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ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
古より吹く風

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第七十八夜 本部の返答

第七十八夜 本部の返答


 メシア教会本部からの返答は、翌朝にはまだ届いていなかった。


 当然だ。


 通常なら三日から七日。


 クラウディアはそう言っていた。


 しかも今回は、聖女隠匿事件と呼ばれてきた記録の根拠確認である。


 古い。


 重い。


 扱いを誤れば、教会本部自身の立場にも関わる。


 すぐに返ってくる方が、むしろ怖い。


 リシアは、朝食の席でそう思いながら、卓上に置かれた薄い表示を見ていた。


 表示されているのは、公開連絡板の語彙変化である。


 祈りの自由。


 信仰への敬意。


 聖女。


 寄進。


 隠匿。


 そして、婚約者の務め。


 昨日までは別々に見えていた言葉が、少しずつ同じ流れの中へ混ざり始めている。


 リシアは、スープの匙を止めた。


 肉団子の数を数えていたセラも、今日は少しだけ表示を見る時間が長い。


「混ざっていますね」


 ステファニアが静かに言った。


「はい」


 クラウディアが頷く。


「昨日の夜から、祈りの自由という語が急増しています。直接的な教会擁護ではなく、個人の祈りを制限すべきではない、という形が中心です」


「それ自体は、間違っていませんね」


 リシアが言うと、アリシアが扇を開いた。


「ええ。そこが厄介ですわ」


 祈りは、祈る者のもの。


 アリシア自身が、そう言った。


 だから、祈りの自由という言葉を正面から否定することはできない。


 してはいけない。


 だが、その言葉がどこへ向けられているかは見なければならない。


「祈ることと、祈りの対象を所有することは別です」


 ステファニアが言った。


「ですが、祈りの自由という言葉だけが前に出ると、その後ろにある所有や保管の話が見えにくくなります」


「はい」


 クラウディアが表示を切り替える。


 公開連絡板の一文が浮かんだ。


 祈りたい者が祈ることまで、家門の記録で制限されるべきではない。


 リシアは眉を寄せた。


 家門の記録で制限。


 そんな話ではなかったはずだ。


 昨日、アリシアは祈りを否定しなかった。


 エレナも、それを受け取っていた。


 なのに、公開連絡板ではもう、ファーランドが祈りを制限しようとしているような形に変わっている。


「これは」


 リシアは言葉を探した。


「ずらされていますね」


「はい」


 クラウディアが答える。


「論点が、保管権限と呼称根拠から、祈りの自由へ移されています」


 アリシアが、楽しそうではない笑みを浮かべた。


「よくある手ですわ。答えにくい問いを受けた時、答えやすい問いに置き換える」


「祈る自由はありますか、と聞かれれば、ありますと答えるしかありません」


 ステファニアが続ける。


「けれど、今問うているのは、誰が、何の根拠で、像の保管や呼称を主張したのか」


「はい」


 リシアは頷いた。


 自分の中で、少しだけ線が引けた。


 祈りの自由はある。


 だが、祈りの自由を根拠に、記録の問いから逃げることはできない。


 その二つは同じではない。


 セラが、真面目な顔で言った。


「相手が盾を出したのに、こちらが盾を斬りに行くと、剣を振ったこちらが悪く見えます」


 全員の視線がセラへ向いた。


 セラは少しだけ首を傾げる。


「違いますか」


「いいえ」


 アリシアが、目を細めた。


「とても分かりやすいですわ」


 セラは頷いた。


「ならば、盾を見て、盾の後ろの足を見るべきです」


 リシアは、思わず感心した。


 騎士の例えは、時々恐ろしく実用的だ。


 ステファニアも、少しだけ表情を緩めた。


「祈りの自由という盾の後ろに、保管権限の足があるかを見るのですね」


「はい」


 セラは、そこでようやくスープへ戻った。


 肉団子が一つ減る。


 場の空気も、少しだけ戻った。


     ◇


 午前の講義は、宗教法制史だった。


 偶然にしては、できすぎている。


 リシアは席に着きながら、そう思った。


 学院は、やはりただ講義を並べているだけではない。


 騒ぎが起きれば、必要な言葉を講義の形で置く。


 それが学生を押さえるためなのか、考えさせるためなのか。


 おそらく両方なのだろう。


 教壇に立ったラウル教官は、黒板に三つの言葉を書いた。


 信仰。


 儀礼。


 権限。


「この三つは、しばしば同じ場所に並びます」


 教官は言った。


「ですが、同じものではありません」


 教室の空気が、すぐに変わった。


 前方にはジークフリートがいる。


 隣にはアルヴィン。


 少し離れてミリアとオスカー。


 イレーネは後方の席にいた。


 メシア教会系学生会のエレナも、今日は教室の左側に座っている。


 背筋を伸ばし、手元の筆記板に目を落としていた。


 ラウル教官は続ける。


「信仰とは、個人または共同体が何を尊ぶかという問題です。儀礼とは、それをどのような形で表すかという問題です。権限とは、その場、その物、その記録、その人に対して、誰が何を決められるかという問題です」


 黒板に線が引かれる。


 三つの言葉の間に、短い空白ができた。


「信仰があるから、儀礼が生まれる。儀礼があるから、権限が必要になる。そこまでは自然です」


 教官は、そこで教室を見渡した。


「しかし、信仰があるから権限がある、とは限りません」


 誰かが小さく息を止めた。


 リシアは、エレナの横顔を見た。


 エレナは、動かなかった。


 けれど、筆記板に置いた指が少しだけ強くなっている。


「祈る者は、祈る自由を持ちます。ですが、祈った対象を所有する権限を、自動的に得るわけではありません。逆に、保管権限を持つ者が、祈りの意味を独占できるわけでもありません」


 リシアは、思わず息を吐いた。


 昨日の面談が、講義の形で置かれている。


 もちろん、固有名は出ない。


 ファーランドも、聖女像も、メシア教会系学生会も出ない。


 だが、分かる者には分かる。


 分かる者が、勝手に名を混ぜないように、一般論として置かれている。


 学院は、ずるい。


 そして、賢い。


「では、問いです」


 ラウル教官が言った。


「ある礼拝対象について、信徒が長く祈ってきた事実がある。しかし、その対象物の由来、保管権限、移動権限については別の家門記録が存在する。この場合、最初に確認すべきものは何か」


 教室が静かになる。


 何人かが、エレナを見る。


 エレナは顔を上げなかった。


 その代わり、別の学生が手を挙げた。


 イレーネ・バルシュだった。


「祈りの自由が損なわれていないか、まず確認すべきではありませんか」


 教室の空気が、少しだけ張る。


 ラウル教官は、表情を変えなかった。


「理由は」


「信徒にとって、祈りは大切なものです。対象物の扱いを家門記録だけで決めてしまえば、信徒の心を軽んじることになります」


 間違ってはいない。


 リシアは、そう思った。


 だが、やはりずれている。


 祈りを軽んじてよいか、という問いに変わっている。


 ラウル教官は頷いた。


「信徒の心を軽んじてはならない。それは重要です」


 イレーネの顔に、ほんの少し安堵が浮かぶ。


 だが、教官は続けた。


「では、信徒の心を軽んじないために、保管権限の確認を省略してよいでしょうか」


 イレーネが、言葉を止める。


「祈りの自由を守ることと、対象物の由来や保管権限を確認することは、対立するとは限りません。むしろ、後者を曖昧にしたまま前者だけを主張すれば、祈りの名を借りて権限を動かそうとしていると見なされる危険があります」


 黒板に、もう一つ線が引かれる。


「最初に確認すべきものは、問いの種類です。信仰への配慮を問うているのか。儀礼形式を問うているのか。権限と記録を問うているのか」


 リシアは、ステファニアを見た。


 ステファニアは、前を向いている。


 横顔は静かだった。


 だが、目の奥に強い光があった。


 この講義は、彼女にも刺さっている。


 婚約者の名。


 守るという言葉。


 殿下の立場。


 それらもまた、問いの種類を間違えると別のものになる。


     ◇


 講義後、教室の出口付近はいつもより少し混んでいた。


 誰も大声では話さない。


 だが、小さな声がいくつも重なっている。


「祈りと権限は別」


「でも、信徒の心も」


「家門記録だけで決めるのは」


「聖女という呼び方は」


「婚約者の務めも、本人意思と別に」


 混ざっている。


 また、混ざっている。


 リシアは、足を止めそうになった。


 すぐ前で、ステファニアが止まらず歩く。


 リシアも続いた。


 廊下へ出たところで、エレナが近づいてきた。


 彼女は一礼する。


「リシア様。ステファニア様。アリシア様」


「エレナ様」


 リシアが応じる。


 エレナは、今日は一人だった。


 学生会の上級生も、記録担当もいない。


 そのこと自体が、少し意味を持つ。


「先ほどの講義について、一言だけ」


 エレナは言った。


「正式な照会ではありません。私個人の確認です」


 ステファニアが頷く。


「伺います」


「祈りの自由という言葉が、公開連絡板で増えていることは把握しています」


 エレナは、少しだけ目を伏せた。


「その中には、私たち学生会の意図とは異なる形で、昨日の照会を利用しているものがあります」


「利用」


 リシアが繰り返す。


「はい」


 エレナは頷いた。


「祈りを守りたいという言葉そのものは、否定できません。私も否定しません。ですが、祈りの自由を理由に、史料根拠の確認を攻撃のように扱うことは、照会の趣旨と違います」


 アリシアが、扇を閉じたままエレナを見ていた。


 エレナは、その視線を受けても逃げなかった。


「その旨を、学生会内で確認します」


「公開しますか」


 アリシアが問う。


 エレナは、少しだけ考えた。


「今すぐ公開すれば、学生会が内部で割れていると見られます」


「割れていないのですか」


 アリシアの問いは鋭かった。


 リシアは、思わず息を止める。


 エレナは、数拍だけ沈黙した。


 そして、答えた。


「割れています」


 廊下の空気が、少しだけ変わった。


 近くにいた学生たちが、聞いていないふりを強める。


「ですが、今ここで学生会の分裂を公開することは、照会文の信頼性を下げます。まず内部記録で、祈りの自由と史料照会を混同しない方針を確認します」


 アリシアは、少しだけ微笑んだ。


「賢いですわね」


 エレナは、身構えた。


 その反応が、リシアには少し分かる。


 アリシアに褒められると、怖い。


「ありがとうございます」


 それでも、エレナはきちんと礼をした。


 アリシアは続ける。


「ただし、内部記録だけでは足りなくなる時が来ます。その時、誰の名で外へ置くかを間違えないことです」


「はい」


「学生会の名で置くのか。エレナ様個人の名で置くのか。教会本部の名を待つのか。それぞれ意味が違います」


「承知しています」


 エレナは答えた。


 少し疲れている顔だった。


 だが、目はしっかりしている。


 リシアは、また思った。


 この人は、誠実なまま難しい場所に立たされている。


 そして、そこから逃げていない。


 アリシアが、ふと柔らかく言った。


「無理はなさらないでくださいね」


 エレナが、一瞬だけ目を見開いた。


 たぶん、意外だったのだろう。


 リシアも少し意外だった。


 アリシアは、こういう言葉を言う時もある。


 ただし、その直後に続けた。


「壊れる前なら、使い道はありますもの」


「アリシア様」


 リシアとステファニアの声が重なった。


 エレナは、少しだけ固まっていた。


 それから、なぜか小さく笑った。


「……心得ます」


「今のは笑うところではありませんわ」


 アリシアが言う。


 エレナは、少しだけ目を伏せた。


「すみません。少し、楽になりました」


 その言葉は、また個人のものだった。


 記録に残す場ではない。


 けれど、リシアの胸には残った。


     ◇


 メシア教会本部の返答が届いたのは、その日の夕方だった。


 早すぎる。


 クラウディアが通知を見た瞬間、そう言った。


 場所は貸与邸の居間。


 リシア、アリシア、ステファニア、セラが揃っている。


 アインは窓際にいた。


 表情は変わらない。


 だが、視線だけがクラウディアへ向いた。


「通常の照会返答としては早すぎます」


 クラウディアは淡々と続ける。


「事前に想定文が用意されていた可能性があります」


「内容は」


 アリシアが問う。


 クラウディアが表示を開いた。


 表題。


 聖女隠匿事件に関する照会への初期回答。


 初期回答。


 その言葉だけで、リシアは少し嫌な予感がした。


 正式回答ではない。


 しかし、無回答でもない。


 先に場を取るための文書。


 そう見えた。


 クラウディアが読み上げる。


「本部は、信徒が長きにわたり当該聖女像へ祈りを捧げてきた事実を重く受け止める。当該事案は単なる物品保管の問題ではなく、信仰共同体の記憶と慰藉に関わるものである」


 アリシアの扇が、微かに動いた。


「続けて」


「そのため、当該像の由来および保管経緯については、信徒への配慮を欠く形での公開や一方的な史料解釈を避けるべきである。本部としては、関係各所と慎重に協議のうえ、適切な祈りと記憶の保全のあり方を検討したい」


 クラウディアは、そこで一度止めた。


 リシアは、文面を見た。


 綺麗だ。


 とても綺麗に書かれている。


 信徒。


 祈り。


 記憶。


 慰藉。


 配慮。


 慎重に協議。


 どれも、否定しにくい言葉ばかりだ。


 だが、肝心の問いに答えていない。


「一次記録の所在は」


 ステファニアが静かに問う。


「記載なし」


「聖女像呼称の根拠文書は」


「記載なし」


「寄進要求や保管権限主張の根拠文書は」


「記載なし」


「学院保存記録との照合に供する写し提示可否は」


「記載なし」


 ステファニアは、目を伏せた。


「では、回答ではありません」


「はい」


 クラウディアが頷く。


「照会に対する初期反応です」


 アリシアが、静かに笑った。


「早いわけですわ」


「はい」


 クラウディアが表示をさらに下げる。


「末尾に、学生会への指示があります」


「読みなさい」


「学院内においては、信徒の祈りを軽んじる言動が生じぬよう配慮し、当該事案が信仰共同体への不当な攻撃として受け取られぬよう注意されたい」


 部屋が静かになった。


 リシアは、胸の奥が冷えるのを感じた。


 信徒の祈りを軽んじるな。


 不当な攻撃として受け取られぬよう注意。


 直接、ファーランドを責めてはいない。


 けれど、学生会がこの文をどう読むか。


 学院内の誰が、どう利用するか。


 それが見える。


「盾ですね」


 セラが言った。


 静かな声だった。


「大きな盾です」


 アリシアが頷いた。


「ええ。そして盾の後ろに足が見えますわ」


 ステファニアが文面を見つめる。


「史料照会に答えず、信仰への配慮を求める」


「はい」


 クラウディアが答える。


「本部内で、信仰権威側が先に返した可能性が高いです。ただし、初期回答という語を使っているため、史料調査派の余地を完全には潰していません」


 アインが、窓際から短く言った。


「割れているな」


「はい」


 クラウディアは頷く。


「一枚岩ではありません」


 リシアは、エレナの顔を思い出した。


 本部は一枚岩ではない。


 彼女は、そう言っていた。


 その通りだった。


 ただし、最初に届いたのは、史料で返す者の文書ではなかった。


「エレナ様は」


 リシアが言うと、クラウディアは端末を見る。


「同時受領しています。学生会宛ての指示文としても届いています」


「……大丈夫でしょうか」


「楽ではないでしょう」


 クラウディアの答えは短かった。


 大丈夫とは言わない。


 言えないのだろう。


 アリシアは、しばらく黙っていた。


 そして、扇を閉じる。


「返します」


「どの名で」


 ステファニアが問う。


 アリシアは、少しだけ楽しそうに目を細めた。


「もちろん、ファーランド大公家側の記録照会として」


「祈りへの返答ではなく」


「ええ」


 アリシアは、文面を見た。


「信徒の祈りは尊重する。信仰共同体への配慮も否定しない。そのうえで、照会した四点への回答は未記載である、と返します」


 クラウディアが、すでに記録を始めていた。


「照会未回答として扱いますか」


「初期回答として受領します。ただし、照会事項への回答は未了」


 アリシアは即答した。


「本部が初期回答と書いた逃げ道を、そのまま使わせて差し上げますわ」


 リシアは、思わずアリシアを見た。


 逃げ道を使わせる。


 優しいようで、優しくない。


 相手が自分で「初期」と書いた以上、次の回答を求められる。


 正式回答ではないという道を残した代わりに、正式回答を出す責任が残る。


「怖いですね」


 リシアは、思わず漏らした。


 アリシアが笑う。


「褒め言葉として受け取りますわ」


「半分くらいは、そうです」


「では、残り半分もいずれ」


「いえ、それは結構です」


 ステファニアが小さく咳払いした。


 場が少しだけ緩む。


 けれど、すぐに戻った。


 クラウディアの端末が、さらに表示を増やしたからだ。


「公開連絡板で、初期回答の断片が流れ始めました」


「早すぎます」


 ステファニアが言った。


「はい。学生会内の誰か、または本部側から別経路で出ています」


 表示が浮かぶ。


 教会本部も、信徒の祈りを軽んじないよう求めたらしい。


 やはり祈りを制限する動きがあったのでは。


 聖女を家門の記録だけで囲い込むことは、信仰への不当な攻撃になりかねない。


 リシアは、息を呑んだ。


 速い。


 そして、もう形が変わっている。


 本部の文面は、まだ「受け取られぬよう注意」だった。


 公開連絡板では、もう「不当な攻撃になりかねない」になっている。


 盾が、少し前へ出た。


 足も、動いている。


「次は」


 ステファニアが、静かに言った。


「祈りの自由と、婚約者保護が混ざりますね」


 クラウディアが頷く。


「既に兆候があります」


 表示が変わる。


 信仰を守る者を遠ざけることも、殿下を支える者を遠ざけることも、根は同じではないか。


 リシアは、意味を理解するのに一拍遅れた。


 理解した瞬間、背筋が冷えた。


 祈りを守る者。


 殿下を支える者。


 どちらも、遠ざけられている。


 そう見せたいのだ。


 ファーランドは祈りを遠ざける。


 ステファニアは殿下を支える者を遠ざける。


 根は同じ。


 そう混ぜる。


「混ぜられる名」


 アリシアが呟いた。


 まだ第八十一夜の題名を知っているわけではない。


 けれど、言葉はそこへ向かっていた。


 アインが、窓の外を見たまま言った。


「混ぜる奴は、だいたい自分の名を出さない」


 短い。


 けれど、よく分かる。


 リシアは、公開連絡板の文面を見た。


 たしかに、誰の名もない。


 祈り。


 殿下。


 聖女。


 婚約者。


 大きな名ばかりが置かれ、書いた者の名はない。


「では」


 ステファニアが言った。


「次に必要なのは、守るという言葉を、誰が、誰のために使っているかを見ることですね」


 アリシアが、満足そうに頷いた。


「よろしいですわ」


 ステファニアは、今度は身構えなかった。


 ただ、静かに頷いた。


「ありがとうございます」


 リシアは、その横顔を見た。


 疲れている。


 だが、昨日より少しだけ硬い。


 壊れそうな硬さではない。


 自分で立とうとしている硬さだ。


 それでも、守るという圧はこれから来る。


 優しい言葉の形をして。


 拒みにくい顔をして。


 誰かのためを名乗って。


 リシアは、首元の端末へ意識を向けた。


 表示は、もう出ている。


 だが、すぐには読まなかった。


 まず、自分で一つだけ言葉を置く。


「守るという言葉を、受け取る前に確認しましょう」


 皆がリシアを見た。


 リシアは、少しだけ息を吸う。


「誰を、何から、どの権限で守るのか」


 アリシアが、ふわりと笑った。


「九割五分ですわ」


「残り五分は」


「声が少し硬いです」


「それは、仕方ありません」


 リシアが答えると、ステファニアが小さく笑った。


 セラも頷く。


「硬い声でも、届くならよいと思います」


「ありがとうございます」


 リシアは答えた。


 窓の外で、学院の夜灯が揺れている。


 本部からの返答は、答えではなかった。


 だが、次に何が来るかは見えた。


 祈りの自由。


 殿下を支える者。


 婚約者保護。


 守るという言葉。


 それらが一つの流れに混ざり始める音が、白い学院の夜の底で、静かに鳴っていた。


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