第六十五夜 一手指南
第六十五夜 一手指南
街路の交点に、黒い魔導騎装が立っている。
八咫烏。
その名を知る者は、この時代にはほとんどいない。
けれど、その場にいた者たちは、名を知らなくても理解していた。
あれは、近づいてよいものではない。
帝国兵は、動けなかった。
魔導騎装は、膝をついたまま沈黙している。
搭乗者は生きている。
機体も残っている。
ただ、追う力だけが奪われている。
その異様さが、かえって兵たちの足を止めていた。
「全対象、合流点通過」
ローランド級の指揮所で、管制官が告げる。
「回収殻、降下準備」
「地上班、最終経路へ移行」
「帝都兵力、北工廠区へ集中。魔導騎装反応、未起動を含め複数」
ヴァレンは指揮卓を見ていた。
救出対象は、まだ安全圏ではない。
だが、最も危険な地点は抜けた。
今、必要なのは、追手を引きつける壁。
その壁は、帝都の街路に立っている。
「殿下」
クラウディアが通信を開いた。
「回収殻降下まで、二分四十秒」
「了解」
アインの声は、広場から返る。
「その間、ここに置く」
ここに置く。
自分を、壁として。
リシアは、その言い方に胸の奥が冷えるのを感じた。
けれど、もう少しだけ分かる。
アインは死にに行っているのではない。
守る場所を、自分で選んでいる。
◇
帝都の奥から、別の魔導騎装が出てきた。
派手な装飾はない。
肩に飾りもない。
胸部の紋章も、必要最小限の塗り分けだけ。
装甲は鈍い鋼色。
関節部は丁寧に覆われ、余計な突起は削られている。
見栄えのために作られた機体ではない。
戦場で壊れにくく、直しやすく、動きを邪魔しないよう作られた機体だった。
その後ろに、同じ系統の機体が四機続く。
いずれも装飾は少ない。
だが、立ち方が違った。
先ほどまでの帝国機のように、力を誇示するために胸を張ってはいない。
重心が低い。
武器を構えていないのに、すでに構えている。
「新規魔導騎装、五」
管制官の声が変わった。
「機体反応、安定。出力は高くありませんが、揺れが少ない」
クラウディアの目が細くなる。
「鼻つまみ者の部隊、でしょうか」
ヴァレンが言った。
「帝国軍内で、扱いづらいが実戦では使えるとされる部隊があると、帝都支店から断片情報がありました」
「なぜ鼻つまみ者に」
ステファニアが小さく問う。
「上に従う前に、現場を見るからです」
ヴァレンは淡々と答えた。
「そういう部隊は、組織では嫌われます」
リシアは、表示の中の五つの光点を見た。
怖い。
けれど、先ほどまでの赤い光とは違う怖さだった。
荒れていない。
それが、逆に怖かった。
◇
先頭の魔導騎装が、一歩前へ出た。
鋼色の機体。
剣を持っている。
長すぎない。
厚すぎない。
人型の機体が扱う剣として、無理のない長さだった。
外部スピーカーが開く。
声は、怒鳴らなかった。
「黒き機体の騎士」
帝国兵たちがざわめいた。
その声に、侮りはなかった。
「一手、御指南いただきたい」
広場に沈黙が落ちる。
後続の機体の一つが動きかけた。
「隊長!」
その声を、先頭機が右手だけで制した。
機体の右手。
大きく振るのではない。
ただ、少し上げる。
それだけで、後続は止まった。
「ただし、この場は狭い」
隊長と呼ばれた男は続けた。
「民家を背にして刃を交える趣味はない。近くに、死合うにはちょうどよい空き地がある。そちらへお越し願いたい」
クラウディアが、即座に地図を呼び出した。
「殿下」
「見えている」
アインは答える。
隊長が示した先は、旧資材置き場だった。
工廠区の端。
建物は少なく、逃走経路からも外れている。
罠に使える場所ではある。
だが、救出対象へ近づく道ではない。
八咫烏が、ゆっくりと首を縦に振った。
広場に、またざわめきが起きる。
先頭の魔導騎装が半歩下がり、剣を下げる。
「感謝する」
それだけ言って、踵を返した。
アインは、後を追う。
黒い機体と鋼色の機体が、街路を離れていく。
後続四機も続く。
だが、距離を取っていた。
囲まない。
走らない。
武器を上げない。
リシアは、その光景を見て、息を詰めた。
「罠、ではないのですか」
「罠として使えます」
アリシアが言った。
「けれど、あの隊長は、今は使わないでしょう」
「なぜ、そう分かるのですか」
「右手で止めましたもの」
アリシアは扇の端で、表示の中の鋼色の機体を示した。
「部下が先に動きかけた時、怒鳴らず、脅さず、右手だけで止めた。あれで止まる部下です。あれで止められる隊長です。少なくとも、今この一手だけは本物ですわ」
リシアは、もう一度表示を見た。
黒い機体と鋼色の機体が、旧資材置き場へ入っていく。
◇
旧資材置き場は、広かった。
使われなくなった石材の山。
半分崩れた足場。
空の運搬台。
周囲には低い壁がある。
民家はない。
逃げる馬車の経路からも離れている。
隊長の機体は、中央で足を止めた。
後続四機は、壁際で停止する。
見届ける距離。
介入する距離ではない。
八咫烏は、向かい合う位置で止まった。
隊長機が剣を上げる。
八相に似た構えだった。
剣は右肩の上。
切っ先は天を指す。
だが、飾りではない。
上段から叩き割るためだけの構えでもない。
間合いを測り、相手の初動を読むための構え。
それを、魔導騎装でやっている。
アインは、それを見てわずかに息を吐いた。
「なるほど」
八咫烏は、剣を右へ流す。
切っ先はやや下。
胴を開くようでいて、どこにも入れない。
右へ旋るための構え。
受けるためではない。
相手の道を、こちらの道へ変えるための構えだった。
隊長機の外部スピーカーが開く。
「名乗るべきところだが、今は名乗らぬ」
声には、笑みが混じっていた。
「勝てば名乗る。負ければ捕虜として名乗ろう」
アインは外部スピーカーを開かなかった。
ただ、八咫烏の戦術主眼が静かに灯る。
隊長は、それを見た。
見た上で、視線を奪われなかった。
初めてだった。
この時代の帝国機で、戦術主眼の光を見ながら、目付けを崩さなかった者は。
アインの口元が、わずかに動いた。
「良い」
その声は外へ出ていない。
「いざ、参る」
隊長機が踏み込んだ。
◇
速い。
だが、跳ねない。
重い。
だが、鈍くない。
鋼色の機体は、帝国式の荒い脈動を使っていなかった。
出力は控えめ。
その代わり、初動が素直だった。
踏み込み。
腰。
肩。
剣。
全てが、一本の線として繋がっている。
アインは、動かない。
隊長機の剣が落ちる。
八相からの一太刀。
斬る場所は、肩ではない。
頭でもない。
黒い機体の動き出す道。
そこへ、剣が置かれていた。
読んでいる。
リシアは、指揮所で息を止めた。
あの隊長は、八咫烏を斬ろうとしているのではない。
八咫烏が動く場所を斬ろうとしている。
次の瞬間、八咫烏が動いた。
後ではない。
先でもない。
相手の一太刀が生まれた後。
けれど、届く前。
後の先。
黒い機体が右へ旋る。
隊長機の剣は、空を斬った。
いや、空ではない。
八咫烏が、そこにあるはずだった道を斬った。
だから、隊長の剣は間違っていない。
間違っていない剣を、アインはさらに一歩奥で外した。
八咫烏の剣が、低く走る。
刃に、エーテルが通った。
一瞬だけ。
静かに。
鋼色の機体の胴を、黒い線が抜けた。
音は遅れて来た。
隊長機は、一歩進んだ姿勢のまま止まる。
剣は振り下ろされた後。
足は前へ出ている。
姿勢は崩れていない。
けれど、胴の継ぎ目が開いた。
上半身が、わずかに遅れて傾く。
落ちる。
部下の一機が動いた。
「隊長!」
だが、動ききる前に、笑い声が響いた。
外部スピーカーからだった。
大きな笑い声。
痛みによるものではない。
恐怖でもない。
胸の底から抜けるような、明るい笑いだった。
「見事!」
隊長の声が響く。
上半身を落としかけた機体の中から、それでも声が出ていた。
「見事だ。道を斬られた。いや、道ごと奪われた」
部下たちが止まる。
隊長機の上半身は、ゆっくりと地面へ落ちた。
だが、胸部機関は爆ぜない。
搭乗席も潰れていない。
アインは、そこも避けて斬っていた。
隊長は、それを理解して笑っている。
「黒き騎士」
隊長は言った。
「貴殿の剣に惚れた」
旧資材置き場に、妙な沈黙が落ちた。
「ぜひ、私を捕虜にしていただきたい」
◇
指揮所で、誰もすぐには声を出さなかった。
リシアは、何を聞いたのか分からなかった。
捕虜にしてほしい。
負け惜しみではない。
命乞いでもない。
むしろ、嬉しそうだった。
「……アリシア様」
「ええ」
アリシアは扇を口元へ寄せている。
目が、少しだけ楽しそうだった。
「面倒な方が増えましたわね」
「面倒、なのですか」
「とても」
アリシアは言った。
「けれど、こういう面倒は嫌いではありませんわ」
クラウディアが通信を開く。
「殿下、対象隊長機、戦闘不能。搭乗者生存反応あり」
「分かっている」
「捕虜希望とのことです」
「聞いた」
アインの声は、少しだけ疲れていた。
「部下は」
ヴァレンが管制表示を見る。
「四機、戦闘姿勢解除。武装を下げています」
「全機?」
「全機です」
旧資材置き場の映像で、四機がゆっくりと剣を下げた。
うち一機が、外部スピーカーを開く。
「隊長を捕虜にするなら、我らも同行する」
別の一機が続いた。
「隊長だけ預けるわけにはいかん」
三機目。
「我らは鼻つまみ者ゆえ、戻っても面倒です」
四機目。
「飯は出ますか」
沈黙。
リシアは、思わず瞬きをした。
セラが、少しだけ顔を上げる。
「捕虜にも食事は出るのでしょうか」
「出ます」
クラウディアが即答した。
なぜか、そこだけは迷わなかった。
アリシアが、小さく笑う。
「よろしいのではなくて?」
「よろしい、とは」
リシアが聞く。
「あの方々、負け方を知っていますわ」
アリシアは言った。
「負けた後に、剣をどこへ置くべきかも」
◇
旧資材置き場で、八咫烏は剣を下げていた。
隊長機の上半身は地面に落ちている。
下半身は、まだ膝をついて残っている。
見事なまでに、搭乗席を外した断ち方だった。
隊長は、まだ笑っていた。
「いや、痛快だ。あれほど綺麗に負けたのは初めてだ」
アインは、外部スピーカーを開いた。
低い声が、旧資材置き場に落ちる。
「名前は」
「敗者ゆえ、先に名乗ろう」
隊長は答えた。
「グランカーン帝国北工廠区警備別働隊隊長、ディートハルト・ヴァイス」
少し間があった。
「帝国軍内では、鼻つまみ者のヴァイス隊、と呼ばれている」
「なぜ嫌われている」
「命令書より現場を見るからだ」
即答だった。
「それと、上官の宴席に呼ばれても剣の稽古を優先する」
アインは、ほんのわずかに沈黙した。
「それは嫌われるな」
「そうだろう」
隊長はまた笑った。
「それで、黒き騎士。捕虜として扱ってもらえるか」
「条件がある」
「聞こう」
「救出対象の回収が終わるまで、部下を動かすな」
「承知」
「通信を切れ」
「承知」
「部下に命じろ。武装を地面へ置き、機体を降りる準備をしろ」
「それは少し待ってほしい」
部下の一機が動きかける。
だが、ディートハルトが笑いながら制した。
「機体を降りると、我らはただの鼻つまみ者になる。せめて捕虜として引き渡されるまでは、機体の中にいさせてくれ。逃げはせん」
アインは、少しだけ考えた。
「ヴァレン」
「はい」
「拘束できるか」
「可能です。機体外部から駆動系を封じ、通信を遮断します。搭乗者は内部に残せます」
「やれ」
「了解」
降下班の一部が、旧資材置き場へ向かった。
ディートハルトの部下たちは、武器を下げたまま動かない。
その姿勢に、嘘はなかった。
◇
ローランド級の指揮所では、合流点の表示が変わった。
「回収殻、降下」
「地上班、誘導開始」
「全対象、回収殻圏内へ」
救出対象を示す灯が、ひとつずつ回収範囲へ入っていく。
リシアは、その灯を見ながら、旧資材置き場の映像も見ていた。
救出。
追手。
捕虜。
戦闘。
それらが、同時に動いている。
頭の中が追いつかない。
けれど、アリシアの言葉を思い出す。
全部を見るのではない。
動いているものと、動いていないものを見る。
動いているもの。
回収殻。
地上班。
降下班。
搬送対象。
動いていないもの。
八咫烏。
武器を下げた四機。
笑っている隊長。
リシアは、ようやく少しだけ息を吐いた。
「妙な方ですね」
「ええ」
ステファニアが答える。
「ですが、嫌いではありません」
セラが首を傾げた。
「捕虜になりたいというのは、普通なのでしょうか」
「普通ではありません」
クラウディアが言った。
「ただし、現場判断としては非常に合理的です」
「合理的、ですか」
「あの隊長は、黒き騎士に勝てないことを確認しました。部下を死なせず、自分たちの身柄を価値ある情報源として差し出す。帝国へ戻れば処罰される可能性も高い。捕虜になった方が、生存率は高い」
クラウディアはそこで一拍置いた。
「問題は、本人がそれを楽しんでいることです」
アリシアが扇の陰で笑った。
「殿方とは、時々本当に面倒ですわね」
◇
旧資材置き場で、ディートハルトはまだ楽しそうだった。
「黒き騎士」
「何だ」
「先ほどの一太刀、名はあるのか」
「ない」
「ないのか」
「必要ない」
ディートハルトは、また笑った。
「ますます惚れた」
アインは答えなかった。
八咫烏は、剣を下げたまま、旧資材置き場の入口を見ている。
救出対象を載せた回収殻が、地上班を収めるまでの時間。
帝都側が次の命令を出すまでの時間。
捕虜希望の部隊を拘束するまでの時間。
全てが重なっている。
それでも、旧資材置き場には奇妙な静けさがあった。
死合いは終わった。
戦は、まだ終わっていない。
だが、その一手だけは、確かに終わっていた。
ディートハルト・ヴァイスは、満足そうに言った。
「よい負けだった」
八咫烏の戦術主眼が、わずかに細くなる。
アインは、通信を閉じたまま呟いた。
「変な奴だ」
その声は、少しだけ昔のアインに近かった。




