表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
新しい風

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

128/155

第百十二夜 四方から来る者

第百十二夜 四方から来る者


 閉鎖された礼拝所の地下には、今も祈りの間が残されていた。


 壁は湿り、天井から落ちる水が石床を黒く濡らしている。


 古い祭壇の前には、新しい燭台が並べられていた。


 白い火。


 赤い火。


 紫に濁る火。


 それらが床へ描かれた円を照らしている。


 エリオノーラは、その中央に立たされていた。


 両手は背後で枷に繋がれ、足首にも鎖がある。


 枷は魔力を流そうとするたび、腕の奥へ痛みを返した。


 正面には、黒い祭服をまとった男がいる。


 馬車の中で聞いた声とは違う。


 この場を任された者なのだろう。


「恐れる必要はありません」


 男は穏やかに言った。


「あなたの内にある邪なるものを切り離します」


「切り離した後、わたくしは生きていますか」


「魂は救われます」


「身体について伺っています」


 男は答えなかった。


 エリオノーラは、小さく息を吐いた。


「便利な言葉ですこと」


 今夜、同じ言葉を二度使った。


 けれど、他に評しようがなかった。


 祈り。


 救済。


 魂。


 どれも、本来は人を支えるための言葉だろう。


 この者たちは、それを人の口を塞ぐために使っている。


「始めます」


 祭服の男が片手を上げた。


 周囲に立つ者たちが祈りを唱え始める。


 床の円が淡く光った。


 枷から伝わる痛みが強くなる。


 エリオノーラは奥歯を噛んだ。


 髪の一部が、金色から黒へ変わる。


 それを見た者たちが、息を呑んだ。


「やはり」


 祭服の男の声には、恐怖ではなく歓喜があった。


「これほど明確な邪性が、人の中に」


「人を攫って喜ぶ方に、邪悪と呼ばれるのですね」


 エリオノーラは顔を上げた。


「光栄です」


 男の表情から、穏やかさが消えた。


     ◇


 礼拝所の屋根は、長い年月で苔に覆われていた。


 アインは音を立てず、その中央へ降りた。


 内部の構造は完全には分からない。


 クラウディアが復元した旧図面と、リジェナ、リジェスカが裏手から拾う音響情報を重ねても、地下の一部が欠けている。


『対象の生命反応を確認』


 リジェスカの声が、戦術ネックバンドを通じて届く。


『拘束状態。周囲に十二名』


『裏口に二名。こちらで処理します』


 続いたリジェナの声は、普段と変わらず柔らかかった。


 アインは腰の二振りへ触れた。


 黒姫。


 椿姫。


 どちらも鞘に収まっている。


『儀式反応、上昇』


 クラウディアが告げる。


『対象の循環へ干渉しています。許容時間を算出できません』


「入る」


『承知しました』


 アインは屋根へ手を置いた。


 その時、棟を挟んだ反対側でも、誰かが屋根へ上がった。


 足音はほとんどない。


 だが、屋根材へ掛かった重さは分かる。


 敵ではない。


 そう判断した直後、地下で魔力が跳ね上がった。


     ◇


 八雲は屋根の上で足を止めた。


 胸の奥の騒ぎは、礼拝所へ近づくほど強くなっていた。


 屋根の下にいる。


 誰が、とは分からない。


 それでも、急がなければならないことだけは分かった。


 正面では、紅緒が扉へ手を掛けている。


 アリシアは少し離れた場所で、建物を覆う術式を見ていた。


「中で何か始めた」


 紅緒が言った。


「ええ」


 アリシアの声から、柔らかさが消えている。


「参りましょう」


 八雲は屋根を破る位置を決めた。


 その一瞬前。


 隣の屋根が、先に落ちた。


「え」


     ◇


 祭服の男が短剣を掲げた。


 床の光が、エリオノーラの足元へ集まる。


 枷が熱を持った。


 呼吸が止まりそうになる。


 それでも、エリオノーラは男から目を逸らさなかった。


 短剣が振り下ろされる。


 その瞬間。


 天井が落ちた。


 石材と木片の間から、一人の少年が降ってくる。


 少年の両足は、短剣を掲げていた男の顔面へ綺麗に着地した。


 鈍い音がした。


 男は短剣を手放し、祭壇の前へ仰向けに倒れる。


 ほぼ同時に、正面扉が内側へ吹き飛んだ。


「人を攫って祈りとは、随分と都合がいいわね」


 切り揃えた前髪の下から鋭い目を向け、背へ流した長い黒髪を白布で結った女が、倒れた扉を踏み越えて入ってくる。


 裏手では、扉を守っていた二人が声も出さずに崩れた。


 黒い装備の女が二人、左右へ分かれる。


 一人は倒れた者を拘束し、もう一人は祭壇へ向かう者の膝を正確に打ち抜いた。


 床の術式が、突然消えた。


 入口に立つ白髪にも見える少女が、祈るように両手を重ねている。


「救いを名乗るのであれば、まず苦しめることをおやめなさい」


 静かな声だった。


 それでも、床の光は二度と戻らなかった。


 エリオノーラは、何が起きているのか理解できなかった。


 ただ、助けに来た者たちらしい。


 そして、天井から降ってきた少年だけは、少し様子がおかしかった。


 着地した男の顔から足を退けると、鞘に収めた黒い刀で、近づいてきた者の脇腹を殴った。


 次は肩。


 返す動きで、別の者の顎。


 刃を抜いていない。


 それなのに、誰も一撃を受けて立っていられなかった。


「貴様、何者だ!」


 問いかけた男の手首へ、黒い鞘が落ちる。


「通りすがりだ」


 少年は短く答えた。


 黒い刀が、次の男の足を払う。


 その時だった。


『絵里だ〜』


 少女のような声が、祈りの間へ響いた。


 全員の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。


 声は、少年が持つ黒い刀から聞こえた。


 少年は刀を見た。


「そうか」


 それだけ言うと、まっすぐエリオノーラへ向かってくる。


 暗部の一人が間へ入った。


 黒い鞘が胸元へ沈み、男はその場に崩れた。


 少年はエリオノーラの前で足を止める。


「動くな」


「あなたは」


「後で」


 黒い刀が、鞘からわずかに抜かれた。


 刃が一度走る。


 両手の枷が落ちた。


 もう一度。


 足首の鎖が、音を立てて石床へ落ちる。


 少年は刀を鞘へ戻した。


 そして、エリオノーラへ投げる。


「使える」


 問いではなかった。


 エリオノーラは、飛んできた黒い刀を受け取った。


 初めて触れたはずだった。


 けれど、手が迷わない。


 右手が柄を握る。


 左手が鞘を支える。


 足が自然に開き、身体がわずかに沈んだ。


 呼吸が整う。


 胸の奥で、何かが泣いた。


 ようやく見つけたものに、身体の方が先に気づいた。


 エリオノーラの髪が、根元から黒へ染まっていく。


 少年はすでに、もう一振りの刀を抜いていた。


 こちらも鞘に収めたままだ。


「無理はするな」


「できるかどうか、まだ分かりません」


「身体は知ってる」


 エリオノーラは、黒い刀を構えた。


「そのようですね」


 暗部の一人が、背後から少年へ斬りかかる。


 エリオノーラは考える前に動いた。


 一歩。


 鞘に収めた黒い刀で、男の剣を下から打ち上げる。


 空いた胴へ、鞘尻を打ち込んだ。


 男が崩れる。


 その動きは、自分のものだった。


 同時に、自分だけのものではない気がした。


     ◇


 八雲が天井から降りた時、戦いはほとんど終わっていた。


 正面から入った紅緒が一人を投げ飛ばす。


 白髪にも見える少女は、倒れた者の傷を確かめながら、逃げ道を術式で塞いでいる。


 黒い装備の二人は、すでに拘束を始めていた。


 中央では、白髪の少年と、黒髪の少女が並んでいる。


 少女が黒い刀を振るう。


 握り。


 足運び。


 刃を抜かず、必要な場所だけを打つ癖。


 見間違えるはずがなかった。


「絵里」


 声が漏れた。


 黒髪の少女が振り返る。


 知らない顔だった。


 知らないはずの少女だった。


 それなのに、その目を見た瞬間、八雲の胸の奥で、長い間閉じていた何かが開いた。


 少女もまた、八雲を見たまま動かなかった。


 知らない男のはずなのに、ひどく懐かしかった。


 唇が、本人の知らない名を作ろうとする。


 けれど、言葉になる前に止まった。


「……どなた、ですか」


 八雲は答えられなかった。


 突入にも。


 見つけることにも。


 彼は、ほんの一拍だけ遅れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ