第百四十一夜 使う人の形
第百四十一夜 使う人の形
学院の薬草温室には、同じ天気を好まない植物が集められていた。
強い日差しを必要とする赤葉草。
葉へ水が触れると傷みやすい銀縁花。
根を乾かしてはならない深土苔。
風を受けなければ香りを失う青鈴草。
どれも施療院で使われる薬草だった。
温室の屋根は透明な板で覆われ、壁際には送風術式、床下には給水術式が通っている。日差しが強くなれば遮光幕が下り、土が乾けば水が流れる。
一つずつなら、難しい設備ではない。
問題は、全てが同じ温室にあることだった。
「南側の給水術式が止まりました」
薬草学科のフィーネが、床の点検口を開けた。
「昨日直したばかりです」
「昨日は何を直したのですか」
ステファニアが尋ねる。
「深土苔に合わせて給水量を増やしました。ですが、銀縁花の区画まで湿度が上がったため、送風術式も強くしました」
「その結果は」
「青鈴草の区画が乾き過ぎましたので、今朝、送風術式を弱くしました」
「給水術式は」
「湿度が下がらなかったので、一度止めました」
フィーネは点検口の中を見た。
「その後、動かなくなりました」
設備が壊れているわけではなかった。
それぞれの薬草へ必要な状態を一つずつ合わせた結果、別の区画が外れる。
外れた区画を直すと、最初の区画がまた外れる。
「全部、別々の温室へ移せばよいのではありませんか」
リシアが言う。
「理想はそうです」
フィーネは答えた。
「ですが、温室も管理する人も足りません。薬草の組み合わせも、季節や施療院からの注文で変わります」
学院の実習場であれば、課題に合わせて術式を作り直せる。
温室では、明日も植物が生きている必要がある。
◇
「固定制御を四系統へ分離します」
ステファニアは、温室の中央卓へ黒い実習板を置いた。
「給水、送風、遮光、排湿。それぞれに未定義の空白を一つ残します」
「四つもですか」
フィーネの声に不安が混じる。
「常に人が補うわけではありません。既存の自動制御は残します」
ステファニアは、完成している保護線を示した。
「許容範囲を外れた場合の停止、過剰給水の遮断、送風機の負荷制限は、今までどおりです。その内側で、どの区画へ、いつ、どの程度作用させるかだけを空白にします」
「それを、誰が決めるのですか」
「使う方です」
フィーネは、温室を見回した。
「私達が、毎回術式を書き換えるのですか」
「いいえ」
ステファニアは少し考えた。
「書き換えられる場所を、残します」
前回の実技では、術者が発動中だけ空白へ自分の魔法制御を接続した。
だが、温室を管理する全員が同じ魔法を使えるわけではない。
薬草学科の学生が必要としているのは、ステファニアの技量を再現することではなかった。
水を増やす。
風を逃がす。
遮光幕を半分だけ下ろす。
排湿口を一つ開く。
既存設備が持つ動作を、その時必要な場所へ繋げられればよい。
「空白へ入れる形を、術式ではなく選択可能な接続先にします」
ステファニアが実習板へ細い線を足す。
完成させないための空白が、誰か一人の魔法を受け入れる場所から、複数の既存設備を繋ぎ替える場所へ変わった。
「それは、前回と同じものですか」
リシアが尋ねる。
「いいえ」
ステファニアは即答した。
「同じ考え方を使っていますが、同じものではございません」
自分の技術を、無理に同じ名前へ収めなかった。
◇
最初に動いたのは、リシアだった。
給水術式を再起動すると、南側の深土苔へ水が流れ始める。
土の奥へ染み込む前に、一部が隣の銀縁花区画へ向かった。
「止めますか」
フィーネが問う。
「まだ止めません」
リシアは床下の魔力流を感じ取る。
水の流れを正面から押し返せば、給水術式全体へ負荷が戻る。
迷宮で作った薄い板を、水路の分岐へ置いた。
受け止めるのではない。
少しだけ向きを変える。
深土苔へ向かう水量を保ったまま、銀縁花側へ漏れる流れだけが床下の回収路へ逸れた。
「流した水が無駄になりませんか」
「回収槽へ戻ります」
エレナが端末の記録を確認する。
「ただし、循環させる分だけ魔力消費が増えます」
「では、ずっと続ける方法ではありませんね」
リシアは板を保ったまま答えた。
「流れが落ち着くまでの間だけです」
深土苔の区画へ必要量が届く。
給水術式の流れが安定すると、銀縁花側への漏れも弱まった。
リシアは板を消した。
水は、自分で決められた経路を流れ続ける。
◇
次に、送風機の一つが止まった。
故障ではない。
湿度の上昇を受け、自動制御が三基を同時に動かそうとした結果、一時的に負荷制限へ達したためだった。
「押せば動きます」
セラが言った。
「物理的に、ですか」
フィーネが聞き返す。
「はい」
セラは送風機の保護覆いを外した。
回転羽根へ直接触れはしない。
軸へ繋がる補助輪へ手を添え、起動する瞬間だけ魔力を通した。
重かった輪が動く。
送風術式が回転を引き継ぐ。
セラはすぐに手を離した。
二基目には触れない。
三基目も動かさない。
「全部、動かさなくてよいのですか」
「今、必要なのは一基です」
青鈴草の葉が、弱い風に揺れ始める。
湿度を温室全体から追い出すほどの風ではない。
香りを失わせないために、青鈴草の周囲だけへ届く風だった。
「必要な瞬間だけ力を渡す、でしたね」
リシアが言う。
「はい」
セラは送風機の音を聞いた。
「止まりそうになれば、もう一度だけ押します」
その後、送風機は自力で回り続けた。
セラの役目は、押し続けることではなかった。
◇
エレナの端末には、温室から取得できる情報が並んでいた。
温度と湿度、土中水分、送風機の負荷、遮光幕の位置、それに薬草ごとの推奨値が、一つの画面へ集められていた。
全てを中央卓へ表示すれば、温室の状態を詳しく見せられる。
エレナは表示しなかった。
判断が必要な時だけ、該当区画の札へ淡い印を投影する。
深土苔の給水を続けるか。
青鈴草への風を弱めるか。
銀縁花の遮光幕を下ろすか。
最初の印が、赤葉草の区画へ現れた。
温度が推奨値の上限へ近づいている。
フィーネは印を見たが、遮光幕を下ろさなかった。
「判断が必要です」
エレナが告げる。
「はい」
「何もしないのですか」
「今は」
フィーネは赤葉草の葉を一枚持ち上げた。
裏側へ指を触れる。
次に、温室の外を見る。
西の空には薄い雲が近づいていた。
「この程度なら、あと少し日差しを受けた方が葉の色が良くなります。雲が来れば温度も下がります」
エレナは端末の予測表示を確認した。
雲の到着予測は取得できる。
だが、赤葉草の葉の色と、触れた時の張りまでは取得していない。
「印を消しますか」
「いえ。判断したことは記録してください」
フィーネは答えた。
「ただ、次からは温度だけでなく、葉の状態を確認するよう表示できますか」
「葉の状態を、端末が判断するのですか」
「いいえ。私達が見るのを忘れないように」
エレナの指が止まる。
答えを表示しない。
判断時点だけを表示する。
それでも足りなかった。
誰が使うかによって、判断する時に見るものまで違う。
「できます」
エレナは赤葉草区画の表示条件へ、葉の状態を使用者が確認する、という項目を加えた。
数値を増やしたのではない。
数値の外へ目を向けるための表示だった。
◇
午後になると、温室の状態は安定した。
完全に同じ状態ではない。
深土苔の土は湿っている。
銀縁花の葉は乾いている。
青鈴草には弱い風が届く。
赤葉草は、雲が来る直前まで日差しを受けた。
中央卓の実習板には、四人が使った手順が残っていた。
ステファニアが空白を残した。
リシアが余分な流れを逸らした。
セラが必要な瞬間だけ力を渡した。
エレナが、使う者が見るべき時を示した。
「同じ設備を、別の温室でも使えますか」
フィーネが尋ねる。
ステファニアはすぐに答えなかった。
「そのままでは、使えません」
「完成していないからですか」
「使う方と、育てるものが違うからです」
別の温室では、残すべき空白が違う。
逸らす流れも。
力を渡す瞬間も。
表示すべき時も。
同じ仕組みを置けば、同じ結果になるわけではない。
「では、これは何として記録するのですか」
ラウル教官が尋ねた。
エレナは、試験記録の名称欄を見る。
未完成術式。
判断時点表示。
適応制御。
どの名前も、四人の一部しか表していない。
「個人へ合わせて変更可能な運用手順、として記録します」
「技術名は」
「まだ付けません」
ラウル教官がステファニアを見る。
「異論は」
「ございません」
「完成扱いにはしないのか」
「はい」
ステファニアは、温室の中を見た。
「明日、別の方が使って直せる余地を残したまま、試験記録へ置いてください」
フィーネは中央卓の実習板を持ち上げた。
「明日、直してもよいのですか」
「そのための空白です」
◇
温室を出た後、クラウディアは四人を学院の小会議室へ呼んだ。
アインとアリシアも同席している。
卓上には、温室の試験記録と、迷宮暴走の学生向け報告書が並べられた。
答えを表示しない。
書かなかったことを、判断ごと消さない。
完成させず、次に使う者が直せる余地を残す。
「三件の試験結果を確認しました」
クラウディアが言った。
「皆様は、未知の情報へ接触した際、見えたものを全て開かず、必要な判断を他者へ委ねず、途中で止まり、後から再確認する手順を作れます」
ステファニアの表情が僅かに変わった。
「シーク、でしょうか」
「はい」
リシアは息を止めた。
シーク。
星の間で見た、星々のような記録。
ステファニアが鍵スフィアを通じて触れ、読めるものを読まずに戻った場所。
アイン達が聖王国へ来た、本来の目的。
クラウディアが卓上へ、聖王国の地図を開く。
学院都市。
五つのダンジョン。
古い礼拝施設。
封印管理区画。
その地下を結ぶ、現在は使われていない観測線。
「聖王国内には、星の間が接続していたものとは別系統のシーク、またはその高位接続点が残存している可能性があります」
地図上の三か所へ、淡い印が置かれた。
「これまで、所在候補の絞り込みだけを進め、接触は行っていません」
「なぜですか」
リシアが尋ねる。
「入口を見つけることより、入口で止まれる者を揃える方が先だからです」
ステファニアは鍵スフィアへ接続できる。
だが、彼女一人を鍵として使えばよいわけではない。
リシアは、見つかった情報を誰へ置くか決められる。
セラは、接続を維持する力と、切る瞬間を守れる。
エレナは、表示する情報と表示しない情報を分け、再確認する場所を残せる。
四人が温室で作ったものは、薬草を育てるためだけの手順ではなかった。
「探しに行くのですか」
リシアがアインを見る。
「行く」
アインは短く答えた。
その声に、迷いはなかった。
けれど、すぐに立ち上がりもしなかった。
「先に、知ってもらう」
「何を、でしょうか」
「入口を残した奴らのことを」
クラウディアが、温室の試験記録の下から、一件の限定開示記録を取り出した。
表題だけが、卓上へ表示される。
石化睡眠計画。
覚醒後情報導線設計記録。
アリシアの扇が、静かに閉じた。
「わたくしが眠るまでのお話ですわね」
学院の日常で生まれた手順は、聖王国の地下に眠るかもしれない記録へ向かう道となった。
だが、最初に開かれたのは入口ではない。
未来へ入口を残した者達の記録だった。




