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ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
新しい風

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第百二十夜 越えてはならない線

第百二十夜 越えてはならない線


 八咫烏は、転送架の中央に立っていた。


 黒い装甲。


 二本の剣。


 灯っていない戦術主眼。


 帝都から帰投して以降、整備と調整を終えた機体は、傷一つないように見える。


 けれど、アインは操縦席の中で、以前とは違う振動を感じていた。


 村山技研の者達が戻った。


 機関部の脈動が、僅かに滑らかになっている。


『八咫烏、全系統正常』


 クラウディアの声が、戦術聴覚へ届く。


『敵先行部隊、騎兵約六百。歩兵輸送車列二十四。魔導騎装八騎。召喚学生と推定される反応、三名』


「識別は」


『舞様の証言記録と照合中です』


 視界へ、三つの印が置かれた。


 一人は魔導騎装へ搭乗。


 二人は車列中央。


『搭乗者は、降伏村での加害証言と一致する可能性が高い対象です』


「可能性」


『断定はできません』


「分かった」


 アインは、二本の剣へ手を添えた。


「殺さない」


『はい』


「倒し過ぎない」


『はい』


「進ませない」


『承認します』


 転送架の周囲へ、淡い光が満ちた。


     ◇


 先行部隊は、街道を捨てて平原を進んでいた。


 騎兵は横列を広げ、車輪は草と土を踏み潰す。


 補給を切り捨てた行軍だった。


 王都へ一刻でも早く辿り着く。


 未知の術式が使われる前に。


 その命令だけが、部隊全体を前へ押している。


 先頭を進む魔導騎装の前方で、空間が歪んだ。


 最初に現れたのは、黒い足だった。


 続いて脚部。


 腰。


 胴体。


 最後に頭部が転送され、黒い機体が平原へ立つ。


 八咫烏は、敵軍へ背を向けていた。


 王都の方角を見ている。


 まるで、先行部隊など最初から問題にしていないように。


 騎兵の足が鈍った。


 車列が詰まる。


 魔導騎装八騎だけが、速度を落とさず前へ出た。


 八咫烏は振り返らない。


 右手の剣を抜いた。


 刃が、平原を横へ走る。


 土が細く裂けた。


 深くはない。


 騎兵でも、歩兵でも越えられる。


 ただ、先行部隊の進路を端から端まで横切る、一本の線だった。


 八咫烏が振り返る。


 戦術主眼は、まだ灯っていない。


『その線を越えるな』


 外部音声が、平原へ響いた。


『越えた者から、進めなくする』


     ◇


「一機だぞ!」


 先頭の魔導騎装から、若い声が響いた。


「止まるな! 王都は目の前だ!」


 事前照合で舞が加害者本人と確認した記録声紋に、一致した。


 機体は、長柄の斧を振り上げる。


「そんな線に、何の意味がある!」


 魔導騎装が線を踏み越えた。


 その瞬間。


 八咫烏の戦術主眼が灯った。


 黒い機体は、まだ遠い。


 そう見えたはずだった。


 次の瞬間には、斧を持つ魔導騎装の懐にいる。


 八咫烏の左手が、斧の柄へ触れた。


 押しただけだった。


 振り下ろされるはずの斧が地面へ突き刺さり、魔導騎装の上体が前へ引かれる。


 右の剣が二度、走った。


 一度目は、右膝の駆動部。


 二度目は、左足首の伝達部。


 切断されたのは装甲だけではない。


 歩くために必要な力の通り道だけが、正確に断たれた。


 機体が膝をつく。


 倒れる前に、八咫烏が胸部を片手で押さえた。


 ゆっくりと。


 搭乗者へ衝撃を与えない速度で、地面へ座らせる。


『一人』


 八咫烏は、動けなくなった機体から離れた。


『次は』


 剣先が、線の向こうへ向く。


『誰だ』


     ◇


 誰も、すぐには動かなかった。


 一機を倒したからではない。


 殺せたはずの搭乗者を、殺さなかった。


 斧を持つ腕も。


 機関部も。


 操縦席も。


 全て残したまま、歩く機能だけを奪った。


 先行部隊の者達にも、それが分かった。


 八咫烏は線の手前へ戻った。


 敵へ背を向け、王都の方角を見る。


 戦術主眼の灯りが消える。


 再び、ただ立っているだけの黒い機体になった。


『敵先行部隊、停止』


 クラウディアの声が届く。


『後方指揮所へ照会を送っています』


「時間は」


『現時点で、到達予測を二時間四十分後退』


「足りない」


『はい』


 アインは、線の向こうに並ぶ七騎を見る。


 その後ろにいる六百の騎兵。


 二十四の車列。


 恐怖で止まった者。


 命令を待つ者。


 逃げる機会を探している者。


 まだ、自分なら勝てると思っている者。


 全員を倒す必要はない。


 進めないと、全員が理解するまで立っていればいい。


     ◇


 車列中央から、一人の少年が降りた。


 舞と同じ服を着ている。


 召喚された学生の一人だった。


 剣を腰へ下げている。


 だが、抜いてはいない。


 少年は線の前まで歩き、八咫烏を見上げた。


「あんた、何者だ」


 八咫烏は答えなかった。


「王都の味方か」


『今は』


 短い返答が落ちる。


『時間の味方だ』


 少年は意味が分からないという顔をした。


 けれど、線は越えなかった。


 その後ろで、七騎の魔導騎装も止まっている。


 王都へ続く平原に、壁はない。


 堀もない。


 城門もない。


 ただ一本の線と。


 その前に立つ、黒い機体だけがあった。


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