第百三十四夜 形になる前
第百三十四夜 形になる前
残ると答えた者は、三つの班の半数ほどだった。
帰還を選んだ学生達は、白い線を辿って入口へ向かった。
誰も引き留めない。
ラウル教官は一人ずつ名を確認し、帰還班へ教官二名を付けた。
残った者達も、黒い境界から離れた場所へ並び直す。
「最初に確認する」
ラウル教官が言った。
「これは学院の通常授業ではない。途中で帰還へ変更しても、不利益はない。負傷、疲労、恐怖、理解できない。そのどれでも十分な理由だ」
学生達の顔を順に見る。
「続ける者は、手を上げろ」
リシアは、もう一度手を上げた。
セラ、ステファニア、エレナも続く。
カイルとミレイア。
他の班から残った学生達も、一人ずつ手を上げた。
ラウル教官は全員を確認してから、アインへ向き直った。
「お願いします」
「分かった」
◇
アインは、手のひらの上へ小さな魔力塊を作った。
形は、球。
薄い青白い光を放っている。
「属性を付けない。術式にしない。形だけ決める」
球が、手のひらから浮いた。
アインの周囲をゆっくり巡る。
「保つ。動かす。触れる前に止める。触れた時だけ力を渡す。終わったら消す」
言葉に合わせ、球が動いた。
床すれすれまで落ちる。
壁へ向かい、触れる直前で止まる。
最後に、音もなく消えた。
「五つですか」
ステファニアが尋ねた。
「五つ」
「今の動作だけで?」
「そうだ」
ステファニアは、少しだけ眉を寄せた。
「理解しました」
「まだ作るな」
「はい」
返事が僅かに遅れた。
アリシア・ファーランドが、閉じた扇の向こうで口元を隠す。
「ステファニア様。形になる前に、全てを理解なさらないことですわ」
「理解しないまま扱う方が難しいのですが」
「ええ。ですから、基礎ですの」
ラウル教官が何か言いかけたが、やめた。
◇
最初の課題は、薄い板を作ることだった。
盾ではない。
攻撃も防がない。
落ちてくる小石へ触れ、横へ逸らすだけの板。
リシアは、両手の間へ魔力を集めた。
いつもなら、そのまま丸い塊にして撃ち出す。
今日は広げる。
薄く。
必要な場所だけに。
「広げ過ぎ」
アインが言った。
次の瞬間、板が崩れた。
落ちてきた小石が、リシアの額へ当たる。
「痛い……」
「薄くしようとして、大きくし過ぎた」
「はい」
額を押さえながら、もう一度作る。
今度は小さすぎた。
小石は板の端を抜け、肩へ落ちた。
「もう少し大きく」
「はい」
三度目。
小さな板が小石へ触れ、横へ弾いた。
強く防いだのではない。
落ちる先を、少し変えただけだった。
「できました」
「次は動かす」
「はい」
喜ぶ時間は短かった。
◇
ステファニアが作った板は、最初から整っていた。
厚みも幅も均一。
縁には魔力の揺らぎさえない。
「動かして」
アインが言う。
板は動かなかった。
「……少々、お待ちください」
ステファニアの額に汗が浮かぶ。
板は、わずかにも動かない。
「固定し過ぎですわ」
アリシア・ファーランドが言った。
「ですが、崩れません」
「ええ。素晴らしい壁ですわね」
「板の課題です」
「存じております」
アリシア・ファーランドは、閉じた扇の先で板へ触れた。
整い過ぎた形が、音もなく崩れる。
「完成させる前に、動ける余地を残しなさいませ」
ステファニアは消えた板を見つめた。
「理解しました。理解したので、少し難しくなりました」
「良い傾向ですわ」
◇
セラの課題は、剣へ魔力を通すことだった。
常に纏わせない。
振り始めにも使わない。
木製の標的へ触れる瞬間だけ、刃を補強する。
最初の一振りでは、魔力が早すぎた。
剣身を光が走り、標的へ届く前に消える。
二度目は遅れた。
木剣が標的へ当たり、乾いた音だけが響く。
三度目。
セラは、標的ではなく剣先を見ていた。
触れる。
その瞬間だけ、細い光が走った。
木製の標的に、浅い線が入る。
「通りました」
「今の感覚を覚えろ」
「はい」
「もう一度」
「はい」
セラは構え直す。
その横で、アリシア・ファーランドの閉じた扇が僅かに動いた。
「五回で交代ですわ」
「まだ三回です」
「最初の二回も数えます」
「失敗です」
「失敗も一回ですわ」
セラは少しだけ不満そうな顔をした。
それでも、五回目で剣を下ろした。
◇
エレナの課題は、表示を減らすことだった。
残った学生全員の魔力保持状態が、共有表示へ並んでいる。
揺らぎ。
形。
消費量。
崩壊予測。
エレナは、その全てを見ようとしていた。
「エレナ」
クラウディアの声が届く。
「はい」
「現在、あなたが知らせなければならない対象は何名ですか」
エレナは表示を見た。
数値は十四名分ある。
「……二名です」
「残りを消してください」
「ですが、変化した場合は」
「その時に表示します」
エレナは迷った後、十二名分を閉じた。
視界が急に静かになる。
残ったのは、板が崩れかけている学生と、魔力消費が増えすぎている学生だけだった。
「見ないことも、見張ることですか」
「必要な変化を見失わないためには」
クラウディアの答えは短かった。
エレナは頷く。
次に誰かの形が崩れた時、表示は一つだけ増えた。
◇
基礎課題が終わる頃、アインの周囲には薄い青白い光が十二個浮かんでいた。
いつ作ったのか、リシアには分からなかった。
光はゆっくり漂い、黒い境界の近くを巡っている。
「あれは、何ですか」
別班の学生が尋ねた。
「魔力球」
アインが答える。
「ウィルオウィスプのように見えます」
「そうか」
それだけだった。
アリシア・ファーランドは、薄い青白い光を数えた。
「十二では少々、多いのではありませんか」
「四人が張り切ってる」
リシアは聞こえなかったことにした。
ステファニアも、閉じた扇を見ている。
セラは剣の確認を始めた。
エレナだけが、共有表示へ新しい欄を追加しようとして、クラウディアに消された。
◇
黒い境界の一部が開かれた。
最初に入ってきたのは、小型の魔物が三体。
学院の通常実習でも扱う種類だった。
「一班、一体」
ラウル教官が指示する。
「倒すことを優先するな。形を保ち、必要な瞬間だけ触れさせろ」
リシア達の班へ、一体が向かってくる。
セラが前へ出た。
リシアは、その少し後ろで薄い板を作る。
ステファニアは動かせる形を保とうと、完成させる直前で止めている。
エレナは三人全員を表示せず、崩れかけた者だけを見る。
魔物が跳んだ。
リシアは板を前へ出す。
受け止めようとして、厚くした。
板が重くなる。
動かない。
「押すな。逸らせ」
アインの声が届く。
リシアは板の向きを変えた。
魔物の前脚が板へ触れ、身体が横へ流れる。
セラの剣が、触れた瞬間だけ光った。
魔物は床へ転がる。
「次が来ます」
エレナが言った。
予定では、一体ずつだった。
二体目が黒い境界から入ってくる。
「私が止めます」
ステファニアが板を動かした。
今度は動く。
だが、形を残そうとし過ぎて遅い。
二体目が板の横を抜ける。
薄い青白い光が、その頭部を横から殴った。
魔物の進路が半歩ずれる。
ステファニアの板が間に合い、胸元を押し返した。
「今のは」
「一体多い」
アインが答えた。
「私達が引き受けたのでは」
「引き受けようとした」
ステファニアは反論しなかった。
アリシア・ファーランドの扇が、少しだけ開く。
「四人とも、元気で何よりですわ」
「姉様も楽しんでいませんか」
「教えることを、ですわ」
黒い境界の向こうで、別の魔物が進路を変えた。
アリシア・ファーランドの閉じた扇が床を軽く叩く。
魔物は見えない何かに押され、別班の正面へ向きを変えた。
◇
軽傷者が出たのは、三巡目だった。
別班の男子学生が、接触の瞬間だけ盾を作ろうとしていた。
魔物の爪が届く。
盾は出た。
だが、形が薄すぎた。
爪が抜ける。
薄い青白い魔力球が、横から魔物の肩を打った。
爪の軌道が、男子学生の胸から外れる。
それでも先端が前腕を掠めた。
服が裂け、血が流れる。
「止めろ!」
ラウル教官の声で、全班が動きを止めた。
黒い境界が閉じる。
入っていた魔物は、アインの魔力球とアリシア・ファーランドの扇に押し戻された。
医療担当の教官が、負傷した学生へ駆け寄る。
「浅い裂傷です。骨、腱に異常なし」
傷口が洗浄され、止血布が巻かれる。
学生は自分の腕を見た。
「続けられます」
「それを決めるのは、今ではない」
ラウル教官が言った。
「治療後、帰還するか、見学を続けるか選べ。実技への復帰は認めない」
学生は悔しそうに唇を噛んだ。
それでも、頷いた。
「見学します」
「分かった」
ラウル教官は、残る学生達へ向き直る。
「安全域は、無傷を保証する場所ではない。取り返しのつかない事態を起こさないための場所だ」
薄い青白い魔力球が、負傷者の近くへ一つ浮かんでいる。
あれがなければ、傷は前腕では済まなかった。
けれど、傷がなくなったわけでもない。
「続けるか」
ラウル教官が問う。
誰もすぐには答えなかった。
帰還路は、今も白く光っている。
リシアは、自分が作った薄い板を見た。
さっきまでより、小さく見える。
足りないのではない。
自分が扱える大きさが、ようやく分かり始めただけだった。
「続けます」
リシアが答えた。
今度は、最初ほど早くなかった。
セラが頷く。
ステファニアは閉じた扇から手を離し、自分の板を作り直した。
エレナは、負傷者の表示を医療担当へ移し、必要な三名だけを視界へ残す。
ラウル教官は全員の意思を確認した。
「再開する。一班、一体。勝手に増やすな」
「はい」
四人の返事が重なった。
アインの周囲に浮かぶ魔力球が、十二個から八個へ減った。
アリシア・ファーランドは、それを見て微笑んだ。
少しだけ、任せられる数が増えた。




