大学では禅宗の勉強をされていたと?」

「ええ、そうです。二人とも、仏教学部の禅宗学科を出ています」

「では、禅僧の資格とかも取られていたりするんですか?」

「ええ、まあ一応は持っています」

「そうですか。ちなみにどちらの宗派で?」

「まあ、学科の宗派が臨済宗でしたので、そこの僧侶資格は持っておりますが…」

「それは玄太郎さんも?」

「ええ、そうです」

「ただ、最近、といっても二年ほど前ですが、二人そろって宗旨替えをいたしまして…」

「ほう、宗旨替え。それはどちらに?」

「世間ではあまり知られていないのですが、済光宗さいこうしゅうという禅の一派がございまして、現在そちらの信者をさせていただいております。まあ、信者といってもやっていることは大したことではないのですが…」

「それは新興宗教ですか?」

「まあ、そのようなものですかね。一応、江戸時代の発祥なのですが、そこの今の法主さんが革新的で大変魅力ある方でして」

「すみませんがその宗派のお話、詳しくお聞かせ願えないでしょうか?」

「ええ、いいですとも。まあ、一言で言えば『行動する仏教』とでも言いましょうか、最近では仏教も『葬式仏教』などと悪口を言われておりましてね…。これは要するに江戸時代に始まる檀家制度の上にあぐらをかいて葬式の時にしか世間様の前に出て行かず、ちっとも世の中を良くする活動をしていないじゃないかとまあこういうことなのですが。まあ確かに…、今の仏教界を見るにそう言われても仕方のないところもあるかとは思います。それで、そういう今の仏教に物足りなさを感じていた私たちは『釈尊のころの初心に立ち返り積極的な社会活動を通じて教えを広めよう』という、現在の田中顕正たなかけんせい法主の言葉に打たれまして、それでいま信者の末席に座らせていただいているという次第でして…」

「そうですか。で、玄太郎さんも同じ理由で?」

「まあそうだと思います。そういう話を二人でしましたから」

「ところで山本先生と玄太郎さんのお付き合いはいつ位からなのですか?」

「ええ、あれはかれこれ20年くらい前になりますかね。先程も少し述べましたが大学の同窓会で初めてお会いしまして、お互いお茶という共通点がありましたのでね、すぐに打ち解けることができました。それがきっかけで彼が私の茶道教室に通うようになったんです」

「そうですか。で、山本さんは玄太郎さんの人柄をどのように感じてらっしゃいますか?」

「う~ん、そうですね~、一言で言えば、大変真面目な方ですね。真摯というか、とても家業を、お茶を大事にして愛していらっしゃる。どこか金儲けというよりかは伝統・文化を重んじるところがありますね。まあ、とても京都人らしいと言えばそうなのかもしれませんが」

「京都人ですか…。で、そのことで何か周りと軋轢が生じるようなことはありませんでしたか?」

「う~ん。まあ、なくはないのかもしれませんね。筋の通った人ですから。曲がったことは許せないそんなところがありますよね。私とはほとんどが茶室とたまに済光宗のお寺に行くぐらいなので、俗っぽいところはお互いあまり見せ合いません。でも、この前『最近のうちの社員はお茶の何たるかを分かってない!』なんか言って愚痴ってましたね」

「そうですか。それと玄太郎さんに最近変わった様子はありませんでしたか?」

「変わったこと…。いえ、特には感じなかったですね。あっ、ただ、最近お一人でもお寺に、済光宗の大本山『法光寺ほっこうじ』に行くことが多くなったようです」

「そうですか、それはまたどうして?」

「いや、はっきりした理由は分かりません。ただ以前はたいてい私とお寺に行っていたのですが、それが最近はお一人で行くことも多くなったようで。まあ、それだけ信心深くなられたということなのでしょう」と光雲は言って笑った。

「そうですか、お寺に…。他には何か?」

「いえ…、特には…」

「そうですか、分かりました。ではその法光寺の場所を教えていただけないでしょうか?」

「ええ、いいですよ。ちょっとお待ち下さい。地図でお教えしましょう」

「すみません」

「いえいえ、とんでもない」

 と言って、光雲は足早に母屋に行って地図を取りに行く。そしてお目当ての地図を手に茶室に戻り、児玉らに詳しくその場所を教えた。

「分かりました。いろいろありがとうございました」

 児玉と丸山は丁重に礼を述べて光雲の茶室を後にし、また歩いて車を見てもらっている田辺のいる喫茶店まで戻っていった。児玉らは、引き続き単独捜査を続けるという田辺とは別れ、早速、先程光雲に教えてもらった済光宗の大本山である法光寺に車で向かった。済光宗の法主、田中顕正に会うためである。


 法光寺は京都市左京区××、鞍馬山の麓にあった。寺務所で来訪を告げ、法主である田中顕正に面会を求める。しばらくその寺務所の前で待っていると、ぬっと威圧的な雰囲気をもって一人の老人が現れた。田中顕正である。児玉はその迫力に少々圧倒されながらもはっきりと声を出し、

「お忙しいところすみません。静岡県警伊豆東署、刑事の児玉といいます」と挨拶し、次に丸山が「同じく刑事の丸山です」と続いた。

それに対し「何ですかな?。警察の方が突然に」と田中はかなり不機嫌な顔をして言う。

 田中は、公権力を嫌っているらしくあからさまに不快の表情を顔に出す。ブスッとした面持ちで高圧的な態度を伴い児玉らを睨みつけている。

その中を「実は小林玄太郎さんのことでお話をお伺いしたいと思いまして」と児玉が懸命に声を上げる。

「小林玄太郎?。うちの信者のか?」

「あ、はい」

「何の容疑で?」

「あ、いや、まだ容疑というわけでは…」と言い児玉は困った顔をする。

「現在、我々は伊豆高原で起きた殺人事件の容疑者を追っておりまして、小林さんが事件解決の手がかりとなる重要な人物かもしれないということで捜査をしております。真相解明のため、どうかご協力頂きたいのですが」とここでも児玉は真剣な眼差しで訴える。

 一瞬の沈黙を置いて…

「うん…。分かりました。事件の解決に役立つというのならば私のお話しできることは全てお話ししましょう」と田中は納得した表情で言った。

「御協力ありがとうございます。では早速で恐縮ですが、玄太郎さんは最近足繁くこちらのお寺に通っているそうですがそれはいつ頃からで、何をしに来られているのでしょうか?」

「まあ、以前からちょくちょく来てはいましたがね。多くなったのは、そうね…、ここ3ヶ月くらい前からでしょうかな」

「では昨年の暮れか年初くらいから?」

「そうですな」

「なぜ、玄太郎さんは足繁くこのお寺に来られるようになったのでしょうか?」

「うん…、まあ彼には元々信心深いところがありましたしな、また会社の経営者ということでいろいろ悩みも多いのだと思いますよ」

「そうですか…。こちらでは、玄太郎さんは何をしていることが多いのですか?」

「まあ、一言でいえば修行です。つまりは座禅と作務さむです。もっと言えばくうの境地に至るための修行ですかな」

「クウ?」

「さよう、くうです。空とは簡単に言うと無、つまりゼロであるということ。これは私が解釈するに、私心という煩悩をなくし無我の境地に至ることです。それこそが禅の修業の目的です。もっと言えば、静の修行が禅ならば動の修業である作務、この二つを行なってこそバランスが取れるというもの」

「はぁ…。あ、あと、済光宗では鏡や光、特に朝日については特別な存在という位置づけがあるのでしょうか?」

「うむ…。済光宗では、光は…、救済の象徴です。ただ、それ以上のことは僧侶と限られた信者にしかお教えできないことになっていましてな」

「いや、そこを何とかお教えいただけないでしょうか」

「いや、これはいにしえよりの決まりごとでしてな…、申し訳ないが私としても何ともしようがないのです。とにかくお話できるのはここまでです!。悪しからずご理解頂きたい‼︎」と田中は有無を言わさぬ態度で言い切った。

「そうですか…、捜査上必要でもですか?」と児玉も食い下がる。

「それは、済光宗の奥義と言えるもの、いかなる理由でも部外者にお教えするわけにはまいりません‼︎」と田中は改めて強い口調で言い切った。

「そうですか、分かりました…」児玉は田中顕正が玄太郎を庇っているのではないかと疑いを持ちながらもその顕正のかたくなな態度に渋々そう言って引き下がった。


寺の門を出ると児玉は田中から済光宗にとっての光や鏡という捜査にとって一番重要なことが聞けなかったことを心底悔いた…。

「どうしますか?」とすかさず丸山が訊いてくる。

「う~ん。どうしたものかな。とにかく済光宗について調べたい…。そうだ!京宗大に行けば何か分かるかもしれない」

「ええ…、ただ、先程スマホで調べましたが京宗大には江戸時代に興り、仏教宗派にしては後発の済光宗を扱っている学科はなさそうですが…」

「うん…、そうか。しかしそこは我が国屈指の宗教系総合大学の京宗大だ、中には研究している人がいるかもしれないし、そうでなくても何か関連する資料ぐらいはあるかもしれない」

「そうか!、大学の図書館にだったら何かあるかもしれませんね」


 翌日、一縷の望みを託して児玉と丸山はあらゆる宗教を総合的に研究し、山本光雲や小林玄太郎の母校でもある京都市北区にある京都宗教大学を訪れた。そこは北山の一角に位置し、有名な金閣寺にも程近い場所にあった。大学の受付に到着し、その用件を伝えると仏教学部禅宗学科の講師でもある図書館司書の中川なかがわという男が案内してくれることになった。中川が言うには済光宗について研究している者は残念ながら学内にはいないということであった。あとは図書館に資料があるかどうかである。司書の中川講師は図書館の検索機でこれはと思う資料にいくつか目星を付け、それをプリントアウトした紙片を持って薄暗い地下の書庫の中へ入っていく。児玉と丸山もそれに続く。3人はその薄暗い書庫の中を一冊一冊丹念に見て回った。しばらくして…、先程の検索機でいくつか候補に挙がっていた中の一つで禅宗研究の第一人者であった故・中村和孝なかむらかずたか元京宗大教授の著書『禅宗諸派の研究』というタイトルの本が見つかった。そして、その中に済光宗の項目もあった!。中川は興奮した様子でページをめくり、児玉と丸山も食い入るようにそれを覗き込む。そしてその本の中に『法鏡ほうきょう』なる記述を見つけた。神聖な鏡という意味であろうか。直感的に児玉はそう思った。読み下っていくうちに興味ある記述が出てきた。

 『聖水せいすいの中ほどに法鏡を浮かべ、禅を組み無我の悟りを開いて、その法鏡に旭日きょくじつが当たるとき涅槃ねはんの境地に至る』とあった。司書の中川が『涅槃とは永遠の安らぎのことであり、死と解されることもある』と説明してくれた。

 『これだ!』と児玉は素早く確信した。これを小林玄太郎と思われる犯人は伊豆高原の一碧湖で実践してみせたのだ。一碧湖は聖水と呼ぶにふさわしい美しさがあり、まさに風光明媚を絵に描いたような湖だ。そして永遠の安らぎと解する涅槃の境地に至れる湖と言っていいと児玉は思った。児玉と丸山は中川に礼を言って京宗大を後にした。あと、問題は事件当夜に玄太郎と伊豆高原がどう結びつくかである。


 その夜、児玉らは京都本店で情報収集を行なっていたエスの小林園社員・榊原誠一さかきばらせいいちと京都三条大橋近くの繁華街、先斗町ぽんとちょうの居酒屋で会った。

 榊原はこれまで児玉ら警察の協力者として以前の勤務地である銀座の東京支店で得た情報を提供していたが、最近になって京都本店に異動していた。部署も本店営業部第一課となり、しかもそこの課長として迎えられていた。この異例の厚遇の背景には東京支店の不満を少しでもそらそうという京都経営陣側の思惑があるということだ。元々東京支店営業部の係長として優秀な成績を収めていた榊原は社内でも一目置かれる存在だった。それがこの事件を受け、畑違いの総務部に左遷となり無聊をかこつ羽目になった。このことを受け東京支店内では営業の雄だった榊原さえもが失墜したことに衝撃が走り、その榊原の左遷を機に東京支店の不満が一気に頂点にまで達して旧水谷派の誰もが社長である小林玄太郎の失脚を望むようになったというのである。結果として警察への協力者が前にも増して続出し、玄太郎はそのことに危機感を覚えたという。玄太郎サイドは旧水谷派の象徴的な存在であった榊原を取り込むことで民心と経営の安定を図ろうとした。しかし、課長就任の辞令は受けたものの、かねてより玄太郎の保守的な経営方針に不満だった榊原は京都本店に転勤してからも警察の協力者であり続けた。それが殺された水谷へのせめてもの手向けであり弔いだとも思った。かくして玄太郎サイドの目論見は完全に外れたのであった。


 居酒屋の店内で落ち合った三人はまずは再会を祝して乾杯した。児玉が慰労の気持ちを込めて榊原が持つグラスにビールを注ぐ。

「まずはグウッとやってくれ」と児玉は言って榊原に杯を勧める。そして榊原がその注がれたビールをうまそうに飲み干すのを見届けると、今度はガラリと目つきを変えて、

「お疲れのところ早速で申し訳ないが、最近の小林園社内の動きを教えてもらいたい」と迫った。

「ええ、分かりました。私はとりあえず懐柔の対象になっていますが、いま社内というか、とりあえず本店内では恐怖政治が横行しています。水谷さんになびいたとされる社員や役員の多くが左遷、もしくは更迭されています。それに対し本店内、ことに水谷さんと意を通じていた者たちや水谷さんと同じような考えを持っていた人達の間では不満が高まっていますが、今はみんな玄太郎社長の圧政を恐れてじっと耐えて黙っているというのが実情です。もっとも本店内は昔から保守的な空気が強く玄太郎社長に心酔している者も少なくありませんので『粛清』は思いのほかやりやすいといった雰囲気でしょうか」

「そうか、で、小林玄太郎について何か分かったことはないか?」と児玉が尋ねる。

「すみません、色々調べていますが今のところは何も…、ただ、調べていてちょっとおかしなことが…」

「うん?」

「玄太郎の妻、佳子の事件当日の3日前つまり2月3日から事件当日に当たる2月6日までの動きが分かりません。どの記録にも載っていないんです。営業日誌にも出張記録にも…」

「それは妙だな。佳子の役職は?」

「副社長です」

「つまりナンバー2だと?」と今度は丸山が尋ねる。

「そうです。しかし、彼女は実質的に専業主婦に毛が生えたようなもので普段から動きが見えずらいところはありました。それでも副社長ですのでその日の記録が何もないというのはやはりおかしいと思います」

「記録がないといったことは過去には?」

「遠い昔は分かりませんが、私が社内の記録から知り得る、ここ10年位ではありません」

「その記録のない間、佳子が何か事件に関わっていたことをしていたなら合点がいくな…」と児玉が言った。

「ええ、意図的にその間の記録を残さなかったと?」と丸山。

「ああ、そうだ。それで、佳子と玄太郎は気が合うのか?。特に経営面で」と児玉は榊原に尋ねる。

「ええ、それは折り紙つきです。もともと副社長は別の老舗の茶舗の娘でちゃきちゃきのお茶職人の家に育ちましたから、経営上の考えは玄太郎社長並み、いやもしかしたらそれ以上に保守的かもしれません」

「では、現在の保守的な小林園の社風は佳子の影響も大きいと?」

「ええ、それは間違いないと思います。そして、次期社長には息子の祐太郎しかいないと思っています」

「うん…。そうか分かった。御苦労だったな。この後も引き続き社内の情報を集めてくれ」

「分かりました」

「それと少ないけどこれ捜査協力費だ。とっといてくれ」と児玉は言って数枚の万札を荒っぽく折って榊原に渡す。

「ありがとうございます」と榊原は少し微笑みながら言って、差し出されたその万札を受け取り、数えることなくすぐに上着の内ポケットに入れた。榊原はここで退席となった。


 丸山と二人になった後、「うん…、共犯者になり得るとすれば、やはり佳子が一番可能性が高いか…」と児玉は独り言のように言った。

「ええ、私もそう思います」と丸山も同意する。


 翌日、児玉と丸山は小林園本店近くの喫茶店で田辺と落ち合った。そして3人で店の奥に陣取り、事件前日の小林玄太郎の足取りを掴むための捜査方針を決めるミニ捜査会議を開いた。


「水谷らの死亡推定時刻は?」と児玉が尋ねる。

「火災の発見が夜の午前1時を回ったぐらいですから、それ以前、2時間ぐらいの範囲と鑑識は見ています」と丸山が答えた。

「つまり午後11時から翌午前1時ぐらいか」

「玄太郎の家族は?」

「今は妻と二人暮らしだ」と今度は田辺が答え、

「妻も玄太郎は午後6時半には帰宅したと証言している」と続けた。

「しかし、問題はその後ですね。午後6時半に京都の東山区から伊豆高原に午後11時から翌午前1時に着けますかね?」と児玉が尋ねる。

「午後11時台は難しいかもしれんが車を飛ばせば翌午前零時から1時の間なら何とか着けるんじゃないかと思うな」と田辺が答えた。

「伊豆高原の山中では伊東市街で盗まれた軽自動車から被害者の血痕が見つかっていまして、この車両が事件に使用されたことは明らかです。その点から言っても、また年齢的・体力的な面からも玄太郎が夜間に京都から車で移動したとは考えにくく…、そうすると彼はどのような手段で移動したのでしょうか?」と丸山。

「うん。わざわざ現地で車を盗み、その車を犯行に使ったとなるとそう考えるのが自然だろうな。まあとにかく彼は何らかの方法で伊東まで行き、最後に盗難車で移動して伊豆高原の現場まで行った…。そして現地には盗難車を用意して待っていた共犯者がいたと考えられる…」と児玉が言う。

「盗難車の所有者は、車を盗られたのは事件前々日に当たる2月4日の午後3時ぐらいだと言っています」と丸山が言った。

「ということは、2月4日の午後3時から事件は始まっているということになるな…。その時には玄太郎は京都にいることが確認されている。やはり共犯者がいたと見ていいだろう。妻の佳子の記録が車の盗難事件の前日の2月3日から無いことから、共犯者は妻の佳子の可能性が高いな…」

「そうですね!」丸山と田辺は声を揃えて言った。

「仮説を立て状況を整理しよう。まず2月3日に佳子が伊豆高原に向け移動を始める。翌2月4日の午後3時に伊東市内で軽自動車、『スズキ・アルト』を盗み玄太郎が来るのを待つ。玄太郎は次の日の2月5日に会社から帰宅した午後6時半過ぎから伊豆高原に向け移動を始め、日付が変わった頃に到着する。すぐに佳子と合流した玄太郎は彼女が用意した盗難車を使って現場に向かい、そしてあの保養所跡地で凶行に及ぶ…。こんなところか?」と児玉がまとめた。

「ええ」と二人。

「あと、水谷の事件当夜の動きは?」と児玉は尋ね、

「銀座の支店を午後7時10分に出ています」と丸山が答えた。

「午後12時には伊豆高原に着けるか?」

「これは十分可能だと思います。普通に行けば午後10時か10時半ぐらいには着くものと思われます」

「そうか。じゃあその日彼らは現地で泊まるつもりだっただろうから伊豆高原周辺でどこかホテルを事件の関係者が予約しているかもしれないな。ここは伊東の捜査本部に言ってそいつを調べてもらおう。もしかしたら水谷らが先に着いてチェックインしている可能性もある」

「ええ、そうですね」


 児玉は捜査本部にいる松平刑事課長に車両に付いている警察無線を使って調査を依頼した。要請を受けた松平はすぐに対応してくれ、小一時間ほどで回答が来た。これまでの態度が一変、すっかり物分かりのいい腰の軽い上司になっている。児玉はこれを見て権力の後押しがあるとこうも人間変わるものかと感心し、また、自分もあまり人のことは言えないが少し呆れもするのだった。そして松平の答えは、

「一碧湖畔の『伊豆高原レイクホテル』に水谷一郎名義で3名の予約があった。部屋は2部屋だ。水谷らが先にチェックインしている」であった。

「分かりました。ありがとうございます。また何か進展がありましたらご連絡いたします」と児玉も返す。

「3人分の予約ですか…。では共犯とみられる佳子は黒子に徹し、表向きは玄太郎だけが伊豆高原に来る予定だったと見ていいですね。車を使った可能性が低いのなら、玄太郎は鉄道を使って来たと考えるのが自然じゃないでしょうか?」と丸山が言った。

「うん…、そうだな。いや待てよ。途中の駅で車を用意したのかもしれん。ここは捜査本部にも応援を頼んで京都から新幹線の各駅をしらみつぶしに調べよう。それと帰宅後の玄太郎の行動をもう一度徹底的に洗い直すんだ」と児玉が力を込めて言った。

「分かりました」と丸山は言って応えた。

「田辺さんは、この盗難車が盗まれる前日の2月3日から事件前日の2月5日までの京都から熱海までの新幹線各駅の調査をお願いできますか?。捜査本部に要請して田辺さんの応援も寄越すよう頼みますから」と児玉が言った。

「よし、分かった。そっちは引き受けた」と田辺は言って快く承諾した。

「ありがとうございます。俺たちは小林玄太郎の他に考えられる移動手段について調べます」

「ああ、分かった」

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