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ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
新しい風

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第百十四夜 傷を置く場所

第百十四夜 傷を置く場所


 闇の向こうから、五人の人影が現れた。


 先頭を歩く少女は、両手を肩の高さまで上げていた。


 土と煤で汚れた外套。


 乱れた髪。


 腰には剣があったが、鞘ごと帯から外し、後ろを歩く少年へ預けている。


 その少年と、もう一人の少女が、意識のない若者を左右から支えていた。


 最後の一人は何度も背後を振り返っている。


 全員、アイン達と大きく変わらない年頃だった。


「そこで止まって」


 紅緒が告げた。


 先頭の少女は、素直に足を止めた。


「負傷者を先に」


 声は落ち着いていた。


 けれど、支えられた若者の顔を見るたび、息が浅くなる。


「追われていますか」


 リジェスカが問う。


「今は、撒いています。ただ、長くは持ちません」


「所属は」


 少女の唇が、一度だけ強く結ばれた。


「メシア正教国に召喚された者です」


 祈りの間の空気が、再び張り詰めた。


 拘束された暗部の者たちが、僅かに顔を上げる。


 少女は、その視線を受け止めた。


「私達は、侵攻軍から離反しました」


「証明は」


「ありません」


 迷わず答えた。


「武器は全て置きます。拘束されても構いません。ですから、友人だけは」


 そこで初めて、声が揺れた。


 聖女アリシアが歩き出す。


「診せてください」


 少女が顔を上げた。


「ですが」


「敵かどうかは、治した後でも確かめられます」


 聖女アリシアは、意識のない若者の前へ膝をついた。


 血で濡れた外套を開く。


 脇腹に、深い傷があった。


「刃が残っています」


 リジェナが横から確認した。


「抜かなかったのは正解です。ですが、出血が続いています」


 聖女アリシアは傷口へ手を重ねた。


 淡い光が、指の間から広がる。


 強い光ではなかった。


 暖炉の火を両手で囲った時のような、柔らかな光だった。


 若者の荒い呼吸が、少しずつ整っていく。


「完全には治せません」


 聖女アリシアは、傷から目を離さずに言った。


「刃の位置が悪いです。今ここで無理に閉じれば、内側へ損傷を残します」


「それでも」


「命は繋ぎます」


 少女の肩から、僅かに力が抜けた。


「ありがとうございます」


「お礼は、目を覚ましたご本人からいただきます」


 聖女アリシアは小さく微笑んだ。


     ◇


 八雲は、少女を見たまま動かなかった。


 少女もまた、ようやく負傷者から目を離し、八雲を見る。


「……八雲?」


 今度は、先ほどよりずっと小さな声だった。


「舞」


 八雲の声も、普段とは違っていた。


 それだけで十分だった。


 舞と呼ばれた少女の顔から、張り詰めていたものが消えた。


 一歩、前へ出る。


 けれど、その足は二歩目を踏み出す前に止まった。


 八雲の隣には紅緒がいた。


 少し離れた場所には、負傷者へ手を重ねる聖女アリシアがいる。


 二人とも、八雲がいることを当然のように受け入れていた。


「無事だったんだ」


 舞は、それだけを言った。


「そっちも」


「無事に見える?」


「見えない」


「そう」


 舞は少しだけ笑った。


 泣きそうな顔にも見えた。


 紅緒は二人を見比べたが、何も言わなかった。


 今は。


     ◇


「殿下」


 クラウディアの声が届く。


『礼拝堂へ向かう武装集団を二隊確認しました。片方は現地軍を装っていますが、王城からの正式な派遣記録がありません』


「時間は」


『先行隊到着まで、十二分』


 アインは礼拝堂の中を見た。


 負傷者。


 離反した召喚者五名。


 確保した暗部十二名。


 エリオノーラ。


 聖女アリシア、八雲、紅緒。


 そして、自分の判断で勝手に転移してきたアリシア・ファーランド。


「全員移す」


『受け入れ先を指定してください』


「医療区画。確保者は隔離収容。離反者は検査が終わるまで保護観察」


「わたくしも、ですね」


 エリオノーラが確かめる。


「城へ戻すには危ない」


「異存ありません」


 舞がアインを見る。


「どこへ、ですか」


「安全な場所」


「信用しろと?」


「しなくていい」


 アインは答えた。


「ここに残るより、生き残れる」


 舞は礼拝堂の外を見る。


 追手が来ている。


 負傷した友人は、まだ動かせない。


 けれど、目の前の少年が何者なのかも分からない。


「舞」


 八雲が呼んだ。


 舞は彼を見る。


「俺は行く」


「それ、安心していい言葉?」


「多分」


「多分なんだ」


 舞は長く息を吐いた。


「分かった。行きます」


 残る三人も頷いた。


 アリシア・ファーランドが、満足そうに扇子を閉じる。


「では、参りましょう」


『アリシア様』


 クラウディアの声が、また少し低くなった。


『貴女は本来、現地へ転移する予定ではありませんでした』


「けれど、帰りの座標は用意してくださいますでしょう?」


『用意します』


「ありがとうございます」


『感謝で済ませないでください』


 聖女アリシアが、治療を続けながら二人の会話を聞いていた。


「仲がよろしいのですね」


「ええ。長い付き合いですもの」


『否定はしません』


 紅緒が小さく息を吐く。


「アリシアが二人いて、どちらもこうなのね」


「どういう意味ですか」


 二人のアリシアが、同時に紅緒を見た。


「何でもない」


 紅緒は即座に答えた。


     ◇


 礼拝堂の床へ、幾重もの淡い光が走った。


 リジェナとリジェスカが暗部の確保者を確認し、拘束具へ転送識別を付けていく。


 負傷者の周囲には、身体を動かさず移送するための光の枠が組まれた。


「揺れません」


 リジェナが舞へ説明する。


「転移後、すぐに医療班が処置を引き継ぎます」


 舞は、友人の手を握った。


「私も、そばにいていいですか」


「検査を受けていただくまでは、隣の区画になります。ただし、姿が見える位置を用意します」


「お願いします」


 聖女アリシアが手を離す。


 光が消えても、負傷者の呼吸は安定していた。


「繋ぎました」


「本当に、ありがとうございます」


 舞が深く頭を下げる。


 その背後で、八雲は何かを言おうとした。


 だが、今は言葉を飲み込んだ。


 光が強くなる。


 廃礼拝堂の崩れた壁も、拘束された暗部も、床に残る儀式の跡も、白く霞んでいく。


 次の瞬間。


 舞の足元にあったのは、冷たい石床ではなかった。


 清潔な白い床。


 均一な光。


 見たことのない器具を手に待機する、灰色の制服を着た医療班。


「搬送対象、受け入れます」


「循環低下。異物位置固定。処置室三へ」


 光の枠に包まれた負傷者が、音もなく運ばれていく。


 舞は、その場に立ち尽くした。


「ここは」


「アークライト医療区画です」


 リジェスカが答えた。


「まずは、ご友人を助けます」


 閉じていく処置室の扉を見ながら、舞はようやく息を吐いた。


 八雲との再会も。


 見知らぬ聖女も。


 二人いるアリシアも。


 白髪の少年も。


 聞かなければならないことは、あまりにも多い。


 けれど今だけは。


 友人が、生きている。


 それだけでよかった。


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