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ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
新しい風

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第百二十八夜 八輪の足跡

第百二十八夜 八輪の足跡


 長谷川浩の名を、八雲へ伝えることになった。


 カイルとミレイアへは伏せた名だ。


 けれど、本人を知る可能性がある者へ確認することまで止める理由はない。


 翌日の放課後、八雲達の家族区画へ、アイン、クラウディア、リシア、セラ、舞が集まった。


 卓の上には、ランツェ支店から届いた報告のうち、長谷川浩に関する部分だけが表示されている。


 八雲は名前を見た後、しばらく黙っていた。


「浩さんだと思うか」


 舞が尋ねる。


「名前だけなら、同じ人はいる」


 八雲は腕を組んだ。


「でも、巨大な八輪自走車で砂漠を越えると言い出しても、驚かない」


「驚かないんですか」


 リシアが問う。


「浩さんだから」


「理由になっていません」


「俺達も、ずっとそう思ってた」


 舞が頷く。


 聖女アリシアは、八雲の隣で報告を読んでいる。


 紅緒は茶を淹れていた。


 湯を注ぐ手は止まらない。


 けれど、二人が浩の名を口にするたび、視線だけが僅かに動いていた。


「アインも、浩さんを知っているのか」


 八雲が尋ねる。


「師匠同士が友人だった。何度か会っている」


 アインは、署名の原字を見る。


「俺が知るのは、中年だった頃の浩だ。最近も変わっていないか」


 アインが尋ねる。


 八雲と舞は、同時に考え込んだ。


「普通の会社員」


「普通の会社員です」


 答えも、ほとんど同時だった。


 アインは二人を見る。


「棍なら、お前達より強いんだろ」


「はい」


「普通ではないだろ」


「それは、そうなんだけど」


 八雲は困った顔をした。


「本人がそう言うから」


「本人が言えば普通になるのですか」


 聖女アリシアの問いに、八雲は答えられなかった。


     ◇


 浩が八雲の祖父のもとへ来るようになったのは、八雲と舞がまだ幼い頃だった。


 毎週来るわけではない。


 数月に一度。


 時には一年近く姿を見せないこともある。


 それでも、忘れた頃に道場へ現れた。


 仕事帰りの服で。


 菓子折りを持って。


 稽古用の棍を借りて。


「最初は、爺様の知り合いだと思ってた」


 八雲が言った。


「違うのですか」


「今でも、よく分からない」


「御本人へ尋ねなかったのですか」


 リシアの問いに、舞が答えた。


「聞きました。普通の会社員だよ、と」


「それで納得したのですか」


「しませんでした」


「ですが、それ以上の答えもなかったのですね」


「はい」


 浩は、棍を持つと強かった。


 速さで押すわけではない。


 力で弾くわけでもない。


 八雲が踏み込めば、その時には棍の先が進む場所に置かれている。


 舞が間合いを外せば、追わずに次の一歩を塞いでいる。


 打たれたと思う前に、手の中から武器が消えていた。


「一度だけ、稽古用の棍が足りなかったことがあって」


 舞が言う。


「浩さん、物干し竿を借りてきたんです」


「物干し竿」


 リシアは聞き返した。


「洗濯物を干すための、長い棒です」


「それで稽古を?」


「八雲と二人で掛かって、負けました」


 アインは、しばらく二人を見た。


「特殊な術は」


「見たことはない」


「変わった力も?」


「多分、ないと思う」


 八雲の返答に、舞も頷いた。


「棍の扱いが、異様に上手いだけです」


「昔と変わらないな。なら、今も力のある一般人か」


 アインはそう整理した。


 紅緒が茶器を置く。


 小さな音がした。


「紅緒?」


 八雲が顔を向ける。


「何でもありません」


 紅緒は、八雲の前へ茶を置いた。


「ところで舞さん、真緒という名に覚えはありませんか」


「真緒」


 舞は、突然出てきた名を小さく繰り返した。


「私の曾祖母の、母の名です」


「真緒は、私の妹です」


 部屋が静かになった。


 舞の目が、少しずつ大きくなる。


「では、行方不明になられた姉君というのは」


「私です」


 紅緒は淡々と答えた。


「柳惣一郎様は、私の婚約者でした」


 舞は口を開いたまま、動かなくなった。


「惣一郎様……そうでした。紅緒さんが行方不明になられた後、真緒様が惣一郎様へ嫁いだのです。お二人の長女が各務家へ戻り、私の曾祖母になりました」


「惣一郎は、俺の曾祖父だ」


 アインが言った。


 クラウディアが卓上の共有表示へ、四つの名を置く。


 各務紅緒。


 各務真緒。


 柳惣一郎。


 柳兵衛。


 紅緒と惣一郎の間には、婚約。


 真緒と惣一郎の間には、婚姻。


 そこから各務家へ戻った長女の先に、舞。


 惣一郎から柳家へ続く線の先に、柳兵衛。


 しばらくして、舞は額へ両手を当てた。


「こうして並べられると、逃げ場がありません……」


「つまり、舞様とアイン様も御親族なのですか」


 リシアが尋ねる。


「遠縁だな」


 アインの返答は短かった。


 昨日から、舞の家系には伝説の人物が次々と実在して現れている。


「真緒の家は、続いたのですね」


 紅緒が静かに言った。


 舞は額から手を下ろし、深く頷く。


「はい。私まで、続いています」


     ◇


「同行していた三人について、心当たりは」


 クラウディアが尋ねた。


 卓上へ、セシリアの観察記録が並ぶ。


 銀髪の少女。


 黒髪の少女。


 金髪の少女。


 銀髪の少女は、浩を夫と呼んだ。


「妻?」


 八雲が、初めて報告から顔を上げた。


「浩さん、結婚なさっていたのですか」


 舞も目を丸くする。


「知らない」


 舞は少し遅れて、首を横へ振った。


「私も知りません」


 いずれも見た目だけでは年齢を断定できない。


 銀髪の少女は、店員達の魔力循環を観察していた可能性がある。


 黒髪の少女は、店内にいる者の手元と視線を見ていた。


 金髪の少女は、護衛経験者に近い観察をしていた。


「分からない」


 八雲は首を横へ振った。


 舞も同じだった。


「少なくとも、私達が浩さんと会っていた頃に、一緒にいた方々ではありません」


「家族という可能性は」


「浩さんの私生活、ほとんど知らないんです」


「同門なのに?」


 セラが不思議そうに尋ねる。


「道場で会うと、稽古して、終わったら飯を食べて帰る人だったから」


 八雲が答える。


「何の仕事をしているのかも、詳しくは聞いていません」


 聖女アリシアが、三人の記録と八輪自走車の略図を見比べた。


「秘密の多い方なのですね」


「秘密にしているというより」


 舞が言葉を探す。


「聞かれないことを、わざわざ話さない方です」


「なるほど」


 アインは短く言った。


「クラウ。あの車両は」


「構造推定中です。全長はおよそ十一メートル。八輪すべてに駆動と操舵機構を持つ可能性があります。砂地での走破性を優先した長距離遠征車両と考えるのが自然です」


「武装は」


「外見上、確認できません」


「装甲は」


「矢や小火器を想定した車体には見えます。ただし、観測距離があるため断定できません」


「砂漠を越えるためだけにしては、随分と頑丈だな」


 アインは、八輪の略図を見た。


「でも、浩さんなら買う」


 八雲が言った。


「買いますね」


 舞も頷いた。


「御本人だという根拠になっていません」


 クラウディアの指摘は正しかった。


 それでも、二人の顔には、もう半ば確信があった。


     ◇


 話の途中で、クラウディアの視界へ新しい通知が入った。


「ランツェ支店から、追加報告です」


 卓上の表示が切り替わる。


 情報源は、砂漠を南下してきた隊商。


 北方砂漠で大規模な砂嵐が発生。


 隊商護衛を務めていたガルム族の斥候一名が、嵐の中で行方不明となった。


 数日後、その斥候は獣人諸氏族連合王国へ帰還。


 命を救った四名の人間を、客人として連れていた。


 城門外には、巨大な八輪自走車が残されていた。


「繋がりましたね」


 セラが言う。


「同一車両である可能性は高いです」


 クラウディアは答えた。


「ですが、四名の人間がランツェ支店を訪れた一行と同一であることは、まだ確認できていません」


 八雲が、舞を見る。


「浩さんだ」


「浩さんですね」


「まだ確定していません」


 クラウディアの声は変わらない。


「その斥候は、どのように助かったのですか」


 リシアは尋ねた。


 表示へ、聞き取りの続きを開く。


 斥候の名はロガ。


 砂嵐で隊商とはぐれ、脱水状態で砂に埋もれていた。


 四名の旅行者が発見し、水と治療を与えた。


 夜は温かい食事を共にし、翌朝から自走車へ乗せて連合まで送り届けた。


「温かい食事」


 リシアは、そこだけもう一度読んだ。


 砂漠で。


 巨大な八輪自走車のそばで。


 倒れていた者を拾い、水を与え、食事を作る。


 十騎を止めた者かは分からない。


 北へ向かった目的も分からない。


 けれど、少なくとも一人が、その四人によって帰ることができた。


「カイル様達へ渡しますか」


 舞が尋ねた。


 リシアは考えた。


 北へ向かった四名。


 巨大な八輪自走車。


 救助された斥候。


 連合へ入った客人。


 昨日までは、別々の観察事実だった。


 今日は、その間に線を引けるだけの情報がある。


「はい」


 リシアは答えた。


「ただし、長谷川浩という名と、十騎行動不能との関連推測は、まだ伏せます」


「表題は」


 エレナなら、そう尋ねるだろう。


 リシアは少し考えた。


「連合王国へ到着した四名の旅行者と、斥候一名の生存確認」


「救助した、と書かないのですか」


「本文へ入れます。表題には、確認できた結果を置きます」


 クラウディアが頷いた。


「妥当です」


 八輪の足跡は、砂嵐が地形を変えれば消える。


 けれど、助けられた者が帰り着いた事実は消えない。


 リシアは、表示の上でランツェから北へ伸びる道を見た。


 昨日まで砂漠の縁で途切れていた線は、今日、連合王国の門まで届いていた。


 紅緒は、冷めかけた茶を一口飲む。


 その視線は、八輪自走車の略図ではなく、斥候一名生存の文字へ向けられていた。


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