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ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
新しい風

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第百二夜 借りた祈り

第百二夜 借りた祈り


 祈願紐を置いた学生は、二人とも自分から名乗り出た。


 一人は、東棟で薬草学を学ぶ二年生。


 もう一人は、騎士科の一年生だった。


 二人に面識はない。


 所属する学科も、暮らしている寮も違う。


 共通していたのは、東方の戦況を心配していたこと。


 そして、自分が書いた祈願紐が、問題として扱われているらしいと聞いたことだった。


「祈ってはいけなかったのですか」


 薬草学科の学生、フィーネは、窓口の椅子へ座るなり言った。


 声が震えている。


 怒っているのか、怯えているのか、リシアには分からなかった。


「いいえ」


 リシアは答えた。


「祈ることを問題にはしていません」


「でも、私の祈願紐は別にされたと聞きました」


「本人宛ての文が添えられていたためです」


「あれも祈りです」


 フィーネは、膝の上で両手を握った。


「戦っている方がいるのに、正しい知らせまで届かないなんて、おかしいと思ったから」


 隣に座るエリオットは、すぐには口を挟まなかった。


 エレナも記録板へ手を置いたまま、待っている。


 リシアは、言葉を選んだ。


「フィーネ様が無事を願ったことは、疑っていません」


「では、どうして」


「祈りと一緒に、受け取った方を動かす文が入っていたからです」


「動かすつもりなんてありません」


 今度は、はっきり怒っていた。


 リシアは息を吸った。


 ここで、書いた文の効果だけを説明すればよいのか。


 意図と結果は違う、と。


 それは正しい。


 正しいが、今この人が聞けば、自分の祈りを取り上げられ、さらに間違いまで教えられているように感じるかもしれない。


「すみません」


 リシアは言った。


 フィーネが目を上げた。


「言い方がよくありませんでした。動かそうとした、と決めつけたいのではありません」


「では、何を聞きたいのですか」


「あの文を、どのように考えられたのかを知りたいです」


 フィーネは黙った。


 握っていた指が、少しだけ緩む。


「……私が考えたのではありません」


 エレナの指が、記録板の上で止まった。


「書き写した、ということでしょうか」


「祈り方が分からなかったので」


 フィーネは俯いた。


「小礼拝室の前で、祈願文の例を配っていた方がいました。戦う方の無事を願うなら、こう書けばよい、と」


「その方の名は」


 ユリアが問いかけ、途中で口を閉じた。


 少し離れた席から補助記録を取っていた彼女は、エレナを見た。


 エレナは小さく頷く。


「今は、文例について教えてください」


 フィーネは、少し考えた。


「何種類かありました。怪我をした方へ。遠くにいる家族へ。戦う方へ。私は、戦う方へというものを取りました」


「紙は残っていますか」


「いいえ。祈願紐を書いた後、捨てました」


「配っていた方の顔は覚えていますか」


「……多分」


 その返事は頼りなかった。


「法衣を着ていましたか」


 エリオットが初めて問う。


「いいえ。学院の制服でした」


「祈願文を読むよう勧められましたか」


「机の上に置かれていただけです。どれを使うかも、自分で選びました」


 フィーネはそこで言葉を切った。


「あの」


「はい」


「私が、悪いことをしたのですか」


 リシアは、すぐには答えられなかった。


 悪くない、と言い切れば、文の働きを見なかったことになる。


 悪い、と言えば、祈り方を借りただけの学生へ全てを背負わせることになる。


「まだ、決めません」


 リシアは答えた。


 フィーネの顔に、困惑が浮かぶ。


「決めないのですか」


「はい。何が起きたのかを先に確認します」


 綺麗な返事ではなかった。


 フィーネも納得してはいないだろう。


 それでも、彼女は小さく頷いた。


     ◇


 騎士科一年生のレオンは、フィーネとは違う反応をした。


「俺が書きました」


 椅子へ座る前に言い切った。


「置いたのも俺です。罰があるなら受けます」


「まず、お掛けください」


「立ったままで構いません」


「こちらが困ります」


 エレナが言うと、レオンは少し迷ってから座った。


 背筋を伸ばし、両手を膝へ置く。


 叱責を待つ姿勢だった。


「祈願紐に書いた文は、御自身で考えましたか」


「いいえ」


 返事は早い。


「祈願文例を写しました」


 リシアは、フィーネの記録を思い出した。


「小礼拝室の前に置かれていたものですか」


「そうです」


「何種類ありましたか」


「覚えていません」


「文例を配っていた方は」


「見ていません」


「なぜ、その文を選んだのですか」


 レオンの口が止まった。


 今まで迷わず答えていた分、沈黙が目立った。


「……俺の兄は、東方へ行っています」


 膝の上の指が、布地を掴む。


「騎士ではありません。荷を運ぶ仕事です。どこにいるかも分かりません」


 声が低くなる。


「昨日、帝国の魔導騎装が退いたという話を聞きました。良い知らせだと思った。でも、窓口が隠しているという紙も見た」


 レオンは顔を上げた。


「もし本当なら、あの二人には知る権利があると思いました。あの二人が動けば、俺の兄のところにも何か届くかもしれない」


 リシアは、返す言葉を失った。


 レオンは祈願紐を使った。


 誰かが、使いやすい言葉を置いていた。


「兄上の御名前を、確認記録へ残しますか」


 エレナが問う。


 レオンは首を横に振った。


「必要ありません」


「分かりました」


「俺は、罰を受けるのですか」


「それも、まだ決まりません」


 レオンの眉が寄った。


「俺がやったことです」


「はい」


 エレナは真っ直ぐ答えた。


「ですから、あなたが何をしたのかを、あなたが思っている形だけで決めません」


「よく分かりません」


「私も、まだ全部は分かりません」


 レオンは、初めて少しだけ姿勢を崩した。


     ◇


 二人の聞き取りが終わった後、窓口の卓上へ分かったことが並べられた。


 祈願紐を書いた学生は、二人。


 面識なし。


 所属、寮、学年に共通点なし。


 祈願文例は、小礼拝室前の机に置かれていた。


 配布者は不明。


 文例は複数あり、学生自身が選んだ。


「命令ではありませんね」


 ミリアが言った。


「命令なら、誰が従ったかを追えます。これは、選ばせています」


「選んだのは本人です」


 ユリアが続ける。


「だから、書いた責任も本人に残る。でも、選びやすい言葉を置いた者もいる」


「責任を分ける必要があります」


 エレナは記録板を見た。


「祈願紐を書いたこと。本人宛て文として窓口前へ置いたこと。文例を用意したこと。小礼拝室前へ置いたこと」


「一つにすると」


 リシアは言った。


「祈願紐を書いた二人が、全部を考えたことになります」


「はい」


 エリオットが、机の端に置かれた白紙を見た。


「文例を置いた者は、祈る者がどの言葉を選ぶかまでは決めていません。ですが、選択肢は用意した」


「誰かが使うことを期待して」


「おそらくは」


 エリオットの返答には、わずかな苦さがあった。


 自分の信仰に近い場所が使われた。


 それでも、彼は祈った学生を庇うだけでは終わらない。


「小礼拝室前の机は、普段から置かれているのですか」


 オスカーが問う。


「いいえ」


 エリオットは答えた。


「祈願紐を編む時期や、追悼礼拝の前後には置かれることがあります。ですが、今朝まで机が出ていたという記録はありません」


「机ごと?」


 ミリアが目を瞬いた。


「はい」


 その場が静かになった。


 祈願文だけではない。


 誰かは、机まで用意した。


 祈りを勧めるための、ごく自然な場所を作った。


「机は今もありますか」


 リシアが問う。


「確認します」


 オスカーが立ち上がった。


     ◇


 小礼拝室前に、机はなかった。


 床には、細い脚が置かれていた跡だけが残っている。


 四つ。


 埃の薄い廊下に、四角く並んでいた。


 オスカーは屈み込み、触れずに見る。


「運び出した跡はある」


「どちらへ」


「西」


 廊下の先には、用具庫と中庭へ続く扉がある。


 オスカーは床を追い、途中で止まった。


「ここまでだ」


 人の往来が多い場所で、跡は消えている。


「机の登録は」


 ユリアが携帯端末で備品記録を確認する。


「小礼拝室用の折り畳み机は二台。どちらも保管庫にあります」


「別の場所から持ってきた」


 ミリアが言った。


「それとも、記録にない机です」


 リシアは、床の四角い跡を見た。


 祈願文を置いた者は、誰かに無理やり書かせてはいない。


 ただ、祈りたい人が立ち止まりやすい場所へ、机と文を置いた。


 選ぶのも、書くのも、運ぶのも、別の人に任せた。


 そして、机だけを片づけた。


「追いますか」


 ユリアが問う。


 リシアは答えようとして、止まった。


 誰を追うのか。


 机を運んだ人。


 文例を置いた人。


 文を書いた人。


 同じ人とは限らない。


「戻ってから決めましょう」


 リシアは言った。


 オスカーが立ち上がる。


「それがいい。ここで相談すると、目立つ」


 通りかかった学生が、こちらを見ていた。


 小礼拝室の前で、何かを調べている。


 その光景自体が、次の噂になる。


 一行は床の跡を記録し、窓口へ戻った。


     ◇


 貸与邸で報告を聞いたアインは、机の配置図を見た。


 文例。


 祈願紐。


 小礼拝室。


 窓口。


 四つの位置が表示されている。


「元を追いますか」


 リシアが問う。


「追う」


 アインは答えた。


「ただし、書いた二人は外せ」


「はい」


「祈った者も追うな」


「分かりました」


 アリシアが、閉じた扇子の先で机の位置を示した。


「探すのは、人ではなくこちらですわね」


「机ですか」


「机を置けば、そこが場所になりますもの」


 アリシアは、表示の中の小礼拝室前を軽く叩いた。


「言葉だけでは、皆様、意外と立ち止まってくださいません。けれど机があり、紙があり、祈りという理由があれば、少し足を止める」


「クラウ」


 アインが呼ぶ。


「はい」


「学院内で、登録外の机が置かれた場所を洗え」


「既に始めています」


 クラウディアの返事は早かった。


 アインは、少しだけ眉を上げた。


「そうか」


「殿下が御命じになると思いましたので」


 アリシアが扇子で口元を隠す。


「相変わらずですこと」


「何がだ」


「いいえ、何も」


 表示の中で、小礼拝室前の印が淡く点滅している。


 その横へ、新しい印が一つ増えた。


 旧講義棟の渡り廊下。


 今朝、登録外の小机が目撃されていた。


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