第百四十七夜 帰る場所を作る
第百四十七夜 帰る場所を作る
アークライト帰還航路記録は、最初の受取人へ渡された。
学院旧観測室から取得された表題と、本文未取得の記録。
聖王国側の三者共同記録から切り離されることなく、閲覧権限だけがアインとアークライトへ接続されている。
小会議室の卓上に、星図にない故郷という表題が浮かんでいた。
『受取人照合完了。アイン・ジ・アークライト・ベルカおよびアークライト艦内統合管理系を、第一閲覧者として確認しました』
トトの声が告げた。
「記録に異常は」
クラウディアが尋ねた。
『ありません。アークライト内部に保存された帰還航路記録との一致を確認。聖王国側での改変、欠落、追加は検出されません』
「なら、開く」
アインが言った。
リシア達は、同席者として許可された。
アリシア、リシア、ステファニア、セラ、エレナ。
本文を先に読まず、最初の受取人を決めた者達だった。
◇
記録の再生には、二時間かかった。
門が閉じたこと。
閉じる空間へ引かれ、母星のあった座標へ戻ったこと。
そこに、見慣れた星も、母星もなかったこと。
千五百年が経過していたこと。
傷ついたアークライトが、完全修理を待たずに故郷を追うと決めたこと。
最後の表示が閉じても、誰もすぐには話さなかった。
リシアは、卓上に残った細い扇形を見ていた。
母星の現在位置として予測された範囲。
その手前には、補給と修理のために経由した二つの星がある。
直線ではなかった。
最短でもなかった。
それでも、航路は故郷へ向かっていた。
「公開範囲を決めます」
クラウディアが表示を切り替えた。
公開可能。
限定共有。
非公開。
三つの欄が並ぶ。
「門閉鎖後の絶対座標、パルサー観測値、経由地の正確な位置、接触先の識別情報は非公開とします」
「今も、そこに暮らす人がいるかもしれませんものね」
ステファニアが言った。
「はい。私達が通過した事実を、現在の安全を損なう形で残す必要はありません」
負傷者の氏名と医療記録。
失われた区画の個人記録。
随伴艦ごとの損傷と、生存者の移送記録。
それらも限定共有へ置かれた。
「故郷が見つからなかったことは」
リシアが尋ねた。
「公開できる」
アインが答えた。
「千五百年経っていたことも、星を追ったことも、二年かけて戻ったことも」
「戻れた結果だけではなく?」
「結果だけ残したら、最初から帰る場所が分かってたことになる」
アリシアの閉じた扇が、卓上の公開欄を指した。
「それでは、帰還ではなく凱旋の記録になってしまいますわ」
傷ついた船で、星図にない故郷を追った航路。
失敗すれば帰れないと知りながら、別の道を作ると決めた記録。
そこを消して、帰り着いた結果だけを残せば、後から読む者は迷わなかった英雄の話に変えてしまう。
「迷ったことも、見つからなかったことも、公開欄へ置きます」
エレナが確認した。
「はい」
クラウディアが承認した。
リシアは、公開欄へ移された一文を見た。
母星は、千五百年前の座標には存在しなかった。
「見つけた時は」
リシアはアインを見た。
「母星を見つけた時、帰れたと思いましたか」
「思わなかった」
答えは、すぐに返った。
「え」
「着いただけだった」
クラウディアが、別の記録を一枚開いた。
「帰還直後は、地上との接触可否、居住可能範囲、敵対反応、救助対象、資源状態の確認が必要でした」
『アークライト側でも、帰還確認終了時点を一つに定義していません』
トトが補足した。
『地上へ到達した時点。安全な停泊を確認した時点。最初の救助対象を収容した時点。地上との継続的な連絡手順が成立した時点。複数の候補があります』
「帰った後の方が、決めることが多かった」
アインが言った。
アリシアの扇が止まった。
「帰る場所は、待っているだけでは残りませんもの」
その言葉の後に、短い沈黙が置かれた。
千五百年間、城と星の間を守った者達がいる。
地上で技術の火を残した者達がいる。
帰る船の側にも、帰った後に直し続けた者達がいる。
誰も、帰還という一度の出来事だけで終わっていなかった。
◇
公開範囲の承認が終わると、トトが次の表示を開いた。
『現在対応を要する生活関連案件が三件あります』
星図と帰還航路が閉じる。
代わりに表示されたのは、作業炉の利用申請、森林区画の通路図、限定転移路の保守要望だった。
「急に近くなりましたね」
リシアが言った。
『全件、現在地に関する案件です』
トトは訂正しなかった。
一件目。
村山技研アークライト分室から、作業炉の夜間利用時間を延長したいという申請。
新型機関の部材ではなく、地上の施療院へ送る簡易温水器の接続金具を追加製造するためだった。
二件目。
第三ダンジョン森林区画で、居住区と畑を繋ぐ小道の一部が、成長した根によって持ち上がっているという報告。
三件目。
隠れ里と森林区画を繋ぐ限定転移路で、小型荷車が二度立ち往生したため、通路幅と路面を見直してほしいという要望。
「負傷者は」
アインが尋ねた。
『いません。二度とも利用者が荷を降ろし、荷車を持ち上げて通過しています』
「緊急搬送で同じことが起きる」
「現地確認を手配します」
クラウディアが答えた。
「私達も参ります」
ステファニアが、限定転移路の路面図を開いた。
「根を切らずに、荷重を逃がす構造を試せます」
「通行記録も確認します」
エレナが公開範囲欄を追加した。
「誰が何を運んだかではなく、荷車の重量、停止位置、通過に要した時間だけを使います」
「実際に引きます」
セラが言った。
「止まる重さを確認しなければなりません」
リシアは三人を見てから、利用者要望の欄を自分の前へ移した。
「では私は、通る方に聞きます。荷車だけ直しても、歩く方が困るかもしれません」
アインは頷いた。
「行くぞ」
◇
限定転移路の第三ダンジョン側には、細い道ができていた。
最初に開いた時は、誰も使っていない小道だった。
今は、草が踏まれ、土の色が続いている。
白い木の間から、隠れ里の森が見えた。
道の脇には、小型荷車が一台置かれている。
積まれていたのは、乾燥させた薬草と、空になった保存瓶だった。
「こちらから薬草を運び、帰りに瓶と塩を持ち帰ります」
荷車を使っていた男が説明した。
「一人で通る時は問題ありません。荷を積むと、中央で片輪が浮きます」
ステファニアは、白い木の間にある路面へ手を触れた。
転移路そのものに異常はない。
問題は、二つの森で地面の高さが僅かに違うことだった。
「平らに削れば、根を傷つけます」
「板を渡せば」
リシアが尋ねた。
「固定すれば、成長した根に持ち上げられます。固定しなければ、荷車の重みでずれます」
ステファニアは、路面の上へ薄い魔力板を作った。
完成させる前の、まだ形を変えられる板。
根の位置を避け、荷重が掛かる場所だけを支える。
「一時試験です。セラ」
「はい」
セラが荷車の取っ手を持った。
薬草と保存瓶の代わりに、重さを調整した試験荷を載せる。
最初は、普段の荷重。
次は、緊急搬送用の寝台と人一人分。
最後は、許可される最大荷重。
セラは速度を変えず、白い木の間を往復した。
「最大荷重では、こちら側へ抜けた直後に右輪が沈みます」
「表示しました」
エレナが停止位置だけを記録へ残した。
ステファニアは板の支点を一つずらした。
もう一度、セラが引いた。
今度は止まらなかった。
「歩く方は」
リシアは、見守っていた里の老女へ尋ねた。
「少し高いね」
老女は板の端へ足を置いた。
「荷車には良くても、冬に杖を使う者は引っ掛けるよ」
「端を低くします」
ステファニアが答えた。
「子供は走るからね。真っ直ぐにしすぎない方がいい」
「なぜですか」
「向こうが見えると、止まらない」
白い木の向こうから、小さな子供が一人、顔を覗かせた。
老女に見つかると、走り出す前に足を止めた。
「ほらね」
アリシアの扇が、口元を隠した。
「曲がり道にも、役目がございますのね」
路面は、荷車が通れるだけでは足りなかった。
寝台を運べること。
杖を使う者が躓かないこと。
子供が勢いのまま転移路へ飛び込まないこと。
根を切らず、精霊の通り道を塞がないこと。
一つずつ条件が加わる。
完成までの時間は延びた。
誰も、最初の案へ戻そうとは言わなかった。
「今日中の仮設は可能です」
ステファニアが言った。
「恒久構造は、両側の森の成長を観測してから決めます」
「通行者には、仮設であることと最大荷重を表示します」
エレナが続けた。
「緊急搬送時は」
リシアが尋ねた。
「制限を一時解除し、医療班へ自動連絡します」
クラウディアが答えた。
アインは、白い木の間を見た。
かつては退路だった。
今は、薬草と塩が行き来し、子供が向こう側を覗き、荷車の段差を直す者がいる。
「直せ」
アインが言った。
「帰る道なら、使えないと困る」
第三ダンジョン側で、仮設路面を組む音が始まった。
白い木の向こうでも、隠れ里の者達が道具を持って集まり始めていた。
同じ道を直す音が、二つの森から聞こえていた。




