幕間二十七 どちらへ帰る
幕間二十七 どちらへ帰る
捕虜区画の面談室から、長机が運び出されていた。
残されたのは、椅子が二脚。
机が一つ。
机の上には、二枚の文書が置かれている。
一枚は、帝国へ戻るためのもの。
もう一枚は、ここへ残るためのものだった。
「隊長からですか」
ヴァイス隊の最年少の騎士が尋ねた。
「いいえ」
クラウディアは答えた。
「あなたからです」
扉は閉じている。
壁際に警備の調整体が一体立っているが、ヴァイスも、他の部下もいない。
五人は一人ずつ、別の時間に呼ばれていた。
「ディートハルト・ヴァイスの回答は、あなたの回答へ影響しません。あなたの回答も、彼の回答へ伝えません。全員の手続きが終わるまで、相互確認は禁止します」
「隊長と相談することも?」
「できません」
「随分と念入りですね」
「隊長が決めた五人分の回答を受け取るつもりはありません」
クラウディアは、帝国への帰還条件から説明した。
捕虜交換、または中立経路を使った送還。
武装を除く私物の返還。
帰還経路上の護衛。
アークライトおよびファーランド側からの追跡、報復、帰還後の工作要求は行わない。
ここで知った機密については、帰還前に開示範囲を整理する。ただし記憶の消去は行わず、虚偽の証言も求めない。
「随分と良い条件です」
「良い部分だけを説明してはいません」
クラウディアは、次の欄を表示した。
帝国へ帰還した後、捕虜となった経緯、敵側施設での技術試験参加、ファーランド防衛への協力を理由に、軍法上の審理、拘束、降格、部隊解散、監視対象化を受ける可能性がある。
アークライト側は送還後の身分を保証できない。
帝国側へ事前に無罪や不処罰を要求することもできない。
若い騎士は、しばらく黙った。
「帰せば、敵になるかもしれません」
「はい」
「それでも帰すのですか」
「あなたが選べば」
「ここで見た機体のことを話すかもしれない」
「話せる範囲は話すでしょう。話せない範囲まで話せば、こちらが対処します」
「殺さずに?」
「必要がなければ」
若い騎士は、少しだけ笑った。
「隊長が気に入りそうな答えです」
「今は、隊長の話をしていません」
「そうでした」
もう一枚の文書には、残留条件が書かれている。
身分は捕虜ではない。
アイン個人への臣従を求めない。
帝国への憎悪、旧所属への侮辱、信仰の変更を求めない。
任務は、ファーランドおよびアークライト管理下における防衛、魔導騎装の試験、騎士と搭乗者への実戦教導。
民間人への攻撃、捕虜への虐待、本人の意思に反する政治宣伝への参加を命じることはできない。
指揮系統は任務ごとに明記し、現地防衛ではファーランド防衛指揮、艦内と技術試験ではアークライト管制へ従う。
契約の解除は可能。
ただし、作戦中の離脱は認めない。解除申請後、担当任務の引継ぎと機密整理を終えた時点で、帰還か第三地域への退去を選べる。
「騎士なのに、主君がいない」
「共同防衛試験騎士です」
「長いですね」
「仮称です」
「短くなる見込みは?」
「ありません」
若い騎士は、今度は声を立てて笑った。
◇
ディートハルト・ヴァイスが呼ばれたのは、五番目だった。
面談室へ入るなり、四人分の椅子がないことを確かめる。
「部下は」
「既に個別説明を終えています」
「回答は」
「伝えません」
「よい」
ヴァイスは椅子へ座った。
首元の識別帯が、淡く光っている。
剣を失い、自分から捕虜になると決めた日から付いていたものだった。
捕虜区画で眠った。
捕虜の食事を食べた。
捕虜として鍛錬場を借りた。
捕虜のまま新型機へ乗り、捕虜のまま防衛線へ出た。
帝国の魔導騎装を止めた時も、それは外れなかった。
「ようやく、捕虜をやめさせる気になったか」
「帰還も選べます」
「やめる先が帝国の牢という可能性もあるな」
「あります」
クラウディアは、四人へ説明したものと同じ条件を読み上げた。
語順も変えない。
危険も減らさない。
残留を勧める言葉も足さなかった。
ヴァイスは途中で口を挟まない。
帰還条件を聞き終え、残留条件を聞き終え、それから二枚の文書を見比べた。
「部下の答えは、本当に聞かせぬのだな」
「あなたが先に全員分を答えることも認めません」
「当然だ」
「当然ですか」
「部下には、部下の帰る場所がある」
ヴァイスは帰還文書を手に取った。
帝国北工廠区。
警備別働隊。
上官には嫌われ、同僚には鼻つまみ者と呼ばれた。
それでも守る場所はあった。
工廠の門。
夜勤明けの整備兵。
試験に失敗して肩を落とす若い搭乗者。
無理な期限を押し付けられても、翌朝には機体の下へ潜る技師達。
ヴァイスは、そこを守るために剣を振っていた。
「北工廠区の現在状況は」
「確認済みです」
クラウディアが別の記録を開いた。
「警備別働隊は、あなた方五名の未帰還後に解散。人員は三部隊へ分割。工廠警備は中央軍務局直轄部隊へ移管されています」
「工廠は動いているか」
「動いています。ただし、軍需優先率は以前より上がっています。負傷者の復帰待ちを理由にした搭乗者交代は認められず、試験損耗率も上昇しています」
ヴァイスの指が止まった。
「使い潰しているか」
「記録上は、運用効率化です」
「なら、使い潰している」
帰還文書が机へ戻された。
「戻って止める、という選択肢もあります」
「ある」
「選びませんか」
「私一人なら選んだかもしれん」
ヴァイスは正面を見た。
「だが、帰った私が守るべき線は、既に中央軍務局の命令書へ引き直されている。私が門へ立てば、工廠を守る前に、工廠の者へ私を監視させることになる」
旧資材置き場で、黒い機体と刃を交えた日のことを思い出す。
ヴァイスの剣は、八咫烏が動くはずの道を正しく斬った。
その正しい剣を、アインはさらに一歩奥で外した。
機体の胴だけを断ち、機関も搭乗席も、部下達が剣を収める余地さえ残した。
あの時、ヴァイスが惚れたのは強さだけではない。
斬れるのに、斬らない場所を選べる剣だった。
「私は、あの方の剣に惚れて捕虜になった」
クラウディアは何も挟まなかった。
「強いからではない。勝った後に、私と部下が帰る道まで残っていたからだ」
ヴァイスは残留文書へ手を置いた。
「ここで人と機体を帰す戦いをしているのが、あの剣の主なら。私はもう少し、その剣が何を守るのか見ていたい」
「それでも、戻る者を臆病とは扱いません」
「扱わせん」
声が少しだけ低くなった。
「戻ると決めた部下がいるなら、私の前へ連れてくる必要もない。送還の日まで別区画へ置け。説得もしない」
「承知しました」
「私の答えは、残る、だ」
「理由を記録します」
「ここなら、機体を戻せば乗っている者も戻ると、本気で考えている」
ヴァイスは首元の識別帯へ触れなかった。
「騎士を使い潰さず、機体も人も帰す戦いを続けられる。私は、その線を守る」
「アイン殿下個人への忠誠ではない」
「違う」
「帝国への敵対宣言でもない」
「違う」
「条件が破られた場合は」
「契約を切る」
「作戦中なら」
「終えてから切る」
クラウディアは回答を記録した。
最後に、署名欄を一度閉じた。
「正式署名は、模擬戦後です」
「試験に落ちれば帰すのか」
「いいえ」
「では、何の試験だ」
扉の外から、短い声がした。
「選んだ後の確認だ」
アインが入ってくる。
「何を守るか、見る」
ヴァイスは笑った。
「それは試験ではないのか」
「違う」
「何が違う」
「負けても答えは変えない」
アインは二枚の文書を見た。
「お前達が変えたいと言わない限り」
「なるほど」
ヴァイスは立ち上がった。
「では、負け方を見せよう」
◇
模擬戦区画には、低い丘が三つあった。
中央の丘には旗。
東側の窪地には、脚部停止状態の無人試験機が一騎。
西側には、五騎全てが入らなければ閉じない帰還線。
制限時間は二十分。
ヴァイス隊の勝利条件は、旗を終了時まで保持することではない。
無人試験機を回収し、帰還線まで運ぶ。
五騎全てが帰還線へ入る。
そのうえで旗が残っていれば、完全達成。
旗を失っても、回収機と五騎が戻れば任務達成。
回収機を捨て、旗だけを守った場合は失敗。
対するハイランダーは三騎。
旗の奪取、回収阻止、ヴァイス隊の帰還遅延を自由に選べる。
撃破判定を受けた機体は三十秒停止。
同一箇所への二度目の有効打で、該当部位を使用不能とする。
武装は全て模擬用。
それでも、三騎のハイランダーを見たヴァイス隊の一人が通信を開いた。
『隊長』
「何だ」
『帰る方を選び直してもよろしいでしょうか』
「私に聞くな」
『冗談です』
「なら、後で腕立てを増やせ」
『捕虜ではなくなってもですか』
「残るなら騎士だ。増えるに決まっている」
別の部下が割り込んだ。
『隊長、それは残ると答えた者への報復では』
「嫌なら今から帰れ」
『それはもっと嫌です』
ヴァイスは、大盾を持ち上げた。
盾の右縁は少しだけ削られている。
ウォーハンマーの柄は補強され、二度目の打撃でも捩れない。
五騎の首元では、搭乗者の識別帯と連動した表示が光っていた。
まだ捕虜だった。
『試験条件、最終確認』
クラウディアの声が降りる。
『所属選択は全員回答済み。模擬戦の結果は回答の承認、拒否、変更条件に用いません』
「了解」
『個別回答は、終了まで相互非開示を維持します』
「了解」
『開始』
三騎のハイランダーが消えたように見えた。
速いのではない。
速いだけなら、目で追える。
踏み出す前に、見る側が次に現れる位置を誤らされる。
中央へ向かったはずの一騎が、東の窪地へ落ちる。
旗を狙った一騎が、西側の帰還線を先に塞ぐ。
残る一騎は動かない。
「二番、三番、故障機へ」
『旗は』
「四番が残れ。五番は帰還線を開け」
『隊長は』
「動かない奴を殴る」
ヴァイス機が前へ出た。
重装甲機が、低い丘の斜面を滑るように登る。
正面のハイランダーは、まだ動かない。
近づけば斬られる。
止まれば、東と西を分断される。
ヴァイスは盾を正面へ置いたまま、歩幅を一つ狭めた。
次の瞬間、盾面へ模擬刃が触れる。
受けたのではない。
触れさせた。
刃が盾の縁を滑ったところで、ヴァイス機の肩が入る。
シールドバッシュ。
だが、ハイランダーは吹き飛ばない。
盾と肩の間へ片腕を差し込み、衝撃を斜め下へ逃がしていた。
「重いな」
『そちらが言うか』
若い声が返った。
ヴァイスは笑った。
「よい。喋る余裕があるなら、もう一度だ」
盾を引く。
引いたはずの重心が、次の踏み込みへ途切れず繋がる。
機体が戻る。
足が遅れない。
ハイランダーの模擬刃が左肩を狙った時には、盾面がもう次の位置にあった。
二度目の衝突音が、丘を震わせる。
◇
東の窪地では、二騎が無人試験機を起こそうとしていた。
脚部停止。
自力歩行不能。
牽引索を掛ければ早い。
だが、ハイランダーは索を狙える。
『右から来ます』
『見えている』
ハイランダーの模擬槍が伸びた。
ヴァイス隊の二番機は、無人機を抱えたまま背中を向ける。
避ければ、無人機へ当たる。
受ければ、自分が止まる。
三番機が盾を差し込んだ。
槍先が盾を叩き、三番機の右腕へ一度目の有効打が入る。
『一打もらいました』
『腕は』
『動きます。次はありません』
『では、次を作らせるな』
二番機が無人機の上体を起こす。
三番機は牽引索を使わず、自分の肩を無人機の脇へ入れた。
担ぐ。
重量警告が二段上がる。
『重い』
『機体一騎ですから』
『分かっている。だが、重い』
『落としますか』
『馬鹿を言うな。帰すぞ』
ハイランダーがもう一度踏み込んだ。
今度は盾を狙わない。
担いだ無人機の脚部へ槍を回し、三番機の重心ごと崩そうとする。
二番機が横から体当たりした。
ハイランダーではない。
担いでいる三番機の腰へ、盾の裏を当てる。
倒れる方向を変えた。
三番機は無人機を抱えたまま一歩滑り、膝をつき、それでも転ばなかった。
『いつも思うのですが』
『今か』
『この機体、重装甲のくせに、転びかけてから戻るのが滑らか過ぎませんか』
『今さらだ』
『褒めています』
『私もだ』
二騎は無人機を挟み、窪地から押し上げた。
◇
中央の旗は、四番機一騎が守っていた。
相手はまだ来ない。
来ないことが、圧力になっていた。
東を助ければ旗が空く。
西を助ければ中央を横切る間に取られる。
留まれば、仲間が二対一と一対一を続ける。
『隊長』
「何だ」
『旗を捨てても?』
「自分で決めろ」
『命令を』
「これは選んだ後の確認だそうだ」
ヴァイスはハイランダーの模擬刃を盾で噛み止めた。
「お前が何を守るかまで、私が決めるな」
通信が切れた。
四番機は旗の前で、あと二秒だけ止まった。
それから旗を抜いた。
持って逃げるためではない。
地面へ横たえ、丘の陰へ押し込む。
見えにくくしただけだ。
守備位置を離れ、西へ走る。
帰還線を塞いでいたハイランダーが、その動きを見た。
旗へ行けば奪える。
帰還線を守れば、五番機と四番機を止められる。
ハイランダーは旗へ向かった。
『行きました』
四番機が言った。
『旗を取りに』
『構うな』
五番機が、帰還線の前で大盾を構え直した。
『道を開けます』
二騎が左右へ分かれる。
旗を取ったハイランダーが中央丘から降りる頃には、西側の帰還線が空いていた。
完全達成は消えた。
だが、帰る道ができた。
◇
残り時間は五分。
無人試験機を運ぶ二騎が、西へ向かう。
帰還線では二騎が待つ。
ヴァイスだけが中央丘に残っていた。
正面のハイランダーは、模擬刃を下げた。
『帰るか、残るか』
戦域全体へ、アインの声が入った。
問いは、初めて投げられたものではない。
五人は既に答えている。
それでも、操縦席の中で、ヴァイスは自分の首元に残る光を見た。
「残る」
『何を守る』
「帰る線だ」
ヴァイス機は後ろへ下がった。
ハイランダーへ背を向けない。
勝つための前進ではない。
部下と回収機が帰るまで、相手を引き受けるための後退だった。
『一番、先に入ってください』
西から部下の声が届く。
「回収機が先だ」
『隊長が最後だと、また格好をつけたと言われます』
「誰にだ」
『全員にです』
「ならば言わせておけ」
ハイランダーが踏み込む。
ヴァイスは盾で受け、ウォーハンマーを振らない。
打てば、戻す時間が要る。
今必要なのは撃破ではない。
相手を一歩だけ遅らせ、自分が一歩だけ帰還線へ近づくことだった。
盾面がぶつかる。
足が滑る。
機体が戻る。
また一歩、下がる。
東から、無人試験機を抱えた三騎分の影が丘を越えた。
二番機。
三番機。
その間に、脚を止めた無人機。
帰還線の二騎が前へ出て、荷重を受け取る。
五騎が、一騎を帰すために集まった。
『回収機、帰還線通過』
クラウディアの声。
『二番、三番、四番、五番、通過』
残りはヴァイスだけだった。
旗を持ったハイランダーが、側面から近づく。
正面の一騎と合わせれば、挟める。
制限時間は三十秒。
『隊長』
「分かっている」
ヴァイスはウォーハンマーを投げた。
ハイランダーへではない。
正面の地面へ落とす。
相手の踏み込み位置を一つ塞ぎ、盾を両手で持った。
横から来る模擬槍を盾の縁で弾く。
正面の模擬刃を盾面で受ける。
二つの衝撃が重なり、右腕へ一度目の有効打。
盾が傾く。
ヴァイス機は倒れない。
傾いた姿勢を、そのまま後ろへの一歩へ変えた。
帰還線が踵へ触れる。
さらに一歩。
『一番、通過』
『制限時間終了』
模擬戦区画の全武装が停止した。
旗は、ハイランダーの手にある。
ヴァイス隊は一騎も撃破していない。
五騎全てが戻り、故障機も帰還線の内側にあった。
「任務達成」
ヴァイスは息を吐いた。
『完全達成ではありません』
クラウディアが訂正する。
「旗は次に取り返す」
『次がある前提ですか』
「残ると答えた」
少し間があった。
『確認しました』
◇
格納庫へ戻ると、五人は別々の位置へ立たされた。
捕虜になった時と同じだった。
ただし、今回は拘束のためではない。
五つの回答を、五人へ返すためだった。
クラウディアが最初の記録を開く。
「ディートハルト・ヴァイス。残留」
「応」
「残留理由。人と機体を帰す戦いを続けられるため」
「相違ない」
二人目。
「残留。帝国へ戻るより、新しい機体の癖を最後まで確かめたい」
「誰だ、そんな答えをしたのは」
ヴァイスが横を向く。
「相互確認禁止は終了しています」
部下の一人が、わずかに胸を張った。
「私です。隊長」
「正直でよい」
三人目。
「残留。北工廠区へ戻っても元の隊がなく、こちらでは自分の判断で守る対象を選べるため」
四人目。
「残留。帰還後の処分が怖いからではなく、負傷した搭乗者を置いていかない機体を完成させたい」
五人目。
「残留」
最年少の騎士が顔を上げた。
「理由。隊長が残るから、ではない」
格納庫に、小さな笑いが起きた。
「そこまで書いたのか」
「書きました」
「続きがあります」
クラウディアは平坦に読んだ。
「自分が残ると決めた場所に、結果として隊長も残ったため」
ヴァイスは腕を組んだ。
「生意気になったな」
「捕虜教育の成果です」
「誰が教えた」
「隊長です」
五人分の回答は、同じだった。
だが、一つではなかった。
五人がそれぞれ書き、それぞれ署名し、それぞれ残ると決めた。
アインが、五人の前へ立つ。
「約束は三つだ」
格納庫が静かになる。
「民を狙うな。捕虜を壊すな。帰れない命令には従うな」
「帰れない命令、とは」
ヴァイスが尋ねた。
「目的を終えても、人を戻す気がない命令だ」
「誰が判断する」
「現場でお前達が止める。管制へ上げる。俺かクラウが決める」
「殿下が間違えた場合は」
「止めろ」
ヴァイスは、一拍だけアインを見た。
「惚れた剣の主へ、剣を向ける許しまで出すか」
「間違えたらな」
「よい」
ヴァイスは深く頷いた。
「それなら、貴殿の剣に惚れた騎士でいられる」
アインは、格納庫脇の訓練具置き場へ手を伸ばした。
木剣を一本取る。
刃のない、ただの訓練具だった。
「一つだけ」
「今か」
「今だ」
ヴァイスは笑い、近くに置かれていた訓練盾を持った。
機体ではない。
人の手で持てる、重いだけの盾だった。
部下達が少し離れる。
クラウディアは止めなかった。
ただ、記録表示を開いた。
「勝敗判定は行いません」
「要らん」
ヴァイスは盾を構えた。
「貴殿の背を守るなどとは言わん」
「必要ないからな」
「だから、貴殿の剣が守るものを、横から守る」
アインは木剣を下げたまま、うなずいた。
「なら、見ろ」
一歩。
それだけだった。
木剣が振られたようには見えない。
ヴァイスの盾へ、音だけが乗った。
打撃は軽い。
だが、盾の中心ではなかった。
盾を割る場所でもない。
腕を壊す場所でもない。
ヴァイスの踏んだ足が、帰るために必要な一歩を失う場所だけを、正確にずらしていた。
盾は落ちない。
腕も痺れない。
それでも、ヴァイスの体は半歩だけ横へ流れた。
もし背後に民がいれば、守れる。
もし背後に捕虜がいれば、壊さず押し出せる。
もし背後に帰還線があれば、そこへ戻れる。
斬るためではない。
帰すために、相手の足だけを動かす剣だった。
ヴァイスは、盾を構え直さなかった。
しばらく木剣の先を見て、それから笑った。
「ああ、やはりその剣だ」
「まだ、護衛じゃない」
「分かっている」
ヴァイスは盾を下ろした。
「私は貴殿を守るとは言わん。貴殿の剣が退かせた線を、踏み荒らされぬよう守る」
クラウディアの指が止まった。
記録欄に、短い注記が加わる。
アイン個人への直衛ではない。
剣が示す交戦規則、帰還線、非殺傷拘束、捕虜保護を守る騎士群への移行可能性あり。
名称、未定。
ヴァイスはその表示を読んだ。
「名前を付けぬのか」
「まだ早い」
アインが答えた。
「なら、今は試験騎士でよい」
ヴァイスは、木剣を持つ少年へ軽く頭を下げた。
「だが、いずれ名が要る。剣の主を守る名ではなく、その剣が守る線を守る名が」
「その時に考える」
「長い名にするな」
クラウディアが淡く見た。
「保証できません」
「そこは保証していただきたい」
クラウディアが、識別帯解除手続きを開いた。
「捕虜区分を終了します」
最初に、最年少の騎士の首元から光が消えた。
識別帯の継ぎ目が開く。
外された帯は、回収箱へ入れられた。
二人目。
三人目。
四人目。
最後に、ヴァイスの前へクラウディアが立つ。
「ディートハルト・ヴァイス。捕虜番号を失効。捕虜試験騎士区分を終了」
「長かったな」
「あなた方が捕虜のまま仕事を増やしたためです」
「仕事は必要だ」
「捕虜には不要でした」
「今は?」
「必要です」
識別帯の光が消えた。
金具が外れる。
ヴァイスは、首元から離れた帯を一度だけ見た。
名残惜しそうにはしなかった。
「新規区分。ファーランド・アークライト共同防衛試験騎士」
「やはり長い」
「正式名称です」
「短くならなかったか」
「なりませんでした」
クラウディアは五人分の所属を記録した。
指揮系統、任務範囲、拒否できる命令、契約解除条件、帰還と退去の手順。
必要な欄は多かったが、忠誠の誓いも、帝国を憎む文言もなかった。
「機体は」
ヴァイスが尋ねた。
「貸与です」
「盾は」
「貸与です」
「ウォーハンマーも」
「貸与です」
「飯は」
「出ます」
「では、問題ない」
幕間二十四と同じ答えだった。
違うのは、首元に光がないことだけだった。
五人は格納庫の奥に並ぶ試験機を見上げた。
勝たせるためだけの機体ではない。
乗っている者を帰すための機体。
その前に立つ五人の首元には、もう光る帯がなかった。




