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ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
新しい風

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第百六夜 三人目の名

第百六夜 三人目の名


 アリシアがアインへ報告したのは、暗部五名の医療確認が終わった後だった。


 貸与邸の応接室。


 卓上には、庭園での記録と押収物の一覧が並んでいる。


 アインは、最初から最後まで黙って聞いた。


 呼称訂正協議。


 帰路の接触。


 聖女アリシアという呼びかけ。


 閉じた扇子で二名を倒したこと。


 残る三名を、確保班が拘束したこと。


 アリシアが話し終えると、アインは彼女の右手を取った。


 手首。


 指。


 掌。


 傷がないことを、自分の目で確かめる。


「怪我はありませんわ」


「見れば分かる」


「では、御満足いただけました?」


「まだだ」


 アインは手を放した。


「二人倒した」


「非殺傷ですわ」


「そういう話ではない」


 アリシアは、少し考えた。


「三人目は皆様へお任せしましたわ」


「増やすな」


「増やしておりません」


 クラウディアが卓上表示を切り替えた。


「押収物の解析結果を説明します」


 アインはアリシアから視線を外し、表示へ向けた。


 薄い白色の円盤。


 掌に収まる大きさで、表面には細かな祈祷式が刻まれている。


「暗部五名が所持していた確認用聖具です。対象者の魔力応答を読み取り、内部記録と照合します」


「聖女の印?」


 リシアが問う。


「彼らがそう呼んでいたものです」


 クラウディアは円盤の解析図を開いた。


「身体へ刻まれた印ではありません。認定時に記録された固有魔力応答です。本人確認用の照合記録に近いものです」


「わたくしにも、リシアにも反応しなかったのですね」


「はい」


 アリシアは円盤を見た。


「では、わたくしたちが探している聖女ではないと、あちらも理解なさったのでしょうか」


「三名は理解しました。二名は、替え玉用に魔力応答まで偽装されている可能性を主張しています」


「なかなか頑固ですわね」


「任務上は必要な疑念です」


 アインが言った。


「間違えたまま動いたこととは別だ」


 クラウディアが次の記録を開く。


 暗部五名が共有していた任務命令だった。


 対象。


 認定聖女アリシア。


 生存確認を最優先。


 聖女の印を照合後、教国へ帰還させること。


 同行する背教騎士二名は、抵抗時の排除を許可する。


「背教騎士」


 ステファニアが、文字を読んだ。


「名前は分かりますか」


「女聖騎士イレーネ。聖騎士マルク。二名とも、聖女アリシアの護衛任務に就いていました」


「学院にいるイレーネ・バルシュ様とは」


「別人です」


 命令書の脇に、二人の記録が表示される。


 イレーネ。


 マルク。


 いずれも教国側の記録では、聖女逃亡への協力者とされていた。


「聖女アリシアが教国を出たのは、いつですか」


 リシアが問う。


「約三年前。認定記録では十三歳です」


「竜山脈を越えたのは」


「最後の確実な記録は、竜山脈東麓です。その後、西側で聖女らしき人物を見たという報告が散発しています」


 クラウディアは、記録の時系列を開いた。


 三年前。


 十三歳の認定聖女と、護衛任務に就いていた二人が教国から消えた。


 竜山脈東麓で、一度だけ追跡部隊と接触。


 以後、確実な足取りは途絶えている。


「ですが、約四ヶ月前から、西側での目撃報告と照合記録が増えています」


「三年間、何もなかったのに?」


「正確には、確かな記録として扱えるものがありませんでした。四ヶ月前から、聖女らしき少女と男女二名が移動しているという報告が、複数の経路で重なり始めています」


「その二名が、イレーネとマルクだと?」


「暗部は、そう判断しています」


「顔は確認されているのですか」


「いいえ」


 アリシアとリシアは、同時に顔を上げた。


「それで、ファーランドを」


「はい。竜山脈西側。旧ベルカ系譜を残す土地。アリシアという名。酷似する容姿。聖女像事件への本人同席申請。それらが一つへ結ばれました」


「綺麗に間違えましたわね」


 アリシアの言葉に、クラウディアは否定しなかった。


     ◇


 暗部五名のうち、会話に応じたのは一人だけだった。


 庭園でアリシアへ踏み込み、短剣を落とした男。


 学院長府警備担当者の立会いの下、拘束具を付けたまま椅子に座っている。


 負傷した右手首には、治療用の固定具が巻かれていた。


 向かいには、クラウディアとエレナが座る。


 アリシアたちは、隣室から記録を確認していた。


「確認します」


 クラウディアが言った。


「あなた方は、アリシア・ファーランドを認定聖女アリシアと判断して接触した」


「そうだ」


「判断根拠は」


「答える必要はない」


「既に任務命令と照合聖具を確認しています。あなたの回答は、押収記録と一致するかを確認するためのものです」


 男は黙った。


「認定聖女アリシアは、何故逃亡したのですか」


「逃亡ではない」


 初めて、男の声に強いものが混じった。


「保護対象が、背教騎士に連れ去られた」


「聖女本人の意思ではないと」


「そう聞いている」


 エレナが、わずかに視線を上げた。


「本人へ確認しましたか」


 男は答えなかった。


「連れ去られたとする根拠記録は」


「命令に記されている」


「本人の言葉は」


 沈黙。


 エレナは、それ以上重ねなかった。


「女聖騎士イレーネと聖騎士マルクが、聖女を連れ去った。あなたはそう認識している」


「そうだ」


「二名は、何故そのようなことを」


「聖女を惑わせた」


「何を伝えて」


 男の口が止まった。


 知らない。


 そう答えたのと同じだった。


「あなた方は、連れ戻した後の聖女がどう扱われるか知っていますか」


「保護される」


「どこで」


 男は答えなかった。


「誰によって」


 答えはない。


 エレナは手元の記録へ、一行だけ加えた。


 実働者。帰還後処遇を知らず。


     ◇


「あの方々は、ほとんど何も知らされていないのですね」


 記録確認を終えたリシアが言った。


「知らなくても動けるように、命令が作られています」


 クラウディアが答えた。


「聖女は連れ去られた。騎士は背教者。連れ戻せば保護できる。実働者には、それで足ります」


「本人の意思だけがありませんわね」


 アリシアは、閉じた扇子を卓上へ置いた。


「向きを決めたのは、また助ける側ですか」


 リシアの問いに、誰もすぐには答えなかった。


 アインは、表示された三つの名を見ていた。


 アリシア。


 顔の確認されていない、男女二名。


「探す」


 短く言った。


「ですが、居場所は」


「まだ分からない」


 アインは三つの記録から目を外さなかった。


「追われている。それは分かった」


 アリシアが、扇子を手に取る。


「また、アリシアですわね」


「嫌か」


「いいえ」


 扇子が開く。


「お会いするのが、少し楽しみになりましたわ」


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