幕間二十三 円盤を踏んだ日
幕間二十三 円盤を踏んだ日
帝国南方軍の進路変更は、軍務局の記録では予定された転進だった。
旧王都跡での任務を終え、湾岸都市国家群へ向かう。
海路と陸路の積み替え拠点を確保し、南方戦域の補給線を再構築する。
報告書にそう書けば、敗走ではなくなる。
少なくとも、紙の上ではそうだった。
紙の外では、兵は疲れていた。
旧王都は穴だった。
穴を守った。
穴から離れた。
その次に命じられたのは、港を取りに行くことだった。
港には倉庫がある。
食料がある。
水がある。
酒もある。
兵士達は、誰もそれを口にしなかった。
けれど、隊列の速度は少しだけ上がった。
◇
湾岸へ下る街道は、広くはなかった。
片側は乾いた丘陵。
反対側は、雨季になると水が走る浅い窪地。
荷車二台がすれ違うには、どちらかが道端へ寄る必要がある。
帝国軍の車列が通れば、民間の荷車は止まる。
旅人も止まる。
家畜を連れた者は、遠くから軍旗を見ただけで脇道へ入る。
その日も、先頭警戒隊は街道の整理をしていた。
言い方は整理だった。
実際には、退かせていた。
「軍の行軍中だ。道を空けろ」
兵士が槍の石突きで地面を叩いた。
道の先には、奇妙な車が止まっている。
馬も牛も繋がれていない。
荷台というには大きく、家というには低い。
車輪は八つ。
泥除けの内側に収まった車輪は、軍の荷車より大きく、幅もあった。
その脇に、若い男が立っている。
白い髪。
見た目だけなら、少年と言っても通る。
後ろには、三人の女がいた。
一人は銀髪。
一人は黒髪。
一人は金髪。
彼女達は、帝国軍の先頭部隊を見ても騒がなかった。
それが、かえって兵士の癇に障った。
「聞こえなかったか。退け」
「通りたいだけなんだが」
男はそう言った。
声は荒くない。
頼んでいるようにも聞こえない。
ただ、事実を置いただけの声だった。
「軍が先だ」
「脇へ寄れる幅はあるだろう」
「貴様が寄れば済む」
兵士は車の大きさを見た。
寄れるわけがないことは分かっていた。
分かっていて、言った。
軍旗の前で、民間人が道の都合を主張する。
それだけで十分に不快だった。
「邪魔だ。押し出せ」
先頭の小隊長が命じた。
兵士二人が、車の前へ出た。
男は、少しだけ目を細めた。
「やめた方がいい」
「誰に向かって口を利いている」
その時点で、後方から魔導騎装の足音が近づいていた。
南方軍に残っていた十一騎のうち、先頭護衛として出ていた一騎である。
魔導騎装が街道へ出れば、旅人の車など押し退けられる。
小隊長はそう考えた。
魔導騎装の操縦者も、同じように考えた。
「前方障害。排除する」
機体の外部音声が響いた。
男は車へ戻らなかった。
三人の女も動かない。
ただ、銀髪の女だけが、少し呆れたように男の肩を見た。
「浩」
「分かってる」
何を分かっているのか、帝国兵には分からなかった。
◇
魔導騎装は、街道の中央を踏んだ。
足裏が地面へ沈んだ。
乾いた土が割れた。
その下に、何かがあった。
円盤状のものだったと、後に兵士は証言した。
金属だったと証言する者もいた。
石に見えたと言う者もいた。
薄く光ったと言う者もいた。
光など見ていないと言い張る者もいた。
共通していたのは、一つだけだった。
魔導騎装がそれを踏んだ。
次の瞬間、右脚の膝下が横へ弾けた。
爆炎はなかった。
大きな破片も飛ばなかった。
ただ、重い金属を内側から乱暴に外されたような音がした。
駆動部の外装が開き、膝下の伝達軸が折れ、足首の固定環が砕けた。
魔導騎装は一歩を終えられなかった。
前へ倒れかけた。
操縦者が反射的に左脚で踏ん張った。
左脚も、街道の別の円盤を踏んだ。
今度は足首だった。
魔導騎装は膝をつき、両腕を地面へ突いた。
操縦席は無事だった。
搭乗者の悲鳴は上がったが、血は流れていない。
近くにいた兵士達も、土を被っただけで済んだ。
だが、魔導騎装は動かなかった。
片脚を失ったのではない。
歩くという機能だけを、道の上へ置いていかれた。
「敵襲!」
誰かが叫んだ。
「どこからだ!」
「地面だ!」
「地面を撃てるか!」
誰も答えられなかった。
男は、まだ車の脇にいた。
槍を持つ兵士達が振り向いた。
男は両手を上げていない。
武器も持っていない。
それなのに、先ほどまで命令を怒鳴っていた小隊長は、一歩も近づけなかった。
「だから、やめた方がいいと言ったんだが」
男は困ったように言った。
黒髪の女が、無言で額へ手を当てた。
金髪の女は、街道の先と後方の軍旗を見比べている。
銀髪の女だけが、男の袖を軽く引いた。
「浩、道」
「そうだった」
男は八輪の車へ戻った。
車は、ゆっくりと街道の端へ寄った。
その動きは重く、静かで、馬車とは違っていた。
軍の荷車が通れるだけの幅が空いた。
だが、魔導騎装はその場で膝をついている。
後続の車列は止まったままだった。
◇
二騎目の魔導騎装が前へ出たのは、一刻後だった。
工兵隊が地面を調べた。
棒で突いた。
土を掘った。
何も見つからない場所へ赤旗を立てた。
見つかった円盤状の破片は布で包んだ。
触るな。
踏むな。
動かすな。
命令だけが増えた。
二騎目の操縦者は、赤旗の間を進んだ。
最初の五歩は進めた。
六歩目で、左膝が止まった。
壊れたのではない。
止まった。
操縦者は前へ出ようとした。
機体は出ない。
後退しようとした。
出ない。
やがて膝関節の制御が焼け、機体は片膝をついた。
二騎目にも、搭乗者の死傷はなかった。
ただし、降りるまでに半刻かかった。
三騎目は出なかった。
誰も命じなかった。
命じれば、誰かが命令違反ではなく命令者の判断を記録する。
その程度には、南方軍の士官達も学んでいた。
◇
夕方には、噂が三つになっていた。
一つ。
道に埋まっていた円盤を踏むと、魔導騎装の足が吹き飛ぶ。
二つ。
八輪の巨大車両に乗った白い髪の男が、その円盤を置いた。
三つ。
高台で男が擱座した魔導騎装を見下ろし、高笑いしていた。
最初の噂には、壊れた二騎があった。
二つ目の噂には、見た者がいなかった。
三つ目の噂には、見たと言う者が多すぎた。
高台は街道の南側だと言う者がいた。
北側の乾いた斜面だと言う者も、八輪の車の屋根だと言う者もいた。
そもそも笑っていなかった、と言う兵士もいた。
その兵士は、翌日には別の隊へ回された。
噂を否定する者は、噂の一部になる。
南方軍は、港へ向かう前に街道を調べなければならなくなった。
工兵隊は前進した。
歩兵は下がった。
魔導騎装は、街道から降りた。
降りた先の地面にも円盤があるかもしれない。
その一言で、さらに半日が消えた。
八輪の車は、夕暮れ前に街道を抜けていった。
止める者はいなかった。
◇
翌朝、南方軍臨時司令部へ、先頭警戒隊から第一報が届いた。
街道上に未知の対魔導騎装障害あり。
魔導騎装二騎、歩行機能喪失。
搭乗員生存。
歩兵死傷なし。
民間人被害なし。
敵性集団確認できず。
大型八輪車両一台、通過。
同行者四名。
白髪の若年男性一名、銀髪女性一名、黒髪女性一名、金髪女性一名。
要求なし。
追撃なし。
占領なし。
接収なし。
最後の四行を読んだ参謀は、しばらく黙った。
旧王都跡の報告と似ていた。
獣人諸氏族連合王国方面で十騎が止まった時の噂とも似ていた。
何かを奪われたわけではない。
こちらが進む理由だけが、道の上で壊れている。
「この報告は、書き直せ」
参謀は言った。
「障害は敵によるものと断定できない。街道の地盤異常、旧時代の遺物、現地勢力による未確認工作。選択肢を残せ」
「大型八輪車両については」
「民間車両と書け」
「同行者四名は」
「旅行者だ」
「高笑いの件は」
参謀は筆を止めた。
「書くな」
高笑いした男に魔導騎装二騎を止められた。
そんな報告を帝都へ送れば、止まったのは機体ではなく南方軍の面子になる。
◇
数日後、湾岸へ向かう隊商の間で別の話が広がった。
帝国軍の魔導騎装が、道に落ちていた円盤を踏んで足を吹き飛ばされた。
白い髪の男が高台で笑っていた。
八輪の巨大車両が、その後ろを何事もなかったように通っていった。
男は後に、誰かへこう話したという。
「道を通ろうとして邪険にされたから腹が立った。後悔はしていない」
その同じ男が、高笑いについてだけは強く否定したともいう。
「高笑いはしていない。少し声が大きかっただけだ」
その場にいた三人の女は、揃って目を逸らした。
噂は、港へ向かう荷より早く走った。
南方軍の予測進路は、また一つ細くなった。




