幕間二十一 星図にない故郷
幕間二十一 星図にない故郷
門が閉じた。
アークライトは、その場に残れなかった。
境界を塞ぐために空間へ打ち込まれた船体が、役目を終えた瞬間、閉じていく次元の歪みに引かれた。
前方観測が白く潰れる。
外郭装甲の一部が失われた。
複数の航行翼が応答を止め、居住区画の隔壁が閉じる。
次の瞬間、作戦司令室の全表示が消えた。
暗闇の中で、非常灯だけが赤く点いた。
「船体位置、確定できません」
管制官の声が響く。
「外部位相、通常域へ復帰。次元圧低下。門からの追跡反応なし」
「門は」
アインが問うた。
「閉鎖状態を維持しています」
「ならいい」
指揮官席の周囲では、負傷区画、遮断区画、消失区画の報告が増え続けている。
良くはない。
ただ、最初に確認することは終わった。
「生存区画を優先。外郭は後回し。航法を戻せ」
「了解」
クラウディアは、復旧した手元表示へ報告を振り分けた。
「医療区画へ電力を優先。隔壁閉鎖済み区画は内部応答を確認するまで開放禁止。技術部は推進系を停止したまま損傷確認を行ってください」
情報管理官達は、表示が落ちた直後からトトと短い確認を往復していた。
被害区画。復旧状況。艦内の生存反応。アークライトを中心とした宙域情報。ともに歪みへ引き込まれた艦艇の応答。
声と表示だけで報告を返していたトトが、情報管理卓の脇へアバターを投影した。
『処理量および指揮判断要求が緊急閾値を超過。作戦司令室への直接投影へ移行します』
「統合状況を」
クラウディアの求めに、トトは複数の表示を一枚へ重ねた。
『アークライト艦内の救命経路を再編中。宙域内に友軍識別信号を確認。ミッドランド級およびローランド級が、アークライトとともに通常域へ復帰しています』
主表示の端へ、傷ついた艦影が映る。
『自力航行可能艦はゲート・アレイへ誘導中。推進不能艦へ救助艇を派遣しました。ミッドランド級の固定には損傷区画を経由するドッキングチューブが必要です』
「人員移送を優先。チューブが保たないなら、艦を固定する前に負傷者を渡せ」
『了解。救命優先で手順を更新します』
主表示の一枚が戻る。
星が映った。
見慣れた星座は、どこにもなかった。
◇
全天星図照合は、七度失敗した。
観測器を切り替えても、結果は変わらない。
既知恒星の配置が一致しない。
母星の恒星系も見つからない。
「観測系全損の可能性は」
アインが尋ねた。
「三系統の観測器が、相互誤差内で一致しています」
航法管制官が答えた。
「全てが同じ壊れ方をしていなければ、観測値は有効です」
『ドッキング済み艦艇および救助艇の外部観測記録を照合しました』
情報管理卓の脇で、トトのアバターが新たな照合結果を開く。
『機種差を含め、既知恒星の不一致は共通しています。アークライト単艦の観測系故障である可能性は低下しました』
「異なる宇宙へ移動した可能性」
「否定できません」
作戦司令室に、短い沈黙が落ちた。
アークライトは門を閉じた。
戻る場所を守るために戦い、戻る道そのものから弾き出された可能性がある。
「母星は」
誰かが問うた。
答えは、すぐには返らなかった。
母星の識別信号はない。
恒星系の重力分布もない。
衛星も、惑星も、そこにはなかった。
「この座標には存在しません」
航法管制官が答えた。
誰も、その言葉を言い換えなかった。
破壊されたのか。
異なる宇宙にいるのか。
観測できないほど遠くへ飛ばされたのか。
可能性だけが並び、どれも故郷の位置を示さない。
「座標は合ってるか」
アインが問うた。
「最終作戦時の絶対座標と照合します」
航法管制官は、門閉鎖直前の記録を開いた。
アークライトは、門を通過していない。
閉じるために、その場へ留まり続けた。
空間の歪みに引かれても、船体へ最後まで残った基準は、門を塞いだ絶対座標だった。
「誤差はありますが、一致します」
「なら、ここは違う場所じゃない」
クラウディアがアインを見る。
「違う時刻である可能性を確認します」
全天星図の照合表示が閉じられた。
代わりに、長期安定周期を持つ四つのパルサーが選ばれる。
距離。
方向。
周期のずれ。
伝播中に蓄積した差。
観測可能な四点から、現在座標と経過時間を逆算する。
一つ目の計測結果が出た。
誤差が大きい。
二つ目を加える。
候補領域が狭まる。
三つ目。
異宇宙転移の可能性が、計算上の候補から外れた。
四つ目の結果が揃うまで、誰も話さなかった。
「四点計測、完了」
航法管制官の声が、僅かに掠れた。
「現在地は、最終作戦時の母星恒星系座標近傍です」
星図には何もない。
それでも、場所は合っている。
「経過時間は」
クラウディアが尋ねた。
「地上時間換算で、およそ千五百年」
表示された数字は、損傷報告より静かだった。
警告色にもならない。
ただ、帰ろうとしていた場所との距離を、時間で示していた。
アインは、何もない星図を見た。
「母星は、なくなったのか」
「現時点では判断できません」
クラウディアが答えた。
「ですが、恒星系は空間内を移動します。千五百年前の座標に、現在も同じ恒星系が存在する理由はありません」
「動いたのか」
「その可能性が最も高いです」
母星は、待っていなかった。
置き去りにしたのでもない。
アークライトが二度と戻らないと思って、消えたわけでもない。
星は、ただ千五百年を進んでいた。
◇
母星恒星系の運動予測には、失われた観測記録が多すぎた。
門閉鎖戦で外部観測設備の大半が損傷し、長期航法記録にも欠落がある。
それでも、過去の恒星速度、周辺天体の運動、四点計測で得た時間差を重ねれば、進んだ方向は絞れる。
星図の遠方に、細い扇形が表示された。
「現在位置の候補領域です」
航法管制官が言った。
「この範囲を追跡します。ですが、現状のアークライトでは航行できません」
技術部から損傷一覧が届く。
主推進器、出力制限。
長距離跳躍機構、使用不能。
外郭装甲、複数区画欠損。
資材、食料、医療資源、いずれも長期航行には不足。
「完全修理には」
「現有資材だけでは不可能です」
クラウディアが答えた。
「安全な停泊地点を確保し、数年単位で修復する必要があります」
「その間に母星は動く」
「はい」
「航行可能になるまでなら」
技術部の回答には、少し時間がかかった。
「居住区画の一部を停止し、外郭修復を最低限に限定。主推進器を低出力運用へ固定。跳躍機構は短距離のみ。六十日です」
「三十日にしろ」
「殿下」
クラウディアの声が少し低くなる。
「壊れた船で、さらに壊れる速度を求めています」
「完全に直す時間はない」
「完全修理を求めてはいません。航行中に修理班が死なない日数を求めています」
アインは、損傷一覧を見た。
「四十五日」
「技術部へ確認します」
短いやり取りの後、回答が戻る。
「条件付きで可能です。航路上で補給と追加修理が必要です」
「候補は」
星図に、二つの印が現れた。
いずれも母星候補領域へ向かう直線上にはない。
航路を大きく外れる。
「長距離観測上、居住可能性がある惑星です。少なくとも二地点を経由しなければ、資源と修理設備が足りません」
「接触できる保証は」
「ありません」
「補給できる保証は」
「ありません」
「それでも、他に道は」
「現時点ではありません」
アインは二つの印と、その先に広がる細い扇形を見た。
母星は、まだ星図にない。
あるのは、追うべき方向だけだった。
「四十五日で動かす」
アインが言った。
「完全修理はしない。航行中に直す。二地点を経由して、母星の現在位置を追う」
クラウディアは、すぐには承認しなかった。
「帰還時期は推定できません」
「追いつくまでだ」
「候補領域に母星が存在しない可能性もあります」
「次を探す」
「居住惑星との接触に失敗した場合は」
「別の道を作る」
答えは短かった。
根拠のない楽観ではない。
選べる道が少ないことを、道がない理由にしないだけだった。
クラウディアは、航行計画の承認欄を開いた。
「承認します」
アインは頷き、次の表示を開いた。
「医療区画は重傷者を優先。閉鎖区画の捜索は隔壁強度を確認してから再開。失った区画の記録を保全しろ」
管制官達が応答する。
「技術部は四十五日案で修復を開始。航法は二地点への接触手順と、接触できなかった場合の代替航路を作れ。居住区画の移動は、家族と担当班を分けるな」
「殿下」
クラウディアが呼んだ。
指揮官席の下へ、血が一滴落ちていた。
門閉鎖戦で裂けた戦闘服は応急処置だけで塞がれ、脇腹へ当てられた止血材は、もう赤く染まりきっている。
「医療班から、先ほどから搬送要求が出ています」
「分かってる」
アインは、最後の指示欄を閉じた。
「出せる指示は、全部出した」
指揮官席から立ち上がる。
「少し、気絶させてもらう」
クラウディアを見る。
「クラウ。後を頼む」
「はい」
返事を聞いた直後、アインの膝から力が抜けた。
クラウディアが倒れる身体を受け止める。
「医療班、指揮官席へ。副司令権限で指揮を継続します」
クラウディアの声は平坦だった。
『副司令権限への移行を確認。艦内統合管理および随伴艦救助を継続します』
アインを抱える腕だけが、強かった。
◇
四十五日後。
修復できなかった外郭は、仮設装甲で塞がれている。
停止した居住区画の住民は、使用可能な区画へ移った。
主推進器は低出力に制限され、短距離跳躍機構には一回ごとの点検が必要だった。
完全には直っていない。
戻れる場所も、まだ見つかっていない。
作戦司令室の主表示には、母星の印がない星図が広がっていた。
その上へ、最初の居住惑星候補を経由し、遠い扇形へ向かう航路が引かれる。
「全区画、航行開始準備完了」
「主推進器、低出力範囲で安定」
「航法、第一経由地まで固定」
クラウディアが、指揮官席のアインを見る。
「出発できます」
アインは、母星の名がない星図を見た。
「行くぞ」
主推進器が、傷ついた船体を押し始めた。
アークライトは、星図にない故郷を追って走り出した。




