表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
古の残響

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/70

第二夜 透明な棺

 第二夜 透明な棺


 光が弾けた。


 森が消える。

 血の匂いが遠ざかる。

 湿った土の感触も、腐葉土の匂いも、追い詰められた息苦しさも、一瞬で途切れた。


 リシア・ファーランドが次に見たのは、白だった。


 白い天井。

 白い壁。

 白い床。


 あまりに清潔で、あまりに明るくて、そこがどこなのか分からなかった。


「転送完了。対象三名、医療区画へ収容」


 女の声がした。


 黒装備の女兵たちが、三人を白い床へ横たえる。

 そこへ、灰白色の服を着た女たちが駆け寄ってきた。


 先ほどの女兵たちとは、服の意匠が違う。


 鎧ではない。

 神官の衣でもない。

 袖も裾も動きを妨げないよう整えられ、腰には見たことのない道具がいくつも留められていた。


 けれど彼女たちは、血に濡れたセラを前にして少しも怯まなかった。


「対象一、意識混濁。魔力枯渇。外傷軽微。トリアージ、イエロー」

「対象二、裂傷複数。魔力枯渇。右大腿部刺創、右上腕裂傷。トリアージ、イエロー」

「対象三、右肩口より胸部まで深創。出血量危険域。呼吸浅。トリアージ、レッド」


 何を言っているのだろう。


 リシアは、ぼんやりとそう思った。


 身体が動かない。

 指先が冷たい。

 まぶたが重い。


 けれど、眠るわけにはいかなかった。


「セ……ラ……」


 声は、ほとんど息にしかならなかった。


 視界の端で、透明な棺のようなものが開いていた。

 灰白色の女たちが、血に濡れたセラをそこへ運び込んでいく。


「対象三を第三医療ポッドへ。止血、鎮痛、感染遮断を同時開始」

「了解」


 その時、鋭い警告音が鳴った。


 短く、冷たい音だった。


「対象三、脈拍低下」

「呼吸停止」

「心拍、消失」


 リシアの耳から、すべての音が遠のいた。


 心拍、消失。


 言葉の意味だけは分かった。


「セラ……?」


 声にならない声が漏れる。


 灰白色の女たちの動きが速くなる。

 だが、誰も叫ばない。

 誰も取り乱さない。


「第三医療ポッド、即時起動」

「蘇生モードへ」

「胸部圧迫補助、準備」

「通電準備」


 セラの身体が、透明な棺の中へ滑り込む。


 蓋が閉じる。


「やめ……」


 リシアは手を伸ばそうとした。

 だが指先は、ほんの少しも動かなかった。


 透明な棺の内側で、青白い光が走る。


「一回目、通電」


 セラの身体が、小さく跳ねた。


 リシアの喉が引きつる。


「反応なし」

「二回目、出力調整」

「通電」


 再び、青白い光。

 セラの胸がわずかに浮く。


 長い一秒。


 長すぎる一秒。


「心拍、再捕捉」


 誰かが言った。


「洞調律へ復帰」

「呼吸補助、接続」

「血圧、戻ります」

「出血制御、急いで」


 灰白色の女たちが、さらに速く動く。

 透明な棺の中で、セラの胸がかすかに上下した。


 生きている。


 リシアは、そう思った。

 思った瞬間、視界が滲んだ。


 灰白色の女たちが走る中で、ひとりだけ濃紺の軍服を着た女がいた。


 少女と呼ぶには落ち着きすぎ、年長者と呼ぶには若すぎる女だった。


 彼女だけは走らない。

 だが、彼女の声ひとつで、部屋中の人間が動いた。


「止めないで。ここからが本番です」


 濃紺の女が静かに言う。


「対象三、標準設定では右腕機能に後遺症の可能性」

「完全機能回復へ変更」

「現地人への高負荷再生です。承認権限が必要です」


 濃紺の女は、ためらわなかった。


「私が承認する」


「副司令、殿下の承認なしに?」


「殿下なら命じます」


 副司令。

 殿下。

 現地人。

 完全機能回復。


 知らない言葉ばかりだった。

 意味が繋がらない。


 リシアは首を動かそうとした。


 セラを見なければ。

 ステファニアを見なければ。

 自分だけ眠るわけにはいかない。


 だが、身体は言うことを聞かなかった。


「リシア様……」


 かすれた声がした。


 ステファニアだった。

 彼女も担架の上に横たえられている。右足には血が滲み、右腕は灰白色の女に押さえられていた。


「ステファニア、様……セラ、は……」


「分かり、ません……でも……」


 ステファニアの視線が、透明な棺へ向く。


 青白い光が、セラの身体を包んでいた。

 血に濡れた鎧は外され、傷口の周囲に見たこともない細い光の線が走っている。


 死者にする扱いではない。


 リシアは、そう思った。


 棺ではない。

 あれは、きっと治療のためのものだ。


 そう思いたかった。


「眠ってください」


 濃紺の軍服の女が、リシアのそばへ来ていた。


 近くで見ると、やはり若い。

 けれど、その瞳は戦場に立つ者のものだった。


「あなたも魔力枯渇を起こしています。今は休むべきです」


「セラ、を……」


「治療しています」


「助かり、ますか」


 女は一瞬だけ黙った。


 その沈黙が、リシアの胸を冷たくする。


 だが女は、すぐに答えた。


「助けます」


 同じ言葉だった。


 森で、白髪の少年が言った言葉。


 助ける。


 その言葉が、胸の奥に落ちた。


「……あの方、は」


「殿下は現地に残っています。後始末です」


「でん、か……」


 殿下。


 黒い女兵がそう呼んだ。

 この女も、そう呼ぶ。


 白い髪。

 赤い瞳。

 魔力の刃。

 ありえない魔法陣。


 これは、本当に人なのだろうか。


 問いは、形にならなかった。


 リシアの視界が白く霞む。


「鎮静を浅く。意識低下、確認」

「対象一、バイタル安定」

「魔力枯渇処置、開始します」


 声が遠くなる。


 最後に見えたのは、青白い光の中に沈むセラの姿だった。

 そして、その前に立つ濃紺の軍服の女。


 リシアは、もう一度だけ唇を動かした。


「セラを……」


「助けます」


 その返事を聞いて。


 リシアの意識は、今度こそ闇に沈んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ