第七夜 着替えの作法
リシアとステファニアは、畳まれた服を前にして黙り込んだ。
「……リシア様」
「はい」
「これは、わたくしたちだけで着替えられるものなのでしょうか」
「おそらく、着替えやすいように作られているのだとは思います」
「思います、ということは」
「分かりません」
二人は、同時に端末を見た。
呼び出し。
赤い印ではなく、青い印。
「押しますか」
「押しましょう」
リシアは覚悟を決めて、青い印に触れた。
十秒も経たず、扉が開いた。
入ってきたのは、灰白色の服を着た女だった。
医療区画でセラを処置していた者たちと同じ意匠だが、腰の道具は少なく、袖口には淡い青の線が入っている。
「お呼びでしょうか」
声は穏やかだった。
だが、立ち方に隙がない。
「……お着替えを」
リシアが言いかけると、女は一礼した。
「お手伝いいたします。クラウディア副司令より、必要になる可能性が高いと申し送りを受けております」
「そこまで、予測されていたのですか」
「はい」
「……恥ずかしいですわね」
ステファニアが小さく呟く。
「ご不快でしたら申し訳ありません。ですが、魔力枯渇後の着替えは転倒リスクがあります。遠慮なくお任せください」
女の手つきは丁寧だった。
丁寧なのに、速い。
汚れた布地を肌から離す時も、傷のあった場所に触れる時も、痛みも羞恥も最小限になるよう迷いがない。
侍女とは違う。
神官とも違う。
医師とも違う。
ただ、人の身体を扱うことに慣れた者の手だった。
「普段は、侍女の方が?」
「はい」
「では、こちらの留め具は前合わせにします。腕を上げなくて済みますので」
「……そのようなことまで」
「患者の負担を減らすためです」
用意された服は、柔らかな灰白色だった。
寝間着より薄く、肌着よりしっかりしている。
布は絹に似ているが、伸びがあり、肌に吸いつかない。
「病衣です。診察や処置が必要な箇所だけ開けられるようになっています」
「必要な箇所だけ……」
ステファニアが少しだけ視線を逸らす。
「はい。不要な露出は避けます」
「それは、ありがたいですわ」
リシアは、袖を通しながら小さく息を吐いた。
身体が軽い。
けれど、力はまだ戻りきっていない。
もし一人で着替えようとしていたら、途中で座り込んでいたかもしれない。
それを見越して、あの濃紺の女は人を寄越したのだ。
恐ろしいほど、隙がない。
「お召し物はこちらへ」
女は血に濡れ、裂けたドレスを白い箱へ収めた。
「紋章、刺繍、装飾は記録済みです。可能な限り原形に合わせて補修します」
「そこまでしていただけるのですか」
「身分を示す衣服は、本人確認と尊厳に関わりますので」
リシアは言葉を失った。
この人たちは、恐ろしく異質だ。
けれど、無礼ではない。
知らない言葉を使う。
知らない道具を使う。
知らない理屈で動いている。
それでも、傷ついた者を粗末には扱わない。
「ありがとうございます」
リシアが言うと、女は静かに頭を下げた。
「必要な処置です」
礼を受けるためではなく、ただそうするべきだからそうした。
そんな答えだった。
ステファニアの着替えも、同じように滞りなく終わった。
右足の傷も、右腕の傷も、布越しにはもう分からない。
それがかえって、リシアには信じがたかった。
ほんの少し前まで、彼女は血を流し、剣を握ることもできなかったのに。
「最後に、魔力枯渇後の補助剤を入れます」
「補助剤、ですか」
「はい。身体の回復を助ける薬です」
リシアは、飲み薬を出されるのだと思った。
だが、灰白色の女が取り出したのは、小さな白い器具だった。
匙でも、杯でも、薬包でもない。
先端は丸い。
針もない。
刃もない。
穴すら見えない。
本当にそれで薬を入れられるのか、リシアには分からなかった。
「腕をお借りします」
「腕、ですか」
「はい。皮膚から薬を入れます」
リシアは、思わず動きを止めた。
「皮膚、から?」
薬とは、飲むものだ。
あるいは傷に塗るものだ。
魔法薬ならば吸わせることもある。
だが、皮膚から入れるとはどういうことなのか。
「切るのですか」
ステファニアの声が少し硬くなる。
「切りません」
「刺すのですか」
「刺しません」
「では、どうやって入れるのですか」
「圧を使います。痛みはほとんどありません。不安でしたら、目を逸らしていてください」
説明は短い。
けれど、隠してはいない。
リシアは息を整え、腕を差し出した。
「お願いします」
「はい」
灰白色の女は、器具の丸い先端をリシアの腕へ軽く当てた。
ぷしゅ、と小さな音がした。
「終わりました」
「……終わったのですか」
「はい」
リシアは腕を見る。
傷はない。
血も出ていない。
痛みもない。
ただ、皮膚の下にほんの少しだけ冷たいものが広がったような感覚があった。
「気分は悪くありませんか」
「大丈夫、です」
「では、ステファニア様も」
ステファニアは自分の腕を見下ろし、それから器具を見る。
「本当に、切っていませんの?」
「切っていません」
「刺しても?」
「いません」
「……薬が、皮膚を通ったのですか」
「はい」
ステファニアはしばらく考えた。
「理解できませんわ」
「正常な反応です」
灰白色の女は、淡々と答えた。
「知らない処置に不安を覚えるのは自然です。ご不快でしたら、次回から先にもう少し詳しく説明します」
その言葉に、リシアは少しだけ驚いた。
この人たちは、何もかもが異質だ。
けれど、恐怖を軽んじない。
「痛みはありますか」
「ほとんどありませんわ」
「違和感は」
「あります。ですが、傷の痛みというより……自分の身体ではないような軽さです」
「魔力枯渇後の回復処置によるものです。しばらくすれば馴染みます」
「馴染む、のですか」
「はい」
ステファニアは、もう驚くことにも疲れたように小さく頷いた。
女は二人の状態を確認し、端末へ何かを記録する。
「お着替えと補助剤の投与は完了です。しばらくは寝台でお休みください。食事は消化に負担の少ないものをお持ちします」
「セラの様子は」
リシアが尋ねる。
「安定しています。医療ポッドでの治療を継続中です。容体に変化があれば、すぐにお知らせします」
「会うことは、できますか」
「現在はおすすめしません。対象三は集中治療中です。面会は副司令の許可後になります」
リシアは唇を噛んだ。
会いたい。
生きている姿を、この目で確かめたい。
けれど、先ほどの透明な棺を思い出す。
青白い光。
心拍、消失。
通電。
助けます、という濃紺の女の声。
邪魔をしていいはずがない。
「分かりました」
リシアは頷いた。
「セラを、お願いします」
「承りました」
灰白色の女は、もう一度頭を下げた。
「ご用があれば、端末の青い印でお呼びください。緊急時は赤い印を」
「はい」
「それでは、失礼いたします」
扉が開き、女は静かに出ていった。
扉は音もなく閉じる。
白い部屋に、リシアとステファニアだけが残された。
二人はしばらく、何も言わなかった。
手元には、黒い端末。
身には、灰白色の病衣。
壁の向こうには、草原でも廊下でもない、理解の及ばない何かが広がっている。
やがて、ステファニアがぽつりと言った。
「……リシア様」
「はい」
「ここで生き残るには、まず服の着方から覚えなければならないようですわ」
リシアは思わず瞬きをした。
そして、少しだけ笑った。
「ええ」
笑えることに、自分でも驚いた。
「そうですね。まずは、そこからです」




