第百四十六夜 読む前の受取人
第百四十六夜 読む前の受取人
旧観測室の開扉許可が、もう一度卓上へ置かれた。
前回と同じ封蝋。
前回と同じ署名。
違うのは、許可証の隣に二つの記録が並んでいることだった。
旧礼拝施設の現在証言。
封印管理区画の切断担当記録。
「本日の許可は、旧観測室の開扉と、索引及び表題の取得までです」
学院の管理官が読み上げた。
「本文、添付記録、関連記録、接続履歴の取得は許可範囲に含みません」
「取得した索引と表題は、受取人が決まるまで三者共同記録へ置きます」
エリオットが続けた。
「現在証言は、本日の閉庫確認記録です。旧礼拝施設を使用し、閉じ、次に開く者がいることを確認しています」
「異常が確認された場合、封印管理区画から接続を切断します」
封印管理官が言った。
「切断後の再接続は、本日の許可に含みません」
最後に、クラウディアがステファニアを見る。
「接続しますか」
ステファニアは、許可証と二つの記録を順に見た。
「はい」
「索引へ到達した後、表題の取得へ進みますか」
「到達後に、改めて確認してください」
「確認しました」
まだ、一つ目の同意だけだった。
◇
北棟地下の旧観測室前には、以前と同じ扉がある。
閉じている時と変わらない石の色。
外周封印にも異常はない。
だが、今日は管理官が開扉許可証の封蝋を切った。
乾いた小さな音が、地下廊下へ落ちる。
旧礼拝施設では、通常の閉庫手順を終えた担当者と立会人が、現在証言の送信へ同意している。
封印管理区画では、封印管理官の補佐が遮断桿の前に立っている。
エレナの表示は三地点を一つに重ねなかった。
旧観測室。
旧礼拝施設。
封印管理区画。
三つの状態は、別々の枠で並んでいる。
「開扉します」
管理官が言った。
扉の刻印へ、許可証に記された管理位相が通る。
重い石扉は、音を立てずに内側へ沈んだ。
冷たい風も、古い塵も出てこない。
扉の先には、細い円形の通路と、その中央に低い石台があった。
壁には記録棚がない。
文字もない。
石台の上に、何も載っていない。
「観測者登録を確認」
エレナが告げた。
管理官の名ではなかった。
学院でも、封印管理側でもない。
三者共同記録の識別番号が、観測者欄へ入っている。
「個人を登録していません」
クラウディアが確認した。
「許可範囲を持つ共同記録を観測者として扱っています」
アリシアの扇が僅かに動く。
「随分と用心深い扉ですこと」
「それでも開いた」
アインが言った。
「ええ」
アリシアは、開いた先へ足を踏み入れなかった。
最初に入ったのは学院の管理官だった。
物理的な管理責任を持つ者が、床と壁に異常がないことを確かめた。
次に封印管理官が入り、遮断可能な線が維持されていることを確認した。
エリオットは入口で止まり、現在証言が失われていないことを確かめた。
それぞれが、自分の役割から先へ進まない。
「接続前の確認へ移ります」
クラウディアが言った。
ステファニアは石台の前へ進んだ。
セラが右後方へ立った。
リシアは三者共同記録の受取人欄を開いた。
エレナは、接続継続、帰還経路、本人応答、取得済み情報だけを表示対象にした。
「接続しますか」
「はい」
ステファニアが石台へ手を伸ばした。
触れる直前で止める。
「索引へ到達した後、表題を取得する前に止まります」
「確認しました」
指先が、石台へ触れた。
光は出なかった。
音もない。
ステファニアの呼吸だけが、少しずつ深くなる。
「応答できますか」
エレナが尋ねた。
「はい」
「帰還経路は」
「見えています」
「索引へ到達しましたか」
ステファニアは、すぐには答えなかった。
触れた先に、記録がある。
一つではない。
数えようとすれば、数える前に道が分かれる。
何が書かれているかは見えない。
見ないように作られた索引だった。
「到達しました」
「停止できますか」
「はい」
「表題の取得へ進みますか」
クラウディアが尋ねた。
ステファニアは一度、指先を石台から離した。
接続が切れる。
帰還経路の表示が消えた。
「進みます」
石台へ触れたままでは答えなかった。
一度戻り、自分の声で次の同意を置いた。
「表題だけを取得します」
「確認しました」
ステファニアが、もう一度石台へ触れた。
◇
索引には、分類名がなかった。
国名も、部隊名も、人物名も見えない。
ただ、現在証言と三者共同記録の許可範囲へ応じて、受取人候補を確認できる表題だけが近づいてくる。
ステファニアは、表題を開かない。
読むための道へ入らない。
表に書かれた名だけを、共同記録へ送る。
「一件目」
エレナの表示へ文字が現れた。
封印設備保守記録。
表題だけでは、どの設備か分からない。
「二件目」
旧礼拝区画運用記録。
現在の旧礼拝施設と関係する可能性がある。
だが、本文へ進まなければ確定しない。
「三件目」
文字が現れる前に、アインが石台を見た。
僅かな動きだった。
リシアには、表情が変わったようには見えなかった。
それでも、アインが何かを感じたことだけは分かった。
エレナの表示へ、三つ目の表題が現れる。
アークライト帰還航路記録。
星図にない故郷。
誰も口を開かなかった。
ステファニアの指は、石台に触れたまま止まっている。
「応答できますか」
エレナが尋ねた。
「はい」
「停止できますか」
「はい」
「本文への経路は見えていますか」
「見えています」
「進みますか」
「進みません」
ステファニアは、すぐに答えた。
指先を離す。
三つの表題だけが共同記録へ残り、接続は切れた。
「切断不要」
封印管理区画から報告が届く。
「現在証言、変化なし」
エリオットが確認した。
「観測者登録は共同記録のまま終了しました」
学院の管理官が言った。
旧観測室の扉は、まだ開いている。
だが、石台には誰も触れていない。
◇
「受取人を決めます」
リシアは、三つの表題を並べた。
封印設備保守記録。
旧礼拝区画運用記録。
アークライト帰還航路記録、星図にない故郷。
「一件目は、封印管理側が受取人候補です。ただし、どの設備に関する記録か分からないため、存在確認だけを渡します」
封印管理官が頷いた。
「本文を読む判断は、対象施設を確認できる方法を決めてから行います」
「二件目は、神殿側と学院側が受取人候補です」
「現在の礼拝を古い形へ戻すためには使いません」
エリオットが言った。
「運用記録が現在の安全へ必要かを確認してから、閲覧範囲を決めます」
リシアは、三件目を見た。
アインは何も言っていない。
クラウディアも、先に答えを置かない。
沈黙を、同意として使う者はいなかった。
「三件目は」
リシアは、自分の言葉を探した。
「聖王国で保管されていた記録です。見つけたのも、ここです」
「はい」
学院の管理官が答えた。
「ですが、記録されているのは、アークライトが帰ってくるまでの航路です」
誰が所有するかではない。
誰が最初に受け取れば、記録の向きを曲げずに済むか。
「最初の受取人は、アイン様とアークライトだと思います」
アインが、リシアを見る。
「理由は」
「帰ったことを知るための記録ではないからです」
リシアは答えた。
「帰ってくるまで、何を選んだかの記録です。先に私達が読んで、帰ってきた人へ意味を説明するものではありません」
アインは、三つ目の表題を見た。
「分かった」
それだけだった。
「聖王国側へは、記録の存在確認と、本日は本文を開かなかったこと、最初の受取人判断を残します」
クラウディアが言った。
「本文の閲覧と開示範囲は、アインとアークライトが確認した後、改めて決定します」
学院の管理官、封印管理官、エリオットが、それぞれの立場で記録へ署名した。
ステファニアは、接続者欄へ署名する。
本文未取得。
添付記録未取得。
関連記録未取得。
索引と表題、三件のみ取得。
最後に、管理官が旧観測室の扉を閉じた。
石扉が元の位置へ戻り、外周封印が淡く落ち着く。
共同記録には、三つの表題が残っている。
そのうち一つだけが、まだ誰にも読まれていない帰還航路として、アインの前に置かれていた。




