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ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
新しい風

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幕間十八 十騎分の空白

幕間十八 十騎分の空白


「仕返しをいたしましょう」


 アリシア・ファーランドは、開いた扇子の向こうで微笑んだ。


 アークライトの小会議室には、帝国とメシア正教国に関する報告が並んでいる。


 ファーランド公国へ刺客を送り、船旅を妨害した記録。


 異世界から二十名の学生を召喚し、侵攻軍へ組み込んだ記録。


 エリオノーラを攫い、生贄にしようとした暗部の記録。


 獣人諸氏族連合王国へ投入され、十騎まとめて行動不能になった魔導騎装の報告。


 そして、住民ごと移された王都の跡地で、征服するものを失った南方侵攻軍の記録。


 ステファニアは、並べられた記録の前に座っていた。


「落ち着いてますわ」


「聞いてない」


 アインが答えた。


「先に申し上げておいた方がよろしいかと思いまして」


「落ち着いてない時に言うからな」


 アリシア・ファーランドは、扇子を少しだけ閉じた。


「殿下」


「何だ」


「仕返しをいたしましょう」


「二回目だ」


「大切なことですので」


 向かいでは、リシアが報告書を読み直していた。


「姉様。どの程度の仕返しをお考えですか」


「先方が二度と、同じ手を安価に使えなくなる程度ですわ」


 クラウディアが卓上へ新しい表示を置いた。


「帝国と正教国が共有する非公式連絡網を、三系統確認しています。資金決済、情報交換、現地協力者への指示。全て、複数の商会と宗教施設を経由しています」


「止められるか」


 アインが問う。


「止めるだけなら可能です。ただし、別経路へ移るでしょう」


「ステファニア様」


 アリシア・ファーランドが呼んだ。


「はい」


「この三つの道を、二度と使えなくなさい」


 ステファニアは、表示から顔を上げた。


「私が、ですか」


「ええ。ただし、偽の証拠は作らないこと。民の暮らしを巻き込まないこと。わたくしたちが奪ったと主張できる形にしないこと」


「難しい課題です」


「存じております」


 アリシア・ファーランドは、閉じた扇子を卓上へ置いた。


「殿下の隣へ立つ者が、剣の届く相手だけを見ていては困りますもの」


 ステファニアの視線が、一瞬だけアインへ向いた。


 アインもアリシア・ファーランドを見る。


「俺は聞いてない」


「今、申し上げましたわ」


「そうか」


 ステファニアは何も聞かなかった。


 代わりに、三つの連絡網をもう一度見る。


 秘密の道は、隠れているから価値がある。


 誰が、どこへ、何を運んだか。取引相手が全て知れば、同じ道は使えない。


 だが、自分たちが公開すれば、ファーランドとアークライトによる敵対行為になる。


「公開する者が、別に必要です」


 ステファニアが言った。


「両国と繋がり、自分の利益のためなら証拠を分散し、切り捨てられると知れば先に動く方」


 リシアが、表示の一角を見る。


「カスパール殿下」


「はい」


 ステファニアは頷いた。


「帝国と正教国が、カスパール殿下を捨て駒として扱う記録を含めます。殿下は御自身を守るため、記録を複数の組織へ預けるでしょう」


「公開条件は」


 クラウディアが問う。


「御自身の身に危険が及んだ場合。継承権を止められた場合。そして、帝国か正教国が記録を否定した場合です」


 アリシア・ファーランドの扇子が、卓上で動かない。


 まだ、正解とは言わない。


「資金はどうなさいますか」


「凍結させます。ただし、所有権を主張できないことにつけ込んで、私たちが受け取るべきではありません」


 ステファニアは、少し考えた。


「銀行と保険組合に由来と使途を照合させます。被害が確認された範囲だけを、正規の補償として返す。ファーランドへの分は、被害記録と決済資格を持つベルン商会を経由させます」


「残りは」


「救護寄進を流用された地域と、召喚学生の保護費用へ。申告されていない被害に備え、残額は共同補償口へ置きます」


 ステファニアはそこで言葉を止めた。


「これなら、民の商いを無差別に止めず、帝国と正教国は資金の返還を求めるために、工作網の所有を認めなければなりません」


 アリシア・ファーランドが、卓上の扇子を取った。


 静かに開く。


「結構ですわ」


     ◇


 アレーナ王国第二王子、カスパール・ヴェノム・アレーナは、同じ日に届いた二通の報告書を机へ並べた。


 一通は、グランカーン帝国東方軍から。


 獣人諸氏族連合王国へ投入した魔導騎装十騎が、全騎行動不能。


 搭乗員は生存。


 敵による追撃なし。


 機密保全のため、交戦記録は現地で破棄。


 もう一通は、帝国南方派遣軍から。


 侵攻対象の王都が消失。


 住民、財貨、備蓄の確保なし。


 敵による追撃なし。


 作戦目的は達成されたものとして撤退。


 二つの失敗に、直接の関係はない。


 場所も違う。


 相手も違う。


 規模も違う。


 だが、報告書には同じ空白があった。


 損害を受けた後、相手が何を要求したか。


 そこだけが、どちらにも書かれていない。


 何も要求されなかったからだ。


 領土も。


 賠償も。


 降伏も。


 ただ、帝国がそこへ軍を送る目的だけが失われている。


「同じだ」


 カスパールは呟いた。


 十騎分の空白と、都市一つ分の空白。


 帝国は、敗北を隠しているのではない。


 何に敗北したのか分からないことを隠している。


 それを認めれば、帝国の力を借りて王位へ近づこうとしている自分の計画も揺らぐ。


 だからこそ、帝国より先に答えを持つ必要があった。


 机の端には、もう一つの封筒が置かれていた。


 帝国側の連絡員が使う地下連絡網へ、差出人不明で投じられたものだ。


 封蝋はない。


 宛名もない。


 中には、決済記録と指示書の写しが入っていた。


 帝国の外務官僚が用意した資金を、正教国系の救護団体が受け取る。


 救護団体が現地協力者を雇い、聖印を持つ暗部へ人と物を渡す。


 暗部が得た情報は、別の商会を通じて帝国へ戻る。


 それぞれ単独なら、ありふれた取引に見えた。


 並べれば、一つの道になる。


 最後の紙には、アレーナ王国内で利用可能な協力者候補が記されていた。


 カスパール自身の名もある。


 王位継承争いを利用しやすい。


 成功時の要求増大に注意。


 失敗時は、独断専行として切り離すこと。


 カスパールは、その一文を三度読んだ。


 怒りは、すぐには湧かなかった。


 代わりに、指先が冷えた。


 自分が帝国を利用していると思っていた。


 帝国も同じつもりだろうとは考えていた。


 だが、捨てる時の文面まで用意されているとは思わなかった。


 彼は書類を燃やさなかった。


 帝国へ抗議もしなかった。


 五通の写しを作らせた。


 一通はアレーナ国王の侍従長へ。


 一通は王国中央銀行の監査役へ。


 一通は、帝国と取引する海運保険組合へ。


 一通は、正教国から距離を置く西方教区の司教へ。


 最後の一通は、学院の公証保管庫へ。


 全てに、同じ条件を付けた。


 自分が三日間連絡を絶った場合。


 帝国または正教国が、記録の存在を公に否定した場合。


 アレーナ王国内で、自分の逮捕または継承権停止が発議された場合。


 封を開き、関係する全ての国と組織へ写しを送ること。


 それからカスパールは、帝国と正教国へ同じ書状を送った。


 自分を対等な交渉相手として扱うこと。


 アレーナ王国における自分の立場を、両国が正式に支持すること。


 返答期限は三日。


 脅迫ではない。


 彼は、そのつもりだった。


     ◇


 帝国は、記録を偽造だと断じた。


 正教国は、信仰を傷つける悪意ある捏造だと声明した。


 二つの声明が出た日の夕刻、五通の封が開いた。


 翌朝までに、帝国と正教国が共有していた三つの連絡網は、秘密ではなくなった。


 海運保険組合は、記録に名のある十一商会の契約を停止した。


 王国中央銀行は、名義を分けて置かれていた十七口の資金を凍結した。


 西方教区の司教は、救護寄進の流用について公開監査を要求した。


 学院の公証保管庫は、召喚学生と南方侵攻に関する記録を、関係国からの照会対象として登録した。


 アレーナ国王は、初めて次男が帝国と繋がっていた証拠を読んだ。


 帝国は、正教国が記録を残したと疑った。


 正教国は、帝国が責任を押しつけたと疑った。


 現地協力者たちは、次の報酬が届かないと知って口を開き始めた。


 誰も死ななかった。


 だが、十年以上かけて作られた道は、一日で使えなくなった。


 凍結された十七口の資金は、そのままファーランドへ渡ったわけではない。


 王国中央銀行と海運保険組合は、資金の由来と使途を照合した。


 最初に認められた支出の一つは、離反時に脇腹へ刃を受けた召喚学生の治療費だった。


 ほかにも、刺客に襲われたファーランド公国への損害補償、救護寄進を流用された各地への返還が認められ、残額は今後の被害申告に備えた共同補償口へ置かれた。


 帝国と正教国は、資金の所有を公には認めていない。


 認めれば、工作網の存在も認めることになる。


 異議を申し立てる者がいないまま、補償金の最初の一部は、被害記録と受領資格を持つベルン商会の決済口へ入った。


 ベルン商会は手数料を取らず、全額をファーランド大公家の復旧・救護会計へ移した。


 カスパールの要求も通らなかった。


 帝国と正教国は彼を支持する代わりに、全てを第二王子の独断だったと主張した。


 アレーナ国王は息子の逮捕を命じなかった。


 ただし、外交使節への接触権、王家名義の使用権、継承評議会への出席権を停止した。


 カスパールは、自分を守るために送った五通によって、王位へ進む道を自分で閉じた。


 その夜、差出人不明の封筒に、短い紙が一枚だけ届いた。


 記された文章は、丁寧だった。


 お役に立ったようで、何よりですわ。


 利用できるものを見つけた時は、誰がそれを置いたのか、ご確認なさることをお勧めいたします。


 署名はない。


 だが、カスパールには分かった。


 自分が見つけたのではない。


 見つけさせられたのだ。


     ◇


「正教国内六教区が寄進監査を要求。アレーナ王国内の協力者二十三名が接触を停止しました」


 クラウディアが結果を読み上げた。


「帝国と正教国は、互いが記録を漏らした可能性を調査しています。カスパール第二王子は、王位継承に関する主要権限を停止されました」


「補償金の第一回分は、ベルン商会を経由してファーランドへ着金済みです」


 アインは、隣に座るアリシア・ファーランドを見た。


「満足したか」


「わたくしではなく、ステファニア様へお尋ねくださいな」


 ステファニアは、結果一覧から視線を外さなかった。


「民間の商いに影響が広がらないよう、停止対象は工作資金との直接接続が確認できた契約に限定しました」


「満足したか」


「はい」


 アインは、もう一度アリシア・ファーランドを見る。


 アリシア・ファーランドは、扇子で口元を隠した。


「少し、胸がすきましたわ」


「少しか」


「ええ」


 扇子の向こうで、彼女はとても穏やかに微笑んでいる。


「まだ、少しですわ」


 クラウディアが、送付済みの受領通知を表示した。


 宛先は、所有者不明の資金について照会してきた帝国系商会。


 文面は、ステファニアが整えていた。


 落とし物は、被害を受けた方々へお返しいたしました。


 ご心配には及びません。


 泥棒が落とした小銭に味を占めるほど、ファーランドは困窮しておりませんので。


「誰が泥棒かは書いてない」


 アインが言った。


「はい。名乗り出る自由は残しております」


 ステファニアが答えた。


 アリシア・ファーランドは、しばらく彼女を見ていた。


 それから、卓の脇に置かれていた細長い箱を差し出す。


「ステファニア様。こちらを」


 箱の中には、一振りの扇が収められていた。


 骨も、要も、ガードも、アリシア・ファーランドが持つ扇と同じ形をしている。


 ただ、色だけが違った。


 ステファニアは、すぐには手を伸ばさなかった。


「マーファライトですか」


「ええ。礼装品ですが、飾りではありません」


「私が受け取ってよいものなのでしょうか」


「今後も必要になりますわ」


「何に、でしょうか」


 アリシア・ファーランドは、楽しそうに微笑んだ。


「殿下の隣で、泥棒へ落とし物を返す際に」


 ステファニアは、もう一度アインを見た。


 アインは箱の中の扇を見ている。


「重そうだな」


「価値のお話でしょうか」


「責任の方だ」


 ステファニアは、ゆっくりと両手を伸ばした。


「承知しました」


 色の違う扇を、箱ごと受け取った。


     ◇


 同じ頃。


 ファーランド大公家の小会議室では、ガリウス、ウィリアム、カリウスの三人が、復旧・救護会計へ入った補償金の通知を囲んでいた。


 もちろん、私的に使える金ではない。


 使途は復旧、救護、被害補償に限られる。


 三人とも、それは理解していた。


「西街道の橋を架け直せるな」


 ガリウスが言った。


「橋だけでは余る」


 ウィリアムが補償額を見て答える。


「北部施療院の増築も入る」


 カリウスは、すでに見積書へ印を付けていた。


「騎士団の救護馬車も更新できる」


「街道警備所の屋根もだ」


「河岸倉庫の防火区画」


「孤児院の冬用燃料」


「古い水路の補修」


「非常食備蓄」


 一つ増えるたび、三人の顔が少しだけ明るくなる。


 大金が勝手に転がり込んできた。


 しかも、悪党が隠していた金を、正規の手続きで被害者へ戻すために使える。


 若い頃、大人の目を盗んで悪党の巣を潰しに行った三人にとって、これほど気分のよい予算はなかった。


「余れば、ラーン旧市街の石畳も」


「それは復旧か?」


 ウィリアムが問う。


「昔、俺たちが壊した」


「三十年前の話だ」


「被害記録は残っている」


 カリウスが淡々と言った。


 三人は顔を見合わせた。


「入れておくか」


「入れておこう」


「監査理由は経年劣化で通る」


 そこで、机の端に置かれた封筒へ誰かが気づいた。


 宛先は、ガリウス・ファーランド、ウィリアム・レーヴェンハイト、カリウス・グレイヴェル。


 三名連名。


 差出人は、アリシア・ファーランド。


 ガリウスが封を開いた。


 手紙は短かった。


 補償金は、必要な方々へ正しくお使いくださいませ。


 なお、泥棒が落とした小銭に味を占めるほど、ファーランドの大人たちは困窮していないものと信じておりますわ。


 三人は、しばらく黙った。


 カリウスが、ラーン旧市街の石畳へ引いていた印を消す。


「監査理由は通るんじゃなかったのか」


 ウィリアムが言った。


「通ることと、通してよいことは違う」


「正しいな」


 ガリウスは手紙を丁寧に畳んだ。


「橋からだ」


「橋からだな」


「橋からだ」


 三人は、揃って補償計画書へ向き直った。


 姿勢だけは、礼法の授業を受けていた頃より正しかった。


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