#2下界、冒険者の一歩。
法則そのものを管理する存在――聖級神の領域。
そこは、神界でありながら神界ではなかった。
音がない。
光すら静かだった。
足を踏み入れた瞬間、世界そのものから“余計な情報”が削ぎ落とされていくような感覚が全身を包み込む。空間には床も壁も存在しない。
ただ白い。
どこまでも、果てなく白が続いていた。
『……何回来ても慣れませんね、ここ』
隣で地球が小さく呟く。俺は適当に前を歩いた。大した回数足を運んでいないだろう。
すると、何も無かった空間に波紋が広がる。
その中心から、一人の存在が現れた。
いや、“最初からそこにいた”と言った方が正しいのかもしれない。
白銀の長髪。感情の見えない瞳。年齢も性別も分からない。
ただそこに立っているだけで、空間そのものが静止しているようだった。
聖級神。これ神界最上位。世界法則そのものを管理する存在。地球が即座に頭を下げる。
俺も一応、軽く頭を下げた。
「どうも」
『軽いですねぇ!?』
地球が小声で焦る。
だが聖級神は気にした様子もなく、静かにこちらを見つめていた。その視線だけで、自分の内側まで見透かされている感覚がある。
俺を覚えているのだろうか。
それにしても相変わらずだな。
『ラグナ界で問題が起きているようだな』
やっぱり全部分かってるらしい。話が早くて助かるけど、なんか釈然としない。
「ええ。ラグナ世界への直接降臨許可をもらいに来ました」
『規則違反だ。知っているだろう』
即答だった。まあ知ってる。神による直接介入は禁止。当たり前だ。特に俺みたいな上級神クラスが降りれば、世界そのものへ負荷がかかる。最悪、ラグナ世界が耐えきれず崩壊する可能性すらある。
『だが、』
聖級神の瞳が、ほんのわずかに細められた。
『今回の魔王は、確かに規格外だ』
空間に静寂が落ちる。地球が息を呑む気配がした。
聖級神が“規格外”と言った。つまりそういうことだ。神界ではお手上げってことだ。……ちょっと面白くなってきたな。
『条件付きで許可しよう』
「条件?」
『神格の制限を行う』
瞬間、空間に無数の光輪が展開された。
神界文字。世界法則式。魂固定術式。
複雑な術式群が俺と地球を囲むように回転を始める。
『現在の神格では、ラグナ世界が耐えられず滅びてしまう』
『そ、それ僕もですか!?』
焦った調子で地球が確認をする。
『”それ”に同行するのだろう?』
それ呼び。ほんと相変わらずの神様だぜ。
「俺が決めたことだ」
『なんでですかほんとに……』
地球が頭を抱える。俺は少し笑いながら術式を眺めた。
神力制限。肉体固定。スキル変換。
なるほど。向こうでは“神の力”をそのまま使えないらしい。代わりに、世界法則に合わせて能力を変換する、と。
『現地世界に適応した能力へ再構築を行う』
『つまり……』
「スキル化ってことか」
『その通りだ』
まあゲームみたいなもんだろ。地球の世界、そういうの好きだし。
術式の光が身体へ流れ込んでくる。
普段なら意識すらしない神力が、まるで無数の鎖で縛られていくような感覚。正直、かなり窮屈だ。
だが同時に――。
少しだけ、高揚している自分がいた。
『転移後は、世界法則に従うのだ』
聖級神の声が静かに響く。
『神であっても例外ではないからな』
「はーい」
『わかっているのか?必ず問題を解決するんだぞ』
分かってる。……多分。必ず魔王を倒す。俺の使命だ。
最後に、聖級神が俺を見た。その視線はどこか、試すようだった。
『感情で動くとは思わなかったぞ』
「俺も」
それだけ返した瞬間、視界が白に染まった。――次の瞬間。
灼熱だった。
「…………あっつ」
乾いた風が頬を撫でる。目の前には、どこまでも続く赤茶けた大地。岩、砂、空。視界にはそれだけしか映らなかった。生命の気配すらない。不思議な感覚だ。
ここがラグナ世界。
初めて、自分の足で降り立った異世界だった。隣では地球が砂の上に膝をついて四つん這いになっていた。
『うぇっ……酔いました……』
「弱すぎだろ」
『神界転移と世界間転移は別物なんですよ……』
俺は軽く周囲を見渡した。神界から見ていた時とは違う。空気の重さも風の温度も地面を踏みしめる感覚もなにもかも、全部が妙に新鮮だった。
……なるほど。下界ってのは、こんな感じなのか。
『で、どうするんです?』
地球が立ち上がりながら聞いてくる。俺は遠くの地平線を眺めた。その先に、国が見えた。この距離であの大きさ、相当でかいだろう。きっと王都に違いない。
「とりあえず」
俺は歩き出した。砂を踏む音が、風が吹く音が、静かな世界に響く。
「王都まで歩いてみるか」
砂漠を抜けた頃には、空は赤く染まり始めていた。乾いた風に乗って人の気配が届く。遠くの地平線。歩き続けてようやく巨大な城壁都市が姿を現した。
石造りの外壁は夕日に照らされ、赤銅色に輝いている。無数の灯りも立ち上る煙も城門を行き交う人影も新鮮で、神界から見下ろしていた時とは違う。
こうして実際に近づくと、“世界が生きている”のを感じた。
「……でかいな」
思わず声が漏れる。
俺の視界いっぱいに広がる王都を見ながら、地球が小さく頷いた。
『人口は数万人規模ですね。ラグナ世界ではかなり発展している国のはずです』
「へぇ」
異世界というから、もっと村社会みたいなものを想像していた。だが思っていたより文明レベルは高い。
荷車が通り、露店が並び、人々が慌ただしく行き交っている。
『地球の方がいいですけどね』
「地球愛すごいな、お前」
『当然です。僕の担当世界ですよ』
「まあ俺も地球は好きだったけどな」
住みやすそうだったし。飯うまいし。斬新な娯楽多いし。発展してるしあと何より、変な文化が多い。
改めて見ると、本当に変な世界だ。俺は王都の街並みを眺めながら歩き続ける。
石畳とレンガ造りの建物が美しい。これが人の手で作られたものなのか。空を漂う魔力の流れ。
神界では感じなかった“世界の循環”が、肌を通して伝わってきた。
文明レベル自体は地球より遥かに低い。だが、この世界には魔力がある。地球には存在しない力。
法則そのものが違う。
その一点だけで、ラグナ世界も十分興味深かった。
『とりあえず、今日泊まる場所を探しますか?』
地球が城門を見上げながら言う。だが俺は立ち止まった。
「その前にやることがある」
『?なんでしょう』
「金銭問題だ」
『……あ』
「金がなければ泊まるどころか飯も食えないだろ」
神界では必要なかった概念だ。だが今の俺たちは、この世界の法則に従って生きなければならない。
財布ゼロ。完全に無一文である。
『確かにそうでしたね……』
地球が少し考え込む。
そして、何か思い出したように顔を上げた。
『この世界には“冒険者ギルド”があるはずです。この国にも恐らくあります』
「冒険者ギルド?」
聞き慣れない単語に眉をひそめる。地球はどこか楽しそうに説明を始めた。
『ギルドと呼ばれる機関に登録して、依頼――クエストを受けるんです。一定以上の実力が認められれば、仕事の斡旋や国からの依頼も受けられるようになります』
「へぇ」
『僕らの目的を考えるなら、“勇者”を目指すのが一番自然でしょうね』
勇者。またその単語か。まあ、元々そのために来たようなものだ。
『ちなみにクエスト達成で報酬も出ます』
「金も貰えるのか」
『政府公認機関なので安心ですよ』
なるほど。手軽に金を稼げる上に、この世界の情報も集められる。かなり合理的な提案だった。
地球の文化にもあるなら、こいつが妙に詳しいのも納得か。
「地球で言うと?」
『ハローワークと便利屋と軍隊を混ぜた感じです』
「わっかりづれぇ……」
俺は再び歩き出した。王都の巨大な門を見上げながら、小さく笑う。
「じゃあ、まずは登録しに行くか」
王都へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
門の両脇には鎧姿の兵士が立ち、行き交う人々を確認している。露店からは香ばしい肉の匂いが漂い、石畳の上を荷車が忙しなく通り過ぎていく。
怒号やら笑い声やら鍛冶屋の金属音やらと神界では決して聞こえない、生きた世界の音だ。
「……騒がしいな」
『王都ですからね。かなり活気ある方だと思いますよ』
隣を歩く地球――周囲を見渡しながら答える。こいつ、さっきから妙に楽しそうだな。異世界に来た実感でも湧いてきたのか。俺は通りを歩きながら、ふと気づく。
「そういや」
『はい?』
「名前どうする」
『……名前?』
「この世界で“地球神でぇす”とか名乗るわけにもいかねぇだろ」
そうでしたね、と地球が小さく頷いた。神界では問題ない。だが今の俺たちは、この世界に溶け込まなければならない。神だと知られれば余計な面倒事になる。
『確かに偽名は必要ですね……』
「お前はアースでいいか」
『はぇ???』
素っ頓狂な声をあげながら地球――改めアースが、信じられないものを見る目を向けてくる。
『いや雑すぎません!?』
「地球だからアース」
『もうちょっと捻ってくださいよ!』
「面倒」
『最低ですねこの上級神』
だが俺としてはかなり分かりやすいと思う。覚えやすいし。間違えないし。何より考える手間がない。完璧だ。
『もっとこう……北欧神話っぽい名前とかあるでしょう!?』
「じゃあお前考えろ」
『…………』
数秒黙った後、アースは諦めたように肩を落とした。
『……もうそれでいいです』
「よし決定」
『ほんと強引ですね……』
俺は少し笑いながら前を向く。すると今度は、アースがじっとこちらを見てきた。
『じゃああなたはどうするんですか』
「あー」
確かに。俺も本名のままというわけにはいかない。少しだけ考える。
「ヴィザル」
『へぇ』
意外そうな顔だった。
『ちゃんと考えた名前付けるんですね』
「元々昔使ってた」
『あ、そうなんですか』
神になる前。遥か昔、まだ下界を歩いていた頃の名前だ。もうほとんど忘れていたが、不思議と口に出すと妙に馴染んだ。……懐かしいな。
『ヴィザルさん、ですか』
「なんかむず痒い」
『じゃあ何て呼べばいいんです』
「好きにしろ」
『適当ですねぇ……』
そんなくだらない会話をしているうちに、目的の建物が見えてきた。
王都冒険者ギルド。三階建ての巨大な石造りの建物で、入口には剣と盾を交差させた紋章が掲げられている。中からは酒場のような騒がしさが漏れ出していた。
「……思ったよりでかいな」
『人気職業ですからね、冒険者』
扉を開けた瞬間、熱気が押し寄せる。酒と鉄の匂い。大声で笑う冒険者たち。武器を背負った男たちがテーブルを囲み、壁には大量の紙が貼り出されていた。依頼書、だろう。
『うわぁ……本当にあるんですねぇ……』
アースが少し感動したように呟く。
「お前の世界の創作なんだろ?」
『いやでも実物はテンション上がりますって』
よく分からん。俺は周囲を軽く見回した。
受付、依頼掲示板、酒場スペース。それに――。
「結構強いやつもいるな」
魔力の流れで分かる。この世界、人間でも案外馬鹿にできない。神界から見ていた時より、ずっと面白そうだった。
『まずは登録ですね』
「その前に依頼見てみるか」
俺は掲示板の前へ向かう。そこには無数の依頼書が貼られていた。
薬草採取。
魔物討伐。
護衛任務。
素材回収。
その中で、一枚の依頼書が目に留まる。
【緊急依頼】
砂狼討伐
報酬:銀貨三枚
「砂狼?」
『この辺りの砂漠地帯に出る魔物ですね』
「強いのか?」
『初心者数人だと危険、くらいでしょうか』
なるほど。つまり――。
「ちょうどいいな」
神の力を制限された今、自分たちがどこまで戦えるのか。まずは試してみる必要がある。俺は依頼書を剥がし、小さく笑った。
「最初の仕事だ」




