第百十六夜 残った議題
第百十六夜 残った議題
「可能ですが、簡単ではありません」
クラウディアの声とともに、共有表示の王都が拡大された。
城壁。
城。
住居。
広場。
地下貯蔵庫。
街道と水路の一部。
王都を形作るものが、淡い線で分けられていく。
『移送範囲を確定し、地下構造を把握し、内部にいる者を全員識別する必要があります』
「人だけを移すのではないのですね」
エリオノーラが問う。
『都市ごと、という条件であれば』
共有表示の王都が、地面から切り分けられるように持ち上がった。
『城壁内と、その基礎を支える地盤をまとめて移送します。ただし、水源、農地、街道は失われます。移送先で代替設備を接続しなければ、都市として維持できません』
「移送先は」
「第三ダンジョン」
アインが答えた。
「空いてる土地がある。水も畑も用意できる」
舞は共有表示とアインを交互に見る。
「都市を入れられるほどの、空いている土地?」
「ある」
「この船の中に?」
「ある」
「そう」
舞は一度、考えることを止めた。
◇
『最大の問題は、技術ではありません』
クラウディアが続ける。
『同意です』
エリオノーラは頷いた。
「わたくし一人の判断で、国を移すことはできません」
「ですが、全員へ事情を説明すれば情報が漏れますわ」
アリシア・ファーランドが言った。
「侵攻軍は二日以内。避難の意思確認を一人ずつ取る時間はありません」
「だからといって、知らない場所へ民を連れ去ることもできません」
「ええ」
アリシア・ファーランドは、少し楽しそうに微笑んだ。
「良いお答えですわ」
「試されたのですか」
「確認しただけです」
エリオノーラは、目の前にいる同年代ほどの少女を見た。
穏やかに笑っている。
けれど、なぜか気を抜いてはいけないと思った。
「父王へ、直接お話しします」
『安全な通信経路はありません』
「城の北棟に、小さな礼拝室があります」
エリオノーラは、共有表示の城へ指を伸ばした。
「王族しか入りません。祭壇の裏に、古い小部屋があります」
『位置を指定してください』
「こちらです」
示された場所へ、小さな光点が置かれる。
『微小転送で通信端末を設置します。エリオノーラ様のご本人確認後、父王陛下との閉鎖回線を構築します』
「お願いします」
「同意が得られたら、準備を始める」
アインが言った。
「得られなかったら?」
舞が問う。
「別の方法を考える」
「力ずくでは移さないんだ」
「助けるために、奪ってどうする」
舞は少しだけ目を伏せた。
「そうだね」
◇
『通信端末の設置と接続確認に、七分必要です』
共有表示から王都の地図が一度消えた。
代わりに、最初から残り続けていた項目が中央へ移る。
個人的関係。
八雲が、ゆっくりとクラウディアの表示を見る。
「今やるのか」
『七分あります』
「七分しかない」
『要点だけであれば十分です』
紅緒が腕を組んだ。
「逃げると、余計に面倒になるわよ」
「逃げてない」
「では話して」
舞は八雲を見る。
「何を?」
「俺から話す」
八雲は、そう言ってから黙った。
言葉が続かない。
聖女アリシアが、八雲の代わりに口を開いた。
「八雲様は、わたくしと紅緒の夫です」
舞は瞬きをした。
一度。
二度。
「二人の?」
「はい」
聖女アリシアは静かに頷く。
紅緒も目を逸らさなかった。
「正式に?」
「正式に」
今度は紅緒が答えた。
舞は八雲を見る。
「そうなんだ」
「舞」
「いつ?」
「四ヶ月くらい前」
「私が、こっちへ来た後」
「ああ」
「そう」
舞は膝の上で手を組んだ。
組んだ指に、わずかに力が入った。
「無事だったんだね」
「それは、さっきも聞いた」
「今度は、別の意味」
八雲は答えられなかった。
紅緒が舞を見る。
「あなたのことは、何も聞いていない」
「言わなかったの?」
「聞く前に、色々あったのよ」
「色々」
「本当に、色々」
紅緒の声に疲労が混じった。
聖女アリシアが、わずかに微笑む。
「詳しいお話は、落ち着いてからにいたしましょう」
「そうですね」
舞も小さく笑った。
「今聞いたら、多分、都市を移す話より混乱します」
「それはどうでしょう」
アリシア・ファーランドが口を挟む。
「都市を移す方が、一般には大事だと思う」
八雲が言った。
「一般には、ですわね」
アリシア・ファーランドは扇子で口元を隠した。
◇
『接続準備が完了しました』
クラウディアの声で、全員の視線が共有表示へ戻る。
個人的関係の項目は消えた。
八雲が、僅かに息を吐く。
その隣で、紅緒が言った。
「消えただけよ。終わってないから」
「分かってる」
共有表示へ、薄暗い小部屋が映る。
古い祭壇の裏。
石壁へ囲まれた狭い空間。
そこへ置かれた小さな端末が、静かに光っていた。
『エリオノーラ様。本人確認をお願いします』
エリオノーラが立ち上がる。
王女として。
国を捨てるためではない。
国を、そこに生きる人々ごと残すために。
「父王へ繋いでください」
共有表示の向こうで、閉ざされていた扉がゆっくりと開いた。




