↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
新しい風

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

185/224

幕間二十七 どちらへ帰る

幕間二十七 どちらへ帰る


 捕虜区画の面談室から、長机が運び出されていた。


 残されたのは、椅子が二脚。


 机が一つ。


 机の上には、二枚の文書が置かれている。


 一枚は、帝国へ戻るためのもの。


 もう一枚は、ここへ残るためのものだった。


「隊長からですか」


 ヴァイス隊の最年少の騎士が尋ねた。


「いいえ」


 クラウディアは答えた。


「あなたからです」


 扉は閉じている。


 壁際に警備の調整体が一体立っているが、ヴァイスも、他の部下もいない。


 五人は一人ずつ、別の時間に呼ばれていた。


「ディートハルト・ヴァイスの回答は、あなたの回答へ影響しません。あなたの回答も、彼の回答へ伝えません。全員の手続きが終わるまで、相互確認は禁止します」


「隊長と相談することも?」


「できません」


「随分と念入りですね」


「隊長が決めた五人分の回答を受け取るつもりはありません」


 クラウディアは、帝国への帰還条件から説明した。


 捕虜交換、または中立経路を使った送還。


 武装を除く私物の返還。


 帰還経路上の護衛。


 アークライトおよびファーランド側からの追跡、報復、帰還後の工作要求は行わない。


 ここで知った機密については、帰還前に開示範囲を整理する。ただし記憶の消去は行わず、虚偽の証言も求めない。


「随分と良い条件です」


「良い部分だけを説明してはいません」


 クラウディアは、次の欄を表示した。


 帝国へ帰還した後、捕虜となった経緯、敵側施設での技術試験参加、ファーランド防衛への協力を理由に、軍法上の審理、拘束、降格、部隊解散、監視対象化を受ける可能性がある。


 アークライト側は送還後の身分を保証できない。


 帝国側へ事前に無罪や不処罰を要求することもできない。


 若い騎士は、しばらく黙った。


「帰せば、敵になるかもしれません」


「はい」


「それでも帰すのですか」


「あなたが選べば」


「ここで見た機体のことを話すかもしれない」


「話せる範囲は話すでしょう。話せない範囲まで話せば、こちらが対処します」


「殺さずに?」


「必要がなければ」


 若い騎士は、少しだけ笑った。


「隊長が気に入りそうな答えです」


「今は、隊長の話をしていません」


「そうでした」


 もう一枚の文書には、残留条件が書かれている。


 身分は捕虜ではない。


 アイン個人への臣従を求めない。


 帝国への憎悪、旧所属への侮辱、信仰の変更を求めない。


 任務は、ファーランドおよびアークライト管理下における防衛、魔導騎装の試験、騎士と搭乗者への実戦教導。


 民間人への攻撃、捕虜への虐待、本人の意思に反する政治宣伝への参加を命じることはできない。


 指揮系統は任務ごとに明記し、現地防衛ではファーランド防衛指揮、艦内と技術試験ではアークライト管制へ従う。


 契約の解除は可能。


 ただし、作戦中の離脱は認めない。解除申請後、担当任務の引継ぎと機密整理を終えた時点で、帰還か第三地域への退去を選べる。


「騎士なのに、主君がいない」


「共同防衛試験騎士です」


「長いですね」


「仮称です」


「短くなる見込みは?」


「ありません」


 若い騎士は、今度は声を立てて笑った。


     ◇


 ディートハルト・ヴァイスが呼ばれたのは、五番目だった。


 面談室へ入るなり、四人分の椅子がないことを確かめる。


「部下は」


「既に個別説明を終えています」


「回答は」


「伝えません」


「よい」


 ヴァイスは椅子へ座った。


 首元の識別帯が、淡く光っている。


 剣を失い、自分から捕虜になると決めた日から付いていたものだった。


 捕虜区画で眠った。


 捕虜の食事を食べた。


 捕虜として鍛錬場を借りた。


 捕虜のまま新型機へ乗り、捕虜のまま防衛線へ出た。


 帝国の魔導騎装を止めた時も、それは外れなかった。


「ようやく、捕虜をやめさせる気になったか」


「帰還も選べます」


「やめる先が帝国の牢という可能性もあるな」


「あります」


 クラウディアは、四人へ説明したものと同じ条件を読み上げた。


 語順も変えない。


 危険も減らさない。


 残留を勧める言葉も足さなかった。


 ヴァイスは途中で口を挟まない。


 帰還条件を聞き終え、残留条件を聞き終え、それから二枚の文書を見比べた。


「部下の答えは、本当に聞かせぬのだな」


「あなたが先に全員分を答えることも認めません」


「当然だ」


「当然ですか」


「部下には、部下の帰る場所がある」


 ヴァイスは帰還文書を手に取った。


 帝国北工廠区。


 警備別働隊。


 上官には嫌われ、同僚には鼻つまみ者と呼ばれた。


 それでも守る場所はあった。


 工廠の門。


 夜勤明けの整備兵。


 試験に失敗して肩を落とす若い搭乗者。


 無理な期限を押し付けられても、翌朝には機体の下へ潜る技師達。


 ヴァイスは、そこを守るために剣を振っていた。


「北工廠区の現在状況は」


「確認済みです」


 クラウディアが別の記録を開いた。


「警備別働隊は、あなた方五名の未帰還後に解散。人員は三部隊へ分割。工廠警備は中央軍務局直轄部隊へ移管されています」


「工廠は動いているか」


「動いています。ただし、軍需優先率は以前より上がっています。負傷者の復帰待ちを理由にした搭乗者交代は認められず、試験損耗率も上昇しています」


 ヴァイスの指が止まった。


「使い潰しているか」


「記録上は、運用効率化です」


「なら、使い潰している」


 帰還文書が机へ戻された。


「戻って止める、という選択肢もあります」


「ある」


「選びませんか」


「私一人なら選んだかもしれん」


 ヴァイスは正面を見た。


「だが、帰った私が守るべき線は、既に中央軍務局の命令書へ引き直されている。私が門へ立てば、工廠を守る前に、工廠の者へ私を監視させることになる」


 旧資材置き場で、黒い機体と刃を交えた日のことを思い出す。


 ヴァイスの剣は、八咫烏が動くはずの道を正しく斬った。


 その正しい剣を、アインはさらに一歩奥で外した。


 機体の胴だけを断ち、機関も搭乗席も、部下達が剣を収める余地さえ残した。


 あの時、ヴァイスが惚れたのは強さだけではない。


 斬れるのに、斬らない場所を選べる剣だった。


「私は、あの方の剣に惚れて捕虜になった」


 クラウディアは何も挟まなかった。


「強いからではない。勝った後に、私と部下が帰る道まで残っていたからだ」


 ヴァイスは残留文書へ手を置いた。


「ここで人と機体を帰す戦いをしているのが、あの剣の主なら。私はもう少し、その剣が何を守るのか見ていたい」


「それでも、戻る者を臆病とは扱いません」


「扱わせん」


 声が少しだけ低くなった。


「戻ると決めた部下がいるなら、私の前へ連れてくる必要もない。送還の日まで別区画へ置け。説得もしない」


「承知しました」


「私の答えは、残る、だ」


「理由を記録します」


「ここなら、機体を戻せば乗っている者も戻ると、本気で考えている」


 ヴァイスは首元の識別帯へ触れなかった。


「騎士を使い潰さず、機体も人も帰す戦いを続けられる。私は、その線を守る」


「アイン殿下個人への忠誠ではない」


「違う」


「帝国への敵対宣言でもない」


「違う」


「条件が破られた場合は」


「契約を切る」


「作戦中なら」


「終えてから切る」


 クラウディアは回答を記録した。


 最後に、署名欄を一度閉じた。


「正式署名は、模擬戦後です」


「試験に落ちれば帰すのか」


「いいえ」


「では、何の試験だ」


 扉の外から、短い声がした。


「選んだ後の確認だ」


 アインが入ってくる。


「何を守るか、見る」


 ヴァイスは笑った。


「それは試験ではないのか」


「違う」


「何が違う」


「負けても答えは変えない」


 アインは二枚の文書を見た。


「お前達が変えたいと言わない限り」


「なるほど」


 ヴァイスは立ち上がった。


「では、負け方を見せよう」


     ◇


 模擬戦区画には、低い丘が三つあった。


 中央の丘には旗。


 東側の窪地には、脚部停止状態の無人試験機が一騎。


 西側には、五騎全てが入らなければ閉じない帰還線。


 制限時間は二十分。


 ヴァイス隊の勝利条件は、旗を終了時まで保持することではない。


 無人試験機を回収し、帰還線まで運ぶ。


 五騎全てが帰還線へ入る。


 そのうえで旗が残っていれば、完全達成。


 旗を失っても、回収機と五騎が戻れば任務達成。


 回収機を捨て、旗だけを守った場合は失敗。


 対するハイランダーは三騎。


 旗の奪取、回収阻止、ヴァイス隊の帰還遅延を自由に選べる。


 撃破判定を受けた機体は三十秒停止。


 同一箇所への二度目の有効打で、該当部位を使用不能とする。


 武装は全て模擬用。


 それでも、三騎のハイランダーを見たヴァイス隊の一人が通信を開いた。


『隊長』


「何だ」


『帰る方を選び直してもよろしいでしょうか』


「私に聞くな」


『冗談です』


「なら、後で腕立てを増やせ」


『捕虜ではなくなってもですか』


「残るなら騎士だ。増えるに決まっている」


 別の部下が割り込んだ。


『隊長、それは残ると答えた者への報復では』


「嫌なら今から帰れ」


『それはもっと嫌です』


 ヴァイスは、大盾を持ち上げた。


 盾の右縁は少しだけ削られている。


 ウォーハンマーの柄は補強され、二度目の打撃でも捩れない。


 五騎の首元では、搭乗者の識別帯と連動した表示が光っていた。


 まだ捕虜だった。


『試験条件、最終確認』


 クラウディアの声が降りる。


『所属選択は全員回答済み。模擬戦の結果は回答の承認、拒否、変更条件に用いません』


「了解」


『個別回答は、終了まで相互非開示を維持します』


「了解」


『開始』


 三騎のハイランダーが消えたように見えた。


 速いのではない。


 速いだけなら、目で追える。


 踏み出す前に、見る側が次に現れる位置を誤らされる。


 中央へ向かったはずの一騎が、東の窪地へ落ちる。


 旗を狙った一騎が、西側の帰還線を先に塞ぐ。


 残る一騎は動かない。


「二番、三番、故障機へ」


『旗は』


「四番が残れ。五番は帰還線を開け」


『隊長は』


「動かない奴を殴る」


 ヴァイス機が前へ出た。


 重装甲機が、低い丘の斜面を滑るように登る。


 正面のハイランダーは、まだ動かない。


 近づけば斬られる。


 止まれば、東と西を分断される。


 ヴァイスは盾を正面へ置いたまま、歩幅を一つ狭めた。


 次の瞬間、盾面へ模擬刃が触れる。


 受けたのではない。


 触れさせた。


 刃が盾の縁を滑ったところで、ヴァイス機の肩が入る。


 シールドバッシュ。


 だが、ハイランダーは吹き飛ばない。


 盾と肩の間へ片腕を差し込み、衝撃を斜め下へ逃がしていた。


「重いな」


『そちらが言うか』


 若い声が返った。


 ヴァイスは笑った。


「よい。喋る余裕があるなら、もう一度だ」


 盾を引く。


 引いたはずの重心が、次の踏み込みへ途切れず繋がる。


 機体が戻る。


 足が遅れない。


 ハイランダーの模擬刃が左肩を狙った時には、盾面がもう次の位置にあった。


 二度目の衝突音が、丘を震わせる。


     ◇


 東の窪地では、二騎が無人試験機を起こそうとしていた。


 脚部停止。


 自力歩行不能。


 牽引索を掛ければ早い。


 だが、ハイランダーは索を狙える。


『右から来ます』


『見えている』


 ハイランダーの模擬槍が伸びた。


 ヴァイス隊の二番機は、無人機を抱えたまま背中を向ける。


 避ければ、無人機へ当たる。


 受ければ、自分が止まる。


 三番機が盾を差し込んだ。


 槍先が盾を叩き、三番機の右腕へ一度目の有効打が入る。


『一打もらいました』


『腕は』


『動きます。次はありません』


『では、次を作らせるな』


 二番機が無人機の上体を起こす。


 三番機は牽引索を使わず、自分の肩を無人機の脇へ入れた。


 担ぐ。


 重量警告が二段上がる。


『重い』


『機体一騎ですから』


『分かっている。だが、重い』


『落としますか』


『馬鹿を言うな。帰すぞ』


 ハイランダーがもう一度踏み込んだ。


 今度は盾を狙わない。


 担いだ無人機の脚部へ槍を回し、三番機の重心ごと崩そうとする。


 二番機が横から体当たりした。


 ハイランダーではない。


 担いでいる三番機の腰へ、盾の裏を当てる。


 倒れる方向を変えた。


 三番機は無人機を抱えたまま一歩滑り、膝をつき、それでも転ばなかった。


『いつも思うのですが』


『今か』


『この機体、重装甲のくせに、転びかけてから戻るのが滑らか過ぎませんか』


『今さらだ』


『褒めています』


『私もだ』


 二騎は無人機を挟み、窪地から押し上げた。


     ◇


 中央の旗は、四番機一騎が守っていた。


 相手はまだ来ない。


 来ないことが、圧力になっていた。


 東を助ければ旗が空く。


 西を助ければ中央を横切る間に取られる。


 留まれば、仲間が二対一と一対一を続ける。


『隊長』


「何だ」


『旗を捨てても?』


「自分で決めろ」


『命令を』


「これは選んだ後の確認だそうだ」


 ヴァイスはハイランダーの模擬刃を盾で噛み止めた。


「お前が何を守るかまで、私が決めるな」


 通信が切れた。


 四番機は旗の前で、あと二秒だけ止まった。


 それから旗を抜いた。


 持って逃げるためではない。


 地面へ横たえ、丘の陰へ押し込む。


 見えにくくしただけだ。


 守備位置を離れ、西へ走る。


 帰還線を塞いでいたハイランダーが、その動きを見た。


 旗へ行けば奪える。


 帰還線を守れば、五番機と四番機を止められる。


 ハイランダーは旗へ向かった。


『行きました』


 四番機が言った。


『旗を取りに』


『構うな』


 五番機が、帰還線の前で大盾を構え直した。


『道を開けます』


 二騎が左右へ分かれる。


 旗を取ったハイランダーが中央丘から降りる頃には、西側の帰還線が空いていた。


 完全達成は消えた。


 だが、帰る道ができた。


     ◇


 残り時間は五分。


 無人試験機を運ぶ二騎が、西へ向かう。


 帰還線では二騎が待つ。


 ヴァイスだけが中央丘に残っていた。


 正面のハイランダーは、模擬刃を下げた。


『帰るか、残るか』


 戦域全体へ、アインの声が入った。


 問いは、初めて投げられたものではない。


 五人は既に答えている。


 それでも、操縦席の中で、ヴァイスは自分の首元に残る光を見た。


「残る」


『何を守る』


「帰る線だ」


 ヴァイス機は後ろへ下がった。


 ハイランダーへ背を向けない。


 勝つための前進ではない。


 部下と回収機が帰るまで、相手を引き受けるための後退だった。


『一番、先に入ってください』


 西から部下の声が届く。


「回収機が先だ」


『隊長が最後だと、また格好をつけたと言われます』


「誰にだ」


『全員にです』


「ならば言わせておけ」


 ハイランダーが踏み込む。


 ヴァイスは盾で受け、ウォーハンマーを振らない。


 打てば、戻す時間が要る。


 今必要なのは撃破ではない。


 相手を一歩だけ遅らせ、自分が一歩だけ帰還線へ近づくことだった。


 盾面がぶつかる。


 足が滑る。


 機体が戻る。


 また一歩、下がる。


 東から、無人試験機を抱えた三騎分の影が丘を越えた。


 二番機。


 三番機。


 その間に、脚を止めた無人機。


 帰還線の二騎が前へ出て、荷重を受け取る。


 五騎が、一騎を帰すために集まった。


『回収機、帰還線通過』


 クラウディアの声。


『二番、三番、四番、五番、通過』


 残りはヴァイスだけだった。


 旗を持ったハイランダーが、側面から近づく。


 正面の一騎と合わせれば、挟める。


 制限時間は三十秒。


『隊長』


「分かっている」


 ヴァイスはウォーハンマーを投げた。


 ハイランダーへではない。


 正面の地面へ落とす。


 相手の踏み込み位置を一つ塞ぎ、盾を両手で持った。


 横から来る模擬槍を盾の縁で弾く。


 正面の模擬刃を盾面で受ける。


 二つの衝撃が重なり、右腕へ一度目の有効打。


 盾が傾く。


 ヴァイス機は倒れない。


 傾いた姿勢を、そのまま後ろへの一歩へ変えた。


 帰還線が踵へ触れる。


 さらに一歩。


『一番、通過』


『制限時間終了』


 模擬戦区画の全武装が停止した。


 旗は、ハイランダーの手にある。


 ヴァイス隊は一騎も撃破していない。


 五騎全てが戻り、故障機も帰還線の内側にあった。


「任務達成」


 ヴァイスは息を吐いた。


『完全達成ではありません』


 クラウディアが訂正する。


「旗は次に取り返す」


『次がある前提ですか』


「残ると答えた」


 少し間があった。


『確認しました』


     ◇


 格納庫へ戻ると、五人は別々の位置へ立たされた。


 捕虜になった時と同じだった。


 ただし、今回は拘束のためではない。


 五つの回答を、五人へ返すためだった。


 クラウディアが最初の記録を開く。


「ディートハルト・ヴァイス。残留」


「応」


「残留理由。人と機体を帰す戦いを続けられるため」


「相違ない」


 二人目。


「残留。帝国へ戻るより、新しい機体の癖を最後まで確かめたい」


「誰だ、そんな答えをしたのは」


 ヴァイスが横を向く。


「相互確認禁止は終了しています」


 部下の一人が、わずかに胸を張った。


「私です。隊長」


「正直でよい」


 三人目。


「残留。北工廠区へ戻っても元の隊がなく、こちらでは自分の判断で守る対象を選べるため」


 四人目。


「残留。帰還後の処分が怖いからではなく、負傷した搭乗者を置いていかない機体を完成させたい」


 五人目。


「残留」


 最年少の騎士が顔を上げた。


「理由。隊長が残るから、ではない」


 格納庫に、小さな笑いが起きた。


「そこまで書いたのか」


「書きました」


「続きがあります」


 クラウディアは平坦に読んだ。


「自分が残ると決めた場所に、結果として隊長も残ったため」


 ヴァイスは腕を組んだ。


「生意気になったな」


「捕虜教育の成果です」


「誰が教えた」


「隊長です」


 五人分の回答は、同じだった。


 だが、一つではなかった。


 五人がそれぞれ書き、それぞれ署名し、それぞれ残ると決めた。


 アインが、五人の前へ立つ。


「約束は三つだ」


 格納庫が静かになる。


「民を狙うな。捕虜を壊すな。帰れない命令には従うな」


「帰れない命令、とは」


 ヴァイスが尋ねた。


「目的を終えても、人を戻す気がない命令だ」


「誰が判断する」


「現場でお前達が止める。管制へ上げる。俺かクラウが決める」


「殿下が間違えた場合は」


「止めろ」


 ヴァイスは、一拍だけアインを見た。


「惚れた剣の主へ、剣を向ける許しまで出すか」


「間違えたらな」


「よい」


 ヴァイスは深く頷いた。


「それなら、貴殿の剣に惚れた騎士でいられる」


 アインは、格納庫脇の訓練具置き場へ手を伸ばした。


 木剣を一本取る。


 刃のない、ただの訓練具だった。


「一つだけ」


「今か」


「今だ」


 ヴァイスは笑い、近くに置かれていた訓練盾を持った。


 機体ではない。


 人の手で持てる、重いだけの盾だった。


 部下達が少し離れる。


 クラウディアは止めなかった。


 ただ、記録表示を開いた。


「勝敗判定は行いません」


「要らん」


 ヴァイスは盾を構えた。


「貴殿の背を守るなどとは言わん」


「必要ないからな」


「だから、貴殿の剣が守るものを、横から守る」


 アインは木剣を下げたまま、うなずいた。


「なら、見ろ」


 一歩。


 それだけだった。


 木剣が振られたようには見えない。


 ヴァイスの盾へ、音だけが乗った。


 打撃は軽い。


 だが、盾の中心ではなかった。


 盾を割る場所でもない。


 腕を壊す場所でもない。


 ヴァイスの踏んだ足が、帰るために必要な一歩を失う場所だけを、正確にずらしていた。


 盾は落ちない。


 腕も痺れない。


 それでも、ヴァイスの体は半歩だけ横へ流れた。


 もし背後に民がいれば、守れる。


 もし背後に捕虜がいれば、壊さず押し出せる。


 もし背後に帰還線があれば、そこへ戻れる。


 斬るためではない。


 帰すために、相手の足だけを動かす剣だった。


 ヴァイスは、盾を構え直さなかった。


 しばらく木剣の先を見て、それから笑った。


「ああ、やはりその剣だ」


「まだ、護衛じゃない」


「分かっている」


 ヴァイスは盾を下ろした。


「私は貴殿を守るとは言わん。貴殿の剣が退かせた線を、踏み荒らされぬよう守る」


 クラウディアの指が止まった。


 記録欄に、短い注記が加わる。


 アイン個人への直衛ではない。


 剣が示す交戦規則、帰還線、非殺傷拘束、捕虜保護を守る騎士群への移行可能性あり。


 名称、未定。


 ヴァイスはその表示を読んだ。


「名前を付けぬのか」


「まだ早い」


 アインが答えた。


「なら、今は試験騎士でよい」


 ヴァイスは、木剣を持つ少年へ軽く頭を下げた。


「だが、いずれ名が要る。剣の主を守る名ではなく、その剣が守る線を守る名が」


「その時に考える」


「長い名にするな」


 クラウディアが淡く見た。


「保証できません」


「そこは保証していただきたい」


 クラウディアが、識別帯解除手続きを開いた。


「捕虜区分を終了します」


 最初に、最年少の騎士の首元から光が消えた。


 識別帯の継ぎ目が開く。


 外された帯は、回収箱へ入れられた。


 二人目。


 三人目。


 四人目。


 最後に、ヴァイスの前へクラウディアが立つ。


「ディートハルト・ヴァイス。捕虜番号を失効。捕虜試験騎士区分を終了」


「長かったな」


「あなた方が捕虜のまま仕事を増やしたためです」


「仕事は必要だ」


「捕虜には不要でした」


「今は?」


「必要です」


 識別帯の光が消えた。


 金具が外れる。


 ヴァイスは、首元から離れた帯を一度だけ見た。


 名残惜しそうにはしなかった。


「新規区分。ファーランド・アークライト共同防衛試験騎士」


「やはり長い」


「正式名称です」


「短くならなかったか」


「なりませんでした」


 クラウディアは五人分の所属を記録した。


 指揮系統、任務範囲、拒否できる命令、契約解除条件、帰還と退去の手順。


 必要な欄は多かったが、忠誠の誓いも、帝国を憎む文言もなかった。


「機体は」


 ヴァイスが尋ねた。


「貸与です」


「盾は」


「貸与です」


「ウォーハンマーも」


「貸与です」


「飯は」


「出ます」


「では、問題ない」


 幕間二十四と同じ答えだった。


 違うのは、首元に光がないことだけだった。


 五人は格納庫の奥に並ぶ試験機を見上げた。


 勝たせるためだけの機体ではない。


 乗っている者を帰すための機体。


 その前に立つ五人の首元には、もう光る帯がなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。