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ベルカ  作者: 柿内彦左衛門
新しい風

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幕間十三 火を入れる者たち

幕間十三 火を入れる者たち


 アークライト第三ダンジョンには、森がある。


 人が作った森だ。


 地形も、土壌も、水脈も、光量も、すべて管理されている。


 生態系は設計され、循環は計算され、異常があれば研究部の監視系がすぐに反応する。


 だから、それは本物の森ではない。


 少なくとも、かつてのクラウディアはそう分類していた。


 だが、母星帰還後、その分類は少しずつ修正を求められている。


 精霊反応。


 自然魔力循環。


 根圏共鳴。


 人工環境に、本来なら存在しないはずの反応が、微量ながら増え続けている。


 技術部は、最初それを環境制御系の誤差として扱おうとした。


 マキナは三時間ほど調べた後、端末を閉じて言った。


 これは技術部の仕事じゃない。


 研究部を作って。


 その一言で、アークライト研究部は正式に独立した。


 もちろん、マキナ本人はその後もしばしば研究部へ顔を出している。


 自分で分けろと言ったくせに、とクラウディアは思う。


 言わない。


 言えば長くなるからだ。


     ◇


 森林区画へ向かう前、クラウディアは一行を第三連絡区画の待機室へ案内した。


 広い部屋ではない。


 だが、天井は高く、壁面には簡易の医療確認装置と、転送酔いを抑えるための低負荷循環装置が組み込まれている。


 今日ここへ来ているのは、村山技術研究所の関係者と、その家族だった。


 地上で保護された技術者たち。


 ハイエルフ系の技師。


 設計士。


 整備士。


 その子供たち。


 老いた者もいる。


 若い者もいる。


 全員が、まだ緊張していた。


 無理もない。


 彼らにとってアークライトは、伝説ではない。


 避難船でも、神話でも、悪魔の船でもない。


 乗れなかった船だ。


 そして、戻ってくるはずだった人の船だった。


 エレナは、待機室の壁面を見ていた。


 視線が、医療確認装置から循環装置へ移る。


 次に、床の継ぎ目。


 天井の空調孔。


 扉横の表示。


 彼女は、驚いていないわけではなかった。


 むしろ、驚きすぎている。


 けれど、その驚きを顔へ出す前に、何として記録すべきかを探しているようだった。


「エレナ」


 ステファニアが小さく呼ぶ。


「はい」


「今は、記録ではなく見学でよいと思います」


 エレナは、少しだけ目を瞬いた。


「承知しました」


 それから、ほんのわずかに困った顔をする。


「ただ、見学という分類をどこへ保存すべきか、少し迷います」


 リシアは思わず笑いそうになった。


 クラウディアは淡々と言う。


「本日は、研修中私的観察で構いません。後で公的記録に転用する場合は、保存先を分けてください」


「承知しました」


 エレナは、今度こそ真面目に頷いた。


 そして、もう一度だけ壁面を見た。


 そこにあるものの意味を、まだすべて理解してはいない。


 それでも、彼女は分かっていた。


 ここは、ただ珍しい場所ではない。


 人が暮らすために作られ、人を迎えるために調整され、いま自分もその中へ入れられている場所なのだ。


 待機室の奥に、一人の男が立っていた。


 細身の身体。


 長い耳。


 淡い銀灰色の髪。


 外見だけを見れば、まだ若い。


 だが、その目の奥には、長命種特有の時間の重さがある。


 名は、シオン。


 村山技術研究所の主任設計士。


 公的記録では、村山技術研究所主任設計士シオン。


 村山の親父さんの養子。


 かつて、八咫烏の心臓部に関わった技術者の一人。


 クラウディアは、彼の姿を確認し、短く頷いた。


「シオン主任」


「クラウディア副司令」


 シオンは、静かに礼を返した。


 その声は落ち着いている。


 だが、わずかに硬い。


 クラウディアは、その硬さを記録した。


 緊張。


 再会前反応。


 予測範囲内。


 待機室の扉が開いた。


 アインが入ってくる。


 その瞬間、部屋の空気が変わった。


 村山技研の者たちは、ほとんど同時に姿勢を正した。


 家族たちは、一拍遅れてそれに倣う。


 アインは、それを止めなかった。


 ただ、まっすぐシオンの前へ歩いた。


 シオンは、礼をしようとした。


 その動きは正確だった。


 公的な礼。


 主任設計士として、ベルカ皇太子相当の人物へ向ける礼。


 けれど、アインが先に口を開いた。


「シオン」


 呼び方は、役職ではなかった。


 シオンの動きが止まる。


 アインは、彼を見上げた。


 今のアインの身体は小さい。


 かつて、八咫烏の機関部で三日徹夜した少年の姿に、むしろ近い。


 シオンは、そのことに気づいたのだろう。


 目の奥が、一瞬だけ揺れた。


「無事でよかった」


 アインは、それだけ言った。


 短い。


 けれど、十分だった。


 シオンは、しばらく何も言わなかった。


 唇が動きかける。


 声にならない。


 それから、彼は深く息を吸った。


「殿下」


 声は、少し掠れていた。


「こちらこそ。よく、お戻りくださいました」


 アインは、目を伏せなかった。


「戻ると言った」


「はい」


「遅くなった」


 シオンの表情が、わずかに歪んだ。


 怒りではない。


 悲しみでもない。


 それらを、長い時間の中で形を変え続けたものだった。


「親父さんは」


 アインが言った。


「殿下が行方不明になられた後も、最後まで、殿下は戻ると申しておりました」


 シオンは答えた。


「公的には、所長は、と申し上げるべきでしょうが」


 そこで、彼は少しだけ口元を緩めた。


「殿下の前では、親父さんでよろしいでしょう」


「ああ」


 アインの返事は短かった。


「親父さんは、最後まで親父さんだった」


「ええ」


「頑固だったか」


「非常に」


「だろうな」


 アインは、ほんの少しだけ息を吐いた。


 笑いではない。


 だが、笑いに近いものだった。


 クラウディアは、その表情を記録しなかった。


 記録分類を保留した。


 こういう時、分類は遅れてもよい。


「殿下」


 シオンが言った。


「村山技術研究所の者たちは、火を消しませんでした」


「聞いている」


「逃げなかったのではありません。逃げる場所がなかったのでもありません」


「分かっている」


 アインは答えた。


「残って、火を見ていた」


「はい」


 シオンは、深く頷いた。


「親父さんが、そうしろと」


「親父さんらしい」


「殿下も、そう仰ると思いました」


 待機室の隅で、マキナが小さく手を上げた。


「感動の再会中に悪いんだけど、そろそろ移動しない? 研究部が時間超過するとすごくうるさいんだよね」


 クラウディアは、彼女を見た。


「あなたが作った手順です」


「作ったけど、うるさくするように作った覚えはないよ」


「あなたの手順は、守らせるためにうるさいです」


「うん。否定できない」


 シオンが、少しだけ笑った。


 それを見て、村山技研の若い技師たちも、わずかに肩の力を抜いた。


 緊張がほどける。


 クラウディアは、それを確認してから言った。


「では、森林循環区へ移動します」


     ◇


 第三ダンジョン森林区画は、通常の居住区から少し離れている。


 一般居住者が入れないわけではない。


 だが、今日案内する区画は研究部管理の循環区だった。


 通路の先で、空気が変わる。


 白銀色の壁面が途切れ、湿り気を含んだ風が頬を撫でた。


 木の匂い。


 土の匂い。


 水の流れる音。


 そして、ごく微かな魔力の揺らぎ。


 リシアが、思わず足を止めた。


「船の中、なのですよね」


「はい」


 クラウディアが答える。


「第三ダンジョン森林循環区です」


 リシア、ステファニア、セラ、エレナも同行している。


 アリシアは来ていない。


 彼女が来ると、話が別の方向へ進む可能性が高いと、アインが短く判断したためだ。


 アリシアは微笑んで「では、後ほど記録を拝見しますわ」と言った。


 クラウディアは、その時点で少しだけ疲れた。


 今は考えない。


 森へ入る。


 木々は高く、枝葉は人工の空へ向かって伸びている。


 空は本物ではない。


 だが、光の揺れ方は丁寧だった。


 風は一方向に流れず、葉の間で細かく返っている。


 根元には、ほとんど見えないほど細い光の線が走っていた。


 魔力循環路。


 土壌に埋め込まれた補助系。


 ただし、それだけではない。


 葉の影が、わずかに震える。


 水面の上に、何か小さなものが跳ねたような反応が出る。


 セラが、少しだけ目を細めた。


「何かいます」


「見えますか」


 クラウディアが問う。


「見える、というより。いる気がします」


「精霊反応です」


 ステファニアが、息を呑んだ。


「精霊、ですか」


「はい。ただし、まだ定着初期です。強く干渉しないでください」


「分かりました」


 ステファニアは即答した。


 分かったと言った時点で、もう半分ほど読み始めている顔だった。


 クラウディアは彼女を見た。


「ステファニア様」


「はい」


「見てください。読まないでください」


「……はい」


 リシアが小さく笑った。


 エレナは、そのやり取りを記録板へ記している。


 クラウディアはそれを止めなかった。


 今日のエレナの記録は、分類練習として有効だ。


 シオンは、森の入口で立ち尽くしていた。


 手袋を外す。


 ゆっくりと膝を折り、地面に指を触れる。


 その仕草は技術者のものではなく、森を知る種族のものだった。


「ここは」


 シオンが呟いた。


「人工の森ではないのか」


「人工です」


 クラウディアは答えた。


「では、なぜ精霊の匂いがする」


 問いは、クラウディアへ向けたものだった。


 だが、答えたのはアインだった。


「戻り始めている」


 シオンが顔を上げる。


「精霊が、ですか」


「ああ」


 アインは森を見た。


「俺たちだけじゃない」


 それ以上は言わなかった。


 クラウディアが説明を引き取る。


「母星帰還後、森林区画の精霊反応は継続的に増えています。正確には、外から単純に入ってきているのではなく、こちらの循環場に合わせて、少しずつ定着し始めています」


「循環場」


「この二年で、殿下と研究部が構築したものです。森を核にして、地上の自然魔力循環に近い場を再現しています」


 シオンは、しばらく黙っていた。


「昔は、できなかった」


「はい」


 クラウディアは頷く。


「大戦時のアークライトでは、エルフ系種族の世代単位居住に必要な環境を維持できませんでした」


「知っている」


 シオンの声は静かだった。


「だから我々は残った」


「逃げなかったのではなく」


「火を消さない場所が必要だった」


 その言葉に、村山技研の者たちがわずかに反応した。


 若い技師は、目を伏せる。


 家族の一人が、小さな子供の肩へ手を置いた。


 しばらく、誰も言葉を足さなかった。


 火を守る、という言葉が、技術者だけのものではないと分かる沈黙だった。


 クラウディアは、その沈黙を崩しすぎないように続ける。


「当時の閉鎖環境では、二、三年程度の滞在なら可能でした。しかし、精霊不在の環境では、魔力感覚の鈍化、循環不全、倦怠、感覚障害に近い症状が出る。世代単位の移住には向きません」


「その報告書を書いたのは、親父さんだ」


 シオンが言った。


「公的には、所長の名前で」


「覚えています」


「私は、あの時怒った」


 シオンの声に、少しだけ昔の熱が戻った。


「殿下の船へ行けないと知って、子供のように怒った。親父さんは、私の頭を叩いて言った。行けないなら、残って火を見ろ、と」


 アインは黙っていた。


「それが役に立つ日が来るのかと聞いたら」


 シオンは、少しだけ笑った。


「あの人は言った。来るかどうかではない。消したら終わりだ、と」


 森の葉が揺れた。


 風のせいか。


 精霊反応のせいか。


 クラウディアは、判定を保留した。


「帰ってきたのは」


 シオンが言った。


「殿下だけではなかったのですね」


 誰も、すぐには答えなかった。


 その沈黙は、必要なものだった。


     ◇


 森の奥には、小さな施設があった。


 木々に隠れるように建てられた低い建物。


 外観は研究小屋に近い。


 だが、内部は完全に別物だった。


 小型炉。


 試験用フレーム固定台。


 精密加工機。


 魔力循環測定装置。


 壁面には、村山技術研究所の旧規格に合わせた接続端子が並んでいる。


 その一部は、明らかに新造だった。


 マキナが胸を張る。


「どう? 旧村山規格、八割方そのまま通るようにしておいたよ」


 シオンは、端子の一つを見た。


「八割」


「残り二割は危ないから切った」


「切ったのか」


「そりゃ切るよ。親父さん仕様、そのまま残すと整備員が泣く」


 シオンは、しばらく黙った。


 それから、深く頷く。


「正しい」


「でしょ?」


「親父さんは怒るだろうが」


「それはそれで見たかったなあ」


 マキナは本気で残念そうだった。


 クラウディアは、話を戻す。


「ここが、村山技術研究所アークライト分室の予定区画です」


 村山技研の若い技師が、息を呑んだ。


 家族たちも、互いに顔を見合わせる。


 シオンだけは、すぐに反応しなかった。


 彼は小型炉を見ていた。


 まだ火の入っていない炉。


 冷たい。


 静か。


 しかし、すべての接続は整っている。


 待っている。


 それは、眠っているというより、息を潜めているように見えた。


「所長は」


 エレナが、記録板を手にしたまま慎重に問いかけた。


「親父さん、という方は、どのような方だったのですか」


 シオンは、少しだけ彼女を見た。


 質問の置き方を測ったのだろう。


 エレナは、すぐに続けた。


「公的記録としてではなく、必要であれば私見として扱います」


 シオンは、ほんの少し笑った。


「よい問いだ」


 エレナは礼をした。


「親父さんは、私を拾った理由を才能だと言い張っていた」


 シオンは言った。


「違ったのですか」


 リシアが問う。


「才能は、言い訳だ」


 シオンは、炉から目を離さない。


「あの人は、放っておけなかっただけだ。身寄りのないハイエルフの子供が、工房の外で設計図を盗み見ていた。普通なら追い払う」


「親父さんは」


 アインが言った。


「中へ入れた」


「はい」


 シオンは頷く。


「最初に言われた言葉は、邪魔だ、だった」


「言いそうだ」


「次に、見るなら手を動かせ、と」


「それも言いそうだ」


「三日後には、私は掃除係になっていました」


 アインが、わずかに口元を動かした。


「それで」


「半年後には、試験部品の採寸を任されました」


「親父さんは、見る目だけはあった」


「はい」


 シオンの声が、少し柔らかくなる。


「人を見る目だけは、最後まで間違えなかった」


 マキナが小さく手を上げた。


「技術を見る目も相当おかしいけどね。褒め言葉として」


「マキナ」


 クラウディアが言う。


「はいはい。黙るよ。少しだけ」


「少しだけなのですね」


 ステファニアが思わず言った。


「技術部主任だからね」


 マキナは当然のように返す。


 セラが真面目に頷いた。


「役職とは、黙らない理由になるのですね」


「ならない」


 アインが短く言った。


「えー」


 マキナが不満そうな声を出す。


 部屋の空気が、少し軽くなった。


 シオンは、その空気の中で炉を見ていた。


「八咫烏の時も」


 彼が静かに言った。


「親父さんは、最後まで止める側でした」


「だが、見届けた」


 アインが言った。


 シオンは頷いた。


「はい。ロールアウト直後、ファーランドの守備隊が師団級戦力に押し潰される危険があると聞いて、殿下が八咫烏一機で出られた時の記録を」


 リシアが、息を呑んだ。


「お一人で、ですか」


「一機で、だ」


 アインは短く訂正した。


 その訂正は、ほとんど意味が同じだった。


「親父さんは、その戦闘記録を何度も見返しておりました」


 シオンの声は静かだった。


「殿下が消えた後も、あれを見て、戻る、と言い続けた。最後は、これならいい、と。自分の仕事に満足したように亡くなりました」


 部屋の空気が、少しだけ深く沈む。


 重くはない。


 ただ、火の前に置くべきものが一つ増えたような沈黙だった。


「その戦いを見ていたファーランドの将校が、殿下をブレードダンサーと呼んだのです」


 ステファニアが顔を上げた。


「ブレードダンサー」


「以前から、殿下の剣は舞うようだと言われていました。ですが、その時の八咫烏は、刃で踊るのではなく、刃を舞わせ、戦場そのものを踊らせていたと」


 シオンは、アインを見た。


「それが、正式な称号になりました」


「大げさだ」


 アインは短く言った。


「大げさではありません」


 シオンの返答も短かった。


 マキナの目が輝いた。


「その話、詳しく」


「後で」


 クラウディアが即座に止める。


「クラウ、そこは止めるところか」


 アインが言った。


「止めるところです。今始めると、初火入れが明日になります」


「そこまでか」


「殿下が一番お分かりのはずです」


 アインは、少しだけ目を逸らした。


 リシアは、その反応を見逃さなかった。


 ステファニアも、たぶん見ていた。


 エレナは、記録板へ何かを書こうとして、手を止めた。


 記録するか迷ったのだろう。


 クラウディアは、それを見て言った。


「今の反応は、公的記録には不要です」


「では、私的観察として」


「保存先を分けてください」


「承知しました」


 エレナは真面目に頷いた。


 アインが、少し困った顔をする。


「俺を教材にするな」


「既に教材です」


 クラウディアが言った。


「いつからだ」


「かなり前から」


 マキナが答えた。


「お前には聞いてない」


「でも答えは合ってるよ」


 シオンが、とうとう小さく笑った。


 その笑いは、長い時間の奥から出てきたようだった。


     ◇


 初火入れの準備は、驚くほど静かに進んだ。


 村山技研の者たちは、炉の周囲へ集まる。


 研究部の者たちは、循環値と精霊反応を監視する。


 技術部は、接続と安全系を確認する。


 クラウディアは全体を見た。


 マキナは炉の横で端末を操作しながら、いつになく真剣な顔をしている。


 シオンは、炉の正面に立った。


 彼の手には、小さな認証鍵がある。


 旧村山規格のものだ。


 親父さんの工房で使われていた形式を再現したもの。


 実用品としては古い。


 だが、今日に限っては、それでなければならなかった。


「殿下」


 シオンが言った。


「何だ」


「村山技術研究所アークライト分室。初火入れの許可を」


 アインは、炉を見た。


 それから、シオンを見た。


 大仰な言葉はなかった。


 演説もない。


 ベルカの復興を掲げる言葉も、失われた技術を取り戻す宣言もない。


 ただ、そこに火を待つ炉があり、火を守ってきた者たちがいる。


 それで十分だった。


「火を入れろ」


 シオンは、深く頭を下げた。


「承知しました」


 認証鍵が差し込まれる。


 低い音がした。


 炉の内側で、淡い光が走る。


 魔力循環系が起動し、外周の表示が一つずつ青へ変わっていく。


 研究部の監視端末に、精霊反応の微増が表示された。


 森の葉が揺れる。


 風はない。


 少なくとも、環境制御系は風を出していない。


 小さな炉の奥に、火が灯った。


 赤ではない。


 青でもない。


 金属を温めるための火であり、魔力を通すための火であり、技術者が手をかざして温度を測るための火だった。


 シオンは、その火を見ていた。


 村山技研の者たちも。


 家族たちも。


 リシアも、ステファニアも、セラも、エレナも。


 誰も、すぐには言葉を足さなかった。


 マキナでさえ黙っていた。


 クラウディアは、その沈黙を記録した。


 ただし、分類名は付けなかった。


 火の中に、古い工房の音があるように思えた。


 親父さんが工具を放り、シオンが寸法を読み上げ、瑞穂重工の会長が余計なことを言い、アインが三日徹夜の顔で図面を書き換えている。


 そんな記録は、今ここにはない。


 けれど、火はあった。


 消えなかった火が、ここに戻ってきた。


 アインは、その火を見ている。


 表情は大きく動かない。


 だが、クラウディアには分かった。


 これは、失ったものを取り戻した瞬間ではない。


 失われなかったものが、まだここにあると知った瞬間だった。


「殿下」


 シオンが、火を見たまま言った。


「親父さんへ、報告してもよろしいでしょうか」


「何を」


「火は入りました、と」


 アインは、少しだけ間を置いた。


「ああ」


 そして、短く続けた。


「文句も言っておけ」


 シオンが目を瞬いた。


「文句、ですか」


「残した規格が面倒だった」


 マキナが即座に頷いた。


「それは言って。絶対言って」


 シオンは、少し肩を震わせた。


 笑っていた。


 泣いてはいない。


 少なくとも、そう記録するべきではなかった。


「承知しました」


 シオンは言った。


「必ず」


 炉の火が、静かに揺れた。


 森の奥で、葉がまた震える。


 地上に残った者たちが守り、アークライトが帰還し、精霊が戻り始めた森の中で、火はようやく置き直された。


 それは、ベルカの火ではなかった。


 村山技研だけの火でもなかった。


 戻ってきた者と、残っていた者が、同じ場所で見つめる火だった。


 アインは、最後までその火から目を逸らさなかった。


 消えなかったものがある。


 その事実を、ただ見ていた。


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