第十七夜 古い血の名前
第十七夜 古い血の名前
心拍波形が、視界の片隅でいつも通り揺れていた。
隔壁の向こうで、セラは眠り続けている。光の格子が、その全身を静かに包んでいた。
メディナが、端末を一度確認してから口を開いた。
「お話いたします」
穏やかな声だった。
「搬入時の緊急処置において、三名の方から血液を含む複数のサンプルを採取しております」
リシアは、そのまま聞いた。
「緊急医療の範囲内での採取でしたので、事前に承諾をいただく手順は取っておりません。ご報告が遅れたことについては、お詫び申し上げます」
「……構いません」
ステファニアが、短く言った。
「分析は行っております。ただし処置の直後に急拵えで用意した試薬によるものでした。精度の面から、正規の試薬を用いた再検証を行いたいと考えております。加えて、時間経過による変化を追跡したいと考えております」
「追加のサンプルが必要だということですか」
「はい。あらためて、皆様からご承諾をいただいた上で採取を行わせていただけますか」
リシアはステファニアを横目で見た。
ステファニアはメディナを見たまま動かなかった。
「お断りする理由はありません」
リシアが言うと、メディナはわずかに表情を動かした。
ステファニアが続けた。
「一つ、確認させてください」
「はい」
「その分析で、何を調べているのですか」
部屋が静かになった。
リジェスカが、わずかに姿勢を変えた。
メディナは一拍置いた。言葉を選んでいるのか、それとも別のことをしているのか、目線がわずかに動いた。
「それが、お話したかったことの本題です」
答えにも答えでもない言葉だった。
メディナが、目を閉じた。
一瞬だけ。二秒か、三秒。
リジェナが端末を確認した。リジェスカは静かに待った。
メディナが目を開けた。
「失礼しました」
その二秒の意味を、リシアはまだ掴んでいなかった。
「分析の内容についてですが——」
リジェナが、端末から顔を上げた。
「……メディナ主任」
声が、少し違った。
メディナが端末を見た。
「セラ様の数値が、動いています」
リシアは、気づく前に隔壁の向こうを見ていた。
視界の片隅の波形が、変わっていた。
心拍が、わずかに速くなっている。
メディナが端末を操作した。
音がした。低く、かすかな音だった。医療ポッドの内部で、何かが動き始めた。
液体の水位が、少しずつ下がっていった。
リシアは、目が離せなかった。
ポッドの内側が、少しずつ見えてくる。充填されていたものが引いていくにつれて、中の輪郭が、少しずつはっきりしていった。
水位が下がり切った。
ポッドが、静かに開いた。
セラがいた。
マスクと呼ばれるものをつけたまま、片膝を立て、もう一方の足を緩く折った姿勢で、ポッドの縁に収まっていた。濡れた髪が額に張り付いている。
右手が、ゆっくりと動いた。
耳の後ろを、一度だけ掻いた。
リジェナが口元に手を当てた。リジェスカは天井の一点を見た。
セラが自分でマスクを外した。
一度、深く息を吸った。
それから、部屋を見回した。
リジェナを見た。リジェスカを見た。メディナを見た。ステファニアを見た。
そこで止まらなかった。
続いた。
リシアのところで、止まった。
しばらく、何も言わなかった。
ポッドの縁に腰かけたまま、セラはリシアを見ていた。
リシアは、セラを見ていた。
言葉が出なかった。数字で知っていたことが、今は目の前にある。生きているという事実を、もう一度、形として受け取っていた。
セラが、口を開いた。
「……ご無事でしたか」
リシアは、答えるまでに少し時間がかかった。
「……はい」
それだけ言えた。
ステファニアが静かに息をついた。その音だけが聞こえた。
セラが部屋をもう一度見回した。
リシアを見た。ステファニアを見た。メディナを見た。リジェナとリジェスカを見た。もう一度、リシアとステファニアを見た。二人の後頭部に装着された端末を、少し不思議そうに見た。
最後に、メディナを見た。
「……お話の最中でしたか」
誰も否定しなかった。
セラは一度だけ目を閉じた。開いた。
「続けてください」
それだけ言った。
メディナは、三人を順番に見た。隔壁のこちら側を見た。向こう側を見た。
一拍置いた。
「あらためて、お話いたします」
端末を確認してから、続けた。
「搬入時の分析と、その後の経過観察を通じて、一つの可能性が浮かびました」
視界の片隅で、心拍波形が穏やかに揺れている。
「詳細については、後ほど別の方にも同席していただいた上でご説明したいと考えております。まず、概要だけお伝えします」
別の方、という言葉が、部屋に少しだけ残った。
メディナが、三人を見た。
「実は、あなた方はベルカの系譜である可能性が高いのです」
部屋が、静かになった。
心拍波形だけが、変わらず穏やかに揺れ続けていた。




