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ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
古より吹く風

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第四十八夜 小茶会の席

第四十八夜 小茶会の席


 小茶会の会場は、学院本館二階の小応接室だった。


 私的な談話室ではない。


 王族や有力家門の学生が、学院内で正式な来客や面談を行う時に使う部屋である。


 扉の横には、貸室記録用の小さな魔石板が嵌め込まれていた。


 使用者。


 使用時間。


 目的。


 同席者。


 すべてが残る。


 リシアは、その魔石板を見て、少しだけ息を整えた。


 ただのお茶会ではない。


 ここに入った時点で、今日の言葉は記録のある場所に置かれる。


 それだけで、空気が違った。


 胸元の首飾りが、視界の端に淡い表示を出す。


 貸室記録、確認済み。


 参加者名簿、事前照合済み。


 話題範囲、制限設定済み。


 有時情報管制レベル二、継続。


 リシアは小さく頷いた。


 隣にはアリシア。


 その向こうにステファニア。


 セラは一歩後ろ。


 アインはさらに少し離れた位置にいる。


 ユリア・ノートンは、緊張した顔で記録用の薄い板を胸に抱えていた。


「本当に、私が同席してよかったのでしょうか」


 ユリアが小さく言う。


「もちろんです」


 リシアは答えた。


「今日は、親睦の茶会です。ですが、学院内の正式貸室を使っています。資料や記録の扱いに明るい方がいてくださると、私たちも安心できます」


「安心」


 ユリアは瞬きをした。


 たぶん、自分が社交の場で安心材料として扱われるとは思っていなかったのだろう。


 アリシアが楽しそうに微笑む。


「ユリア様は、場を硬くするために呼ばれたのではありませんわ」


「はい」


「記録の置き場所を、自然に正しくするためにいらしていただいたのです」


 ユリアは少しだけ背筋を伸ばした。


「でしたら、努めます」


 扉が開いた。


 先に姿を見せたのは、アルヴィン・ラーデンだった。


 第一王子付側近。


 昨日の補足書状に署名していた人物である。


 若いが、学生というより官吏に近い雰囲気をまとっていた。


 表情は丁寧で、動きに無駄が少ない。


「お待たせいたしました」


 アルヴィンは深く礼をした。


「本日はご足労いただき、ありがとうございます。殿下もまもなく」


 言い終わる前に、奥の扉からジークフリートが入ってきた。


 その後ろに、ミリア・セルヴィン。


 そして、騎士家の学生らしい青年が一人続いている。


 リシアの視界の端に、首飾りの表示が出た。


 オスカー・ベルトラン。


 ベルトラン騎士爵家。


 ジークフリート殿下周辺。


 表示は短い。


 それ以上は出ない。


 必要な分だけだ。


 ジークフリートは、まず部屋全体を見た。


 次にリシアへ。


 アリシアへ。


 アインへ。


 そして、一拍置いて、ステファニアへ視線を戻した。


 戻した。


 リシアは、その順番を胸の中で繰り返した。


 最初からステファニアへ向かなかった。


 けれど、戻った。


 昨日までなら、戻らなかったかもしれない。


 それは進歩なのか。


 それとも、補正された動作なのか。


 分からない。


「ステファニア嬢」


 ジークフリートが言った。


「昨日までの書状の扱いについて、改めて詫びる。東方の件で王家筋の確認が重なったとはいえ、君への礼を薄く見せる形になった」


 部屋の空気が、少しだけ変わった。


 言った。


 本人が、本人の口で。


 ステファニアは静かに礼を返した。


「お言葉、承りました」


 声は穏やかだった。


 責めていない。


 許してもいない。


 受け取った、という声だった。


 リシアは、胸の奥でその言葉をそっと置いた。


 お言葉、承りました。


 それは、とてもステファニアらしい返事だった。


「本日は、婚約者として同席いただきたい」


 ジークフリートは続けた。


「また、リシア公女、アリシア公女、アイン殿、セラ嬢、ユリア嬢にも、学院内の親睦として参加を願いたい」


 整っている。


 名前も、順番も、立場も。


 リシアはそう思った。


 整えられている。


 だが、整っていることと、自然であることは同じではない。


 アリシアの扇子が、小さく開いた。


「ご丁寧にありがとうございます、ジークフリート殿下」


 アリシアは微笑んだ。


「では、本日は書状の通り、学院内親睦の席として頂戴いたしますわ」


「ああ」


 ジークフリートは頷いた。


 席は、あらかじめ用意されていた。


 中央の丸卓。


 上座にジークフリート。


 その右にステファニア。


 左にリシア。


 アリシアはリシアの隣。


 ミリアは少し離れた位置。


 アルヴィンとオスカーはジークフリート側の後ろ寄り。


 ユリアは、記録用の小卓に近い席。


 アインとセラは、壁際に近いが、会話から完全には外れない位置。


 見れば見るほど、よく考えられている。


 ステファニアは婚約者として隣に置かれている。


 リシアたちも客として扱われている。


 ユリアも記録に関わる者として不自然ではない。


 ただし。


 この席を考えたのが誰なのかは、すぐ分かった。


 ジークフリートではない。


 アルヴィンだ。


 リシアは、そう感じた。


 クラウディアほどではない。


 アリシアほど怖くもない。


 けれど、事務の線がきれいすぎる。


 間違えないために組まれた席だ。


 心が自然に向いた席ではない。


「どうぞ」


 茶が注がれる。


 香りはよかった。


 淡い花の香り。


 聖王国でよく使われる茶葉だと、ステファニアが以前教えてくれた。


「ユリア嬢にもご同席いただけて、ありがたい」


 ジークフリートが言った。


「読み合わせの席で、記録媒体についてよい意見を出されたと聞いている」


 ユリアが少し驚いた顔をした。


「ありがとうございます。まだ試作段階です」


「試作段階でも、必要なものは必要だろう。東方の戦火では、記録の保全が難しくなる」


 東方。


 来た。


 リシアは、首飾りの表示を見ないようにした。


 見なくても、注意は分かっている。


 学院公式周知の範囲まで。


 推測しない。


 独自情報を出さない。


「学院長府の周知でも、避難民と交易路への影響確認が始まったとありました」


 ユリアは慎重に答えた。


「記録媒体は、まず公的な窓口で不足すると思います」


「なるほど」


 ジークフリートが頷く。


「アイン殿の国では、こうした場合、どのように記録を保つ?」


 リシアは、わずかに指先が冷えるのを感じた。


 アインは、茶器を持ったまま視線だけを上げた。


「公式記録と避難民台帳を分ける」


 短い答えだった。


「混ぜると、どちらも壊れる」


 ジークフリートは少し身を乗り出した。


「詳しく聞いても?」


「一般論なら」


 アインは淡々と言った。


「戦況は公式発表を待つ。避難民の台帳は、誰がどこから来て、誰と一緒にいて、何を必要としているかを記す。戦況の正しさと、人の保護に必要な情報は別だ」


 ユリアが、はっとした顔をした。


 記録用の板に、何かを書き込んでいる。


「戦況の正しさと、人の保護に必要な情報は別」


 小さく繰り返す。


「それは、二層式にも応用できます」


 ジークフリートはユリアを見た。


 そこに、純粋な関心があった。


 少なくとも、その瞬間だけは。


「面白いな」


 彼は言った。


「ミリア、研究院側への橋渡しは可能か」


「はい、ジークフリート殿下」


 ミリアはすぐに答えた。


 ジーク様、とは言わなかった。


 言わなかったのに、リシアはその一瞬を見てしまった。


 ミリアは、ジークフリートの言葉に反応するのが速い。


 速すぎる。


 ステファニアの茶器を置く音が、ほんの少しだけ遅れた。


 小さな音だった。


 誰も気づかないかもしれない。


 けれど、リシアには聞こえた。


 アリシアにも、たぶん聞こえている。


「研究院への橋渡しでしたら」


 リシアは口を開いた。


 自分でも、少し驚くほど自然に声が出た。


「ユリア様ご本人の予定と、研究院側の手続きが先でしょう」


 ミリアがこちらを見る。


 驚いた顔ではない。


 測る顔だ。


「もちろんですわ、リシア様」


 ミリアは微笑んだ。


「その上で、殿下の周囲からもお力添えを」


「ありがとうございます」


 リシアは微笑み返した。


「必要になりましたら、ユリア様から研究院へお話しいただき、その後でお願いする形がよいと思います」


 アリシアの扇子が、口元を隠す。


 笑っている。


 たぶん、笑っている。


 ユリアは慌てたようにリシアとミリアを見比べた。


 けれど、すぐに頷いた。


「はい。研究院の担当教官へ、まず私から相談します」


「それがよろしいですわ」


 ステファニアが静かに言った。


「ユリア様の研究は、ユリア様のものですもの」


 その言葉で、場の中心がユリアへ戻った。


 ミリアの橋ではなく。


 ジークフリートの関心でもなく。


 ユリア本人の研究として。


 リシアは、胸の奥で小さく息を吐いた。


 これが、置き直すということなのだろう。


「失礼しました」


 ジークフリートが言った。


 その声に、わずかな苦笑が混じっていた。


「急ぎすぎたようだ」


「必要なものが見えると、手を伸ばしたくなるのは自然です」


 ステファニアは答えた。


「ですが、誰の手で持つべきかは、別の問題です」


 ジークフリートは、ステファニアを見た。


 今度は、一拍置かなかった。


 まっすぐ見た。


「そうだな」


 短い返事だった。


 それだけで、ステファニアの表情が少しだけ変わった。


 嬉しさではない。


 安堵でもない。


 たぶん、確認だ。


 この人は、聞けば分かる。


 けれど、最初から見えているわけではない。


 リシアには、そう見えた。


 茶会は続いた。


 話題は学院生活へ移る。


 講義。


 研究院棟。


 編入試験。


 リシアたちの貸与邸。


 ロシナンテの航海。


 その名が出た時、オスカーが少し身を乗り出した。


「三日で着いたというのは、本当ですか」


 セラが真面目に頷いた。


「本当です」


「馬車で一月ほどの距離を」


「はい」


「船で」


「はい」


「……速すぎませんか」


 とても正直な感想だった。


 リシアは少し笑いそうになった。


 セラは首を傾げる。


「速かったです」


「そういう意味では」


 オスカーが言いかけて、口を閉じた。


 アインがこちらを見ていたからだ。


 何も言っていない。


 ただ見ているだけ。


 けれど、オスカーは姿勢を正した。


「失礼しました」


「いい」


 アインは短く答える。


「船が速いのは事実だ」


 事実。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 リシアは少しだけ感心した。


 隠していない。


 けれど、説明もしない。


 相手が勝手に想像する余地を残している。


「アイン殿」


 ジークフリートが言った。


「貴殿は、編入試験の結果待ちだったな」


「ああ」


「学院で何を学ぶつもりだ」


 アインは少し考えた。


「今の時代の常識」


 あまりにも短い答えだった。


 ミリアが瞬きをした。


 オスカーも。


 ジークフリートだけは、少し笑った。


「それは、広いな」


「広い」


「剣や魔法ではなく?」


「必要なら学ぶ」


 アインは茶を置いた。


「だが、まずは何を言うと無礼で、何を言わないと無礼になるかだ」


 リシアは、思わずアインを見た。


 それは、今この場そのものの話だった。


 ジークフリートも、それを理解したのだろう。


 表情が少しだけ引き締まる。


「耳が痛いな」


「痛いなら、まだ聞こえている」


 アインは淡々と言った。


 部屋が静かになった。


 厳しい言葉だ。


 だが、不思議と侮辱には聞こえなかった。


 ジークフリートは、しばらくアインを見た。


 そして、ゆっくり頷いた。


「覚えておく」


 ステファニアは、何も言わなかった。


 ただ、茶器に添えた指が、ほんの少しだけ緩んだ。


 茶会の終わり際、アルヴィンが改めて礼を述べた。


「本日は、こちらの不手際にもかかわらず、席をお受けいただきありがとうございました」


「不手際」


 アリシアが、柔らかく繰り返す。


 アルヴィンの背筋がわずかに伸びた。


「はい」


 逃げなかった。


 それは少し意外だった。


「今後は、書状、伝言、席次、同席者の扱いについて、殿下の意思と齟齬が出ないよう整えます」


「整えるのはよいことですわ」


 アリシアは微笑んだ。


「ただ、整えすぎると、誰の心がどこにあるか分からなくなることもございます」


 アルヴィンは一瞬だけ黙った。


 ジークフリートも、ミリアも、オスカーも。


 リシアは、扇子の影に隠れたアリシアの目を見た。


 穏やかだ。


 怖いほどに。


「今日は、よい席でした」


 アリシアは言った。


「ですから、次はもう少しだけ、心の置き場所も見える席にいたしましょう」


 それは助言だった。


 たぶん。


 宣告にも聞こえたけれど。


 退出の礼を交わし、リシアたちは小応接室を出た。


 廊下は白く、窓から午後の光が差し込んでいる。


 扉が閉じた瞬間、リシアは小さく息を吐いた。


「疲れました」


「よくできましたわ」


 アリシアが言った。


「何割でしょうか」


「今日は八割五分」


「下がりました」


「場が難しくなりましたもの」


 慰めなのか、評価なのか分からない。


 けれど、リシアは少しだけ笑った。


 ステファニアは廊下の窓へ目を向けていた。


「ステファニア様」


 リシアが声をかけると、彼女は振り返った。


「大丈夫ですか、とは聞きません」


「はい」


「あとで、一緒に記録を見直しましょう」


 ステファニアは、ほんの少しだけ目を細めた。


「お願いいたします」


 それは、大丈夫という言葉より、ずっと確かな返事だった。


 胸元の首飾りが、静かに表示を出す。


 茶会終了。


 記録保全、完了。


 追加確認事項、三件。


 リシアは、その文字を見た。


 三件。


 やはり、終わっていない。


 茶会は終わった。


 だが、置かれた言葉は、これから戻ってくる。


 その重さを考えながら、リシアは白い廊下を歩き出した。


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