表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
新しい風

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

141/154

第百二十四夜 国を置く場所

第百二十四夜 国を置く場所


 空が替わった翌朝も、王都の鐘は鳴った。


 いつもと同じ時刻だった。


 鐘楼を任されている老人は、窓の外に広がる見知らぬ空を一度だけ見上げ、それから普段どおり綱を引いた。


 低く、厚い音が街へ広がる。


 パン窯へ火を入れようとしていた者が顔を上げた。


 家族の人数を数え直していた者が手を止めた。


 昨夜は一睡もできなかった者も、鐘の音を聞いて戸を開けた。


 鐘が鳴ったなら、朝だった。


 王都が別の場所へ移っても、朝にするべきことまで消えたわけではない。


     ◇


 王城の会議室では、長机の上に二枚の地図が並べられていた。


 一枚は、昨日までの王都と周辺領地を記した地図。


 もう一枚は、第三ダンジョンに置かれた王都と、その外側へ整えられつつある水路、耕作地、仮設道路を記した地図だった。


 形は似ている。


 けれど、繋がっている先が違う。


「最初に決めます」


 父王は、集まった者達を見回した。


 大臣、近衛隊長、施療院長、商人組合の代表、職人組合の代表。昨夜まで避難誘導に走っていた者達も、着替える暇がなかったのか、煤や土を残したまま席についている。


「ここは我らの国だ。だが、この土地は我らのものではない」


 室内の視線が、机の端に立つクラウディアへ向いた。


 クラウディアは何も言わない。


 父王は続けた。


「救われたことと、国を預けたことを混同するな。法を変える必要があるなら我らが決める。配給を行うなら我らの名で行う。治安を守るのも、民へ説明するのも我らの役目だ」


「必要な支援は提供します」


 クラウディアが言った。


「食料、水、医療、仮設住居、資材、測量、輸送。要請窓口も用意します。ただし、こちらから王都の行政命令は出しません」


 財務を預かる老人が、二枚目の地図へ目を落とした。


「費用は」


「救命と初期安定に必要な支援には、対価を求めません」


「その先は」


「その先は交渉です」


 クラウディアは淡々と答えた。


「無償支援を永続させれば、いずれ自ら決める力を奪います。逆に、今日から全てを請求すれば国が立ち上がりません。いつ、何を、どの条件で交易へ切り替えるかを、双方で決めます」


 老人は少し考え、頷いた。


「分かりやすい」


「複雑にする理由がありませんので」


 エリオノーラは、父王の隣で議事記録を取っていた。


 救われた国。


 移された国。


 その呼び方は、どちらも間違っていない。


 けれど、それだけで自分達を呼び続ければ、いつか本当に救われただけの国になってしまう。


「本日の優先順位を確認します」


 エリオノーラは記録板を置いた。


「第一に飲料水と下水。第二に医療と衛生。第三に配給。第四に城門内外の治安と、行方不明者の再確認。行政窓口は王城前広場へ集約します」


 近衛隊長が手を上げた。


「城壁外の警備範囲は、どこまでといたしますか」


 新しい地図には、まだ国境がない。


 白い標柱で示された移送予定地の輪郭は残っているが、その外には道も森も畑も続いている。


「今日、剣を持って守れるところまでを国境とは呼びません」


 父王が答えた。


「まず、民が必要とする範囲を測れ。畑、水路、資材置き場、墓地。境を決めるのは、それからだ」


 近衛隊長は一礼した。


 会議は続いた。


 決めなければならないことは多い。


 昨日まで存在しなかった問題が、机の上へ次々に置かれていく。


 それでも、誰も空が替わった理由を議題にはしなかった。


 今はもう、理由より先に水を流す必要があった。


     ◇


 王都西側の共同水場には、長い列ができていた。


 アークライト側が設置した仮設給水器から、住民達が桶や壺へ水を汲んでいる。


 水は足りている。


 問題は、運ぶ人手だった。


 井戸の多くは支持地盤ごと移されている。けれど、地下水脈との繋がりは切れていた。昨日まで水を湛えていた井戸の底には、浅く残った水と湿った石しかない。


 城内へ巡らされていた水路も、外から流れ込む水源を失っていた。


 仮設水路を繋げば、再び流せる。


 言葉にすれば簡単だった。


 実際には、古い石造水路とアークライト側の仮設水路では、高さも幅も流量も違う。


 接続部では、石工達が朝から怒鳴り合っていた。


「このまま流せば、最初の曲がりで溢れるぞ!」


「なら、口を絞れ!」


「絞れば圧が上がる! 古い継ぎ目が耐えん!」


「迂回路を掘る時間がどこにある!」


 その輪の外で、アインは水路を覗き込んでいた。


 黒い礼装ではない。


 簡素な作業着に着替え、袖を肘まで上げている。


 隣には、同じように作業着姿のリシアがいた。


「アイン様」


「何だ」


「会議へ出席しなくてもよろしいのですか」


「俺が出ると、俺に聞く」


 アインは、水路の石へ指を当てた。


「あの国が決めることだ」


「では、こちらは」


「水が流れない」


 確かに、誰かが直さなければならない。


 けれどリシアには、アインがここへ来た理由がそれだけではないようにも思えた。


 王城の会議室に座れば、助けた者として意見を求められる。


 水路の前に立てば、必要なのは意見ではなく手だった。


 最近、少し分かってきた。


 アインは、誰かの上へ立つより先に、その人が立てる場所を作ろうとする。


 やり方が時々、国一つを別の場所へ移すほど大きいだけで。


「そこの子供!」


 石工の一人が声を上げた。


 リシアは一瞬、自分が呼ばれたのかと思った。


 石工の視線はアインへ向いている。


「危ないから下がっていろ。今から水を試しに流す」


「分かった」


 アインは素直に一歩下がった。


 リシアも続く。


「名乗らなくてよろしいのですか」


「必要ない」


「後で知った時、あの方は大変驚かれると思います」


「今、驚かれるよりいい」


 仮設水路の上流で、調整体が流量弁をわずかに開いた。


 水が来る。


 透明な流れは接続部へ入り、古い石造水路へ落ちた。


 最初は静かだった。


 次の瞬間、曲がり角から水が跳ね上がった。


「閉めろ!」


 石工が叫ぶ。


 流れが止まり、溢れた水だけが路面を濡らした。


「だから絞れと言っただろう!」


「絞った先が耐えんと言っている!」


 再び声がぶつかる。


 アインは、濡れた石の上へしゃがんだ。


「どう直す」


 石工達が黙った。


「何だ、坊主。石工にでもなるつもりか」


「ならない。だが、手は出せる」


 年長の石工が鼻を鳴らし、水路の曲がりを指した。


「流れが速すぎる。ここへ入る前に一度広げて、勢いを殺したい。だが、広げる場所が足りん」


「場所があればいいのか」


「石を外して壁を削れば作れる。半日はかかるがな」


 アインは立ち上がり、古い水路の外壁へ手を置いた。


「この線までなら削っていいか」


 石工は示された範囲を確かめた。


「支えは残る。だが、どうやって」


 アインは、リシアを見た。


「リシア。やってみろ」


「私が、ですか」


「切らなくていい。削るだけだ」


 アインの指先から、淡い光が伸びた。


 石の表面に細い線を描き、削る範囲を囲んで消える。


「この内側へ、薄く魔力を沿わせろ。押すな。表面を撫でるだけでいい」


 リシアは水路の外壁へ手を置いた。


 感知の訓練で見つけた、自分の内側にある淡い気配を探す。


 外へ押し出そうとすると、すぐに内側へ折り返そうとする力。


 以前なら、そこで閉じていた。


 今日は、押さない。


 アインが残した線へ、指先から細く沿わせる。


 石の表面が、ざり、と小さな音を立てた。


 白い粉が落ちる。


「止めろ」


 石工の声に、リシアはすぐ手を離した。


「深すぎましたか」


「逆だ。怖がって浅すぎる。この程度じゃ日が暮れる」


 叱られた。


 けれど、できていないとは言われなかった。


 リシアはもう一度、石へ手を置く。


「このくらいでしょうか」


「もう少しだ。線から外すなよ」


「はい」


 今度は、先ほどより少しだけ強く魔力を沿わせた。


 石の表面が細かく崩れ、囲まれた範囲がゆっくりと薄くなっていく。


 粉塵は出た。


 時間もかかった。


 けれど、リシアの魔力は石工が残すと決めた線を越えなかった。


 年長の石工が切り口を指で撫でる。


「よし。初めてにしちゃ上出来だ」


 その言葉を聞いた途端、リシアの肩から力が抜けた。


「次は」


「底を半歩分下げる。そこへ平石を敷く。角は立てるな、流れが暴れる」


「分かりました」


「待て。そこは削りすぎるな!」


 リシアの手が止まる。


 残った厚みが見えるよう、石粉を手で払う。


「もう指二本分、残せ」


「はい」


 作業が進み始めた。


 魔力で石を削るリシア。


 切り口を確かめる石工。


 平石を運ぶ調整体。


 泥を掻き出す住民。


 アインも渡された籠へ砕石を入れ、運んだ。


 誰が命令したわけでもない。


 それでも、少しずつ接続部の形ができていく。


     ◇


 二度目の試験では、水は溢れなかった。


 広げられた部分で勢いを落とし、古い石造水路へ流れ込む。


 水路沿いで待っていた者達から声が上がった。


 子供達が流れを追って走り出す。


 石工は水面を睨み、最初の曲がりを確かめ、次の継ぎ目へ歩いた。


「まだ喜ぶな。先で漏れるぞ」


 そう言いながら、口元は少し緩んでいた。


 リシアは、石粉の付いた手を払う。


「直せるか」


「誰に聞いている」


 石工は胸を張った。


「ここから先は、俺達の水路だ」


「そうか」


 アインはそれだけ答え、道を空けた。


 石工達が道具を担ぎ、水を追っていく。


 その背を見送ってから、先ほどアインを子供と呼んだ男が振り返った。


「坊主」


「何だ」


「助かった。名は」


「アイン」


「家名は」


「長いから、いい」


 男は笑った。


「そうか。じゃあ、アイン。次に手を貸す時は、あの嬢ちゃんも連れてこい。筋がいい」


「分かった」


「それと、教えるなら最初に加減まで教えろ。嬢ちゃんが慎重でなければ、壁に穴が開いていたぞ」


「悪い」


 リシアは口元を押さえた。


 男はまだ知らない。


 自分が、国一つを移した者へ作業手順を教えたことを。


 けれど、アインは少しも不満そうではなかった。


 むしろ、どこか楽しそうに見えた。


     ◇


 昼を過ぎる頃には、王城前広場に幾つもの窓口が並んでいた。


 行方不明者確認。


 配給。


 医療。


 住居損傷。


 城壁外へ出る者の登録。


 アークライト側への支援要請は、その奥に一つだけ置かれた窓口へ集められる。


 必要な物を求める窓口であって、命令を受ける場所ではない。


 エリオノーラは広場を歩き、一つずつ状況を確かめた。


 配給所では、王都の倉庫から出された穀物と、アークライトから提供された保存食が分けて記録されている。


 施療所では、王都の医師とアークライト医療班が同じ患者を見ながら、使う薬と記録の残し方を確認していた。


 近衛兵は城門に立っている。


 その外側には、黒い装備の調整体が距離を置いて待機していた。


 守っている。


 けれど、門を取ってはいない。


 父王が広場へ降りてきた。


「水路は」


「西側から流れ始めました。南側は夕刻までに接続予定です」


「配給は」


「本日分は足ります。明日以降の量を再計算しています」


「城壁外は」


「測量を始めました。畑を作る者、資材を集める者、外へ出ることを怖がる者。それぞれです」


 父王は広場を見渡した。


 昨日と同じ顔がある。


 昨日とは違う空がある。


「国は、どこにあると思う」


 突然の問いに、エリオノーラは少し考えた。


 王城。


 城壁。


 地図に引かれた境。


 どれも国の一部だった。


 けれど、今朝の会議で地図を二枚並べた時、そのどちらにも完全な国は描かれていなかった。


「決める者と、暮らす者がいる場所でしょうか」


「そうかもしれんな」


 父王は頷いた。


「ならば、ここへ置き直すしかない」


 広場の端で、小さな騒ぎが起きた。


 水路を直していた石工が、近衛兵へ何かを尋ねている。


 近衛兵が答えると、石工の顔から血の気が引いた。


 遠くに立つアインを見つけ、慌てて姿勢を正そうとする。


 アインはそれに気づくと、片手を上げた。


 止めるような、気にするなというような、簡単な仕草だった。


 石工はしばらく固まっていた。


 やがて諦めたように頭を掻き、仲間達と一緒に次の水路へ向かった。


 エリオノーラは、その姿を見て少し笑った。


「どうした」


「いいえ」


 国を別の場所へ移すことはできる。


 けれど、そこへ国を置くのは、暮らす者達にしかできない。


 鐘楼から、昼を告げる鐘が鳴った。


 朝と同じ音だった。


 その音の下で、水が流れ、人が並び、窓口が開き、石工達が次の壊れた場所へ歩いていく。


 別の空の下で、国はもう一度動き始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ