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ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
古の残響

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第十三夜 対座

第十三夜 対座


 リシアは、最初の問いを口にした。


「アークライトは、船なのですね」


 クラウディアの目元が、ほんの少しだけ緩んだ。


「疑問形ではないのですね」


 それは、答えだった。


 リシアは静かに息を吸う。

 隣に座るステファニアは、何も言わない。

 けれど、その沈黙は怯えではなかった。


 問いの続きを、待っている。


「昨夜、ステファニア様と話しました。端末にあった低階層の情報。それから、古い文献の記憶を合わせて考えれば、そう見るのが自然です」


 アインはリシアを見ていた。

 赤い瞳に、驚きはない。

 だが、軽く見てもいない。


「ステファニア様」


 アインが、その呼び方を短く繰り返した。


 リシアは一瞬、目を瞬かせる。


「何か」

「身分は、君の方が上だろう」


 場の空気が、ほんの少しだけ緩んだ。


 ステファニアが、わずかに目を伏せる。

 リシアは自分でも分かるほど、頬が熱くなった。


「ファーランドでは、敬愛する年長の上位貴族に、様を付けることがあります」

「……リシア様が、そう言い張っているだけです」


 ステファニアが静かに補足した。


「ステファニア様」

「事実です」


 リシアは少しだけ唇を結んだ。


「お姉様と呼ぶよりは、よろしいでしょう」

「それは、もっとよろしくありません」


 クラウディアが、澄ました顔のまま言う。


「妥協案としては、興味深いですね」

「興味深いと言われるほどのことではありません」


 リシアはそう答えたが、声には少しだけ拗ねた響きが混じってしまった。


 アインは納得したように頷いた。


「分かった」


 それ以上、彼はからかわなかった。


 その短さに、リシアは少し救われた気がした。


 クラウディアが姿勢を整える。


「では、話を戻しましょう。アークライトが船である、という認識は正しいです」

「やはり」


 ステファニアが小さく呟く。


「ただし、あなた方が想像する船とは大きく異なります。海を渡る船でも、河を行く船でもありません」

「空を飛ぶ船、でもないのですか」


 リシアが問う。


「近いですが、正確ではありません」


 クラウディアの答えは、いつものように淡々としていた。


「空を飛んでいる、という表現は間違いではありません。ですが、アークライトは通常の意味で空間を移動しているわけではありません」


 リシアは、その言葉をすぐには理解できなかった。


 空を飛んでいる。

 けれど、空間を移動しているわけではない。


 矛盾しているように聞こえる。


 ステファニアも眉を寄せていた。


「それは、魔法による移動という意味でしょうか」

「あなた方が魔法と呼ぶものを、私たちは工学として扱っていました」


 クラウディアはそう言った。


 静かな声だった。

 けれど、その一言は、リシアの中の常識を軽く揺らした。


 魔法を、工学として扱う。


 魔法とは、術者の才能であり、祈りであり、学問であり、時に血筋であり、神から授かる力でもある。

 少なくとも、リシアはそう教わってきた。


 それを、工学。


 橋を架けるように。

 水車を作るように。

 城壁を積むように。

 扱っていたというのか。


「魔法を、作るものとして見ているのですか」

「作る、というより制御するものです」


 クラウディアは答えた。


「一般的に魔法や魔術と呼ばれているものは、ベルカでは区別されていました。正式には魔素/魔力誘導技術。その中核にあたる魔術は、魔力を使って魔法と同様の効果を得る魔力誘導技術です。魔力と呼ばれるものも、私たちの分類では位相流速現象として扱われます」

「位相……」


 ステファニアが小さく繰り返す。


 聞いたことのない言葉だった。

 けれど、ただの飾りではないことは分かる。


 説明は短い。

 だが、背後にあるものがあまりにも大きい。


「詳しい理論は、今は省きます」


 クラウディアは言った。


「現在のお二人には、情報量が多すぎます」

「理解できないと?」


 ステファニアの声が、少しだけ硬くなる。


「いいえ」


 クラウディアは即答した。


「理解しようとしてしまうからです」


 ステファニアが黙った。


 その言葉は、侮りではなかった。

 むしろ、評価に近い。


「今のお二人は、体力も魔力も完全には戻っていません。特にあなたは、考え始めると止まらない方です。回復中の患者に、眠れなくなる材料を渡すつもりはありません」


 ステファニアは反論しかけて、やめた。


 昨夜、実際に眠れなかったのだ。

 否定しようがなかった。


 リシアは小さく息を吐いた。


「では、今話せる範囲で教えてください。アークライトは、どこにあるのですか」

「少なくとも、海の中ではありません」


 クラウディアの言葉に、ステファニアの目がわずかに動いた。


 昨日の自分の推測を読まれていたことに気づいたのだろう。


「やはり、見ていたのですね」

「医療区画ですので」


 クラウディアは昨日と同じ言い方をした。


 だが、それで済ませるつもりはないらしい。


「会話記録、呼吸、心拍、投影設定、端末閲覧履歴。患者保護のため、一定範囲で確認しています」

「一定範囲、ですか」

「はい。許可なく身体へ不可逆な処置を行うことはありません。ですが、安全確保に必要な監視は行っています」


 リシアは黙って聞いた。


 不快ではある。

 けれど、隠されるよりはよかった。


「私たちに、拒否権はありますか」

「今すぐ完全に、という意味ではありません」


 クラウディアは答えた。


「ただし、説明を受けた上で制限範囲を相談することは可能です。治療上必要な監視と、不要な記録は分けられます」

「不要な記録」


 リシアは画面の向こうで見られていたであろう自分たちを思い出し、少しだけ頬を引き締めた。


「それは、後ほど詳しく聞かせてください」

「承知しました」


 淡々とした返答。

 だが、確かに聞き入れた返答だった。


 リシアは、次の問いへ進む。


「では、アイン様」


 アインがリシアを見る。


「あなたの名について伺います」


 空気が変わった。


 クラウディアは何も言わない。

 ステファニアも口を挟まない。


 これは、リシアが問うべきことだった。


「アイン・ジ・アークライト・ベルカ」


 リシアはその名を、ゆっくりと口にした。


「その名は、メシア正教国では魔王の名として伝わっています」


 アインは、表情を変えなかった。


「知っている」

「否定は、なさらないのですか」

「何を否定する」


 短い問いだった。


 リシアは息を呑む。


「魔王ではない、と」

「そう呼んだのは、俺じゃない」


 アインの声は淡々としていた。


「けれど、そう呼ばれる理由がないとも言わない」


 リシアは言葉を失った。


 否定してほしかったのかもしれない。

 そんなものは嘘だ、と。

 正教国の捏造だ、と。

 私は魔王ではない、と。


 けれど、目の前の少年はそう言わなかった。


「メシア正教国の伝承では、魔王は大地を焼き、魔物を呼び、世界を滅ぼしかけた存在とされています」

「順番が違う」


 アインが言った。


「焼いたのは、俺たちが戦っていた敵だ。魔物を呼んだのも、俺たちじゃない」

「では、なぜ」

「最後に、俺たちは世界を一つ消した」


 リシアの身体が、わずかに強張った。


 世界を一つ、消した。


 それは比喩なのか。

 そう問おうとして、問えなかった。


 アインの声が、比喩ではないと告げていた。


「門の向こう側にあった侵略世界だ。放置すれば、こちらが滅びた。だから消した」

「それが、魔王と呼ばれる理由ですか」

「理由の一つだろうな」


 アインは視線を落とした。


「正確な記録が残っているかは知らない。都合よく削られたものもあるだろう。だが、俺たちが危険な力を使ったことは事実だ」

「危険な力」


 ステファニアが、初めて口を挟んだ。


「それが、先ほどの工学と関係しているのですか」

「ある」


 アインは短く答えた。


 クラウディアが、わずかに目を伏せる。


「ただし、その詳細は今は話せません」

「また、今は、ですか」


 ステファニアの声に、わずかな棘が混じった。


「ええ」


 クラウディアは受け止めた。


「今話せることと、まだ話せないことがあります」

「それは、私たちのためですか。それとも、あなた方のためですか」


 問いは鋭かった。


 クラウディアは少しだけ間を置く。


「両方です」

「正直ですね」

「嘘をつくより、後の手間が少ないので」


 その返答に、ステファニアは一瞬だけ目を細めた。


 嫌っているわけではない。

 むしろ、見極めようとしている目だった。


 リシアは手を膝の上で重ねた。


「では、もう一つだけ伺います」


 アインが頷く。


「あなた方は、何者なのですか」


 その問いに、アインはすぐには答えなかった。


 白い髪。

 赤い瞳。

 幼い姿。


 けれど、その沈黙は子供のものではなかった。


 長い時間を背負った者の沈黙だった。


「神ではない」


 アインは言った。


「魔王でもない」


 リシアは黙って聞いた。


「俺たちは、帰ってきた者だ」


 そこで、アインは一度、言葉を切った。


「滅んだ国の、亡霊みたいなものだな」


 クラウディアの目が、ほんのわずかに伏せられた。


 咎めるためではない。

 否定するためでもない。


 ただ、その言葉を彼が自分に向けて使うことを、痛ましく思ったように見えた。


「亡霊……」


 リシアは、その言葉を小さく繰り返した。


 神でも、魔王でもない。

 帰ってきた者。

 滅んだ国の亡霊。


 その響きは、伝承で語られる魔王よりも、ずっと寂しかった。


 リシアは、目の前の少年を見た。


 白き神。

 魔王。

 アークライトの主。

 ベルカの名を持つ者。


 そのどれでもあり、どれでもないように見えた。


「では、亡霊は」


 リシアは言葉を選びながら続けた。


「今の世界に、何を望むのですか」


 アインは、リシアを見返した。


 赤い瞳が、静かに細められる。


「まだ、分からない」


 意外な答えだった。


「分からない、のですか」

「ああ」


 アインは短く答えた。


「俺たちにとっては、二年しか経っていない。けれど、この世界では千五百年経っている。守ったはずの国は滅びて、知っている街も、人も、もういない」


 その声に、大きな感情はなかった。


 だが、なかったからこそ重かった。


「何を望むかを決めるには、今の世界を知らなきゃならない」

「そのために、私たちを利用するのですか」


 リシアの問いに、ステファニアがわずかに身じろぎした。


 踏み込みすぎたかもしれない。

 だが、問わずにはいられなかった。


 アインは目を逸らさなかった。


「利用しないとは言えない」


 リシアの胸が、静かに冷えた。


 けれど、同時に妙な納得もあった。


 この少年は、できない約束をしない。


「君たちの立場、血筋、知識、地上との繋がり。必要になる可能性は高い」

「ずいぶん正直におっしゃるのですね」

「嘘をついて安心させても、後で困る」


 その言い方は、どこかクラウディアに似ていた。


 いや、逆なのかもしれない。

 クラウディアが、アインに似ているのか。


「ただし」


 アインは続けた。


「使い潰すつもりはない。君たちの意思を無視して引きずるつもりもない」

「その保証は」

「俺が言った、だけだ」


 あまりにも頼りない保証だった。


 けれど、不思議と軽くは聞こえなかった。


 リシアはしばらく黙っていた。


 そして、静かに答える。


「ならば、利用されるかどうかは、私たちが決めます」


 クラウディアの目元が、わずかに緩んだ。


「……やはり、賢い方ですね」

「褒めていただいているのでしょうか」

「ええ。かなり」


 リシアは少しだけ背筋を伸ばした。


「では、私たちにも選ぶための情報をください。すべてでなくても構いません。ですが、何も知らずに頷くほど、私たちは幼くありません」


 アインは、小さく息を吐いた。


 困ったようにも見えた。

 少しだけ、楽しそうにも見えた。


「面倒なことになったな」

「それはこちらの台詞です」


 リシアが即座に返すと、ステファニアがほんのわずかに目を丸くした。


 クラウディアは澄ました顔で茶器に手を伸ばした。


「では、少しずつ話しましょう」


 静かな音を立てて、茶が注がれる。


「まずは、アークライトについて。次にベルカについて。そして、あなた方がメシア正教国と呼ぶものについて」


 リシアは、手元の茶を見つめた。


 香りは穏やかだった。

 けれど、これから語られるものは、きっと穏やかな話ではない。


 それでも、もう目を逸らすことはできなかった。


 アークライトは、船だった。

 アインは、魔王ではなかった。

 けれど、ただの救い主でもなかった。


 そして彼らは、自らを亡霊と呼んだ。


 リシアは茶器を両手で包み、静かに顔を上げた。


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