第百十七夜 預ける国
# 第百十七夜 預ける国
扉の向こうから、剣が現れた。
先に切っ先。
続いて、片手で剣を構えた男が、薄暗い小部屋へ慎重に入ってくる。
寝間着の上へ外套だけを羽織っていた。
髪は乱れ、顔には疲労が刻まれている。
それでも、剣先は揺れていなかった。
『何者だ』
低い声が、共有表示を通して談話室へ届いた。
エリオノーラが一歩、前へ出る。
「お父様」
剣先が止まった。
『エリー』
王の顔から、ほんの一瞬だけ、王ではない父親の顔が覗いた。
『生きているのか』
「はい。ご心配をおかけしました」
『どこにいる』
「安全な場所です」
『誰に捕らえられている』
「捕らえられてはおりません」
エリオノーラは、自分の背後へ視線を向けた。
共有表示の接続範囲が広がり、談話室にいる者達の姿が小部屋へ映し出される。
少年。
黒衣の少女。
同じ顔をした二人のアリシア。
黒髪を巫女のように結った女。
八雲。
舞達。
そして、エリオノーラの手元にある黒い刀。
王は、しばらく何も言わなかった。
『説明には、少々時間が必要そうだな』
「わたくしも、そう思います」
◇
エリオノーラは、必要なことから話した。
救護団を装った者達に連れ去られたこと。
廃礼拝堂で救出されたこと。
王城内部の印が、偽造文書へ使われていたこと。
侵攻軍が二日以内に王都へ到達すること。
そして、王都そのものを移す手段があること。
王は一度も口を挟まなかった。
全てを聞き終えた後、剣を鞘へ戻した。
『その者達は、何を求めている』
「何も」
エリオノーラが答えるより先に、アインが言った。
王の目が、少年へ向く。
『国一つを救い、何も求めぬ者がいると?』
「後で必要な話はする」
『後で』
「今、値段を決めたら、人の命まで取引になる」
アインは椅子へ座ったまま、王を見返した。
「それは嫌だ」
王は黙った。
次に、アリシア・ファーランドを見る。
『そちらの令嬢も、同じ意見か』
「救命と外交交渉は分けるべきですわ」
アリシアは扇子を閉じた。
「恩を忘れろとは申しません。ですが、滅亡を目前にした相手へ署名を求めるほど、品位を捨ててもおりません」
『厳しい言葉だ』
「お嫌いですか」
『いや。信用できる』
王は、短く息を吐いた。
『王都には、四万を超える民がいる』
「四万八千に近づいています」
『その全てを、移せるのか』
『条件が満たされれば可能です』
クラウディアが答えた。
共有表示へ、移送範囲と必要作業が並ぶ。
地上測量。
地下構造解析。
住民確認。
移送先の水源、農地、道路接続。
王は、並んだ項目を一つずつ読んだ。
『民には、何と伝える』
「真実を」
エリオノーラが答えた。
「王都が侵攻軍を防ぎ切れないこと。別の場所へ都市ごと退避できること。移送先は安全ですが、今まで通りの暮らしをすぐに保証できるわけではないこと」
『拒む者もいる』
「残る自由まで奪うことはできません」
『残れば死ぬかもしれぬ』
「それでも、選ばせずに連れていけば、わたくし達も侵略者になります」
王は娘を見た。
長く。
そして、僅かに笑った。
『連れ去られている間に、随分と立派になったものだ』
「連れ去られる前からです」
『そうであったな』
◇
『王として、都市移送の準備を許可する』
王の言葉が、小部屋と談話室へ同時に落ちた。
『夜明けとともに、王都の民へ説明する。残留を望む者には、南門から退去する機会を与える。ただし、敵軍が迫る以上、期限は設ける』
『妥当です』
クラウディアが応じる。
『それまでに、測量と移送先整備を並行して進めます』
「お父様」
『エリー。お前は、そこにいろ』
「ですが」
『戻れば、民は安心するだろう』
王は一度、言葉を切った。
『同時に、お前を再び狙う者も動く』
エリオノーラは反論しなかった。
『お前の役目は、そこで移送先を確かめることだ。民へ、自分の目で見たことを伝えられるようにしておけ』
「承知いたしました」
『それから』
王の視線が、エリオノーラの持つ黒姫へ移った。
『その刀と、隣にいる男の話も後で聞く』
八雲の肩が、僅かに動いた。
「なぜ俺まで」
『娘が、知らぬ男を見る時の顔ではなかったのでな』
「お父様」
今度はエリオノーラが困った顔をした。
黒姫が楽しそうに震える。
「王様、よく見てる〜」
『刀が喋った』
「そこからですか」
エリオノーラは、小さく額へ手を当てた。
◇
閉鎖回線が切れると同時に、談話室の共有表示が切り替わった。
『都市移送準備を開始します』
第三ダンジョンの地図が開かれる。
移送予定地。
仮設水路。
耕作地。
医療受入区画。
作業項目が次々と増え、それぞれへ担当者が割り当てられていく。
『アイン様、アリシア様、エリオノーラ様は、第三ダンジョン側の現地確認をお願いします』
「分かった」
「承知しましたわ」
「お願いします」
『聖女アリシア様、各務紅緒様、東雲八雲様は、移送予定地周辺の安全確認へ』
「承知いたしました」
「分かったわ」
「了解」
『各務舞様を含む、行動可能な離反学生四名は、証言記録の作成と侵攻軍識別情報の整理をお願いします』
「はい」
舞が返事をする。
八雲は、ほんの少しだけ安堵した。
その安堵は、長く続かなかった。
『なお、作業期間中の滞在区画を再編します』
新しい項目が開く。
聖女アリシア。
各務紅緒。
東雲八雲。
三名の名前が、家族区画へまとめられる。
その隣室へ、各務舞の名前が置かれた。
「待て」
八雲が言った。
『何か問題が』
「なぜ舞が隣なんだ」
『事情確認と連携の効率を考慮しました』
「別の場所でもできる」
「逃げるつもり?」
紅緒が問う。
「逃げない」
「では問題ありませんね」
聖女アリシアが、穏やかに微笑んだ。
「私も、聞きたいことはあるから」
舞も言った。
「作戦が終わってからでいいけど」
八雲は、助けを求めるように談話室を見回した。
エリオノーラは視線を逸らした。
アリシア・ファーランドは扇子で口元を隠している。
クラウディアは、すでに配置を確定していた。
最後に、八雲はアインを見る。
「どうにかならないか」
「諦めろ」
即答だった。
黒姫が、エリオノーラの膝の上で弾む。
「八雲、爆発すればいいのに〜」
「お前まで言うのか」
都市を一つ救うための作戦が始まった。
その最初の犠牲者は、まだ誰も死んでいないうちから決まったらしい。




