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ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
新しい風

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第百三十五夜 前へ出る殿

第百三十五夜 前へ出る殿


 予定外の実地訓練は、そこで終わった。


 ラウル教官は、残った学生達を白い帰還線の内側へ集める。


 負傷者は医療担当の教官とともに座り、見学を続けていた。


 黒い境界の向こうでは、深層から押し上げられた魔物が増え続けている。


「暴走源を止める」


 アインが言った。


「ここから先は、訓練じゃない」


 薄い青白い魔力球が、学生達の周囲へ八個残る。


 白い帰還線と黒い境界も消えない。


「アイン様」


 リシアが呼んだ。


「私達は、何をすればよいですか」


「帰還路を守る」


「ここで、ですか」


「そうだ」


 アインは、暴走源へ続く下り道を見た。


「俺とアリシアが前へ出る。こっちへ一匹も通さない」


 リシアは一度、白い線を見た。


 殿は、最後尾で追手を止める者だと思っていた。


 だが、追手が前から来るなら。


 一番前まで進み、全てをそこで止める者が、殿になる。


「分かりました」


 ラウル教官が学生達へ指示を出す。


「白線内で隊列を維持。帰還路の状態、残存魔力、負傷者を確認。前方の戦闘へ手を出すな」


 エレナが共有表示を整理した。


 学生達の状態。


 白い帰還線。


 アインとアリシア・ファーランドの位置。


 表示するのは、それだけだった。


「準備できました」


「行く」


 アインが黒い境界を越える。


 アリシア・ファーランドも、隣へ並んだ。


 右手にレイピア。


 左手に閉じた扇。


「参りましょう、殿下」


 二人は、学生達から離れる方向へ歩き始めた。


     ◇


 暴走源へ続く通路は、下るほど狭くなった。


 床の誘導杭は全て赤い。


 壁の内側では、旧規格の魔力経路が脈打っている。


 曲がり角から、甲殻に覆われた魔物が二体現れた。


 アインは歩みを止めない。


 右手を開く。


 手刀の先に、魔力が集まった。


 薄い刃が、指先から真っ直ぐ伸びる。


 一体目の甲殻が斜めに割れた。


 返した手が、二体目の前脚を断つ。


 倒れた魔物が通路を塞ぐ前に、アリシア・ファーランドの扇が触れた。


 閉じた扇の延長に短い刃が生まれ、巨体を二つに分ける。


 二人は、その間を抜けた。


「殿下」


「何だ」


「先ほどの刃は、学生方へお見せにならなかったのですね」


「まだ早い」


「わたくしの扇は、お見せになりましたのに」


「アリシア・ファーランドが見せた」


「まあ」


 アリシア・ファーランドは楽しそうだった。


 その間にも、レイピアが一度だけ光る。


 天井から落ちた魔物が、二人の背後へ届く前に崩れた。


     ◇


「前方、旧保守隔壁が三枚開放」


 クラウディアの声が届く。


「左右の保守坑道からも魔物反応。合計四十七。増加中です」


 アインは立ち止まった。


 正面の隔壁が持ち上がる。


 左右の壁も割れ、使われていなかった坑道が開いた。


 暗闇の奥に、いくつもの目が光る。


 一方向ではない。


 正面。


 左右。


 天井近くの保守穴。


 魔物が一斉に動いた。


 薄い青白い魔力球が、アインの周囲へ浮かぶ。


 三体を撃ち抜く。


 二体を横から殴り、坑道へ押し戻す。


 それでも、数が減らない。


 アインは魔力球を消した。


 代わりに、七本の両手剣が現れる。


 どれも、アインの身長より長い。


 一本が正面へ突き立ち、突進する魔物の群れを左右へ分ける。


 二本が左右の坑道を横切り、盾となって爪と牙を受け止めた。


 一本は頭上へ浮かび、保守穴から落ちる魔物を切り払う。


 残る三本が、分けられた群れを順に断つ。


 攻撃が終わる前に、盾だった剣が動く。


 押し返す。


 床へ突き立つ。


 次の群れの進路を塞ぐ。


 七本は、一度も同じ役目に留まらなかった。


「七剣盾」


 ステファニアの声が、共有表示越しに小さく聞こえた。


 アリシア・ファーランドは、アインの七本が塞いでいない場所だけを見る。


 レイピアが触れる瞬間に光る。


 閉じた扇が、短い刃となって薙ぐ。


 二人の間を抜けた魔物は、一匹もいなかった。


 学生達の前に残された八個の魔力球も、動かない。


 動く必要がなかった。


     ◇


 暴走コアは、旧保守区画の最下部にあった。


 円形の部屋。


 中央には、学院管理迷宮の魔力循環を支える石柱が立っている。


 その周囲へ、現行制御とは異なる細い魔力経路が五本接続されていた。


「五本」


 アリシア・ファーランドが言った。


「先日、カスパール殿下が記録を分散した数と同じですわね」


「偶然ではありません」


 クラウディアが答える。


「五経路のうち四つは学院外の旧連絡網へ接続。残る一つは、命令実行後の確認通知を返すための経路です」


「宛先は」


「現在、照合中です」


 石柱の表面を赤い光が巡る。


 床の下で、次の隔壁が動き始めた。


 アインは七本の剣を石柱の周囲へ置いた。


 壊すためではない。


 五本の経路と、現行制御を分けるためだった。


「オーバーライト」


 アインの手が石柱へ触れる。


 白い光が、赤い命令の上へ重なった。


 隔壁、誘導杭、魔物制御。


 三系統を動かしていた命令が、一つずつ停止する。


 赤い光が消えていく。


「停止を確認」


 クラウディアが告げた。


 その直後、五本目の経路だけが黒く染まった。


「別命令を検出。実行記録、認証履歴、確認通知経路の消去を開始」


 アインは石柱から手を離さない。


 白い光を重ねる。


 黒い命令は、上書きを拒んだ。


「独立術式です」


 クラウディアが言う。


「暴走停止時にのみ発動。現行制御から切り離されています」


 黒い光が、五本目の経路から消去対象へ伸びた。


 共有表示から、実行記録の先頭が消える。


「消去処理が保全より早いです」


「なら、繋がせない」


 アインの左手が、黒い経路の上へ置かれた。


「エクリプス」


 光は出なかった。


 黒い命令は残っている。


 消去対象の記録も残っている。


 だが、その間だけが途切れた。


 命令は実行されているのに、何も消せない。


 共有表示へ、消えていた実行記録の先頭が戻った。


「消去効果の成立不能を確認」


 クラウディアの声が、わずかに早かった。


「記録を保全します」


 アリシア・ファーランドの扇が止まった。


「確認通知の宛先は、分かりまして?」


「はい」


 共有表示へ、一つの認証記録が開く。


 アレーナ王国王族施設監査用の一時資格。


 使用者は、第二王子府付き連絡官。


「命令の作成者は、二者です」


 クラウディアが、保全した記録を分ける。


「隔壁と誘導杭の起動条件は、第二王子府の一時資格で置かれています。魔物制御の増幅と消去術式は、後から別系統で追加されました」


「照合先は」


「メシア教暗部から押収した聖具の術式構造と一致します」


 確認通知の返送先も、二つに分岐していた。


 一つは、カスパール第二王子府が管理していた旧地下連絡網の私書箱。


 もう一つは、正教国暗部が使用していた廃棄私書箱。


 主要権限を停止される前に、命令は置かれている。


 その命令へ、魔物を学生達へ向かわせ、作動後に証拠を消す命令が重ねられていた。


「互いを利用しながら、失敗すれば相手だけを差し出すおつもりでしたのね」


 アリシア・ファーランドの声から、楽しさが消えた。


「これは、仕返しでは済みませんわ」


「ああ」


 アインは短く答えた。


     ◇


 学院管理迷宮の誘導杭が、赤から青へ戻った。


 閉じていた隔壁が開く。


 深層から押し上げられていた魔物は、元の区画へ誘導されていく。


 白い帰還線の内側で、学生達はその変化を見ていた。


「暴走停止を確認」


 クラウディアの報告が届く。


「人為的命令、実行記録、消去命令、確認通知経路を保全しました。学院長府、アレーナ王国司法窓口、関係国外交窓口へ、同一内容を同時送付します」


 ラウル教官は、負傷した学生を見た。


 止血布の巻かれた腕。


 帰還を選んだ者達。


 残って学んだ者達。


 誰にも、起きたことを小さく扱わせないための記録だった。


 通路の奥から、アインとアリシア・ファーランドが戻ってくる。


 二人は、学生達の前へ出た時と同じ歩調だった。


 アインの七本の剣は、もうない。


 アリシア・ファーランドのレイピアにも、扇にも、魔力の光は残っていない。


「おかえりなさい」


 リシアが言った。


「戻った」


 アインは答えた。


 殿を務めた二人は、誰より前から帰ってきた。


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