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ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
新しい風

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第百二十三夜 征服するものがない

第百二十三夜 征服するものがない


 グランカーン帝国侵攻軍主力が王都へ到達したのは、都市移送から半日ほど後のことだった。


 先に着いた騎兵別働隊は、巨大な窪地の縁で待っていた。


 その数、約二百。


 誰一人として窪地へ降りようとはしていない。


 主力を率いる指揮官は、馬上から前方を見た。


 街道が途切れている。


 その先には、荒れ地すらなかった。


 王都があった範囲だけ、大地が深く切り取られている。


 城壁も。


 王城も。


 家々も。


 略奪できる財貨も、捕らえるべき王族も、支配下へ置く民もいない。


 剥き出しになった地層の底へ、地下水が細く滲み出しているだけだった。


「……報告を」


 指揮官が言った。


 副官は携えていた記録板を開く。


「何と記しますか」


「敵王都へ到達」


 副官が記す。


「敵王都へ、到達」


「王都を制圧」


 副官の手が止まった。


「王都は、ございません」


「抵抗する敵兵はいない」


「敵兵どころか、民も建物もございません」


「ならば、無血制圧だ」


 副官は窪地を見た。


「何を制圧したと記しますか」


 指揮官は答えなかった。


 風が、国一つ分の窪地を抜けていく。


 騎兵の一人が、馬上で小さく呟いた。


「穴、でしょうか」


 周囲の者達が一斉にその騎兵を見る。


 指揮官も見た。


 騎兵は姿勢を正した。


「申し訳ありません」


 副官は記録板へ視線を戻す。


「王都跡地を確保、と記します」


「それでいい」


「戦利品は」


「後で確認する」


「捕虜は」


「後で確認する」


「占領統治に必要な物資は」


「……後で確認する」


 副官は、最後の項目へ何も書かなかった。


     ◇


 別働隊の報告を聞いた主力軍の中では、異なる噂が広がり始めていた。


 王都は禁呪で消滅したらしい。帝国軍を恐れて地の底へ逃げたのだという者もいれば、召喚された勇者が裏切り、国ごと異界へ売ったのだと囁く者もいた。中には、黒い魔導騎装が一夜で全てを喰らったと信じる者までいた。


 誰も真相を知らない。


 けれど、誰もが一つだけ理解していた。


 ここには、何もない。


 兵站隊が運んできた攻城器具は使えない。


 略奪を前提に減らされていた食料は、王都から補充できない。


 捕虜を縛るために用意された縄は、荷車の上で揺れている。


 勝利を祝うための酒樽だけが、妙に重かった。


「先行部隊は、どうなった」


 指揮官が問う。


「街道上で停止したままです」


「命令は」


「届いております」


「ならば、なぜ進まない」


「進んだ先に何があるのか、確認を求めています」


 指揮官は窪地を見た。


「ここへ来れば分かる」


 副官は返事をしなかった。


 来れば分かる。


 何もないことだけが。


     ◇


 線の前では、相馬悠斗達が武器を地面へ置いていた。


 降伏のためではない。


 八咫烏へ差し出すためでもない。


 自分達が話している間、誰かへ向けないためだった。


 相馬の隣に立った少女も、剣を鞘ごと置く。


 騎兵達は迷っていた。


 槍を持ったままの者。


 地面へ置いた者。


 馬の鞍へ括りつけた者。


 誰も同じ答えを選んではいなかった。


『事情聴取と記録を希望する者は、武器を置いて線の手前へ』


 クラウディアの声が、八咫烏から流れる。


『拘束を受け入れる必要はありません。ただし、記録中の退去と武器の携行は認めません』


「捕虜にはしないのか」


 相馬が聞いた。


『お前達は、まだ降伏していない』


「進軍命令には逆らった」


『それは、お前達と侵攻軍の間の話です』


 相馬は少し考えた。


「じゃあ、俺達は何なんだ」


『記録を求めた者です』


 八咫烏の背後へ、複数の転移門が開く。


 黒い装備の調整体達が現れた。


 武器は持っている。


 けれど、誰へも向けていない。


 簡易机と椅子、記録用端末、飲料水、医療用品が運び込まれる。


 戦場のただ中に、事情聴取のための場所が作られていく。


 相馬はその光景を見てから、八咫烏を見上げた。


「舞達にも、会えるのか」


『記録が終わった後、本人達が望めば』


「あんたが決めるんじゃないんだな」


『俺が決めることじゃない』


 相馬は小さく息を吐いた。


「分かった。全部話す」


 先に置いた剣から離れ、簡易机へ向かう。


 少女も続いた。


 やがて、槍を置く音が一つ響いた。


 少し間を置いて、もう一つ。


 先行部隊の全員が武器を置いたわけではない。


 主力軍へ戻る者もいた。


 何も語らず、その場を離れる者もいた。


 けれど、残った者達は、自分の見たものを自分の言葉で記録し始めた。


     ◇


 記録は、全員を同じ名で括らなかった。


 降伏した村へ火を放った者。


 逃げる住民を追った者。


 命令を出した者。


 命令に従った者。


 止めなかった者。


 途中で止まった者。


 傷つけられた者。


 傷つけた者。


 同じ部隊にいたというだけで、同じ責任にはしない。


 違う立場だったというだけで、責任がないことにもしない。


 舞達五人の記録と照合され、食い違う証言には印が付けられた。


 ある騎兵は、降伏した村へ着いた時には、すでに火が回っていたと話した。舞の記録には、その騎兵が属する隊の者達が松明を配っていたとある。


 記録官は、どちらも消さず、その間へ確認を要する印を置いた。


 確定した事実。


 未確認の証言。


 異なる記憶。


 意図的な虚偽の疑い。


 全てが分けて残された。


 エリオノーラは、第三ダンジョンへ移された王城の一室から、その記録を読んだ。


 父王が隣にいる。


「許すのか」


「まだ、分かりません」


 エリオノーラは答えた。


「ですが、何を許すのかも分からないまま、許したことにはできません」


 父王は頷いた。


「ならば、まず知ることだ」


「はい」


 エリオノーラは次の記録を開いた。


     ◇


 八咫烏が線の前から姿を消したのは、日が傾く頃だった。


 主力軍は動かなかった。


 王都を失ったのは彼らではない。


 けれど、進軍の目的だけは失っていた。


 敵国の王城も、民も、占領すべき街もない。残ったのは、追えばどこへ繋がるかも分からない黒い魔導騎装だけだった。


 帝国軍は、何もない土地の前で陣を敷いた。


 アインは追わなかった。


 攻撃もしなかった。


 戦争を続ける理由まで、代わりに決めるつもりはなかった。


     ◇


 第三ダンジョンの空は、夕暮れに染まり始めていた。


 移された王都の城壁外では、仮設水路から最初の水が流れている。


 その近くで、朝に種袋を抱えていた老女が、土を指で確かめていた。


 エリオノーラが歩み寄る。


「何を植えるのですか」


「豆でございます」


 老女は袋を開いた。


「痩せた土でも育ちます。根を残せば、次の畑にもよいのです」


「ここでも、育つでしょうか」


 老女は新しい空を見上げた。


「分かりません」


 正直な答えだった。


「ですから、植えてみます」


 エリオノーラは、その隣へ膝をついた。


 老女が驚いて目を見開く。


「わたくしにも、一粒いただけますか」


「王女殿下が、でございますか」


「今は、先にこの土地を見た一人として」


 老女は笑い、掌へ一粒の豆を載せた。


 エリオノーラは指で小さな穴を作る。


 種を入れる。


 土を戻す。


 その隣へ、老女も一粒を植えた。


 別の空の下で、最初の畑が始まった。


 遠く離れた旧王都跡では、剥き出しの地層から滲んだ水が、窪地の底へ静かに溜まり始めていた。


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